Asyl perspective
「ようこそ、紅魔館へ」
声は澄んだ鈴のように可愛らしく、しかし芯の強さも感じられる。
その声色には、何百年も生きてきた者特有の落ち着きと、見た目相応の無邪気さが同居している。
美少女は綺麗な所作で右足を後ろに組み、左腕を横に広げ、優雅に挨拶をしてくれた。
ボウ・アンド・スクレープ——貴族が客人を迎える際の、最も格式高い礼儀作法。
前世の知識でしか知らなかったその優雅な所作を、目の前で実際に見ることになるとは。
そんなもはや芸術的な完璧な所作の挨拶に、私は一瞬、どう反応すればいいのか分からなくなり呆けてしまう。
頭が真っ白になる。
心臓が早鐘を打つ。
——お、落ち着くのです、まずは一旦落ち着くのです!
……でも、無理だった。
「うぇ!? ひゃ、ひゃい! わたひはけっしてあやしいぃものではありまひぇん!」
めちゃくちゃ挙動不審になってしまった。
「あ、お、お初にお目にかかりましゅ!!」
そして挨拶も思いっきり噛んでしまった。
あぁ、恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
慌てて、ぎこちないカーテシーでぺこりと挨拶を返す。
今の私の不器用な動きは、きっと有識者から見れば笑止千万の情けないものになっているだろう。
そんな私の返答に少女は左胸に手を添えて、にっこりとした可愛らしい微笑みを浮かべながら、凄く紳士的な所作で言葉を続ける。
「僕の名はグニール・スカーレット。周りからは伯爵と呼ばれているけど、他の吸血鬼たちが無理矢理押し付けてきた吸血鬼貴族の名誉爵位だし、そんなに畏まる必要はないよ。名ばかりの称号を振りかざす気は無いけど、真名を名乗る手間が省けるからという怠惰な理由で伯爵を名乗っているだけだから」
……なんというか。
絶世という言葉が前に付くような可愛らしい美少女なのに、紳士的な所作が凄く様になっている。
その仕草の一つ一つが洗練されていて、まるで何百年も貴族として生きてきたかのような優雅さだ。
コロコロとした可愛らしい微笑みを浮かべた美少女の紳士的な所作とボーイッシュな口調に、ちょっとギャップ萌えを感じながら——名を名乗っていないことを思い出し、慌てて名を名乗る。
「わ、私はアズールと申します! た、多分一般吸血鬼だと思います」
私の拙い自己紹介に、伯爵は一瞬だけ目を細めた。
何かを探るかのような視線。
その紅い瞳の奥で、何かが蠢いたような気がした。
まるで、私の本質を見透かすかのような——そんな鋭い視線。
背筋がゾクリと震える。
でも、それはほんの一瞬のことで、すぐに伯爵の表情は柔らかく変化した。
「……一般吸血鬼か……まぁ、初対面で異性の正体を探るのは無粋というものだし……っあ!」
そこまで話した伯爵は、まるで何かを思い出したかのように——いや、何かを思い出したふりをするかのように、館をチラリと見上げてわざとらしく咳払いをして。
「……しょ、しょうがないのう。今はアズールという貴殿の名前を知れただけでも、わしにとっては僥倖なのじゃ」
突然、伯爵の言葉遣いが変わった。
先ほどまでの少年のような爽やかな口調から、まるで年老いた賢者のような古風な口調へ。
その変化があまりにも唐突で、私は思わず目を丸くしてしまう。
……まさかののじゃロリ要素もある絶世の美少女ロリっ子!?
……って、あれ?
……異性?
それってどういう……。
「お嬢様。ご主人様……スカーレット伯爵の性別は一応男性ですよ」
伯爵の言葉に首を傾げていると、後ろからヴァルターがこっそりと、まるで秘密を打ち明けるかのように教えてくれた。
「うぇ!? こ、こんなに可愛いのに!?」
思わず声が裏返る。
目の前の美少女が男性だという事実に脳が追いつかない。
処理が、追いつかない。
エラーが出そう。
「……ですよね。初めて見る時はびっくりしますよね」
ヴァルターが同情するような、それでいてどこか懐かしむような表情で頷く。
え!?
