To be given a name is to be told that you are allowed to exist.
「…………あ。…………じ、人狼に……お、落ちこぼれのはずの、わ、私が……人狼に……」
その声はあまりにも小さく吸血鬼の超人的な聴力でないと聞き取りきれないほどおぼろげな音だった。
その赤い瞳は大きく見開かれたまま。
肩にかかった茶色の髪が、風になびいて柔らかくふわりと揺れている。
さっきまで、あんなにも大きくてもふもふした狼人間だったのに。
今、目の前にいるのは、どう見ても中学生くらいの可憐な少女である。
柔らかそうな茶色の髪は、細い糸を何本も重ねたみたいにきめ細かい。
指を通したら、きっとさらさらしているのだろうなぁ、とか思考内で鼻息荒く興奮しまうくらいには綺麗だった。
そして、その下にある肌は、月明かりを受けて淡く白く浮かび上がっている。
頭の上には、まだ狼の名残を残した柔らかそうなもふもふの耳。
腰のあたりでは、ふさふさの尻尾が戸惑うように小さく揺れている。
……すごく、可愛い。
……。
……いやいやいや。
見惚れている場合じゃない。
「ヴァルター!? と、とりあえず何か着ましょう! その姿で全裸はマズいです! ほら、こっち向いて!」
慌てて声をかけるけれど、ヴァルターはぴくりとも動かない。
まるで魂が抜けてしまった人形みたいに、ただその場で固まっている。
さっきまでのもふもふで大きな狼人間から、すべすべもちもちの美少女へ。
あまりにも衝撃的な変化に、名付けのえげつない代償でヘロヘロだった私も思わず倦怠感を忘れてワタワタ慌ててしまう。
と、とにかく、今はこの子のエロい……じゃなくてえらいことになってる姿をなんとかしないと!
慌てて私が羽織っていたローブをヴァルターの肩にかけてあげることにする。
「と、とりあえずこのローブでも着て……って、丈が足りない!!」
今のヴァルターは、私よりひと回り背が高い美少女だ。
つまり、私サイズのローブでは長さが全然足りない。
このままでは、美しいもちすべのおみ足やら、それよりもアウトな場所までもろもろと見えてしまう。
せ、せめて、ローブがもう少し伸びてくれれば――。
そう思った瞬間。
ローブが、するすると音もなく伸びた。
「……え?」
まるで最初からヴァルターのために作られていたみたいに、布地が形を変え、彼女の身体をぴったりと包み込んでいく。
袖も、裾も、肩幅も。
全部が自然に整って、あっという間にヴァルターを暖かく包む服のように変化した。
……。
……え、何ですか今の。
サイズ自動調整機能?
変形機構?
それとも、着る人に合わせて最適化される高性能ファンタジー衣装?
……どちらにせよ、すごい便利なローブだ。
——でも、今さら何が起きても、そう簡単には驚きませんよ、私は。
今なら空から焼き魚が降ってきても「あ、今日のご飯はこれにしましょう」くらいの反応しかできない自信がある。
それくらい、奇想天外な展開にはもう慣れっこなのです!
