アチタが見える 小説版   作:市民エックス

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第1話

 パパに傘を持ってあげたいのとチコが言った時、出木杉しずかは笑った。

「チコちゃん、外はこんなに良いお天気なのよ。天気予報でも今日はずっとお日様が出ているって言っていたから、傘なんかいらないわ。それに、三本も持って行ってどうするの?」

 チコは、首を振ると、玄関のドアを開けた。しずかはそれを見て、小さくため息をついた。しょうがないわねえ、我が家のお姫様は。

 元気に駆け出していくチコの背中に、しずかは声をかけた。

「車に気を付けるのよ!」

 チコは、最寄りの駅に向かって、走り続けた。今の彼女にとって、駅に傘を届けることは、世界で最も重要な任務であった。パパも、パパのお友達も、ずぶぬれになっちゃかわいそうだもの。

 駅が見えてきたころ、雨が、降り始めた。チコは立ち止まって、傘を一本差して、歩き出した。

 駅の入り口にチコが着いた時には、土砂降りの雨が、傘に降り注いでいた。出木杉英才は、近づいてくる娘の姿と、彼女の左手に握られた二本の傘を見て、驚きと、安堵に包まれた。仕事を終え、自宅の最寄り駅まで電車に揺られてきたところで、天気予報に反して降り始めた雨に困り、自宅に「傘を二本、持ってきてくれないか」と電話をかけようとしていたばかりだったからだ。

 しずかは、チコが家を出て行ってから少しして、雨が降り始めたことに、驚いた。しかし、帰宅した夫と娘と、もう一人の人間の姿を見た時には、もっと驚いた。

「どうも、お久しぶり。しずかちゃん」

 彼女の、小学生の頃の呼び名を口にして、骨河はへへ、と笑った。

「驚いた? 駅で偶然会ってさ。こうやって会うのは、チコが生まれた時以来じゃないかな」

 英才の言葉も、ろくに彼女は聞いていなかった。子どもの頃からの知り合いである骨河が、今現れたことよりも、彼が傘を持っていることの方に、彼女は驚いていた。その傘は、チコが持って出て行った、家の傘だった。

「チコちゃん」

 しずかは、娘に聞いた。

「わかっていたの? 傘が三本必要だってことが。また、見えたの?」

「うん!」

 活発な、チコの返答を聞いて、英才としずかは、顔を見合せた。その様子に、骨河は、驚いた。ただならぬ気配を、感じたからだ。

 英才と、しずかと、骨河は、一緒にテーブルを囲み、久しぶりの再会を祝い、お互いの近況を話し合った。しずかと英才は、彼ら三人の共通の知り合いである野比のび太とジャイ子夫妻の下に、三人目の子どもが生まれそうだという話を聞いて、驚いた。

「仲いいのね、あの二人!」

「最初あの二人が結婚するって聞いたときは、びっくりしたよなあ。あの郷田が、いつもいじめていた野比と妹の結婚を許したのにもびっくりしたし。絶対早く別れると思っていたよ」

「それが今や、三人も子どもを作るほどだからね。骨河は今でも、会っているの?」

「腐れ縁は健在さ。まあでも、会う度に、のび太の愚痴を聞かされるよ。『あの野郎。ジャイ子に苦労ばかり掛けやがって』ってね』」

 三人は、笑った。

 出木杉英才、源しずか、骨河スネ夫、郷田武、野比のび太の5人は、小学生の頃からの、友人たちだった。彼らの内、英才はしずかと結婚し、野比と郷田は、野比が郷田の妹であるジャイ子と結婚することで、義兄弟となった。

 大人になっても関係を続ける、かつての友人たちとの心安らぐ歓談の中でも、骨河は、先ほど感じた不穏な雰囲気を、どうしても心中から拭えずにいた。

「ところで」

 と、彼は、気になっていたことを口にした。

「どうして、しずかちゃんはわかったんだい? 雨が降り出すってことも、僕が家に、お邪魔するってことも? 確か、娘さんが来たのは、出木杉が電話する前だったよね?」

 その瞬間、英才としずかの表情から、笑いが消えた。

 ちらりと、二人は娘を見た。大人たちが囲むテーブルのある部屋の隅で、チコは画用紙に絵を描くことに熱中していた。どうみても、ただの小さな女の子にしか、見えなかったけれど、英才としずかは知っていた。自分たちの娘が、普通ではないことを。

