皆の意見や知識で動かせ戦国物語 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
ルイス・フロイスと俺が宗教問答をしている頃、本願寺と交渉していた林秀貞殿との交渉が決裂した。
というのも信長様は石山本願寺からの撤去を要求し、代替え地として現在荒廃している京の郊外に新しい寺を建てるという条件で進めていたが、信長様がキリスト教の布教を許可したことで一向宗は織田領内の一部(三河等)で布教が禁止されているのにおかしいではないかという話になり、話しが捻れていき、交渉は破綻。
石山本願寺は籠城の準備を始める。
交渉役の林も本願寺が交渉を長引かせながら籠城の準備を始めたことを察知し、丹羽長秀の四国討伐軍と滝川一益の畿内軍を一向宗対策に当てる事を通達し、長島や石山本願寺周辺を注意するように通達された。
そして交渉が決裂すると大坂周辺の砦が攻略され、石山本願寺の蜂起が始まった。
タイムラグがあったが長島でも一向一揆が発生する。
不安だった紀伊は丹羽長秀の手腕と不安だった国人衆や寺社勢力を俺が潰していたので蜂起が起こることは無かった。
丹羽長秀は直ぐに軍を率いて大坂周辺の落とされた砦の奪還に動き、一進一退の攻防が続く。
信長様は京の安定化の為に動くことが出来ず、北近江の秀吉を長島の滝川一益軍に加えさせ、信広様を丹羽長秀の上に付けるが、実権は丹羽長秀に与えて援軍とした。
徳川家康も丹羽長秀に合流し、瞬く間に対石山本願寺軍は4万を超えた。
石山本願寺も5万の門徒を石山に集めて徹底抗戦の構えである。
俺は津田海軍を動かし、長島への海上封鎖を実行する。
長島一向一揆は史実では10万近くの門徒が集まったが、織田家が職や衣食住を与えていたため、一向一揆に参加するのは現状に不満を持つ貧乏人が多くなり、集まったのは3万という体たらくであった。
しかも滝川一益は信長様からの命令で長島一向衆を警戒しており蜂起して長島周辺の城を奪い、長島周辺の防衛をしようとしていた一向一揆の目論見を看破しており、砦や城の防備を固めていたので長島一向一揆は長島城と伊勢の長島に籠もることになる。
滝川一益と木下秀吉は海上封鎖による兵糧攻めを敢行し、九鬼水軍と津田海軍による海上封鎖、長島を取り囲む木曽川を挟んだ対岸に陣を幾つも作り、5万の兵で封鎖を行った。
長島一向一揆は5万の軍をそう長く維持できないだろうとたかをくくって居たが、半年が経過しても退く様子は無く、長島の補給が出来ないように補給線を完全に遮断したため、逆に長島の兵糧が半年で尽きてしまった。
長島側は講和交渉を試みたが、織田家に逆らうことの見せしめ及び本拠地の尾張に近いために滝川一益は長島一向一揆の殲滅を命令されていたため講和の話は破談となり、長島側は力があるうちに打って出ることを選択し、夜に川を渡ろうとしたが、九鬼水軍の哨戒していた船に見つかり、九鬼水軍と津田海軍による射撃によって川の渡河に失敗し、1万人近い犠牲者を出すことになる。
ただ1万人の犠牲者がでたことで食糧事情が好転し、更に3カ月籠城を続けたが、長島各地で餓死者が発生した事で再度講和交渉が行われ、約9ヶ月の籠城に終止符が打たれた。
ただ滝川一益は信長様から一向一揆を許すことは無いようにという命令に従い、退去するために小舟に乗り込んだ一向一揆の人員を容赦無く射殺。
1万人が海上で殺され、長島に入った滝川一益と木下秀吉軍は容赦無く長島で老若男女問わず斬殺し、大きな犠牲者を出すこと無く長島一向一揆は壊滅し、一向宗の権益は剥奪されることになる。
石山本願寺の制御下にあり、有力一向一揆であった長島一向一揆の壊滅は石山本願寺に衝撃を与えた。
津田海軍と九鬼水軍はそのまま大坂湾を海上封鎖に移り、海上から石山本願寺に連日砲撃し、プレッシャーをかけ続けた。
