東方庇護録   作:まほろばのーぶる

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第2話:ぼんやり少女と狼マスク


A few moments later……

 

 

「……ふぅ、ふぅ。よ、よし、これで大丈夫です……」

 

 まだ心臓がドキドキ鳴っているけれど、自分に言い聞かせるように声を出す。

 

 暗い森に響いた怪物のようなけたたましい鳴き声に、恐怖のあまりしばらく小さく丸まってガタガタ震えていたけれど、ふと記憶の奥から浮かんできた“おまじない”を思い出した。

 

 手のひらに【人】という字を指で3回書いて、それをぺろりと舐める。

 

 すると、不思議と恐怖が和らぎ、少しだけ落ち着いてきた気がした。

 

 このおまじない、おぼろげに残る友人との話の中で、曰く「パブロフの犬みたいなもの」だとか「労宮っていうツボが効く」だとか小難しいことを言ってたけど。

 科学的根拠はともかく、この状況で効いたなら、もはや魔法と言っても過言ではないおまじないだ!

 

 ……それにしても、友人たちとの会話はぼんやり思い出せるのに、その名前や顔は霧がかかったみたいに曖昧で、どうしても思い出せない。

 まるで記憶の中で話している友人たちのイメージが黒く塗りつぶされている感じ……。

 ……不思議な感覚だ。

 

 ……まぁ、それはともかく!

 思い出せないものは仕方がないし、せっかくおまじないのおかげで少し落ち着けたんだから、今のうちに自分の記憶を整理してみよう。

 

 


 

 ……私は一体何者なのか。

 

 まず、自分の名前……思い出せない。

 

 経歴……思い出せない。

 

 元の姿の背格好や姿形……思い出せない。

 

 ――本当にびっくりするくらい、何も思い出せない。

 

 でも——不思議なことに、いくつかの記憶の断片だけは鮮明に残っている。

 

 住んでいた国……日本。

 

 住んでいた地域……京都。

 

 好きなもの……お酒、お寿司、魔法、オカルト、それに幻想郷。

 

 幻想郷――それは、私が夢中になって研究していた『古い文献』に記されていた、幻想的な、まるでおとぎ話のような場所。

 

 日本の山奥に隠された、人間と妖怪が共存する秘境。

 その幻想的な情景が細かく綴られた書物を、私は何度も何度も読み返していて――。

 

 ……そ、それに幻想郷には可愛らしい小さな女の子たちがいっぱいいるらしくて、うぇへへ……。

 

 …………。

 

 と、とにかく、私はいつの間にかオカルトや幻想的な世界に魅了され、そういったものを研究していた。

 ——そんな記憶だけは、はっきりと残っていた。

 

 ……とはいえ、思い出した記憶の中には、ちっちゃくて可愛い女の子が大好きで、ぎゅっと抱きしめてなでなでしたい――そんな、ちょっと危ない(?)思考も混じっていた。

 おかげで、さっき無意識に口から出た言葉「私はロリっ子をこよなく愛するただの淑女だった……」うんぬんかんぬんの信憑性が、限りなく高まってしまった気がする。

 

 ……記憶がない分、自分のことが逆に怖くなってきた。

 

 自分で言うのもなんだけど、私ってロリコン気質……だ、大丈夫だろうか?

 

 ……いや、冷静に考えよう。

 断片的な記憶からして、私はたぶん女性だったはずだ。

 女の子に変な気持ちを抱いたことはない……はず。

 

 小さくて可愛い子が泣いて困っていたら、積極的に飴ちゃんを渡したりするくらいだ。

 

 「はぁ、はぁ、お、お嬢さん……迷子なら、お、お姉さんが一緒にお母さんを探してあげるから、こ、こっちへおいでぇ?(にこにこ)」なんて言って手を引いたり――その程度だろう。

 

 ……。

 

 だ、だから私はきっと、面倒見の良いお姉さんタイプ……そんな感じだったはず!!!

