皆の意見や知識で動かせ戦国物語 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
京に上洛してから約4ヶ月。
田植えの季節が近づき、農民達は準備を進めていたが、織田家では一連の軍事行動が片付いた為に旧幕府の政務を行っていた二条御所は永禄の変で荒れてしまっていたが、規模を縮小して再建することになった。
その再建は岩室殿が行い、そのまま京の防衛隊を任されていた。
そして再建を終えた二条御所にて信長様は今回の戦の論功行賞が行われ、多くの家臣達が御所に集まった。
軍功第一位は柴田勝家殿で六角、浅井と朝倉攻めを高く評価され、方面司令官としてやるべきことをしっかりやりきり、戦略目標を達成したのが決め手だった。
第二位は俺で畿内制圧と三好追放、紀伊征伐が評価された。
順々に呼ばれていき、第五位には木下秀吉の名前も挙がった。
そして領地の割り振りも仮だったのが正式に決まった。
まず越前が柴田勝家、若狭は佐々成政、紀伊は丹羽長秀、和泉に織田信広、河内は徳川家康、大和は松永久秀、摂津は池田勝正(摂津で力を持つ国人で早期降伏により領地安泰を約束された松永久秀と同じタイプ)、近江北部は木下秀吉、山城と近江南部は信長様の直轄領と大枠を決め、そこから細々とした加増が行われた。
俺は事前に言われていたが堺代官の地位と織田信広様が加増転付されたので開いた浜名湖西部と岡崎城周辺の土地(約10万石)を加増された。
俺の息子の信摩も南近江の佐和山城と1万石を与えられ東山道の街道の一部の警護も任される重要拠点を任された。
親衛隊で初期メンバーである鈴村吉保や岩瀬幹二、鹿角忠継等のメンバーもこれまでの功績から1万石前後の領地を拝領されていた。
織田信広が居なくなった三河の管理は佐久間信盛に任され、佐久間信盛にも三河に5万石の加増をされていた。
これで織田家は18ヶ国と半国を有する約575万石を有する超巨大大名に成長する。
信長様は更に政務を行う場所として琵琶湖の海運と京へと通じる道が交差する交通の要所である安土山を整備して全国統治を見据えた居城築城を俺に任せてきた。
二俣城や浜松城、大草城を難攻不落の堅城に築城したこと、唯一大砲に対する防衛を考えた城作りができること、町を組み込んだ巨大城郭を作った実績があること等が理由らしい。
そうなると堺管理の仕事は難しいとなったので堺は永禄の変により幕臣ながらいち早く織田家に仕官し信長様の右筆になっていた松井友閑が担うことになった。
「幕府の役割に変わる役職を今後作っていくが、安土に城ができてからになるだろう。権六(柴田勝家)」
「は!」
「本願寺から加賀一向一揆は本願寺と無関係と言質を取った。加賀一向一揆を平定し、加賀、越中、能登を支配下に入れろ。上杉家とは交渉をする」
「御意」
「米(丹羽長秀)は紀伊安定に3年やる。安定次第米を中心に四国討伐軍を編成し、四国平定に軍を出す」
「御意」
「一益(滝川一益)お前は畿内の守備を命じる。公家との交渉は岩(岩室)と林、村井を中心に行わせる」
「「「「は!」」」」
「佐久間、お前は中国地方平定に軍を出せ」
「かしこまりました」
ここに北陸方面軍、畿内方面軍、四国方面軍、中国方面軍を編成するように命令されるのであった。
また徳川家康が本願寺との交渉を行うように命令され、各々役割を割り振られていくのであった。
「信長様はなかなかやることが派手なようで」
俺は松永久秀殿に茶会に誘われて茶を飲んでいた。
「ええ、信長様であれば天下を本当の意味で統一することができるでしょう。松永殿の能力であれば十分に織田家の役に立つと思っておりまする」
「はは、そう言われたら老骨に鞭を打って働かねばなりませんな」
破天荒さでは松永久秀殿も信長様に負けてないと思うが……。
戦国時代で初めてクリスマス休戦を行ったりもしているし、茶器狂いだし……。
「和物とは言え常滑と浜松産の茶器は実に素晴らしい。その生産を指示していた津田殿としゃべってみたいと思っていたのですよ」
「それはそれは……私も松永殿の茶器の意見を聞きたいと思っていたところです! 友好の印としてこちらを贈りましょう」