 意を決し、出木杉英才は口を開いた。

「チコはね、見えるんだよ」

「見えるって、何が?」

「未来が、さ」

 沈黙が、流れた。

「冗談きついぜ。なんでも知っている優等生の出木杉君」

「最初に気づいたのは、まだチコが自分で歩けもしない頃だった」

 骨河のからかうような口ぶりなどなかったかのように、英才は言葉をつづけた。

「チコが、お気に入りの兎の人形を、絶対に手放さなかったってことがあったんだ。まるで一度でも手を離したら、もう永遠に分かれるしかないとでも、思い込んでいるかのようだった。お風呂に入れてあげる時も、眠るときも、兎をぎゅっと抱いていて、取り上げようとすると、ものすごい大声で泣きわめくんだ。それでもどうにか引き離したら、一か月後にね。……兎は、本当に、なくなっちゃった」

「英才さんが、壊してしまったのよ。床に転がっていたのを、踏んでしまったの」

 しずかがぽつり、と、言った。

「その時は、もちろん、ただの偶然だと考えたよ。でもチコと一緒に生きていると、そういうことが頻繁に起こる。僕が登山に行く準備をしている時に、チコが浮き輪を持って行けって騒ぐんだ。山に行くのだから必要ないといったけれど、『パパが溺れるのが見えた』って言い張るんだ。そして実際に登山した時、僕は、谷川に落下した。チコの浮き輪が無かったら、死んでいたかもしれないね」

「買い物に行こうとしたら、今日は行っちゃ駄目だって、言い張ったこともあるのよ」

 しずかが、空になっている骨河の前のグラスに、飲み物を注いだ。

「どうしてって聞いたらね、行った先で、怖いおじさんがいるからだっていうの。そのおじさんが、『銃』をばんばん撃って、スーパーのお客さんたちが、血を流すのが見えたって。テレビの見過ぎですってちょっと笑って、そういう悪い冗談をいっちゃいけませんってしかりもしたけど、チコは泣いて行っちゃ駄目、行っちゃ駄目、っていうから、なんだかだんだん私も怖くなって、その日はレトルトカレーで夕飯は済ませることにしたのよ」

「おい、まさか……。その日って……」

 骨河は、口にグラスを近づけたところで、止めた。

「そうよ。あの日のこと。あの日、本当は私も、チコと一緒に、スーパーに行くはずだったの」

 一年前、ある事件が起きた。

 スーパーに押し入った男が、銃を乱射して、何人かの店員と、買い物に来ていた客を、殺傷したという事件だった。

「買物に行っていたら、私も、死んでいたかもしれないわね」

 しずかは、目を伏せた。

 再び、重い沈黙が、三人の間に、流れた。

「小学生の時にさ」

 沈黙を破ったのは、骨河だった。

「野比が、あの頃はのび太って呼んでいたけど、『超能力がこの世にはある』って言いだしたことがあっただろ。あいつ、すぐにテレビとか、雑誌の影響を受けるからさ。それで僕が『のび太がまた、馬鹿なことを言っているよ』っていって否定して、それで喧嘩になって……。確かあの時、君が間に入ってくれたのだよな。出木杉」

「覚えているよ。その時のことは」

 英才は微笑した。小学生の頃、友達と過ごした日々を思い出すとき、いつも浮かべる笑みだった。

「君たち二人に言ったことも、ちゃんと覚えている。超能力に関する研究は、特に20世紀に沢山行われた。だけど、信頼に値する結果を出せた研究は皆無だったし、超能力の存在を証明したと騒がれた実験も、後になって検証したら、明らかな間違いや、インチキの介在したものだった例が、ほとんどを占めた。今日における文明社会の常識に照らせば、超能力は存在しない、と見るのが妥当な結論だ」