 

 「そう!きっと私は地域の子供たちから『優しいお姉さん』って慕われてたに違いないのです!(震え声)」

 

 次々思い出してくる変態的な記憶の想起に私が危険な変態であった可能性が限りなく高まっていく中、思わず言い訳が口をついて出てきてしまった、その時だった。

 

 

 

 ガサガサッ

 

 

 

 必死の言い訳を頭の中で展開していた私を、現実に引き戻したのは、背後で何かが草木をかき分ける音だった。

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 

 ………………あっ。

 

 

 今さらながら、自分が置かれている状況を思い出した。

 

 ここは深い森の中。

 超インドア派だったはずの私でも、手つかずの森では人間なんて食物連鎖のカーストを垂直落下する――それくらいは分かる。

 

 つまり、もしクマや野犬が現れたら、私なんて格好の獲物――すなわち晩ご飯となってしまう訳で……。

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 恐る恐る、背後から聞こえた音の方へと振り返る。

 

 

 …………。

 

 

 そこには全裸で狼のマスクを被った人っぽい人(?)がじっとこちらを見つめていた。

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 とりあえずクマではなかったことに、ほんの一瞬だけホッと胸を撫で下ろす。

 

 

 ……。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 「ふぁ!?」

 

 

 

 ……いやいやいやいや!?

 

 普通に怖すぎるんですけど!!??

 

 なんならクマよりも断然恐ろしい獣が目の前に現れちゃったんですがぁ!!!???

 

 ……はぁ、はぁ、はぁ。

 

 ……落ち着け、私。

 頭の中で現状にツッコミを入れても問題解決にはならない……。

 

 そうだ。

 素数を数えると落ち着くと聞いたことがある。

 素数を数えて、少し冷静さを取り戻そう。

 

 2、3、5、7、11……。

 

 ……

 

 …………1109、1117、1123。

 

 ……よし、少し落ち着いてきた。

 

 落ち着いたところで状況把握開始!

 

 まず、目の前の存在。

 全裸で狼のマスクを被っているので、"変態狼マスクさん"と名付けておこう。

 よく見ると、そのマスクはかなりリアル志向で、毛先一本一本まで本物そっくり。

 ハロウィンの仮装だとしたら人気者になる事間違いなしのクオリティのマスクだ。

 どうやって作ったんだろう?

 思わず見入ってしまうほどの出来栄えだ。

 

 ……。

 

 ……?

 

 ……いや、こんなことを考えている場合じゃない!

 

 はっ!

 しまった!

 落ち着きすぎた!

 

 大事なのは、マスクのリアルさでもハロウィンの仮装かどうかでもない!

 

 なぜこんな森の奥地で、そして何故全裸なのか、ということだ。

 

 いや、全裸でなくても夜の山奥で見知らぬ人に遭遇したら十分恐ろしいのに、全裸でコスプレまでしているなんて、もう恐怖体験のレベルが天元突破している。

 

 しかも今の私は、幼女と言っていいほど小さな女の子の姿。

 これはもう泣かないでいられる方が無理な話だ。

 

 そうしてしばらくの間、恐怖で動けずに涙がこぼれそうな目で変態狼マスクさんを見上げていると……。

 

 変態狼マスクさんの大きくてギョロっとした目と、涙で滲んだ私の視線が交差した。

 

 私の全身に熱烈な視線を送ってくる変態狼マスクさんは、今にも泣き出しそうな私に向かって一言。

 

「おまえ、うまそうだな」

 

 マスク越しとは思えない、くぐもりのないはっきりとした甲高い声。

 しかも、どこか嬉しそうな響き。

 

 ヤバいことを言われているはずなのに、なぜか私の頭にはデフォルメされたティラノサウルスの絵本が浮かんできて、さらに混乱が深まる。

 

 だから、言われた内容を理解するのにワンテンポ遅れた。

 

 ……おまえ、うまそう。

 つまり文字通り私を食べる気なのか……そ、それか、え、エッチな意味で食べられちゃうのか……?

 

 た、確かに今の私は自分で言うのもなんだけど、全裸で森の中にいる変態さんが狙いそうな、いわゆる薄い本の導入にありがちな【森で迷子になった美少女】の完璧な見本みたいな状況にいる。

 

 自分で言うのもなんだけど、薄い銀色の髪は腰まで伸びてるし、声も可愛いし……。

 鏡も水面もないから自分の姿は見えないけど、幻想郷の少女たちみたいに小さくて可愛い女の子になってる気がする。

 

 そんな少女が、こんな夜中に狼マスクの全裸変態に捕まったら——これはもう、深夜アニメの放送コードギリギリのシーンが待っているに違いない!

