東方庇護録   作:まほろばのーぶる

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第11話 閑話:賽を握る伯爵


Count Scarlet's perspective

 

 雲ひとつない夜空に、美しい満月が静かに浮かんでいる。

 

 柔らかな銀色の光が世界を優しく照らす、そんな美しい夜だった。

 

 ――こんなに月が綺麗なんだから、ちょっと散歩にでも出かけたいなぁ。

 

 そんなことを思いながら、僕はしぶしぶ執務室の重厚な木製机に向かい、山積みの書類と格闘していた。

 

 今日は一段と山が高い。

 

 せっかくの素敵な夜なのに、書類整理だけで忙殺される長い夜になりそうだ。

 顔も知らない差出人たちに、早くも辟易してくる。

 

 気怠さを隠す気力もなく、ぐったりと机に突っ伏しながら、片手でひらひらと書類を摘まみ上げ、宛名と要件を確認していく。

 

 ……ほら、やっぱり。

 

 周辺の人間国家。

 吸血鬼貴族。

 妖怪コミュニティ。

 

 どこもかしこも、面倒臭そうな文書ばかりだ。

 

「……はぁ」

 

 謀殺、背叛、調略、支配、謀略。

 

 碌でもない。

 

 並んでいる文字を見ているだけで、溜め息が出るような内容ばかりだった。

 

 いつものように書類の真偽を精査するため、僕は能力を使って運命を覗き見る。

 

「……はぁ」

 

 予想通り、見えてくる結末も碌でもない。

 

 溜め息が止まらない。

 

 一際危険そうな侵略・政略関係の書類を机の端に寄せ、残りを一枚一枚ぱらぱらと確認しながら、対応すべき事柄を記録していく。

 

 大した内容でもない膨大な書類を流し見しながら、ふと窓の外に目をやった。

 

 銀色の満月が夜の静寂を照らし、妖精の山の稜線が月光に浮かび上がっている。

 その輪郭は、まるで夜そのものが丁寧に描いた絵のように美しかった。

 

 ――こんな夜は、離れの【月光館】で月見酒に限る。

 

 ほんのり冷えた赤ワイン。

 月光の静寂。

 誰にも邪魔されない、優雅な夜。

 

 そう思うと、ついよだれが垂れそうになった。

 

「……ねぇ、よかったらこの書類……」

 

 言葉が途中で途切れた。

 

 僕のすぐ隣で、各地から魔法で書類を受け取っている悪魔の少女の笑顔が視界に入ったからだ。

 

「伯爵様〜、何かおっしゃいましたか〜?」

 

 僕の秘書として長年仕えてくれている彼女は、小さな唇を優雅に上げ、天使のような無邪気な笑顔を浮かべている。

 

 ――だが、その紅色の瞳の奥には「逃げられるとでも?」という明確な意思が宿っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ごくり。

 

 思わず喉が鳴る。

 

 彼女がこんなふうに、にこにことした笑顔を浮かべている時は要注意だ。

 

 秘書である以前に、長い年月を一緒に過ごしてきた一番の友人だからこそ分かる。

 

 間違いなく、ここで仕事を放り出して遊びに出かけたら、とんでもないしっぺ返しが来る。

 

「い、いや……なんでもないよ」

 

「そうですか〜? では〜、こちらの書類も追加でお願いしますね〜」

 

 彼女はさらに可愛らしく微笑み、魔法で次々と現れる書類を机の上に整然と並べていく。

 

 その仕草は優雅で丁寧だ。

 けれど、一挙手一投足が「お仕事から逃げませんよね?」と語りかけてくるようだった。

 

 次から次へと積み重なる書類に頭が痛くなりながらも、僕は能力を行使し続ける。

 

 優先度を仕分けし、対応を記録に書き込んでいく。

 

 ――そうだ。

 

 書類の山を処理しながら、ふと思い出したように、いつもの日課を始めることにした。

 

 館の使用人たちの、今日の運命の確認だ。

 

 能力を行使する。

 

