皆の意見や知識で動かせ戦国物語   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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1561年 家操28歳 小田原城の戦い 後編

 1561年 家操28歳

 

 小田原城攻め

 第四次川中島の戦い

 

 

 

 

 

 

 

「す、すげぇ、見渡す限り敵じゃねぇか」

 

「利家、その望遠鏡落とすなよ。まだ試作品しかできてなくて、1つ1貫するからな」

 

「お、おう。すみません家操様……でも凄いっすね。この小田原城にも2万人が詰めてますけど、敵はそれの数倍は居ますよ」

 

「そうだな……利家も鉄砲撃ち放題だぞ。撃てば当たる数いるな」

 

「へへ、これだけ居れば下手でも当たりますよ」

 

「よし、持ち場に着け! 織田鉄砲隊の恐ろしさを坂東武者達に見せてやるぞ」

 

「「「おお!」」」

 

「鈴木! 鈴木孫一」

 

「おう、呼んだか大将」

 

「大砲は軍事機密的に持ってこれなかったが、弾薬は数ヶ月分運び込んだ。あんな大軍を維持できるほど関東管領軍の補給網は強靭じゃねぇ。それに裏作もできないような天候だ。必ず補給切れを起こす。1ヶ月持てば良いほどだからな。数ヶ月分の弾薬1ヶ月で使い切って良いぞ」

 

「よっしゃぁ! 大将太っ腹だぜ! お前ら聞いたか! 鉄砲撃ち放題だ! 城の堀が死体で埋まるくらい撃ち込んでやるぞ」

 

「「「おお!!」」」

 

 兵5000のうちライフル兵が4500名、予備の銃を含めて5000丁持ってきているが、史実では15年近く先の長篠の戦いで使用された鉄砲の数が3000丁とされているのでいかに鉄砲の数を揃えたか一目瞭然である。

 

 しかもこのうちの1500丁が最新式のフリントロック式ライフル銃(火打ち石式)である。

 

 ある程度密集しても撃てる為に戦術の幅は広がっていた。

 

 関東管領軍の総数は小田原城を包囲する頃には11万人を超えており、戦国時代が始まってから最多の軍勢を誇っていた。

 

 海上では里見水軍と北条·津田連合軍が激突。

 

 最新式の千石船15隻と常滑型和船200隻の津田海軍全兵力で迎撃し、小田原城の戦いの前哨戦と呼ばれる相模湾での海戦では千石船に搭載された大砲による砲撃により船が沈没する日本海軍史に残る初めて砲撃で敵船を沈没させたという記録や焙烙玉(手投げ爆弾)や火吹矢、それにライフル銃が活躍し、特にライフル銃はある程度近づけば木造船の側面を容易に貫通するため、穴だらけになった船は沈没するか、漕ぎ手に負傷者多数で航行不能になった所を砲撃されて撃沈するという虐殺の様な戦いになった。

 

 里見水軍はこの戦いで大損害を被り、撤退。

 

 北条側が相模湾の制海権の維持に成功する。

 

 相模湾の維持が成功したということは無事である駿河や織田領内から物資運搬が可能で、完全包囲されるまでは水上輸送で小田原や伊豆の城に物資を運搬し続け、城の士気を高めることにも成功する。

 

 小田原城も2万の兵でこもっている割には困窮する様子は無く、通常の食事が兵に振る舞われた。

 

 城の方が村よりもちゃんと食事が出ると兵達から言われるほどである。

 

 こうした中、関東管領方の太田資正率いる部隊が蓮池門から城内に突入を試みるが

 

「射殺せよ!」

 

「撃て!!」

 

 ババババと蓮池門を守っていた俺の部隊の殺し間に入り、ガンガン射殺していく。

 

 先鋒隊の大将だった太田資正も乱戦の最中射殺され、関東管領軍の出鼻を挫く結果となる。

 

 そのまま昼の間に海岸付近で補給物資を満載した津田海軍が見えたので旗信号で連絡を取り、北条方と連携して夜に小田原城から打って出て関東管領軍によって焼かれた小田原城下に向けて出撃。

 

 海岸からも津田海軍と北条水軍が上陸して挟撃し、穴を開けてそこから補給物資を城に運搬することにも成功する。

 

 その後城付近に近づいてきた敵兵を高所から鉄砲で打ち下ろして射殺したりして時間が過ぎていった。

 

 北条軍は物資がたんまりあるので連日宴会を開き、賑やかな声が辺りに響き渡り、対する関東管領軍は兵糧不足で徐々に規律が乱れ、士気も低下していってしまった。

 

