皆の意見や知識で動かせ戦国物語   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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ゆっくり解説 中編2

「「ゆっくりしていってね」」

 

「今回は信長の懐刀や内政の天才と言われた津田家操について解説するぜ」

 

「よろしく頼むわ」

 

「津田家操の出生は出世村と呼ばれる尾張中村出身で、織田信長と同じ歳だぜ」

 

「へぇ……尾張中村ってなんで出世村なの?」

 

「この村から多くの人々が成り上がることになるぜ。津田家操の義弟で九州二国の大名になった木下秀吉、その弟で木下秀吉の名宰相と言われた木下秀長、火縄銃の改良や旋盤の開発、蒸気機関の開発で多大な成果を挙げた火縄幸之助、弓名人と言われた中村鹿之助、津田家操の筆頭家老の林龍次郎……他にも歴史に名を残した者がゴロゴロ出たのが尾張中村だぜ」

 

「へぇ……そんなチートみたいな村出身なのね」

 

「まぁチートの理由が津田家操が幼少期につるんでいた連中に勉強を教えて一定水準の学力があったからと言われているぜ」

 

「結局家操のおかげじゃない」

 

「幼少期の家操は川で魚を獲ったり、養蜂に成功したり、椎茸栽培で村をどんどん豊かにしていったぜ。この成功体験が後々の内政能力に繋がっていくぜ」

 

「ほへぇ……幼少期から凄かったのね」

 

「幼少期から神童と呼ばれていたらしく、家族仲も良好で木下智と婚姻していたんだが、村に居ても畑を継ぐことができないとして熱田の町に飛び出して長屋生活を始めるんだが、蜂蜜や椎茸栽培で伝手を得ていた当時は行商人だった大黒屋とのコネを使って石鹸と米ぬかを使って米油を作り始めるぜ」

 

「へぇ……」

 

「更にこの時期に山科助綱という有名な山科言綱の弟……通称五位様と呼ばれていた人物の小間使として働いていたと記録が残っているぜ」

 

「なんで貴族のお偉いさんの小間使に?」

 

「中村の和尚が山科助綱と繋がりがあったらしく、和尚に勉強を教わり、対価として椎茸を渡したところ気に入られたというのが通説で、その伝手で山科助綱の小間使になれたらしいぜ。そこで礼儀作法を勉強したと日記に書き残しているぜ」

 

「なるほどねぇ……信長との出会いは何時なの?」

 

「山科助綱の所で働き始めて程なくしてゴロツキに襲われている商人を助けたのを信長が見ていて、当時信長が率いていた愚連隊の下っ端になることに成功するぜ。津田家操は事業で成功していたために財布番として信長が求める物をよく買ったと後年纏めた書籍に書いているぜ。そしてこの時は信長や他のメンバーから人として見られていなかったということも描かれているぜ」

 

「有名な鶴というあだ名もこの時に付けられたのかしら」

 

「あぁそうだぜ。顔が小さくて首が長くて体が大きかったから鶴みたいに見えたらしいぜ」

 

「そして1544年に津田家操は天候不順による不作になると感じていたらしく、それを利用して不作前に米を集めて、不作によって米の値段が上がったのを見てから転売して利益を稼ぐのを成功させて大きな利益を得るぜ。これはまだ普通な米の転売だったが、この時の経験から後年更にやばい米の転売方法を考えるぜ」

 

「津田家操の黒い部分ね」

 

「ただこの時石鹸、蝋燭、米油だけでなく小麦を使った様々な料理を考案して屋台を幾つも建てて稼いでいたと証言が残っているぜ」

 

「料理人の才能も開花させていたのね」

 

「お好み焼きやたこ焼き、焼きそばがこの時できるぜ」

 

「へえ! 今でも売られている料理の原点がここだったのか」

 

「食料品を仕入れるのに大黒屋を使っていて、大黒屋も大きな利益を得ていたぜ。この頃には店を持っていたと言われているぜ」

 

「そしてその利益で日本に伝来したばっかりの鉄砲を親友の火縄幸之助に製造技術を覚えさせて、鉄砲を作れる工場を建築するぜ」

 

「へぇ……」

 