 ――瞬間、視界が変わった。

 

 館内のあちらこちらで働く使用人たちの姿が、意識の中に浮かび上がる。

 彼らの周りには淡い糸のような光が揺らめき、その先には近い将来が――霧の中の絵のように、ぼんやりと映し出されていた。

 

 執事長は厨房で、明日の献立や館内の備蓄を確認している。

 

 人里との取引の帳簿とにらめっこしながら、忙しそうに動き回っていた。

 夜行性でもない人間、それもかなりの高齢なのに、こんな真夜中までご苦労なことだ。

 

 ――それでも今日1日、元気に過ごす彼の運命を見て、一安心する。

 

 今度、休暇を与えて少し休ませてあげなければ。

 

 メイド長はメインホールで、人間の新人教育に頭を悩ませているようだ。

 

 妖怪であるメイド長にとって、人間への教育は種族の違いから壁が多く、色々と大変らしい。

 

 日中に活動する人間だから仕方がないのだろう。

 うたた寝しながらふらふらとメイド長の話を聞く新人たちは、今日も館内の調度品や消費財をいくつか駄目にしてしまう運命が見える。

 

 それでもめげずに優しく教育している姿は、妖怪にしては珍しい、穏やかな彼女らしい。

 

 メイドたちも問題なく1日を過ごせそうだ。

 彼女たちの業務時間調整のために、近いうちに話し合いの場を設けよう。

 

 庭にいる妖精の庭師は、今日も紅魔館の薔薇の手入れに没頭している。

 

 ひとつのことに夢中になり始めたら、夜が更けても、夜が明けても、ずっと没頭し続ける。

 

 気ままな妖精の彼女らしく、今回もさぞ美しい薔薇園が出来上がることだろう。

 

 今日1日ずっと薔薇園の整備をする運命が見える彼女には、差し入れとして好きな果実酒でも持っていってあげよう。

 

 最近は頻繁に覗いているせいか、使用人たちの運命にさほど変化はない。

 

 今日も特に問題は起きなさそうだ。

 

 そんな日課が終わり、僕はほっと一息ついた。

 

 その時だった。

 

「……ん?」

 

 今までにない、どす黒い雰囲気を纏った運命が垣間見える書類が目についた。

 

 ……うわぁ。

 

 これ、【教会】からのやつだ。

 

 【教会】――正式にはその組織の名は【ワルプルギス】という。

 

 大昔、とある聖人が妖怪から人間を保護するために設立した、自警団組織のひとつだ。

 

 現在では、人間の組織として最も活動的に妖怪退治を行っている。

 教会の庇護下となった国や街は、妖怪の被害を大きく抑えられる。

 

 それほどの抑止力を持つからこそ、妖怪たちからも強く恐れられていた。

 

 その強大な力の本流は、月に逃げ遅れた【地上の神】由来の力。

 

 つまり、彼らと敵対することは、厄介な地上の神たちと敵対することを意味する。

 

 ――簡単に手出しできるような相手じゃない。

 

 ……というわけだから、お酒でも飲みながらじゃないとやってられないよね、こりゃあ。

 

「これで今日の分の書類は全部みたいですね〜。先に言っておきますが〜、この書類を全部処理し終えるまで、ワインは禁止ですよ〜伯爵様〜」

 

「……もちろん分かってるよ」

 

 『喉が渇いたからワインを……』なんて頼もうとしたのに、その前に釘を刺されてしまった。

 

 秘書としては優秀な、冷たい友人の悪魔だ。

 

 付き合いが長いからか、僕の考えていることは大体お見通しらしい。

 

 仕方なく、悪友から受け取った教会からの近況報告書を流し読みする。

 

 そして、あまりにもあんまりな内容に、さらに深い溜め息が漏れた。

 

「……はぁ。最近は教会の動向がきな臭くなってきたね。妖怪の討伐に異常なほど執着しているし、こちらに送ってくる報告書にも、僕たちに対して目に余るような失礼な文言がいくつもある」

 