……不可思議ローブにちょっと思考が意味不明に飛んでしまったけれど、とにかく、これで美少女の全裸は隠せた。
ひとまず安心――。
「ぐすんっ」
安心したのも束の間。
今度はヴァルターの神秘的な赤い瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
「ヴァ、ヴァルター!? どうしたのですか!? な、なぜ突然泣いているのですか!?」
突然泣き出したヴァルターを前に、私は完全にプチパニック状態になってしまう。
いくら1秒が何10分にも感じられるほどに思考が加速していたとしてもパニック状態だと思考がやかましいまま脳内時間が過ぎていってしまう。
え、えっと。
こういう時はどうすればいいんだっけ。
正直、泣いている子を見るのは苦手だ。
胸の奥がきゅっと縮んで、息苦しくなる。
何かしなきゃいけないと感じているのに、何をすればいいのか分からなくなる。
とにかく、まずは原因究明。
痛いのか。
苦しいのか。
怖いのか。
そうヴァルターに聞こうとして——私は言葉を飲み込んだ。
怯えたように揺れる瞳。
浅く乱れる呼吸。
ローブの布を握りしめているかわいそうなほど震えている指先。
そして、自分の身体を確かめるみたいに強く抱きしめている手。
その様子を見た瞬間、軽々しく「どこが痛いのですか」なんて聞けなくなった。
そんなの。
痛いに決まっている。
苦しいに決まっている。
怖かったに決まっている。
——落ちこぼれ。
さっき、ヴァルターは自分のことをそう言った。
たぶん、その言葉は、ただの自己評価なんかじゃない。
誰かに言われ続けた言葉なのだろう。
自分でもそう信じ込んでしまうくらい、深く深く刻まれた心の傷。
私がここで「大丈夫?」なんて聞いたところで、きっと何も大丈夫ではない。
私が知らないヴァルターの過去を、私の知らない痛みを、そんな一言でほどけるわけがない。
だから、私は言葉を飲み込んだ。
今必要なのは、理由を問いただすことじゃない。
ただ、この子が今ここにいていいのだと、ちゃんと心を込めて伝えることだと思った。
「……よ、よしよし」
「……え」
私は少し背伸びをして、ヴァルターの頭をそっと撫でた。
綺麗な茶色の髪は、見た目以上にさらさらだった。
指先を通すたびに、柔らかな感触がふわりと広がっていく。
あまりにも謎行動した私に困惑して思わず涙が引っ込んだのか、ヴァルターはすぐに泣き止んでくれたけれど、今度はきょとんとした顔で私を見つめ始めた。
……それはそうだ。
だって幼い幼女の姿の私がなでなで目標の頭に短い手の射程を届かせるために必死に背伸びしてなでなでしているのだ。
そんなこと急にされたら誰だって困惑する。
……。
……あ、あああああぁぁぁ!
すごく恥ずかしい!!
そもそも泣いている子を慰める方法が、頭なでなでよしよししか思いつかん自分がもどかしくて自分をひっぱたきたくなる。
しかも、撫でているうちにだんだん「小さくてかわいい子をなでまわしたい!」という変態的な欲求が満たされ始めて、慰めているのか、自分の欲をぶつけているのか分からなくなってきたし……。
「……お嬢様!」
「……あ。うぇ!? お、お嬢様!?」
小さい子を撫でる至福の時間を満喫――じゃなくて、なんとか思考を切り替えようとしていたその時。
いつの間にかケロッと泣き止んだヴァルターが、突然私を「お嬢様」呼びし始めた。
あまりに呼びなれていない仰々しい呼ばれ方に、思わず動揺して身体がビクッと震えて足元がふらつく。
「お、お嬢様!? だ、大丈夫ですか!?」
倒れそうになった私の身体を、ヴァルターが素早く支えてくれた。
さっきまで泣いていた面影は、もうどこにもない。
その所作は驚くほど機敏で、スマートで思わず見惚れてしまうほど執事的だった。
「あ、あの。……そ、その……ヴァルター?」
「はい! お嬢様!」
——お嬢様。
その響きだけで、なんだか背中がむずむずする。
おぼろげに残っている記憶の中でも、私はどう考えても普通の家庭……というよりもかなり貧乏な暮らしをしていた気がする。
少なくとも、誰かに「お嬢様」なんて呼ばれるような高貴な人生とは無縁だったはずだ。
「……呼ばれ慣れてないので、お嬢様はやめて頂けると……嬉しい……のですけど……」
私はか細い声で、上目遣いにお願いしてみるもあまりにもキラキラした目で私を見つめてくるヴァルターの顔がまぶしくて言葉尻がしぼんでいく。
「どういたしましたか? お嬢様?」
