皆の意見や知識で動かせ戦国物語 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
1565年 家操32歳
ルイス・フロイスらが将軍足利義輝に謁見
永禄の変
三好家ぐだぐだになる
足利義昭奈良から脱出
冬の間は普請(工事)に人手が取られてどこも忙しく、フアンには鉄を高く買取るから鉄を今度は大量に仕入れてきて欲しいと頼んだりもした。
フアンの紹介で明との密貿易商人とも繋がりを持ち、こちらが椎茸を大量に保有していることを知ると、買えるだけ買って行ったりもした。
あと若い側室達が全員懐妊した。
3人はお役目を果たせそうでホッとしていたが膨らんでいくお腹とそのせいで活動範囲が限られ、町に降りれなくなったことに少し不満気味であった。
ただ俺の息子達の嫁も妊娠していたので全員で母親としての心構えを母親の先輩である小麦、智、霞、千秋から習ったりしている光景がよく見られた。
「お、やってるな」
「親父じゃん」
津田家後継者予定の信龍が政務の勉強をしていた。
「ほれ、みかんだ。少し息抜きも大切だぞ」
「ありがとう……親父、本当に俺、津田家を継げる器なのかな。信球兄さんの方が良いんじゃねぇかって思うんだが……」
「年功序列だったら確かに信球になるが、お前は正室の息子だ。それは変わることの無い事実だし、信球は優れているが、優しすぎる。俺は信球よりも信龍の方が次期当主に優れていると思うぞ」
「えへへ、そうかな……」
「でも趣味で女の裸体の絵を描くのはどうかと思うぞ……実際に気に入った侍女を裸にさせて描いているそうじゃないか……」
「良いだろ別に……手をだしているわけじゃねぇし、裏で高値で売れるんだよ」
俺が教えたからでもあるが写実の絵を描く事が多く、最近売り出され始めた鉛筆を使ってデッサン風の絵をよく描いていた。
最初は息抜きに果物の絵を描いていたのを信龍が興味を抱き、数回授業をしたら、あとはとにかく自己流に練習をした成果だったが、白黒画ながらまるで生きているような写真の様な絵が描かれるのであった。
武芸も行っているが、暇な時間があれば絵を描いてそれを家臣に売って小遣いを稼いでいたし、同じ趣味を持つ小姓と絵の上手さを競っていたりもした。
俺はその趣味を軽く注意することはあれど、禁止することは無かったので親子の仲も良好だし、絵を描く時間を確保するために政務の勉強の時間は集中しているので文句は無かった。
「というかそろそろ信龍も嫁を考えないといけない時期だな」
「嫁か……他家からもらうのか?」
「家臣団の団結を促すために信長様から滝川一族から滝川一益の養女にしてその子と婚姻する話が進んでいるが」
「ふーん、淡ちゃんみたいな活発な娘が良いなぁ」
「なんだ? 淡に惚れたか?」
「正直なんで親父なんだよ! 俺の嫁でもよかったじゃんって思いはあったが……毎日お腹を撫でている姿を見ると親父の側室なんだなって思って……」
「お、おう。随分と溜め込んでいたんだな」
息子が性癖を随分と拗らせていたことや疑似BSS(僕の方が先に好きだったのに)を喰らっていた事を哀れに思い、俺は信龍に好みとする女の子の絵を描いてもらい、滝川一益殿にその絵を持っていって似ていて活発な子を所望したところ、条件に合致するが少し年上(19歳で年増間近)かつ太め(体の線が細くても胸がでかいとデブ扱い)、背が高い(これもブスとされる要員)で大丈夫かと聞かれたが、息子は気に入ると思いますよと滝川一益殿に伝えた。
「滝川一益の娘の小蒔です」
「つ、津田信龍です!」
婚姻の前に顔合わせの席が設けられたが話しが弾み、やや小蒔が年増間近ということで焦っていたが、信龍も顔も体も好みドンピシャの女性で上がってしまい、初々しい形で顔合わせが終わり、トントン拍子で婚姻となった。
信長様に婚姻の了承を貰い、熱田神社で婚姻の儀を執り行った。
で、下半身の方も俺を受け継いでいたらしく(俺の息子達は今のところ結婚している奴は全員が)性欲が凄まじくて信龍も速攻小蒔を孕ませていた。
まぁ小蒔が嫁いできてから信龍の女性の裸体絵を描く行為も小蒔ばかり描く様になり、小蒔姫の絵が現代人からはグラビアモデルの様な体型と顔をしていたため信龍が描いた絵はネットで見られる様になってから戦国ではこれがブス扱いとかやばいだろ戦国時代と恐怖されると同時にネットでは絵を元に様々なキャラクターが作られることになるのだった。
ゲームから歴史を知った人からは津田家は津田家操の次に小蒔姫が認識されるし、津田家操の妻と勘違いされることもあるのだった。
「た、大変です家操様!」
筆頭家老に出世していた林龍次郎が飛び込んできて
「二条御所にて政変! 将軍足利義輝様が三好の兵に白昼堂々討たれました!」
永禄の変と呼ばれる大事件が発生した。
首謀者は三好三人衆と呼ばれる三好の重臣と松永久秀の息子の松永久通が……松永久秀も裏から関与していたとされた。
原因は足利義輝が三好を無視して幕府主体の政治をしようとしたためであり、それが三好長慶が生きている間は抑えられていたが、死んだ途端に制御不能になったために
「あ、殺して新しい将軍に挿げ替えた方が三好的には得だな」
と思ってしまい永禄の変に繋がってしまう。
永禄の変は辛うじて保っていた幕府の権威が崩壊した原因であり、各大名達が自分の都合の良い将軍を擁立すれば天下人になれると思う原因になった。
この永禄の変で一番被害を受けたのは足利将軍家であるが、次に被害を受けたのは六角であった。
観音寺騒動で家中分裂状態でも家を保てていたのは足利将軍家を数代に渡り守ってきたという事実があったからであったが、権威を支えていた将軍家が崩壊状態になったことで六角の権威も崩壊したのだ。
次に被害を受けたのは尼子、上杉、織田等の幕府に多額の献金を行っていた家である。
幕府に多額の献金を行っていたのに、将軍家が崩壊したことでその献金がパァになってしまった。
特に足利義輝に青麻座の権利を認められていた上杉謙信は足利義輝と仲が良かったこともあり三好に大激怒していたが加賀一向一揆が暴走状態になっており、収穫量が増えた越後を襲い始めたのでその対応でてんてこ舞いになっていた。(越後平野開墾に忙しいのもある)
尼子は毛利元就にこれ以降ガンガンに押し込まれることになるし、信長様も幕府に対しての情熱を失うには十分であった。
ただ信長様は次の行動にすぐ出た。
幕府が行動不能になったので、仲が悪くなっていた北畠を討伐して伊勢国と志摩国平定に動く事になる。
また混乱する幕府は差し置いて朝廷への献金を行い、伊勢の正統性の工作も行った。
伊勢神宮は朝廷からも重要視されていた神社であるため献金により織田家に伊勢神宮の保護の名目を与えて侵攻の正統性を担保した。
信長様は東国の抑えである俺や信包様も呼んで総軍5万人で伊勢侵攻を開始するのであった。
★