 僕の言葉に、友人の悪魔は紅色の瞳を少し細め、書類に視線を落とした。

 

「そうですね〜。100年ほど前は、どちらかと言うと専守防衛的な、一歩引き下がった関わり方をしてきていたんですけどね〜」

 

 彼女の声には珍しく、僅かな懸念が混じっている。

 

 報告書には相変わらず、こちらのことを神に背く異端者だとか、人間に仇をなす邪悪な存在だとか――言いたい放題な文言が並んでいた。

 

 頭が痛くなる。

 

 これじゃあまるで、近況報告書というより宣戦布告書だ。

 

 大昔、教会と戦争した時に締結した、【お互いを尊重し、関与し合わない関係】を目的とした条約とは何だったのか。

 

 あの子は……【教皇】は、一体何を考えているんだろう。

 

「……まぁ、お互いに関わり合いを控える条約を交わしたんだから、僕たちが積極的に関与するべきじゃないのは分かっているけど……」

 

「そうですね〜。……ですが、最近では人間たちとの緩衝地帯の【まどいの森】で、教会所属の修道士たちが妖怪退治のために活発に行動していますね〜」

 

 彼女は淡々と続ける。

 

「それに、力を持つ司祭や神父までもが、まどいの森近くの村落や町で小隊活動をしているのが確認されていますし〜。間違いなく、何か良からぬことを企んでいるでしょうね〜」

 

「……下手したら、また戦争が始まりそうな雰囲気だよね」

 

 ……うーん。

 

 まいったな。

 

 最近の教会連中の行動は目に余る。

 

 こちらに宣戦布告しようと準備しているようにも見える。

 

 教会の雑兵程度なら脅威じゃない。

 

 だが、教会の全戦力を相手にするとなると、さすがに僕1人では館や使用人たちを守りきれない。

 

 かといって、他の【調停者】たちや妖怪たちに助けを求めれば、人妖双方の被害が大きくなる。

 

 間違いなく周辺各国はその戦火に巻き込まれて、阿鼻叫喚となるだろう。

 

 それに十中八九、面倒な貴族位を持つ吸血鬼一家たちは、戦乱に乗じて暴れ回るはずだ。

 

 ……今後の世界の【調律】のためにも、戦争は何とか回避したいところだけど。

 

 教会には何やら、こちらの能力を妨害してくるような厄介な能力者がいるらしい。

 

 僕の能力では、あまり真意が探れそうにない。

 

 ……今回の案件は、やっぱり【能力】じゃなくて【権能】に頼った方が良さそうだよね。

 

 ……嫌だなぁ。

 

「……やっぱり権能で、一旦【予定調和】を覗き見ておいた方が安全そうだね」

 

「……」

 

 友人の悪魔が、少し険しい顔で押し黙る。

 

 何か言われる前に、僕は権能を使用した。

 

 先程、能力で未来の運命を覗き見ていたように、もう一度未来を覗いていく。

 

 能力で見える未来は【運命】と呼ばれる、少しの変化や干渉が可能な流動的なものだ。

 

 だが、権能によって見える未来は【予定調和】と呼ばれる――不変のもの。

 

 それは、あらゆる干渉を許さない。

 

 世界が辿る、絶対的な未来である。

 

 この権能は、遥か彼方の未来を一瞬で悟らせる。

 

 あるいは、そう遠くない、ありとあらゆる確定された未来を。

 

 だからこそ、見たい見たくないに関わらず、すべての運命が到達する結末を見通してしまう。

 

 この権能は、僕にとって最終手段であり、()()()()でもあった。

 

 遥か昔から、この権能を通じて見てきた予定調和の未来。

 

 その中で避けがたい【破滅の運命】が、否応なく浮かび上がる。

 

 ――燃え盛る、美しい紅魔館が、無慈悲な悪意の炎に包まれていく。

 

 ――酷く苦しみながら、次々と息絶える大切なものたち。

 

 ――そして、あらゆる命を奪い、すべてを跡形もなく消し去る破滅の光が広がる。

 