「いやぁ……えっと、その……あの……」
私渾身の上目遣いはヴァルターにはまったく効いていないらしく、細々とした私の声もヴァルターにはどうやら届いていないようだ。
まるで「お嬢様」以外の呼び方などありえません、とでも言いたげな真剣な眼差しで、こちらを見つめてくる。
そして、急にドキッとするくらい、きりっとしたかっこいい顔をこちらに向けてきた。
「お嬢様! 私、〖ヴァルター〗は、生涯、貴方に尽くすことを誓います」
ヴァルターは右手を胸に当て、左手を背中へ回し、上半身を軽く前に倒して優雅にお辞儀をした。
その仕草は、まるで何百年も貴族に仕えてきた執事のように完璧だった。
……どこでそんな作法を覚えたんだろう。
というか、さっきまで全裸で泣いていた子と同一人物とは思えない豹変ぶりだ……。
「う、うぅ……生涯尽くすとか、そ、そんな大層なことは……」
私はそこまで言って言葉に詰まる。
ヴァルターが、嬉しそうにしっぽをバタバタと振ってキラキラした宝石みたいな瞳でこちらを見ていたからだ。
……喜んでくれているのは明白だし、ここで変に否定とかはしたくない。
「……よ、よろしく、お願いします」
「はい! お嬢様!」
そう言うとヴァルターの顔が、ぱあっと明るくなった。
お嬢様と呼ばれるたびに、背中のあたりがむずむずする。
正直、慣れる気はまったくしない。
それでも私をそう呼ぶヴァルターの声は、どうしようもないくらい嬉しそうだった。
まるで、ようやく大切な役目をもらえた子どもみたいに、胸を張ってはりきっている……そんな感じの微笑ましささえ感じる。
……そんな顔をされたら、やめてなんて言えない。
「お嬢様! さっそくですが、聞きたいことがあります」
諦めてお嬢様呼びを受け入れようとしたところでヴァルターが身を乗り出して聞いてきた。
「な、なんでしょうか?」
あまりにもずいずいと美少女なヴァルターが、身を乗り出して目と鼻の先まで近づいてくるので、超ドキドキしてしまう。
「お嬢様のお名前は、何と仰られるのですか?」
「……あ」
……名前。
そういえば、私の名前。
……どうしようか。
……そもそも前世の名前が、思い出せない。
自分以外の記憶ならぽつぽつと泡のように記憶が浮かんでくるのだけれど、自分に関する記憶だけはまったく記憶の泡が浮かんでこない。
思い出そうとすると、霧の向こうに手を伸ばしているような感覚になる。
届きそうなのに、届かない。
掴めそうなのに、指の隙間からすり抜けていく。
——それなのに。
なぜか、不自然に1つだけ覚えている名前がある。
本名ではない。
たぶん……違う。
でも、その名前を思い浮かべると、胸の奥が少しだけ温かくなる。
あだ名……だったんだと思う。
霧のようなおぼろげな記憶の中で、その記憶だけが小さな灯りみたいに灯る。
「……アズール」
その名前を小さく声に出してみる。
「……?」
あまりにも声が小さかったからか聞こえていない様子でヴァルターが、こてんと首を傾げる。
「ヴァルター、私の名前はアズールです」
もう一度、今度は自分の名前だと自信を持って口に出した瞬間、その名前が自分の中にすとんと落ちてきた。
私は、アズール。
今はまだ、それ以外自分のことは思い出せない。
でも、この名前だけは私のものだと言える気がした。
「これからは、アズールと呼んでください」
自分に言い聞かせるようにもう一度そう告げると、ヴァルターの瞳が一瞬、嬉しそうに輝いた。
「かしこまりました。アズールお嬢様」
「……やっぱりお嬢様は取れないんですね」
むずむずする呼び方ではあったけれど、それでも「アズール」と呼ばれた響きだけは、不思議と胸の奥に残った。
……確か、この名前をつけてくれたのは2人の友人だった。
顔も、名前も、うまく思い出せない。
けれど、楽しそうに雑談する声だけは、浮かび上がる記憶の泡の映像に残っている。
『本名はまずいでしょ』
『じゃあ、別の呼び名が必要ね』
『この人、放っておくとすぐ誰かを拾ってくるし』
『避難所とか、隠れ家とか、そういう意味がいいんじゃない?』
誰かがそんなことを言った気がする。
避難所。
隠れ家。
安全な場所。
……いや、私を何だと思っているんですか。
人間シェルターか何かですか。
そう冗談っぽく思ったけれど、不思議と冗談に感じなかったし、そこまであだ名を嫌だとも思わなかった。
むしろ、少し嬉しかった気もする。
名前をつけてもらう。
呼び名を決めてもらう。
……それは、仲間に入れてもらうことに少し似ている。
