皆の意見や知識で動かせ戦国物語   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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訂正 犬山城ではなく小牧山城でした。


1557年 家操24歳 中美濃侵攻

 信長様が美濃攻略を見据えて小牧山城を築城している頃、武田家と長尾家は第三次川中島の戦いが発生しており、両者支城を落としたり、直接対決を避けた戦闘が続いていた。

 

 この一連の戦闘は近江国高島郡朽木谷に逃れていた将軍足利義輝の仲裁により和議となるが今年も武田家の目は長尾景虎(後の上杉謙信)の方に向いていた。

 

 なので織田家や北条家との同盟関係は引き続き継続しており、織田家は美濃を北条は関東の反北条勢力討伐に注力することができていた。

 

 一方で足利義輝は織田家と斎藤家の仲裁にも乗り出し、美濃は斎藤家、尾張は織田家と条件を出していたが、斎藤義龍はタイミングが悪く、この頃将軍に無断で朝廷献金を行い、官位の買収をしていたため、この仲裁をしようと調べていた幕臣が無断朝廷献金の事実を抑えてしまった。

 

 この献金騒動に激怒した足利義輝は織田家の上司である斯波義銀に斎藤家討伐を下知(命令)された。

 

 信長様はこれで美濃攻略の大義名分を得たことになり、美濃攻略の戦略を決定する。

 

 まず犬山城を美濃攻略の前線基地とし、中美濃攻略を主目標とした。

 

 美濃は西美濃、中美濃、東美濃と3つの地域に分かれており、西美濃には美濃三人衆等の美濃有力豪族が多くおり、更に斎藤義龍の居城は堅城の稲葉山城で前年に攻めたが、守りが堅く、攻略は難しいとしたため、中美濃を攻略することで東美濃と分断し、美濃豪族や国人衆の切り崩しを有利に運ぶべきと判断したらしい。

 

 で、3月から4月にかけての嫌がらせ、5月頃に斎藤義龍率いる軍と激突して斎藤率いる美濃衆に手痛い打撃を与えることに成功し今に至る。

 

「信長様、この猿めに中美濃の入口である鴨沼城調略をご命じくだされ」

 

「できるか猿」

 

「は!」

 

「よし、調略に成功した暁には足軽大将に出世させようぞ」

 

「は! 必ずや」

 

 秀吉は墨俣に一夜城を築き、そこを拝領して出世したとされてきたが、実は史実だとこの鴨沼城調略に成功して足軽大将に出世が先である。

 

 それまで秀吉はあくまで一奉行人で武将でもなんでも無かった。

 

 今回も年代は違えど秀吉は秀長と協力して鴨沼城を調略で織田家に寝返らせることに成功。

 

 信長様は新人の滝川一益と森可成の2名に手柄を挙げさせて出世させられるように鴨沼城の直ぐ北にある猿塚城攻略を命令、この城も陥落させ、この城に信長親衛隊の1人である河尻秀隆を入れて中美濃攻略の足場を作ることに成功する。

 

 そのまま丹羽長秀率いる別働隊はライフル銃の集中運用で木製の壁を採用していた鳥峰城の城壁に張り付いていた兵士ごと射殺し、1日経たずに落城させ、その南にある久々野城は城主不在の城だった為に戦わずして降伏。

 

 1ヶ月経たずに4つの城が陥落したことになる。

 

 ただここから中美濃攻略は膠着し、5月の尾張侵攻のダメージは回復しきってないが無理をして兵を動員した斎藤義龍率いる西美濃の諸将が中美濃の加治田城、堂洞城、関城に集結し、防衛線を構築する。

 

 信長様はこれ以上の速攻での攻略は不可能と判断し、丹羽長秀をそのまま鳥峰城に、滝川一益を久々野城に入れ、信長本隊は8月中頃まで犬山城にて滞在した後に撤退。

 

 信長の軍が退いたのを確認して斎藤義龍も軍を退くのだった。

 

 この一連の戦いで将来織田家の幹部になる者達が次々に出世。

 

 木下秀吉、秀長兄弟は勿論、滝川一益、森可成、河尻秀隆、前田利家、佐々成政、毛利新助、池田恒興、丹羽長秀等信長親衛隊の面々が大活躍し、知行の増加や役職が上がったりもした。

 

 秀吉も末席ながら足軽大将として評定に参加することが許された。

 

 伊達アニキも丹羽長秀隊の鉄砲衆として参加したらしく信長様から感状をいただいている。

 

 まぁここから戦線は膠着して状況が動くのに数年かかるのだが……それは神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

 今年は新農法の普及により収穫量が激増し、地域によっては例年の4倍、平均でも3倍の大豊作となり収穫祭が各地で開かれた。

 

 領主の俺や息子達も各地の収穫祭に顔を出して祭りを楽しみ、その後年貢の徴税作業が始まる。

 

 検地が不十分な為にまだ隠し田などがありそうだが、予想していた年貢分には届いた。

 

 総量はだいたい8万石ほどであり、兵糧として蓄えたり、市場に放出したり、酒に加工したりと様々であった。

 

 だいたい酒に加工したのも売ると12万貫ほどになるので現在の兵の給料は支払うことができる。

 

 これに工場群から入ってくる利益やその他の税収や献金を加えると毎年25万貫くらいは入ってくるようになっていた。

 

 今年は残りの利益を産業への投資ではなく、城(多角形要塞)の拡張に使用するが……。

 

 ただ今回の収穫の際に回転脱穀機や風力式精米機が行き渡り、農作業の効率化が凄まじく進んだ。

 

 で、米の値段が下がり、豊作なのにあまり金にならない事に気がついた農民達は違う作物をどんどん作るようになるし、冬の間に来年の肥料は領主である俺が負担するのと三公七民を来年も継続する代わりに検地と田畑の区画整備を強行した。

 

 足りない農地は兵を動員して開墾を手伝わせて損がでないように心がけ、田んぼにしにくい畑は菜の花や大豆、茶や芋等を植えるように指示したり、果樹園にすることを勧めたり、養蜂や砂糖大根栽培を勧めたりもした。

 

 損にならないように気を使った為に農民達からの反発も少なく、一揆が発生するのを抑えることにも成功した。

 

 また米が大豊作で藁の収穫も増えたので牧場に藁を卸して牛や馬の餌にしたり、藁と大豆で納豆を作り、特産品化を目指したり、藁を使った紙を量産したりもした。

 

 冬に向けた農作業が終わると1日50文と飯付きで人夫を雇って要塞の堀を掘ったり、壁の建築を進め、金が出るので人夫達もやる気になり、約1万人が作業に従事したおかげで要塞の堀部分と内壁は完成した。

 

 来年は外壁や川から堀に水を入れる作業になるだろう。

 

 これで戦国時代では類を見ない巨大な城郭の一部が完成するのだった。

 

 

 

 妻達が今年も懐妊し、冬に出産した。

 

 小麦と智、千秋は女の子で、霞は男の子だった。

 

 小麦の子には藍玉、智の子には珊瑚、千秋の子には金と名付け、霞の子には夕張の名前を付けた。

 

 男の子ばかりでもと思っていた妻達は女の子も産めてホッとしていたが、俺の娘達は全員もれなく元気なお転婆娘に育つことになり、嫁ぎ先を考えるのに苦労することとなる……というか旦那よりも武芸が上手いという事も普通に起こりうるのだった。

 

 

 




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