「だけど、て、君は続けた」

 骨河は、グラスを食い、と飲んだ。傾けた時、一瞬、グラスの底を通して、英才の顔が歪んで見えた。

「それは結局、現在は超能力の存在は、証明されていない、ていう話に過ぎない。僕たちの住んでいるこの宇宙には、科学が解明しきれていないことが、まだまだたくさんある。超能力が絶対に存在しない、ていう証明は、不可能だ。だから、超能力があるっていう野比君の主張も、超能力がないっていう骨河君の主張も、どちらも正しくない、だったな」

「よく覚えているね。嬉しいよ」

 英才はまた、笑った。

「で、今の君は、のび太の意見が正しかった、て思っているのか?」

「思っているよ。だって、僕の娘という実例を、目にしたからね」

 英才はまた、絵を熱心に描いているチコを見た。骨河も見た。しずかは無言で空になったグラスを、台所の流しへと運んで行った。

「できた!」

 チコが叫んで、テーブルによって来た。その手には、絵が描かれた画用紙。出木杉と骨河は、覗き込んだ。

 子どもが描いたといわれても信じられないくらい、写実的な絵だった。骨河に似た顔の人間が、横に倒れている。赤いクレヨンに、塗りつぶされている。その横には、トラックにしか見えない絵が、描かれていた。

「チコちゃん」

 英才は、ゆっくりと、優しく聞いた。

「これは、チコちゃんが見たものを、かいたの?」

「うん」

「何を見たのか、いってみてくれる?」

「んーとね、骨河おじさんが、トラックにどーんと、ぶつかってね。倒れて真っ赤になっちゃった」

 がちゃん、と、音がした。

 しずかが、床に落としてしまった皿が、割れる音だった。

「ごめんなさい」

 しずかは、ちりとりとほうきを取りに行った。

「僕も手伝うよ。しずかちゃん」

 骨河が、立ち上がった。その顔が、今までに見たことがないほど蒼白になっているのを、英才は見た。

「チコちゃん」

 彼は、娘を正面から見た。

「詳しく、パパに教えてくれないかな。骨河おじさんが、いつ、どこで、トラックにどーんされちゃうのか」

 チコは首をかしげて、少し考えてから、首を振り、困った顔をしていった。

「わかんない」 

 戻ってきた骨河が、「もう帰るよ」といった。英才は、「僕も駅まで行くよ。心配だからね」

と答えた。

 外に出ると、もう雨はやみ、空はすっかり暗くなっていた。

「……ごめんね」

 駅までの道を歩きながら、英才は、言った。

「何がだい。出木杉君」

「僕たちの娘に未来を予知する力があるなんて、きっとただの妄想だ。僕としずかは二人そろって、ただの偶然を勘違いしたんだ。あの絵はきっと、チコの空想の産物に決まっているよ。だから」

「いいよ。慰めてくれなくても。むしろ僕は、感謝している。だっておかげで、交通事故に気を付けようって気持ちが、より一層強くなったからね」

 それきり、二人の会話は途絶えた。英才は、歩道の車道側を歩いていた。骨河をかばう様に。

 英才が再び、口を開いたのは、駅の入り口についてからだった。

「きっと、未来は決まってなんかいないよ」

「ありがとう。……君はいつまでも、いいやつだな。出木杉君」

 別れを告げ、改札口に向かう前に、骨河は急に思い出したかのように、呼びかけてきた。

「僕の知り合いにさ。新聞記者がいるのだけど、超能力とかの話に、何故か興味があるやつなんだ。もしもこれから、チコちゃんのことで、何か困ったことがあったら、力になってくれるかもしれないよ」

 そういって、その記者の連絡先を、英才に教えてくれた。

「ありがとう。君もいい奴だよ。骨河」

「昔は、自慢ばかりしている、嫌なガキだったけどな」

 骨河は、笑った。

 数日後、その新聞記者は、出木杉家に現れた。英才が連絡したからだ。英才は、チコが予言した未来を変えることができるのか、第三者から知恵を欲しかった。

 高畑というその記者に、ひとめあうなり、英才は好感を覚えた。

 

 

 

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