東方庇護録   作:まほろばのーぶる

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第4話 私の執事が可愛すぎる

 


To be given a name is to be told that you are allowed to exist.

 

 

「…………あ。…………じ、人狼に……お、落ちこぼれのはずの、わ、私が……人狼に……」

 

 その声は、夜風にさらわれそうなくらい小さかった。

 

 けれど、私の耳にははっきり届いた。

 

 その赤い瞳は大きく見開かれたまま。

 肩にかかった茶色の髪が、夜風にふわりと揺れている。

 

 さっきまで、あんなにも大きくてもふもふした狼人間だったのに。

 今、目の前にいるのは、どう見ても14歳くらいの可憐な少女である。

 

 柔らかそうな茶色の髪は、細い糸を何本も重ねたみたいにきめ細かい。

 指を通したら、きっとさらさらしているのだろうな、と鼻息荒く思ってしまうくらいには綺麗だった。

 

 そして、その下にある肌は、月明かりを受けて淡く白く浮かび上がっていた。

 

 頭の上には、まだ狼の名残を残した柔らかそうな耳。

 腰のあたりでは、ふさふさの尻尾が戸惑うように小さく揺れている。

 

 ……すごく、可愛い。

 

 ……。

 

 ……いやいやいや。

 

 見惚れている場合じゃない。

 

「ヴァルター!? と、とりあえず何か着ましょう! 全裸はマズいです! ほら、こっち向いて!」

 

 慌てて声をかけるけれど、ヴァルターはぴくりとも動かない。

 

 まるで魂が抜けてしまった人形みたいに、ただその場で固まっている。

 

 さっきまでのもふもふで大きな狼人間から、すべすべもちもちの美少女へ。

 

 あまりにも衝撃的な変化に、名付けでヘロヘロだった私も思わず倦怠感を忘れてしまう。

 

 と、とにかく、今はこの子のエロじゃなくてえらいことになってる姿をなんとかしないと!

 

 慌てて私が羽織っていたローブをヴァルターの肩にかけてあげる。

 

「と、とりあえずこのローブでも着て……って、丈が足りない!!」

 

 今のヴァルターは、私よりひと回り背が高い。

 

 つまり、私サイズのローブでは長さが全然足りなかった。

 

 このままでは、いろいろと見えてはいけないものが見えてしまう。

 

 せめて、ローブがもう少し伸びてくれれば――。

 

 そう思った瞬間。

 

 ローブが、するすると音もなく伸びた。

 

「……え?」

 

 まるで最初からヴァルターのために作られていたみたいに、布地が形を変え、彼女の身体をぴったりと包み込んでいく。

 

 袖も、裾も、肩幅も。

 全部が自然に整って、あっという間に簡易的な服のようになった。

 

 ……。

 

 ……え、何ですか今の。

 

 サイズ自動調整機能?

 変形機構?

 それとも、着る人に合わせて最適化される高性能ファンタジー衣装?

 

 すごい。

 便利。

 

 でも、今さら何が起きても、そう簡単には驚きませんよ、私は。

 

 今なら空から焼き魚が降ってきても「あ、今日のご飯はこれにしましょう」くらいの反応しかできない自信がある。

 

 それくらい、奇想天外な展開にはもう慣れっこです!

 

 ……とにかく、これで美少女の全裸は隠せた。

 

 ひとまず一安心――。

 

ぐすんっ

 

 

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 安心したのも束の間。

 

 ヴァルターの神秘的な赤い瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。

 

 「ヴァ、ヴァルター!?な、なぜ泣いているのですか?」

 

 突然泣き出したヴァルターを前に、私は完全におろおろしてしまう。

 

 え、えっと。

 こういう時はどうすればいいんだっけ。

 

 泣いている子を見るのは苦手だ。

 胸の奥がきゅっと縮んで、何かしなきゃいけないのに、何をすればいいのか分からなくなる。

 

 痛いのか。

 苦しいのか。

 怖いのか。

 

 そう聞こうとして、私は言葉を飲み込んだ。

 

 怯えたように揺れる瞳。

 浅く乱れる呼吸。

 ローブの布を握りしめる指先。

 そして、自分の身体を確かめるみたいに震える手。

 

 その様子を見た瞬間、軽々しく「痛いのですか」なんて聞けなくなった。

 

 痛いに決まっている。

 苦しいに決まっている。

 怖かったに決まっている。

 

 落ちこぼれ。

 

 さっき、ヴァルターは自分のことをそう言った。

 

 たぶん、その言葉は、ただの自己評価なんかじゃない。

 誰かに言われ続けた言葉。

 自分でも信じ込んでしまうくらい、深く深く刻まれた傷。

 

 私がここで「大丈夫?」なんて聞いたところで、きっと何も大丈夫ではない。

 私が知らない過去を、私の知らない痛みを、そんな一言でほどけるわけがない。

 

 だから、私は言葉を飲み込んだ。

 

 今必要なのは、理由を問いただすことじゃない。

 この子が今ここにいていいのだと、ちゃんと心を込めて伝えることだと思った。

 

「……よ、よしよし」

 

「……」

 

 私は少し背伸びをして、ヴァルターの頭をそっと撫でた。

 

 綺麗な茶色の髪は、見た目以上にさらさらだった。

 指先を通すたびに、柔らかな感触がふわりと広がっていく。

 

 ……。

 

 ……あ、あああああぁぁぁ!