 包囲開始から1ヶ月が経過した頃、包囲が解かれ、関東管領軍は鎌倉に移動して関東管領就任式を諸将の前で執り行われたが、関東公方を誰にするかで長尾景虎と関東諸将で揉めてしまい、軍は解散、長尾景虎も武田信玄が北信濃に出兵したと聞いて兵を纏めて越後に帰還してしまい、関東管領軍は崩壊。

 

「よし、関東遠征軍が崩れたと風魔から連絡があった! これより反撃に向かうぞ! 津田殿も付き合ってもらうぞ」

 

「勿論」

 

 ということで北条軍に混じって関東平定戦がスタートし、奪われていた相模半国を数日で奪還すると、軍を分けて伊豆救援軍と武蔵侵攻軍に分かれ、俺は武蔵方面へと軍を進めた。

 

 武蔵の国の城は長尾景虎による攻撃でボロボロだったり、城主が不在の城も多く、碌な抵抗もなく1ヶ月で奪還。

 

 北条方で抵抗していた下総国の千葉氏と即座に連携して下総国を平定するとそのまま南下して里見の城を次々に落としていった。

 

 起伏の激しい地形だが、海岸沿いの城を順に落として海との連携を遮断、そのまま里見義堯の籠もる久留里城に総攻撃を開始し、前田利家や小田原籠城に連れてきていた本多忠勝がそれぞれ兜首を5つ挙げる大活躍。

 

 久留里城も抵抗虚しく陥落し、安房と上総に勢力を誇った里見氏は表向き滅亡。

 

 逃げた一族や家臣らは佐竹領内に逃げ込み再起を伺っているらしい。

 

 これで北条は駿河、伊豆、相模、武蔵、下総、上総、安房の7カ国を有する大大名へと成長する。

 

 関東管領軍崩壊からわずか4ヶ月の出来事である。

 

 織田軍の武名も轟き、夜襲で物資搬入に成功したのが噂が広まるにつれてネジ曲がり、夜襲で大軍相手に完勝したと伝わるようになる。

 

 他には11万の大軍でもびくともしない小田原城の堅城伝説や相模湾海戦の様子、長尾景虎が撤退したら即座に反撃して旧領以上に勢力を拡大した北条軍の凄さが強調されたのだった。

 

 長尾景虎は関東管領を就任の儀により上杉を名乗るようになり、上杉政虎と名乗るようになる。(分かりづらいので以後は上杉謙信で統一)

 

 上杉謙信は関東管領になったのに自身が退いたら一瞬で北条に飲み込まれた関東勢力の不甲斐なさに苛立ちながらも、自身の精鋭1万の兵を率いて川中島に出陣し、苛立ちを武田信玄にぶつける。

 

 武田信玄は副将である弟が戦死する大損害を受けながらも撤退に成功し、上杉軍も退いたので第四次川中島の戦いは引き分けとなる。

 

 苛立ちで飲酒量が増えていた謙信の所に大黒屋と名乗る商人が現れる。

 

 

 

 

 

「なに? 北条で戦った津田の御用商人だと」

 

「はい、津田家操様より上杉謙信様に書状と少しばかりですが気持ちを」

 

「ふむ」

 

 謙信が手紙を広げると

 

『上杉謙信様、北条方として相見えました津田家操でございます。この度は敵方として戦いましたが、上杉謙信様の軍勢の強さは身を持って感じ、感銘を受けた所存でございます。そんな上杉謙信様の国越後では飢饉で困っているとのご様子。少ないながらも兵糧を大黒屋に渡しましたので使ってください。あと酒が好きとのことでしたので酒に合う硝子の器を幾つか渡させてもらいます。喜んでもらえたら幸いです』

 

 と書かれていた。

 

「ふむ、兵糧か、いくら持ってきた」

 

「はい、5万石ほどお持ちいたしました」

 

「5万石だと!」

 

 上杉謙信は声を張り上げたが、咳払いをして落ち着き

 

「直ぐに返書を書く、しばしまたれよ」

 

 と言い、返書と贈り物を包んで大黒屋に渡した。

 

『津田家操殿へ

 関東管領の上杉謙信です。敵方として今回戦いましたが、貴方の部隊の鉄砲の腕は素晴らしく、こちらに付いていた関東諸将も手痛い被害を受けました。恐らく北条があれほど迅速に領地を奪取できたのも貴方の功績あってのことだと思います。贈り物ありがとうございます。お礼としても越後の苧麻で作った着物を贈ります。もし気に入れば是非購入していただけると幸いです。貴方の様な強くて義を忘れない武将こそ真の武士だと思っています。また手紙を書いてくれると嬉しいなぁ! 返書お待ちしてます!』

 

 という強面の男とは思えない女の子の様な文字で返書が返ってくることになり、なぜかそのまま文通相手になるのだった。

 

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