北陸では柴田勝家軍が加賀一向一揆を容赦無く根切りしていき、越中に進出した上杉謙信と共に10万人にも及ぶ一向一揆をあの世に送り込んだ。
柴田勝家と上杉謙信様は交渉をして越中は上杉家に能登、加賀は織田家の勢力に組み込むことを約束し、上杉謙信様はそのまま上洛して信長様と面会を行い、織田政権への協力と東北に侵攻する場合先鋒を担うことを約束した。
軍神の上杉謙信が室町幕府ではなく織田政権に服従した衝撃は大きく、少し遅れて北条氏政も織田政権への服従を誓った。
上杉謙信には北陸道鎮撫使、北条氏政には関東按察使の地位を朝廷に復活させてもらい、統治への正統性を担保した。
これに慌てた中国地方の毛利元就は嫡男の毛利隆元が亡くなり財政状況が苦しい中、石山本願寺救援の為に村上水軍と小早川水軍、毛利水軍の三軍合同水軍を出した。
船舶数は千を超え、それが津田海軍と九鬼水軍の織田家の海軍勢力と大坂湾近海で激突。
大坂海戦が勃発し、船舶数で劣る津田海軍だったが、五千石船に搭載した1隻50門の大砲が火を吹き、砲撃をすれば毛利水軍に命中するという現象が発生した。
更に九鬼水軍は津田海軍の様に巨大船は保有していなかったが、小型船を使い、火計の策にて対抗し、ちょうど風向きが良かったこともあり、綺麗に決まり、多くの船が火達磨となり炎上した。
船舶数では不利だったが、半数以上の毛利水軍を沈め、津田海軍も五千石船を2隻沈められる被害を受けたが石山本願寺への補給を失敗させることに成功する。
しかし石山本願寺への補給経路は陸路が残っており、中国地方攻めを命じられた佐久間信盛の動きが鈍かったこともあり石山本願寺攻略は長期戦の様相を覗かせるのであった。
毛利元就は水上補給の失敗の穴を埋めるために九州探題の血筋であり足利一門でもある渋川氏を大友と協議の上で担ぎ上げて西国公方とし、室町幕府復興を目的とする同盟が成立する。
丹波国以西の大名達や国人衆もこの同盟に参加し、日ノ本は大まかに4つの勢力に分かれた。
まず西国同盟、上記の通り室町幕府再興を目的としている。
石山本願寺……絶賛包囲中であるが全国の一向宗の総本山として依然として強大な権力を保有している。
織田政権……織田家を中心とした畿内から関東までを勢力とする現状の中央集権。
東北諸国……最上と伊達を中心とした織田政権とは交易を続けているが、室町幕府の権威が崩壊して困惑している勢力である。
いや、もう3つ勢力はあるか。
公家等の朝廷勢力……権威はあるが軍事力は無い。
織田政権と共生関係であり、信長様が遷都とか無茶な官位を要求しない限り友好関係は続くだろう。
明勢力……正確には明との密貿易集団で西国勢力の資金源でもある。
南蛮勢力……正確にはヨーロッパ人の宣教師や交易商で西国同盟に織田政権の安売りしている布等を運んで売ることで利益をだしている。
戦国の混乱で無数にあった勢力が纏まってきた。
西国同盟に参加しないで中立(引きこもり)の島津等もいるが、これは例外である。
そして織田政権の政治的中心地を安土城に移し、京から距離を取ることで京への直接的な戦乱を回避することや、信長様はフリーハンドを得ることになる。
信長様は加賀一向一揆残党と長島一向一揆残党で不安定な地域を持つ柴田勝家軍と滝川一益軍は現地統治に残し、信長様自ら率いて中国征伐を開始するために軍の編成を開始した。
津田軍も織田本軍に組み込まれて、中国征伐に参加することとなった。
ただ成果を挙げられていない佐久間信盛が焦り、無理な力攻めを多用するようになり、摂津国衆の忠義がどんどん低下していき、限界に達した摂津国衆は佐久間信盛を裏切り反乱が発生。
佐久間信盛軍1万5千が丹波国の奥に取り残されることになり危機的状態へと陥るのであった。