「ほほぉ! 湯勺ですか! ふむ……金属ながら軽い?」
ステンレス製のお玉である。
「偶然できた金属でありますが錆びにくく、熱でも変形することもなく、それでいて軽い。そしてお湯に金属の味が付くことも無い……松永殿が持つ平蜘蛛の茶釜と合うと思うのですが」
「なるほど! 茶の湯を良くおわかりで……平蜘蛛に合う湯勺がなかなか無かったのでこれはありがたい! うむうむ! 平蜘蛛に銀に輝く湯勺が実に良い味を出している!」
「喜んでもらえて何よりです」
他にもプレゼント交換で俺がオナホールを贈ると松永殿は性技について書かれたセックスハウツー本を渡された。
「同じ体位でやると飽きが来る。この本を読めば性技の幅が広がりますよ」
「ありがとうございます! 大切にさせてもらいます」
俺と松永殿は話していくうちに意気投合し、茶葉を発酵させることで様々な風味を得ることができるとか、抹茶に粉乳と砂糖を加えることでとても味わい深い味になる事も教え、仕事が落ち着いたらまた茶会を開きましょうと約束してお開きとなるのだった。
俺は軍を浜松に返して一部の者を残して二条御所にて政務を行う信長様の補佐をしたり、夜の相手をしながら時々安土山に向かい、築く城の陣張りを描き込み、信長様に見せて意見を貰う。
予定では史実の安土城みたいなのではなく、初期の江戸城と五稜郭を融合した様な造りになる予定である。
また城内には沸かし湯を設置し、防衛力を兼ね備えながらも実務方面に注力したコンクリート作りの城になる予定であり、床は部屋の殆どが畳になる予定である。
総石垣かつ門は鉄製、独立した砲場を設置し、茶の湯を楽しめる場所や馬屋も設置する。
そして琵琶湖から引いてきた水堀にする予定である。
総工費25万貫、しかも城内の装飾は豪華にと言われていた。
これは俺の腹案では洋の間と呼ばれる西洋の王室みたいな寝室や客間を用意することで満足してもらう予定だ。
工事内容が決まれば人夫を集めて着工に移る。
人夫は畿内を中心に3万人、大工5千人、浜松から毎日の様にコンクリートの素材が運ばれ、各地から切り出された石材が運ばれてくる。
石垣を組みながら、コンクリートで補強し、空堀を掘っていく。
山も整備し、天守建造予定地に向かって登りやすいように整えていく。
この城は城内に侵入する前段階で防衛をすることを前提としているので内部の造りは実務優先だ。
掘削した土は山の高さを更に盛る為に使われていく。
半月かけて土台を作り、石垣の本格的な工事と城壁を作っていく。
城壁には所々に銃眼を設け、しかも高さは3メートルある巨大かつ重圧のある城壁となる。
雨でも射撃ができるように屋根を設けて、瓦の屋根が白く滑らかな城壁に美しさを与える。
外周の城壁ができたら天守閣や執務館、私生活をする御殿の建造に取り掛かる。
ただでさえ高くなっていた盛り土で高くなった本丸だが井戸水を汲むのは辛い為、琵琶湖からローマ水道の様な水道を整備し、三の丸、二の丸、本丸へと続く水路を汲み上げる水車を設置し、水路が壊されない限り水に困ることのない作りとなり、井戸の整備も怠ることはない。
巨大な水路を建造したことで三の丸、二の丸、本丸にそれぞれ湯殿を設置することができるようになり、しかも豊富な水を利用した水洗トイレを設置し、下水道も整備した。
三の丸と二の丸には家臣達が生活するスペースなので家臣達が屋敷を設ける事を前提とした陣張りを組み、本丸の中に天守閣や執務館、私生活をする御殿を纏めた。
まだ家臣の屋敷が完成していないが、本丸と城内では水に困ることのないように上下水道を完璧に整備し、そして城の部屋は和洋折衷の作りになっていた。
特に信長様が普段使いする寝室は巨大なベッドが置かれ、牛革で作ったソファーや書き物をするための机と椅子も西洋風であり、床には黒いカーペットを敷いていた。
ただその部屋の近くには和を満載した茶の間を作り、宝物庫も種類ごとに分かりやすいように固定棚を設置した。
信長様がとにかく生活しやすく、政務もでき、そして外見は威圧感の凄い安土城は着工から1年半で仮完成を迎えるのであった。