 

 ……それか、本当に捕食的な意味で食べられてしまうのか……。

 

 どっちにしても、考えたくもない最悪の展開だ!

 【森で迷子の美少女、変態狼マスクに遭遇して……】なんて、明日の夕刊の三面記事になりたくない!

 

 そんなこんなで、現状に頭が追いつかなくなってきたところで、思考を強制停止して現実に目を向ける。

 変態狼マスクさんに声をかけられてから、わずか1秒にも満たない時間しか経っていない。

 

 ……今さらながら、自分の思考速度の異常さにびっくりする。

 まるで漫画の主人公が内心モノローグを延々と繰り広げているみたいに、頭の回転が速くなっている。

 

 不思議だなぁ、なんてのほほんと思いながらふと変態狼マスクさんを見ると——変態狼マスクさんが血走った目でこちらに向かって全力疾走してきていた。

 

「グルルルルルァァァァ!!」

 

「ひわぁぁぁぁ!?」

 

 自分でも気が抜ける変な声をあげる私。

 

 なにせ、文字通りの変態狼マスクさんが、10メートルほどしか離れていない場所から、リアルに喉を鳴らしながら全力で突っ込んでくるのだ。

 

 もうめちゃくちゃに怖い。

 粗相しちゃいそうなくらい、めちゃくちゃに怖い。

 

 ……とにかく今は、時間が止まるかのごとく思考を続ける。

 

 今は小さい女の子になっているし、走って逃げられるのだろうか……。

 でも逃げるって言っても、どこに?

 警察もいないし、携帯もないから110番もできない……。

 

 とてつもない思考速度で、周りの時間がスーパースローに感じる。

 変態狼マスクさんの動きさえ、スポーツ中継のスローモーションのように見える。

 

 とにかく変態狼マスクさんが目を血走らせて向かってきていて、気を失いそうなほど怖いので、意識を失う前に行動を起こさなければ。

 今気絶したら、目が覚めた時には手遅れかもしれない。

 

 そう考えた私は、手のひらに『人』の字を書いてぺろりと舐めてから、変態狼マスクさんとは反対方向に無我夢中で走った。

 

 今の私の服装は、深い青のロングスカートに、薄い緑と白のドレス、その上に黒に近い藍色のローブ。

 いわゆるゴスロリで、RPGの魔法使いっぽい服装だ。

 全力疾走には絶対向いてない。

 

 けれど、そんなこと気にせず、ただひたすらに走った。

 

 そうして走って大体3秒ほど経った時。

 

 突如、視界が開けた。

 

 森を抜けたようだ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 ………………ん?

 

 3秒で森を抜けた?

 

 いやいや、思考が加速してるせいで3秒が15分くらいに感じたけど――って、そうじゃなくて!

 

 森を……抜けた?

 

 上空を見上げると、さっきまで木々に阻まれて見えなかった綺麗な満月が輝いている。

 こんな状況でも、なんだかお月様がいつもより綺麗に見えるなぁ、とか呑気に考えてる私は案外図太くたくましいのかもしれない。

 

 とりあえず、疑問を口に出してみる事にした。

 

「走って3秒くらいで抜けられる森でしたっけ?」

 

 後ろを振り返ると、果てしなく遠く――多分3kmくらい離れた場所で、さっきの変態狼マスクさんが唖然とした顔で口をあんぐり開けているのが()()()

 

 私と変態狼マスクさんの間には、幅1.5mほどに草木や岩が抉られて、真っ直ぐな道ができている……。

 まるで何かが地面を削り取ったような、完璧な一直線の軌跡。

 

「わ、私は今、この距離を3秒で走ってきたのですか!?」

 

 抉れた草木や岩は見なかったことにして、とりあえず自分の状態を確認する。

 

 服には傷どころか、汚れ1つない。

 

 約3kmを3秒で。

 つまり秒速1km。

 時速に換算すると3600km、マッハ3――。

 

 戦闘機みたいな速さだ。

 

 そんな速度で地上を疾走すれば、辺りに衝撃波が吹き荒れて大変なことになる気がするが……。

 周囲の草木は私が通り過ぎた跡以外、風1つ感じていないかのように静かに佇んでいる。

 