 この権能によって、世界の予定調和。

 

 絶望の未来の光景が、視界に焼き付く。

 

 だからこそ僕は、この残酷な終末から目を逸らせずにいた。

 

 避けがたい未来に、何の期待も抱けなくなっていた。

 

 権能を使用している間、僕の胸中では無力感だけが――すべてを支配していく。

 

「……()()()()さん。あまり、権能を使いすぎない方が良いのではないですか?」

 

 いつもは血も涙もないほどに僕をいたぶるのが大好きな友人の悪魔が、珍しく心配そうな顔で僕を見てくる。

 

「何だい? 珍しく僕のことを心配してくれるじゃないか」

 

 僕は軽く笑ってみせる。

 

「……大丈夫だよ。権能を使ったとしても、()()には何の負担もないんだから」

 

「【身体】には……でしょう?」

 

「……」

 

 僕が世界に授けられた権能。

 

 【モナドの権能】は、世界に存在しているものならば何者にも抗うことを許さない――【絶対者】である【世界】の権能だ。

 

 この権能で見ることができない未来など、存在し得ない。

 

 遥か昔、【調停者】として生み出された僕が世界から授かった権能は、途方もない年月をかけて、僕の能力――【運命を覗く程度の能力】へと徐々に昇華されてきた。

 

 それでも、すべての権能が能力として昇華できているわけではない。

 

 世界のあらゆる現象を即座に演算し、理解できると言っても過言ではない【真祖の吸血鬼】の思考能力をもってしても、その範疇を余裕で超えてくる世界の力を、すべて理解できるはずがない。

 

 長い年月をかけてゆっくりと理解を深めていき、【運命を覗く程度の能力】という自分の能力として力を扱えるようになった今でも、変わらず権能の底は見えない。

 

 ……それに、どうにか一部分を能力として昇華できた僕が負った代償は、決して軽くなかった。

 

 ただでさえ、()()()()()()()()()()()()()()()、生まれながらにして精神的に虚弱な存在だ。

 

 そんな妖怪である僕が、予定調和である【破滅の未来】を知って、毎日を普通に過ごすことなんてできなかった。

 

 いつ来るか分からない終末。

 

 日々、鮮明になっていく予定調和の未来。

 

 破滅の光景に怯えるノイローゼな日々が、長く続いた。

 

 それでも幾星霜もの年月が、僕のこの狂気を、対外的には正気に見せかけることができるまでに成長させてくれた。

 

 だからこそ、僕にその狂気を思い出させる権能の使用は、今でもかなり精神的に辛い。

 

 その狂気を知る長い付き合いの悪魔は、そのことを心配してくれているのだろう。

 

 そんな悪魔の心配に少しだけ感謝しながらも、僕は【戦争】の回避に向けて、権能の行使を続ける。

 

 教会の真意を探っていく。

 

 ――そんな時だった。

 

「……っ!?」

 

 突然、まるでガラスが割れたかのような鋭い音が、頭の中に響き渡った。

 

 先程まで覗き見ていた予定調和の未来の光景が、霧に包まれるように次々と消え去っていく。

 

 消えていく。

 

 崩れていく。

 

 絶対であるはずの未来が、音を立てて壊れていく。

 

 そのビジョンの消失を目の当たりにして、権能の保有者だからこそ、僕は一瞬で何が起き始めたのかを理解できた。

 

 ――これは【モナドの権能】が崩壊し始めたことを告げる兆しだ。

 

「な、なぜ……ど、どうして急に……」

 

 今まで覗き見ていたすべての未来のビジョンがかき消え、【モナドの権能】で捉えていたありとあらゆる未来の予定調和が消滅していく。

 

 そして、唯一最後に残されたのは、ひとつの孤独なイメージだった。

 

 ――それは、1冊の黒い本を手に持った、白銀の美しい長髪の少女。

 

 そして、その背後に佇む大きな古時計。

 

 古時計は、ポーン、ポーンと音を響かせている。

 何かの時を告げるかのように、鐘を鳴らしていた。

 