 

 な、なんかすごく恥ずかしい!!

 

 ヴァルターは泣き止んでくれたけれど、今度はきょとんとした顔で私を見つめている。

 

 泣いている子を慰める方法が、頭なでなでしか思いつかん自分がもどかしい。

 

 しかも、撫でているうちにだんだん「小さい子をなでなでしたい!」という欲求が顔を出してきて、慰めているのか、自分の欲を満たしているのか分からなくなってきた。

 

 これはいけない。

 

 罪悪感で、思わず自分をひっぱたきたくなる。

 

「お嬢様!」

 

「え!? ……あ。うぇ!? お嬢様!?」

 

 小さい子を撫でる至福の時間を満喫――じゃなくて、なんとか思考を切り替えようとしていたその時。

 

 ヴァルターが、突然私を「お嬢様」と呼んだ。

 

 あまりに呼びなれていない呼び方に、思わず足元がふらつく。

 

「お、お嬢様!? だ、大丈夫ですか!?」

 

 倒れそうになった私の身体を、ヴァルターが素早く支えてくれた。

 

 さっきまで泣いていた面影は、もうどこにもない。

 その動きは驚くほど機敏で、思わず見惚れてしまうほどだった。

 

 可愛い。

 ……でも、かっこいい。

 

 その両方が同時に成立しているのは、ちょっとだけずるいと思う。

 ドキッとしちゃう。

 

「あ、あの。……そ、その……ヴァルター?……呼ばれ慣れてないので、お嬢様はやめて頂けると……」

 

 お嬢様。

 

 その響きだけで、背中がむずむずする。

 

 おぼろげに残っている記憶の中でも、私はどう考えても普通の家庭で暮らしていた気がする。

 少なくとも、誰かに「お嬢様」なんて呼ばれるような高貴な人生とは無縁だったはずだ。

 

 私はか細い声で、上目遣いにお願いしてみる。

 

 けれど、ヴァルターにはまったく効いていないらしい。

 

 まるで「お嬢様」以外の呼び方などありえません、とでも言いたげな真剣な眼差しで、こちらを見つめている。

 

 私ならロリっ子に上目遣いでお願いされれば何でも言うことを聞いちゃうのだが、か細い声だったからか肝心の本人にはそんなお願いが聞こえていないようで……。

 

「お嬢様! 私、〖ヴァルター〗は、生涯、貴方に尽くすことを誓います」

 

 ヴァルターは右手を胸に当て、左手を背中へ回し、上半身を軽く前に倒して優雅にお辞儀をした。

 

 その仕草は、まるで何百年も貴族に仕えてきた執事のように完璧だった。

 

 ……どこでそんな作法を覚えたんだろう。

 

 というか、さっきまで全裸で泣いていた子と同一人物とは思えない。

 

「う、うぅ……お、お嬢様は恥ずかしいですよぅ……。あ、あと、生涯尽くすとか、そんな大層なことは……」

 

 私はそこで言葉に詰まる。

 

 ヴァルターが、キラキラした宝石みたいな瞳でこちらを見ていたからだ。

 

「……よ、よろしく、お願いします」

 

「はい! お嬢様!」

 

 ヴァルターの顔が、ぱあっと明るくなった。

 

 お嬢様と呼ばれるたびに、背中のあたりがむずむずする。

 正直、慣れる気はまったくしない。

 

 でも。

 

 私をそう呼ぶヴァルターの声は、どうしようもないくらい嬉しそうだった。

 まるで、ようやく大切な役目をもらえた子どもみたいに、胸を張っている。

 

 ……そんな顔をされたら、やめてなんて言えないじゃないですか。

 

「お嬢様! さっそくですが、聞きたいことがあります」

 

「な、なんでしょうか?」

 

「お嬢様のお名前は、何と仰られるのですか?」

 

「……あ」

 

 名前。

 

 そういえば、私の名前。

 

 ……どうしよう。

 

 前世の名前が、思い出せない。

 

 頭の中をどれだけ探しても、そこだけぽっかり穴が空いたみたいに見つからなかった。

 