 それよりも、マッハ3に耐える身体や服もおかしいし、そもそもマッハ3で走れる女の子って時点でおかしい。

 

 次々と湧く奇想天外な謎に、すでに頭はパンク寸前。

 

 それにしても、視力も明らかに人間離れしてる。

 3km先の変態狼マスクさんのギザギザの牙の本数まで数えられるくらいだ。

 ……あ、虫歯発見。

 

 ……まあ、とにかく、変態狼マスクさんからは逃げ切れた……はず。

 

 それにしても、今さらだけど、あれは明らかにマスクじゃなくて、全身毛むくじゃら。

 もしかして、いわゆる“狼男さん”だったのかも。

 民話に出てくる、満月の夜に変身するあの有名な伝説の生き物。

 

 もう一度、狼男さんの方を見ると、また目が合った。

 果てしなく距離があるのに。

 

 なんとなく、狼男さんに笑顔で手を振ってみる。

 すると狼男さんはビクッと震え、膝をつき……。

 

「申し訳ありませんでしたぁぁあ。吸血鬼さまぁぁ!?」

 

 なぜか分からないが、ものすごく謝られた。

 そして、果てしなく遠いのに、その声がはっきり聞こえてきた。

 

 こうして、狼男さんとの出会いによって、私のこの世界での不思議な夢物語——おとぎ話の幕が上がったのだった。

 

 そして私は気付き始めていた。

 この夢のようなおとぎ話が、実は現実であることに。

 

 

 


???? perspective

 

 

 「例えば、少女が時間に執着した一匹の白ウサギを追いかけたことで、不思議の国へと迷い込んじゃったように……」

 

 ペラリ、ペラリと本のページをめくる音が、静かな部屋に柔らかく響く。

 その音は、まるで遠い記憶の中の鼓動のように切なく懐かしい。

 

 「些細な日常の突飛な非日常が物語の幕開けには相応しいと思うんだよね」

 

 窓も天窓もないはずの孤独な部屋には、なぜか優しい明かりが満ちている。

 その光源は特定できず、まるで空間そのものが淡い光を放っているかのようだ。

 

 少女は、どこか遠くを懐かしむような眼差しで、本のページをゆっくりとめくっていく。

 

 やがて、ある一文に目を留めて、クスリと微笑む。

 その表情には、何かを見通すような知性と、何かを隠すような謎めいた影が交錯していた。

 

 そして、まるで本の内容を訂正するかのように、言葉を紡いだ。

 

 「夢から覚める方法は、3()()

 

 「ひとつは郷愁——夢と現を区別する境界。すなわち懐古と追憶。現実と夢の境界を明確にして、夢の世界を捨て、現実の冷たい光に目覚める」

 

 「もうひとつは忘却——夢を現と認識する境界。すなわち夢幻泡影。現実と夢の境界を曖昧にして、現実の世界を捨て、夢の温かい闇に沈む」

 

 そこまで語ると、少女はふとどこからともなく赤い栞を取り出した。

 

 少女の瞳には、遠い世界を見つめるような憂いと、確かな意志が宿っていた。

 

 その赤い栞を、手にしていた黒い本の開いたページにそっと挟み、ふっと微笑んで、ぽつりと呟いた。

 

 「そして、最後の方法は……」

 

 本を閉じる「バタン」という音が、少女の言葉をかき消し、部屋には再び、永く深い静寂が訪れた。

 








【あとがき】

どうもあまりにも更新頻度が遅い物書きです。

自分で納得できる執筆作業ができずえらい更新頻度になってしまっていますごめんなさいm(__)m

そして読み返すたびに一話につき12000文字だとかすごく疲れる文字数を書いていることに今更ながら気付きまして文脈の編集と修正を兼ねて修正投稿していっています。

ひどいときは一話につき17000文字って読むだけで疲れちゃいますよね(^_^;)

ですので今後文字数を5000~7000文字位を目指して修正していきます。
修正し次第ありえない長文話は削除していきます。

現状原稿につきましては60話ほど執筆完了しており、総文字数60万文字ほど書けていますが、投稿できるほどの自分で満足できる作品に仕上がっていないので更新頻度が激遅くなってしまっています。

それでも更新がないままなのにずっと読者の方が見に来てくれている作品なのでできる限り早く投稿できるように頑張ります!

改めていつもありがとうございます!
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