皆の意見や知識で動かせ戦国物語 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
「織田信包に鋳銭長官、津田家操に鋳銭次官の官位を与える。また遠江に銭座を作ることを許す」
「「ははぁ!」」
朝廷工作も無事に終わり、信包様に鋳銭長官の地位を、俺には次官の地位を得ることができた。
しかもこの役職の良い所は鋳銭判官や鋳銭主典といった者を長官の任で決めることが許されているので家臣に低いとは言え官位につける事が許されている。
ちなみに次官は従六位相当である。
何より銭座を置くことが許されたので銭を鋳造することが朝廷のお墨付きで許されたことになる。
宋銭よりも品質の良い銭を作れば織田家が銭の供給源……中央銀行的な活動ができることを意味する。
最初は織田領内の通貨になるだろうが、同盟国や貿易で東国には広まっていくだろう。
朝廷からのお墨付きもあるので問題は無いし、幕府も経済音痴どもは銭製造の意味を理解していない。
銭について理解のある謙信公でもピンときてないからこの重要性を直ぐに理解できた信長様が異常なのだが……。
信長様も抜け目なく、幕府に銭座でできた新造貨幣に刻む文字を義輝将軍に決めてもらい永禄通宝と決まった。
製造が始まり、出来上がったら10万貫の永禄通宝を幕府に贈ると約束をし、朝廷にも10万貫を贈ると約束をした。
畿内に20万貫流れ込めば新通貨普及も早まるだろうという狙いもあり、新通貨が広まれば広まるほど銭座の効力が高まるというものである。
というか朝廷も5万貫とかいう端金で何百万貫にもなる銭の製造権利を売ったと捉えても良く、織田家は銭の供給を操ることでインフレにもデフレにもさせることのできる経済の悪魔の一端を操ることができるようになるのだった。
しかも幕府は気をよくして質の良い物ができたら新通貨に優先して交換する通貨令を出す気満々だし……。
まぁ米重視の取引が中心になっていたから銭への理解がわからなくなっているのもわかるが……ここまで経済音痴が多いと心配になる。
信長様も将軍や京でやるべきことはやり終わったので、美濃へ撤退を開始する。
織田家と入れ替わりで朝倉家が将軍に挨拶に来たため朝倉討伐にまで話は飛躍しなかったが、これで足利将軍の権威は応仁の乱で失墜していたがある程度持ち直すことに成功する。
しかし、それを三好重臣達は冷ややかな目で見ているのであった。
彼らは将軍がその地位にいれるのは三好長慶様の優しさであるというのを理解していない足利義輝に失望に近い感情を抱いていた。
それに三好長慶の躁鬱も合わさり、三好長慶に何か起これば畿内は大爆発する可能性の爆弾を抱えていることを信長様は正確に把握することができるのだった。
農業が忙しくなる前に全軍帰国し、俺も4月前には遠江の浜松城に帰還した。
「今年は各地の田畑の区画整備も終わったから大規模な検地をしよう。戦もなさそうだし」
部下達にも今年の秋に大規模な検地を行うと通達し、領民達にも通達された。
冷害で減税されていたが、今年から正式に四公六民に税率も変わるからな。
そして婚姻の準備に取り掛かる。
各種関係者への贈り物や式を執り行うのを城でやるか神社でやるかの調整等など色々準備がある。
そういうのが全部終わるのは田植えが終わって一段落した頃……梅雨の時期であった。
「正親町三条の孫の望でございます」
「北条幻庵の孫で久野家の娘の淡でーす! よろしくお兄さん!」
「上杉謙信の庶子で……と、巴と言います。だ、旦那様よ、よろしくお願いします!」
全員貴族の様なおしろいをして麻呂みたいな化粧をしているが、全員タイプの違う美人! 良し!
望は正統派美少女、和風美人の教科書通りの子で、少し肉付きが悪いのが気になる。
五位様に預けられていたので食事は与えられていたと思うが食が細いのかな?
淡は現代ならギャルだったタイプだろう。まぁ14歳だから活発な中学生ならそんな感じか。
巴はやや芋っぽい少女であるが、クラスで3番目に居そうな美人と言えば良いか、手の届きそうな感じの女の子であった。
化粧で隠しているが、そばかすが鼻と目の間にあり、それを結構気にしているっぽい?
俺は全く気にしないのだが……親が謙信公なのに性格は似なかった……いや、手紙の文質を見るに本質的な謙信公に近い性格をしているのかもしれない。
謙信公も好きなことが家臣が美味しそうに酒や料理を食べる姿って言っていたし……。
側室の格で揉めると面倒なので3人同時の婚姻式になったが、北条幻庵殿も上杉謙信の庶子とは言え実子を出してきたとなると無碍にはできないと納得してくれた。
年も望と淡が14歳、巴が13歳なので年が近い為仲良くやって欲しい。
初夜は1人ずつ行ったが、まだ体が出来上がっていないので孕ませる気は無く、避妊しながら行うのであった。
俺に上杉、北条双方の娘が嫁いだ事で織田家を仲介として上杉と北条の和議が真剣に議論されるようになる。
問題は上野をどちらの領分にするかであり、北上野を上杉家、南上野を北条家とする分割案やどこまでを北上野と定義するかで揉めることになるが、議論している間は双方不可侵という和議が成立し、上杉謙信による第二次関東遠征の話は立ち消えとなった。
この動きに激怒したのが武田信玄であり、北条の上杉との和議は明らかに軍事同盟違反とし、北条への抗議を強く行っていく。
織田家にも抗議を呼びかけてきたが、次の標的を武田に絞っていた信長様はこの合同抗議の呼びかけを黙殺し、上杉と北条の和議の方に肩入れしていった。
武田信玄は外交的孤立を悟り、婚姻関係のある本願寺を動かし、織田領内の長島一向一揆に対織田家の感情を強め敵対的姿勢を明確にさせるべく動き、関東では上杉と北条の接近により困惑している関東諸将を武田の味方にするべく外交戦を展開した。
ただ本願寺顕如はこの武田の外交工作を冷ややか目で見ており、平和主義を掲げて長島にも爆発しないように新しい監視役の僧を送り込んで織田家と絶対に敵対しないように厳命。
加賀一向一揆みたいに石山本願寺の命令を全く聞かない暴徒集団はともかく、石山の政治姿勢としては平和主義かつ領主との共存を掲げている。
しかし、末端が一向宗を掲げて暴走するので制御が困難になっていた。
本願寺顕如もそれに凄く頭を抱えており、巨大宗教勢力の長は頭を悩ませ続けるのであった。
一方関東諸将と武田の連携はうまくいき、北条への報復外交として佐竹と準軍事同盟を締結。
北条はこれに対抗して北の伊達家と同盟を組み、佐竹を南北から圧力をかける仕組みを作る。
また上杉は佐渡金山が家操の助言通りに発見され、埋蔵量が凄まじい可能性があるということで、得られた臨時収入で越後平野の開墾事業に着手。
越後100万石を目指し、各地にできている潟の取り除きと水路の整備に全力を出すことにした。
織田家や北条家から貿易で継続的に食料が流れ込み、関東遠征しなくても食料事情が改善したのも方針を転換した大きな理由であった。
そして上杉は最上と和議が成立し、最上は南を気にすること無く北上、上杉は北を気にすること無く内政に注力できる時間を得ることができた。
最上も上杉謙信の脅威を間近で見ていたので飛びついた形になる。
更に最上は伊達家と血縁同盟を結んでいるので上杉-最上-伊達-北条-織田という東日本の巨大な同盟関係が成立し、東日本はこの5つの家を中心に勢力が展開していくこととなるのだった。