 思い出そうとすると、霧の向こうに手を伸ばしているような感覚になる。

 届きそうなのに、届かない。

 掴めそうなのに、指の隙間からすり抜けていく。

 

 

 ——それなのに。

 

 

 なぜか、不自然に1つだけ覚えている名前がある。

 

 本名ではない。

 

 たぶん……違う。

 

 でも、その名前を思い浮かべると、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

 あだ名……だったんだと思う。

 

 霧のようなおぼろげな記憶の中で、その記憶だけが小さな灯りみたいに残っていた。

 

「……アズール」

 

「……?」

 

 ヴァルターが、こてんと首を傾げる。

 

「ヴァルター、私の名前はアズールです」

 

 口に出した瞬間、その名前が自分の中にすとんと落ちてきた。

 

 そうだ。

 

 私は、アズール。

 

 今はまだ、それ以外の名前を思い出せない。

 でも、この名前だけは私のものだと言える気がした。

 

「これからは、アズールと呼んでください」

 

 自分に言い聞かせるようにもう一度そう告げると、ヴァルターの瞳が一瞬、嬉しそうに輝いた。

 

「かしこまりました。アズールお嬢様」

 

「……やっぱりお嬢様は取れないんですね」

 

 むずむずする呼び方ではあったけれど、それでも「アズール」と呼ばれた響きだけは、不思議と胸の奥に残った。

 

 ……確か、この名前をつけてくれたのは2人の友人だった。

 

 顔も、名前も、うまく思い出せない。

 

 けれど、楽しそうに相談する声だけは、かすかに記憶に残っている。

 

『本名はまずいでしょ』

 

『じゃあ、別の呼び名が必要ね』

 

『この人、放っておくとすぐ誰かを拾ってくるし』

 

『避難所とか、隠れ家とか、そういう意味がいいんじゃない?』

 

 ぼんやりとした記憶の中で、誰かがそんなことを言った気がする。

 

 避難所。

 隠れ家。

 安全な場所。

 

 ……いや、私を何だと思っているんですか。

 人間シェルターか何かですか。

 

 そう思ったけれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 むしろ、少し嬉しかった気がする。

 

 名前をつけてもらう。

 呼び名を決めてもらう。

 

 それは、仲間に入れてもらうことに少し似ている。

 

 そして、その2人はよく、呆れたように私をからかった。

 

『○○って、人間関係における重力井戸みたいなものですよね。近くを通った困りごと、厄介ごとは、大抵あなたのところに落ちてくるから』

 

『というより、自分から境界を踏み越えていくのよね。相手が困っていると見るや否や、遠慮も警戒も置き去りにして、ひょいっと内側に入り込むんだから』

 

 それから決まって、2人は声を揃える。

 

『お節介焼きにもほどがありますよ?』

 

『お節介焼きにもほどがあるわよ』

 

 それから決まって、2人は呆れたように笑うのだ。

 

 ……ひどい言い草である。

 

 いや、そんな会話を思い出したってことは事実だったんでしょうけど。

 

 

 とにかく、これからはアズールとして、この人生――いや、妖怪生を楽しんでみよう。

 

 ……本名を忘れているにしては、ずいぶん前向きすぎる気もするけどね。

 

 けれど、不思議と後ろを振り返る気にはならなかった。

 

 なくした名前より、今名乗った名前の方が、少しだけ重たく感じたから。

 

 ……そう思えてしまう自分は、少し薄情なのかもしれないけれど。

 

 まあ、妖怪——吸血鬼になったのだから、人間らしさが少しくらい薄れていても仕方ないですよね。

 

 

 ……と、ひとまず自分の名前問題に決着をつけたところで。

 

 私は改めて、目の前のヴァルターを見上げる。

 

 茶色のサラサラな髪。

 きれいな赤い瞳。

 狼の耳。

 ふさふさの尻尾。

 そして、私より少し背の高い少女の身体。

 

 うん。

 

 やっぱり、どう考えても気になる。

 

「ところで、ヴァルター。聞きたいのですが、貴方はなぜ女の子の姿になったのですか?」

 

 さっきまで狼男だったはずなのに、今は綺麗な茶色の髪をした可愛らしい美少女になってしまった。

 

 ……なってしまっただとか誤解を招きそうな言い方だけど。

 

 別に不満があるわけではない。

 むしろ大変すばらしい変化だと思う。

 

 さっきまでの大きくてもふもふしたTHE狼男って感じのヴァルターも素晴らしかった。

 

 大きくって。

 強そうで。

 もふもふふかふかな。

 おっきな狼。

 

 あれはあれで、だいぶ私の癖に刺さっていた。

 

 けれど、今は。

 

 ふわふわの獣耳。

 感情がだだ漏れになる尻尾。

 幼いながら超可憐な顔立ち。

 それなのに、話し方はやたら丁寧。

 立ち居振る舞いは妙にきちっとしていて執事っぽい。

 