そして、その2人はよく、呆れたように私をからかうのだ。
『○○って、人間関係における重力井戸みたいなものですよね。近くを通った困りごと、厄介ごとは、大抵あなたのところに落ちてくるから』
『というより、自分から境界を踏み越えていくのよね。相手が困っていると見るや否や、遠慮も警戒も置き去りにして、ひょいっと内側に入り込むんだから』
それから、2人は声を揃える。
『お節介焼きにもほどがありますよ?』
『お節介焼きにもほどがあるわよ』
そしてそんな話になった時には決まって、2人は呆れたように、それでもうれし気に笑うのだ。
……ひどい言い草である。
……まぁ、とにかく、これからはアズールとして、この人生――いや、妖怪生を楽しんでみることにしよう。
……本名を忘れているにしては、ずいぶん前向きすぎる今生の目標な気もするけれど。
不思議と後ろを振り返る気にはならなかった。
なくした名前より、今名乗った名前の方が、少しだけ重たく感じたから。
……そう思えてしまう自分は、少し薄情なのかもしれない。
まあ、妖怪——吸血鬼になったのだから、人間らしさが少しくらい薄れていても仕方ないし、自然なことですよね。
……と、ひとまず自分の名前問題に決着をつけたところで。
私は改めて、目の前のヴァルターを見上げる。
茶色のサラサラな髪。
きれいな赤い瞳。
狼の耳。
ふさふさの尻尾。
そして、私より少し背の高い少女の身体。
……うん。
やっぱり、どう考えても気になる。
「ところで、ヴァルター。聞きたいのですが、貴方はなぜ女の子の姿になったのですか?」
さっきまで狼男だったはずなのに、今は綺麗な茶色の髪をした可愛らしい美少女になってしまった。
……なってしまっただとか、そう言うとヴァルターにあらぬ誤解を招きそうな言い方だけど。
別にもふもふ狼さんから美少女に変わったことに不満があるわけではない。
むしろ大変すばらしい変化だと思う。
でも、さっきまでの大きくてもふもふしたTHE狼男って感じのヴァルターも素晴らしかったってだけのことだ。
大きくって。
強そうで。
もふもふふかふかな。
おっきな狼さん。
あれはあれで、動物好きな私の癖にはだいぶ刺さっていた。
けれど、今は。
ふわふわの獣耳。
感情がだだ漏れになる尻尾。
幼いながら超可憐な顔立ち。
それなのに、話し方はやたら丁寧で。
立ち居振る舞いは妙にきちっとしていてスマートで執事っぽい。
ロリ。
ケモ耳。
尻尾。
執事。
美少女。
真面目。
……そしてちょっと甘えん坊な印象。
……。
これはいけない。
属性過多である。
もはや私の癖に対する暴力ですね、これは。
「どうしてこの姿になったのかは私にも、よく分かりません。ただ一つ言えるとすれば、お嬢様に名前を頂き、お力を分けていただけたことで、私は妖怪として人間の姿に近い上位種へと進化したようです」
ヴァルターは両手を胸の前で合わせ、嬉しそうに目を輝かせる。
「これは、私にとって本当に嬉しいことです。お嬢様には、感謝してもしきれません!」
正直、進化とか上位種だとか、ヴァルターの話は分からないことだらけだ。
分からないことだらけだけれど。
ヴァルターが、こんなにも嬉しそうにしている。
それだけは、しっぽをブンブン振り回している様子からも分かった。
「……おめでとうございます、ヴァルター」
そう言うと、ヴァルターの尻尾がぴんと立った。
そして、さらに激しく左右にぱたぱた揺れ始める。
本人はしれっとした顔で真面目な顔を保っているつもりなのに、尻尾だけがその内心を物語ってる感じだ。
……めっちゃ可愛いな、この子。
でも、狼男だからてっきり男だと思って、執事っぽい名前をつけてしまった。
でも今、目の前にいるのは明らかに女の子。
しかも、とんでもなく美少女。
今から改名するのも変だし、ヴァルターのままでいいのだろうか。
そんな私の心配を察したのか、ヴァルターは小さな身体で誇らしげに胸を張った。
「お嬢様! 私の名前はヴァルターです! アズールお嬢様に生涯忠誠を誓い、お嬢様を最大限サポートする執事です! これからよろしくお願いいたします!」
きりっとした顔。
ぴんと伸びた背筋。
本人としては、きっと完璧な執事としての自己紹介をしているつもりなのだろう。
けれど、私の目には役に立って褒められたくて仕方ない小さな子どもが、精いっぱい背伸びしているようにしか見えなかった。
……はぁ、はぁ、はぁ。
か・わ・い・す・ぎ・りゅ!!!
