皆の意見や知識で動かせ戦国物語   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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????年 十兵衛??歳 浜松農民の日記

 オラの名前は十兵衛、農民だ。

 

 今川の殿様が遠江を治めていた頃から田畑を耕していただ。

 

 オラが親から田畑を受け継いだ頃は流民が酷くて村で自警団を作ってよそ者を追い払ったり、高い年貢に苦しめられていたが、今川様が三河で手痛い敗北をすると年貢は更に重くなった。

 

 村からも年貢が支払えないと村から夜逃げする家も出るほどだ。

 

 今川様は流民を新しく村に補充することで数合わせをしたが、よそ者を村に入れるのは凄い抵抗を感じるし、村の中でもギスギスした雰囲気が漂っていただ。

 

 それから数年苦しい時代が続いたが、織田の殿様が戦で勝って新しく津田家操様が領主になっただ。

 

 戦と重い年貢で田畑は荒廃し、オラ達は困窮していただが、津田様はその現状を憂いて2公8民という凄い民に有利な年貢にしてくれただ。

 

 それでいて津田様は村々を巡って冷害や倒れにくく、米をよく実ると言う種籾や芋を与えてくださっただ。

 

 他の村人達は半信半疑だったが、オラは殿様自ら足を運んで民の事を思って下さることに感激して田植えに使う種籾を貰った種籾に全て変えて、田に向かない場所には芋を、殿様が美味しいからと貰ったみかんの苗木を家の裏の山沿いに植えて必死に育てただ。

 

 するとオラの畑は他の村人よりも豊作になり、他の村人達もこの種籾は凄いと感じるようになったし、植えていた芋は薩摩芋やじゃがいもと言うらしく薩摩芋は皮や蔓、葉っぱも全て食べられるし、じゃがいもは芽は毒らしいが美味しく食べることができた。

 

 驚くべきはその収穫量で薩摩芋は種芋から出てきた芽を植え直すと種芋から10本近くの芽が出て、1蔓で7個から8個、それが10本で70個から80個の薩摩芋ができる。

 

 じゃがいもはそれよりは生えてこないが、それでもすごい量の収穫量になり、芋の保管の為の芋穴を家の前に幾つも作ることになった。

 

 津田様は収穫期に村々を巡って植えた作物の様子を身に来たが、オラが作れた薩摩芋とじゃがいもを納めると大いに喜んでくれて、一緒に蒸して家臣の皆様と食べる姿を見て

 

「ああ、この人に付いていきたい」

 

 と思うようになっただ。

 

 津田様に図々しいと思いながらも冬に食料となるような作物が無いか聞いたところ球菜(キャベツ)の種と小麦の種籾を渡され、これを植えると良いと言われて育て方の農書を渡された。

 

 紙も高いのに1農民のオラに農書が渡されるなんて思ってなかったので、字を読めなかったオラは法事などでお世話になっていた寺の和尚に農書に書いている言葉を教えてもらい、その通りに育ててみると、春先に球菜と小麦が凄い育っていた。

 

 収穫した球菜と小麦の扱いに困っていると津田様の代官となる村奉行と呼ばれる方が赴任してきたので津田様に教わって球菜と小麦を収穫したのだが、税はどうすれば良いか聞いたら裏作は年貢で取ることは当分無いと言われ、それを町で売ったほうが金になるぞと言われた。

 

 オラは売り上げの一部を渡すと言って仲の良かった村人を誘って浜松の町に売りに行くと、代官様が教えてくれた商家を訪ねた。

 

「ふむ……その量ならはこれぐらいの値段になるな」

 

 何回も往復もすることになったが、すべて売ると30貫にもなり、協力してくれた村人に支払っても25貫も金が残った。

 

 その金で農具を整えたり、お金を支払って和尚に文字を教わった。

 

 家宝にする農書を自分で読めないと津田様に失礼だと思ったからだ。

 

 そして田植え前に代官様から今年は肥料を最低限配る代わりに米の育て方はこっちに従ってもらうと言われた。

 

 やり方はとても複雑で面倒くさい物が多かったが、津田様の言葉だと思ってオラは実費で金肥(金で買った肥料の総称)を購入して追加の肥料を撒いて、買い揃えた鉄製の農具を使って丁寧かつ、しっかり飯を食って力を付けて農作業を頑張った。

 

 それにみかんの苗木を更に購入して裏の山を整えてみかんの木を増やしたりもした。

 

 

 

 

 

 

 

 津田様は農民と兵士は分業するべしと兵農分離令を出し、オラ達は戦に連れて行かれることは無くなった。

 

 お陰で田畑の管理をしっかりすることができる。

 

 悲しい事も起こった。

 

 親父やお袋が立て続けに亡くなってしまって家はオラ1人になってしまった。

 

 それでも真面目に農作業をしていたら村長や代官様が哀れに思ったのか代官様の娘を嫁にしてもらえる運びになった。

 

 代官様も元々は尾張の中村で農民から成り上がり、奉行として働いていて今の地位になったためにオラが津田様ではないが、その兄の内葉様に似ていると言われて、娘しか居なかった代官様の4女を嫁に貰うことになり、少し幼い娘と婚姻をすることになった。

 

 嫁の若葉はよくできた賢い嫁で勉学ができ、算術も嗜んでいたので、教えてもらったし、飯も美味いので頑張ることもできた。

 

 そして収穫期になり、オラの畑は昨年の2倍近くの収穫量となった。

 

 それで年貢は去年よりは上がったとは言え3公7民だったのと、増収分は年貢に今年は加算しないと言われたので年貢を抜いても10石近くの米と15石分の芋を収穫することができた。

 