も、もしかして、こんな可愛らしい女の子みたいな姿をしていて男の子だったりするんですか!?
こ、声も可愛らしい声ですし、一見いい所のお嬢様にしか見えませんが!?
可愛らしい女の子の姿の男の子……はっ! ま、まさか、これが男の娘ってやつですか!?
のじゃロリで男の娘だなんて属性過多すぎるんですけど!?
属性の大渋滞が起きてるんですけど!?
前世の記憶の中から「男の娘」という言葉が浮かび上がり、その概念と目の前の美しい存在を照らし合わせようとする。
しかし脳内処理が追いつかず、私は思わず伯爵の顔を凝視してしまう。
その繊細な顔立ち。
長い睫毛。
柔らかそうな頬。
小さな唇。
……どこをとっても少女のようだ。
いや、少女そのものだ。
伯爵は私が落ち着くのを待ってくれていたようで、混乱から少し立ち直った私に、凄くわかりやすい苦笑いを浮かべて話を続ける。
「……は、ははは。性別を間違えられることは今に始まったことじゃないし。良くあることだよ……っじゃなくて、よくあることなのじゃ! き、気にしなくてもいいのじゃ」
伯爵の言葉の途中で、口調が変わるたびに表情も微妙に変化する。
「よくあることだよ」と言った時の自然な笑顔——少年のような爽やかさ。
「よくあることじゃ」と言い直した時の少し慌てたような気取った表情——賢者を演じようとする子供のような可愛らしさ。
その変化があまりにも面白くて、私は思わず微笑んでしまう。
……なんだか、凄く頑張ってる感じが伝わってくる。
可愛い。
「……そんなことよりわしの館の番犬が世話になったな。……まぁ正確に言えば世話を押し付けてしまったとも言えるのじゃが……」
未だに目の前の美少女……いや男の娘の姿を脳内で処理しきれずに軽く混乱していると、伯爵が気になることを言ってきた。
番犬というのは恐らくヴァルターのこと。
そんなヴァルターの世話を押し付けた?
……私に?
……そう言えば、ヴァルターはスカーレット伯爵の能力を〖運命を覗く程度の能力〗と言っていた。
未来を予見できるという、何とも恐ろしい能力だ。
もしかして、その能力を使って私とヴァルターの出会いを演出したというのだろうか?
すべては、計算ずくだったのか?
「……はぁ。やはりそうだったのですか。……というか、そのふざけた喋り方は何なのですか?」
ヴァルターがため息を付きながら、ポロリと言葉を零す。
その表情には呆れと懐かしさが混ざっている。
まるで、何度も同じことを繰り返してきたかのような、諦めにも似た表情だ。
……確かに何か、まるで無理してのじゃロリ口調に矯正しているかのような不自然な口調だ。
初めの自己紹介をしてくれた時は普通の話し方だったのに……。
そんなヴァルターは私の半歩右後ろで、じっとジト目でスカーレット伯爵を見ている。
その視線には複雑な感情が宿っている。
恨みというよりは、長年の付き合いから来る「またか」という諦めのようなものだ。
それでいて、どこか懐かしそうでもある。
「……わしからすれば追放したはずの番犬が1日足らずで戻ってきたんじゃ、びっくりするじゃろ? ……そういえばお前は意外と図太い性格をした狼男じゃったな。……いや、今は狼少女か? くっくっくっ」
楽しそうに、それでいて胡散臭そうにコロコロと笑うスカーレット伯爵(可愛い)。
その笑い声は、まるで悪戯好きの子供のようだ。
何百年も生きているはずなのに、その笑顔には無邪気さが宿っている。
「……ご主人様にはお世話になったので挨拶に来たのですよ」
ニコニコと笑みを浮かべるヴァルター。
でも、その笑顔はどこか怖い。
目が笑っていない。
もしかすると今のスカーレット伯爵の心情を見て何か思うことがあったのか。
あるいは、伯爵の言葉の裏に隠された真意を読み取ったのかもしれない。
な、なんか、ヴァルターの笑顔が怖い。
凄く怖い。
これは怒ってますね、間違いなく。
「……ははは! やはり君は面白い運命を辿るね! 見てて楽しいよ!」
伯爵の言葉には確信しているかのような響きがあった。
まるで既に見た未来を語るかのように。
その瞳の奥には、時間の流れを超えた何かが宿っているように見える。
過去も未来も、すべてを見通しているかのような——そんな深い眼差し。
「私にはお嬢様から頂いたヴァルターという名前があります。以後お見知りおきを、スカーレット卿」
話を聞いていると、どうやらヴァルターはスカーレット伯爵の元へ帰ることは無さそうだ。
ヴァルターが帰ると寂しいな、と思っていたから、これは素直に嬉しい。
心の中で小さくガッツポーズをする。
やった!