今すぐぎゅっとしたいぃぃ!!
ぎゅっとしてなでなでなでなでしたいぃぃ!!!
……いや、待て待て待て待て。
ここでぎゅっと抱きしめに行くのはさすがに早い。
ギャルゲーで言えば、まだ出会ってイベントを1つ終えたばかりの段階である。
いきなり抱きしめるなんて、選択肢を間違えたら好感度が爆下がりするやつだ。
落ち着け、私。
深呼吸です。
すぅ。
はぁ。
……。
うん、無理。
可愛いものは可愛い。
「ヴァルター」
「はい、アズールお嬢様!」
「少しだけ、失礼しますね」
「……はい? 何を――」
最後まで聞く前に、私はシュババっと両腕を伸ばした。
そして、ヴァルターをぎゅっと抱きしめる。
「ふぁっ!?」
ヴァルターの耳が、ぴこんと跳ねた。
尻尾も、びくんと大きく揺れる。
けれど、逃げようとはしなかった。
むしろ、最初こそ驚いて固まっていたものの、少しずつ肩の力が抜けていく。
ローブ越しに伝わる体温は、思っていたよりずっと温かかくてヴァルターの存在を直に感じられるようだった。
「お、お嬢様……?」
「すみません。ちょっと、我慢できませんでした」
「が、我慢……?」
「はい。ヴァルターがあまりにも可愛すぎるので」
「か、かわっ……!?」
ヴァルターの顔が、一瞬で真っ赤になった。
……だめだ。
ヴァルターの一挙手一投足が可愛いすぎる。
助けてください。
私の理性が息してないです。
いますぐぐっちゃぐちゃに甘やかしたい気分です……。
「お、お嬢様。私は、その、仮にも執事ですので……こ、このように抱きしめられるのは、ちょっと、その……」
ヴァルターはそう言って離れようとするが、さすが吸血鬼の膂力はすさまじいらしくヴァルターはどうやら力ずくでは離れられないらしい。
「嫌ですか?」
あんまりにも私から逃げようと抵抗されるので、ちょっと寂しくなって意地悪な魔性の言葉を投げかけてみる。
「い、嫌では、ありませんけど!」
嫌だとは言いにくい、そんな魔性の言葉にヴァルターは顔を赤くしながらも、そう言って即答してくれる。
「た、ただ……どうすればいいのか分からなくて……」
抱きしめられ方が分からないだなんて、そんないじらしいことを言い出すヴァルターに、母性だかなんだか分からない感覚に狂いそうになり、思わず抱きしめる力がギュギュっと強くなる。
「……では、改めてよろしくお願いしますね。私の執事さん」
「……は、はい」
ヴァルターは、そう言うと抱きしめの抵抗をやめて私の肩口にそっと額を寄せた。
ほんの一瞬だけ。
それでも確かに、自分から寄りかかるように。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。アズールお嬢様」
その声は、まだ少し恥ずかしそうで。
けれど、どうしようもなく嬉しそうだった。
私はその声を聞きながら、腕の中にいる小さな温もりをそっと確かめる。
お嬢様と呼ばれるのは、まだ少し恥ずかしい。
生涯忠誠なんて言葉も、正直かなり重い。
……でも。
この子がその名前を誇らしそうに抱えているのなら。
私の近くにいて安心してくれるのなら。
ちゃんと大切に保護しなければいけないと思った。
そう思いながら、私はそっとヴァルターの頭を撫でた。
もう慰めるためではない。
この子がここにいて安心してくれることが、ただ嬉しかったから。
ヴァルターはそんな私の手にくすぐったそうに目を細めて、ほんの少しだけもっと撫でてほしそうに手に頭を擦り付ける。
……どうしよう。
私の執事が可愛すぎるんだけど。
To call someone by name is to tell them again and again that they are still here.