「鉄砲を早期に手に入れて十分な訓練をしたことでみるみる津田家操は砲術を覚えていくぜ。そして初陣を終えたことで信長から人として見られるようになり、第二次小豆坂の戦いで武功を挙げたことで常滑の大野村を領地として与えられるぜ」

 

「そこで今までの内政能力を十全に発揮して中世では最高効率と言われる塩作りから始まり、連結窯による焼き物の推奨、尾張米の発見と魚肥を用いた新しい農法の推奨等で一気に他の領地とは一線を画す領地となっていくぜ」

 

「へぇ……」

 

「この前後から薩摩芋やじゃがいもこと馬鈴薯の記述も現れ、伝来した芋類の有用性を発見して大規模栽培を推奨したのも津田家操の功績と言えるだろうぜ」

 

「そして戦による功績と内政能力を見込まれて信長から腹違いの妹の小麦姫と婚姻することになるぜ。この時津田家操には智の他に霞、千秋という津島神社の巫女と熱田神社の宮司の娘を嫁にもらっていたが、3人を側室にして小麦姫を正室にするが、4人がかりでもノックダウンにするくらいの性豪さを発揮するぜ」

 

「そのおかげでほぼ隔年で子供が生まれる事になるんだぜ」

 

「そして戦を大きく変える臼砲もこの頃には開発に成功していたらしいぜ」

 

「臼砲と大砲の違いってなんなの?」

 

「臼砲は大砲の一種で砲身が短いのが特徴で、山なりの曲射という砲術しかできない大砲だったぜ」

 

「へぇ……命中率は悪そうね」

 

「実際悪かったけど、それは数で補ったぜ」

 

「そして歴史だけでなく経済や警察の知能犯の事例として挙げられることがある米転がしと呼ばれる大規模なインサイダー取引を1553年に実行するぜ」

 

「どれだけすごかったの?」

 

「被害総額は100万貫と呼ばれて現代換算で1200億円近くの経済的損失を発生させたぜ。織田信長と津田家操、熱田と津島商人はこれで大儲けして畿内から一時的に商業の中心地を伊勢湾内に移すほどの被害が発生したぜ。畿内は10年近く後遺症に悩まされる事になるぜ。三好弱体化の原因とも言われているぜ」

 

「エグいことをしたのね」

 

「この話だけで1回分の動画になるくらいだから詳しくは幾つも上がっている津田家操の米転がしって解説動画を見ると良いぜ」

 

「ちなみにこの米転がしの余波で今川家は急速に弱体化して家財を売り払うほど困窮することになるぜ」

 

「これが津田家操が日本で始めて行なった経済戦と言われる由縁ね」

 

「今川家を倒すと遠江の浜松に所領を貰うことになるぜ」

 

「現代でも大都市の浜松の基礎を築いたのも津田家操だったのね」

 

「津田家操はローマコンクリートと呼ばれる技術を発見して、コンクリート作りの巨大な城を建造するぜ。二俣城や浜松城は多角形要塞と言われる方法で作られており、その防御力は300年後の明治維新の切っ掛けとなる津田家討伐で防御力を発揮し、近代兵器を数々使用する織田幕府軍の攻撃が全く効果無く、反撃で大打撃を受けて討伐は失敗し、明治維新の始まりとなるぜ」

 

「また信長と肉体関係があったこともこの頃の津田家操の日記に書かれているぜ」

 

「衆道の時代ね」

 

「普段信長は受けをすることが多かったらしいが、津田家操だけは攻めることが多かったと書き記しており、津田家操は晩年切れ痔に悩まされることになるが、この時に開発されたからと記載されているぜ」

 

「おぉ……」

 

「その後津田家操の武勇を確固とした同盟国の北条家が小田原城での包囲戦に一緒に籠城して夜襲を成功させて城に海から補給物資を運搬させることで城の士気を高めたり、上杉謙信が撤退したら関東平定戦で大活躍したぜ……後は歴史の教科書通りの活躍になるぜ」

 

「この時まだ30前半でしょ……凄いわね」

 

「天下統一後の津田家操については次の動画で話そうと思うぜ」

 

「それでは」

 

「「ご視聴ありがとうございました!!」」

 

 

 

 

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