「ありゃりゃ。スカーレット卿だなんて他人行儀な言い方じゃないか。寂しくなるねぇ」
スカーレット伯爵もそのことが分かっているのか、先程まで私に向けていたニコニコ笑顔を、ニヤニヤ胡散臭い笑みに変えて、ヴァルターをからかっているようだ。
その表情の変化は、何百年も生きてきた者特有の余裕を感じさせる。
まるで、すべてを掌の上で転がしているかのような——そんな不敵な笑み。
……どうやらスカーレット伯爵は悪い吸血鬼では無さそうだ。
むしろ、どこか茶目っ気のある、愉快な人物みたいだ。
ヴァルターをからかうのが好きなのかもしれない。
「あぁ、そうじゃ。悪魔がお前を探していたぞ。何やら書庫で大事な物がお前に壊されたじゃとか。わしが犯人を教えたから、お前を探しておるみたいじゃな。くくくっ」
伯爵の言葉に、ヴァルターの表情が一瞬で凍りついた。
その変化を見逃さなかった伯爵は、さらに楽しそうな表情を浮かべる。
「……くっ。……伯爵様。まさか、初めから……はぁ、黙っていてくれるのでは無かったのですか?」
「追放する代わりに黙っていたのじゃ。もう戻ってきたのじゃから、約束は反故になったじゃろう?」
「……ぐぬぬ」
悔しそうなヴァルター。
その表情は子供のようで、私は思わず微笑んでしまう。
なんだか新鮮だ。
聞けばヴァルターのスカーレットの加護も消えた訳ではなく、隠されていただけのようだ。
今は加護も戻ってきている様子だ。
それは伯爵の意志によるものなのか、それとも紅魔館に戻ってきたからなのか。
どちらにせよ、すべては伯爵の掌の上だったということだ。
「それはともかく、アズール嬢。どうやら住むところに困っている様じゃな。紅魔館から少し離れた場所にある別館——この山の山頂にあまり使われていない館があるから、そこに住むといい。この紅魔館程ではないが、住むには十分な館じゃろう」
突然の申し出に、私は目を丸くする。
館を……くれると言いましたか?
しかも山頂にある別館とは、相当な規模のものだろう。
前世の記憶にある「別荘」という概念をはるかに超える贅沢さだ。
「……いいんですか?」
「いいとも。君のこれからの運命は僕達に……じゃなくて、わし達にも良い影響を与えてくれる。その館は君に譲るよ。先行投資のようなものだから気にしないでね……じゃなくて、気にしなくていいのじゃ!」
ところどころ素のような話し方が混ざるが、その都度修正してのじゃロリ口調に戻している。
何か頑張ってる感じが微笑ましくて、突っ込む気にもなれない。
むしろ、その一生懸命さが可愛らしい。
というよりも——わお、館をくれるとは、なんとも太っ腹である。
前世では家を買うのにも一生かかるような時代だったのに、この世界では館がポンと与えられるなんて。
もしかして吸血鬼は皆こんなに気前がいいのだろうか?
……それにしても、一体どこまで未来を見通しているのか。
〖運命を覗く程度の能力〗。
その能力の恐ろしさを、今更ながら実感する。
「では、これからは良き隣人として仲良くしようね……じゃなくて、仲良くしようなのじゃ!」
そう言って、のじゃロリ口調に四苦八苦している様子の可愛らしい伯爵様は、屈託のないニコニコとした笑顔を向けてきた。
その笑顔は、吸血鬼なのにまるで太陽のように眩しくて——私は思わず頬が緩むのを感じた。
なんだか、この人とは仲良くなれそうな気がする。
そんな予感がした。