 少女の姿は鮮明でありながら、どこか遠い世界の存在のように、儚げに揺らめいている。

 

 ――そして、イメージの中の少女が微笑んだ。

 

 何かを囁いているかのように、小さく口を開く。

 

 その瞬間。

 

 そのイメージとともに、【モナドの権能】が完全に崩れ去り――【破壊】された。

 

「グニールさん? 大丈夫ですか?」

 

「……」

 

 突然、いろいろなことが起こりすぎた。

 

 真祖の吸血鬼としての超速度の思考能力をもってしても、処理が追いつかない。

 

 世界から授けられた権能が、破壊された。

 

 こんなこと、他の調停者にも前例がない。

 

 極めて異例で、予測不能な出来事だ。

 

 すぐさま状況確認のため、壊れてしまった権能の代わりに能力の行使を試みる。

 

 ……どうやら、既に自分の能力に昇華できていたからか、こちらの【運命を覗く程度の能力】は何の問題もなく行使できるようだ。

 

 そして、能力を使っているうちに、僕はあることに気がついた。

 

 視界に広がる未来の糸が、これまでとは違う輝きを放っている。

 

 先程まで権能で見ていた【予定調和】とは異なる、異彩を放つ未来の【運命】。

 

 それが見える家臣が、1人――いや、1匹いる。

 

 その家臣は、目の前で心配そうにこちらを見つめている悪魔のために、50年ほど前に館の番犬兼ペットとして雇った【狼男】だった。

 

 驚いたことに、その狼男の1時間先の未来が、突如として変わり始めていた。

 

 権能が破壊された時に一瞬だけ垣間見えた、()()()()()()()()()()()()のイメージとともに。

 

「……行かなければ」

 

「え? 伯爵様? どこに行かれるんですか?」

 

 突如として改変された、この不可解な運命の舞台。

 

 その役者には、僕自身も含まれていた。

 

 そして、この不可思議な運命は、目の前で困惑した顔を浮かべている悪魔にも深く関わることだ。

 

「……ねぇ、君、魔界に通じる宝石のようなものを持っていたよね?」

 

「伯爵様? 急にどうされたのですか?」

 

 彼女は首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。

 

「魔界に通じる宝石と言うと、【魔力水晶】のことですかね〜。それならば、私の本来の力の源なので、書庫の机の上に置いてありますけど〜」

 

「……多分、その魔力水晶なんだけど……壊れても大丈夫?」

 

「え〜? ……まぁ、魔界にある私の本体との接続が切れて、本体が休眠状態になるので、私の力がかなり弱体化されますけど〜」

 

 彼女は少し考えるように視線を上げる。

 

「でも、どうせ現世では持て余している力ですし、別に問題ないですよ〜」

 

「……それなら良かったよ」

 

「伯爵様?」

 

「……僕はちょっと、これから狼男のところに行ってくるよ。念のため、君はこの執務室に居てくれるかい?」

 

「狼さんのところですか?」

 

 彼女は一瞬考え込むように黙り、そして閃いたように顔を上げた。

 

「……あ! もしかして、狼さんが私の魔力水晶を破壊する運命が見えたんですか?」

 

「……今は内緒だよ」

 

 そう言って、僕は静かに執務室を後にした。

 

 これから始まる予測不能な運命の幕開けに、胸の奥で何かが高鳴るのを感じながら。

 

 ――長い、長い停滞の時が、ようやく動き出そうとしている。

 

 権能が破壊されたことへの恐怖よりも、変わらないはずだった予定調和が変わったことへの期待が、僕の心を満たしていた。

 

 執務室を出て、薄暗い廊下を歩きながら、僕は思う。

 

 ――あの銀髪の少女は、一体何者なのだろう。

 

 ――そして、彼女は僕たちに何をもたらすのだろう。

 

 月光が差し込む窓の外を見やると、先程までとは違って見える満月が、静かに微笑んでいるように思えた。

 

 まるで、これから始まる新たな運命を祝福するかのように。

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