 米が今年は1石1.5貫で売れたのでオラと嫁の若葉が食う分と備蓄の3石と芋2石分を残して全部売ったらまたまた30貫近くの収益となった。

 

「こりゃ小作人を雇った方がええかもしれんな」

 

「十兵衛、津田様は様々な投資をして村を豊かにした伝説があります。小作人を雇うのと同時に農作業に使える牛や養蜂にも手を出してみてはいかがですか!」

 

「そりゃ良いかもな。まだ荒地も残っているし、開墾して田畑を増やすか」

 

 若葉の助言もあり、村長や村の衆に許可を貰って小作人を5人ほど雇うことにした。

 

 そして代官様に養蜂のやり方を教えてもらい、養蜂を始めてみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 小作人に道具と最低限の賃金を与え、冬の間に田畑を広げて牛を買ってきてと準備を進め、裏作も十分な金になった。

 

 そして養蜂を始めてみると

 

「おお、蜜蜂が住み着いている」

 

 5つの巣箱のうちの2つに蜜蜂が住み着き、養蜂を始めることがちゃんとできた。

 

「ほーん脱穀したり精米する水車か……」

 

 川に水車が設置されて小麦を粉にすることができた。

 

 小麦粉にしたのを嫁の若葉が寺から貰ってきた酒粕を使って小麦粉と一緒に焼き上げるとパンという食べ物ができた。

 

「うむ、味噌を塗って食べても美味いな」

 

 小作人は米を食べる代わりにパンを食わせたりする。

 

 小作人用の借家も用意して春の田植えの時期だが、また津田様が訪れて三河で栽培されていた木綿という植物を教えてくれたので育ててみることにした。

 

 また肥料の値段が下がったので貯金を使って今年も肥料全部の田畑に撒いて育てていく。

 

 今年は田んぼに買ってきた鯉を放流する農法を試してみたりもした。

 

 そうこうしていると秋になり、肥料をケチったりした家は去年より収穫量が減ってしまったが、オラの農地は大豊作が続いた。

 

 米も芋も今年から育てた大豆も大豊作で、藁も値段がつくと言われたので家で使う分と牛の餌を残して売っぱらってしまった。

 

 木綿の方もよく取れたが、綿花を1つ1つ取る作業は時間がかかるため小作人を雇って良かったと思う。

 

 それで浜松で売りに出されていた足踏み糸紡ぎ機を購入して若葉が小作人の奥さん達と収穫した綿花をどんどん糸にしてそれを布にしていく。

 

 織機を置くために新しく納屋も建てる羽目になったがこれも将来に向けた投資であると割り切った。

 

 蜂蜜と布ができたが、これがよく売れた。

 

 それこそ自分達(小作人の家族も含めて)食う分を除いて売ったら秋だけでも100貫もの大金を手に入れる事が出来た。

 

 村長は代官様の親戚になった俺を功績を認めて村長衆に上げると言われ、村の中でも発言権があるようになり、肥料代金を減らすために緑肥を植えたり、代官様が持ってきた桑の木を植えることを推奨されたので、山の一部を開発して桑の木に植え替えたり、農地の開墾を村全体で行ったりもした。

 

 あとは村としては木綿よりも茶葉を育てたほうが良いということになり新しく開墾した畑は茶畑になることが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 津田様が来られて4年目、浜松に立派なお城が出来上がり、浜松の町もどんどん豊かになっていく。

 

 若葉と観光に行ったら湯屋(銭湯)があり、体をお湯で癒すらしく、若葉も幼い頃に常滑の城の風呂に1回父親に連れられて入ったことがあり、凄く気持ちよくもう一度味わいたいと言ったので安かったし試しに入ってみることにした。

 

「ああ〜」

 

 これは凄いわ……まさに極楽だった。

 

 入浴代と手ぬぐい代金で10文支払うことになったが、浜松に来たら必ず風呂に入ろうと決心し、しかも2階では入浴を終えて休んでいる人が多く、若葉を待っていると、成り行きで奉行衆の方らしき人と将棋を指すことになり、その奉行衆の方が養蚕を広める担当の方で話を聞くと、桑の木を広めていたのも養蚕を広めるためらしい。

 

 その日はその奉行様の家に上がり込んで養蚕について教わり、翌日に奉行様に協力してもらい、代金を支払って養蚕に必要な物を買い揃えた。

 

 小作人も更に増やして8人(家族合わせると20人)になり、それぞれ役割を割り振って農作業を始める。

 

 田植えは皆協力してやらねばならないが、自分の田植えが終わったら他の村人の田植えを手伝い、木綿や芋、大豆や茶を育てていく。

 

 養蜂も規模を広げ、小作人の子供でもできる作業は任せた。

 

 そして収穫期になり、今年は昨年よりも養蜂が上手くいき10貫の増収になり、茶畑も順調に育って来年の春から収穫できそうである。

 

 僅か4年で3反だけの田畑だけだった俺は今では20反を保有する豪農となり、小作人を抱える家へと成長できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安くなった紙を使って成り上がるまでの過程を纏めた浜松農家十兵衛奮闘記という本を妻の若葉と協力して執筆。

 

 本屋を扱う所に持ち込んだところ内容が面白いということで瓦版での連載及び出版が決まり、4年で豪農に成り上がった過程が面白おかしく書かれた浜松農家十兵衛奮闘記。

 

 後年浜松農家の日常がよく書かれている事や津田家操が日記で十兵衛の舞台となった村を訪ねて農業指導を行ったこと、代官の日記で娘の名前が若葉で一致した事で当時の1級郷土史料として残ることになり、浜松の豪農と呼ばれる者はこうして成り上がったと現代に伝えるのであった。

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