 ロリ。

 ケモ耳。

 尻尾。

 執事。

 美少女。

 真面目。

 ……そしてちょっと泣き虫な印象。

 

 ……。

 

 これはいけない。

 属性過多である。

 

 もはや私の癖に対する暴力ですね、これは。

 

「どうしてなのかは私にも、よく分かりません。ただ一つ言えるとすれば、お嬢様に名前を頂き、お力を分けていただけたことで、私は種族としての狼男から人狼へと進化したようです」

 

 ヴァルターは両手を胸の前で合わせ、嬉しそうに目を輝かせる。

 

「これは、私にとって本当に嬉しいことでございます。お嬢様には、感謝してもしきれません!」

 

 正直、進化とか種族とか、分からないことだらけだ。

 分からないことだらけだけれど。

 

 ヴァルターが、こんなにも嬉しそうに笑っている。

 

 それだけは、私にも分かった。

 

「……おめでとうございます、ヴァルター」

 

 そう言うと、ヴァルターの尻尾がぴんと立った。

 それから、尻尾だけが左右にぱたぱた揺れ始める。

 本人はしれっとした顔で真面目な顔を保っているつもりなのに、尻尾だけがその内心を物語ってる。

 

 ……かわいいな。

 

 めっちゃ可愛いな、この子。

 

 

 でも、狼男だからてっきり男だと思って、執事っぽい名前をつけてしまった。

 

 今、目の前にいるのは明らかに女の子。

 しかも、とんでもなく美少女。

 

 今から改名するのも変だし、ヴァルターのままでいいのでしょうか。

 

 そんな私の心配を察したのか、ヴァルターは小さな身体で誇らしげに胸を張った。

 

「私の名前はヴァルター。アズールお嬢様に生涯忠誠を誓い、お嬢様を最大限サポートする執事です! これからよろしくお願いいたします!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ヴァルターは、胸を張ってこちらを見つめてきた。

 

 きりっとした顔。

 ぴんと伸びた背筋。

 誇らしげに揺れる尻尾。

 

 本人としては、きっと完璧な執事としての自己紹介をしているつもりなのだろう。

 

 けれど、私の目には。

 

 褒められたくて仕方ない子どもが、精いっぱい背伸びしているようにしか見えなかった。

 

 ……はぁ、はぁ、はぁ。

 か・わ・い・す・ぎ・りゅ!!!

 ぎゅっとしたいぃぃ!!

 ぎゅっとしてなでなでなでなでしたいぃぃ!!!

 

 ……いや、待て待て待て待て。

 ここでぎゅっと抱きしめに行くのはさすがに早い。

 

 ギャルゲーで言えば、まだ出会ってイベントを1つ終えたばかりの段階である。

 いきなり抱きしめるなんて、選択肢を間違えたら好感度が爆下がりするやつだ。

 

 落ち着け、私。

 深呼吸です。

 

 すぅ。

 はぁ。

 

 ……。

 

 うん、無理。

 可愛いものは可愛い。

 

「ヴァルター」

 

「はい、アズールお嬢様!」

 

「少しだけ、失礼します」

 

「はい? 何を――」

 

 最後まで聞く前に、私はシュババっと両腕を伸ばした。

 

 そして、ヴァルターをぎゅっと抱きしめる。

 

「ふぁっ!?」

 

 ヴァルターの耳が、ぴこんと跳ねた。

 

 尻尾も、びくんと大きく揺れる。

 けれど、逃げようとはしなかった。

 

 むしろ、最初こそ驚いて固まっていたものの、少しずつ肩の力が抜けていく。

 ローブ越しに伝わる体温は、思っていたよりずっと温かかった。

 

「お、お嬢様……?」

 

「すみません。ちょっと、我慢できませんでした」

 

「が、我慢……?」

 

「はい。ヴァルターが可愛すぎるので」

 

「か、かわっ……!?」

 

 ヴァルターの顔が、一瞬で真っ赤になった。

 

 耳の先まで赤くなっちゃって。

 尻尾が忙しなく左右に揺れている。

 

 ……だめだ。

 

 可愛い。

 これは可愛い。

 助けてください。

 私の理性が息をしていません。

 

「お、お嬢様。私は、その、執事ですので……このように抱きしめられるのは、少々、その……」

 

「嫌ですか?」

 

「い、嫌では、ありません!」

 

 即答だった。

 

 ヴァルターは自分で言ってから、さらに顔を赤くする。

 

「た、ただ……どうすればいいのか分からないので……」

 

 その声は、さっきまでの涙とは違う震え方をしていた。

 

 くすぐったくて。

 恥ずかしくて。

 それでも、手放したくないみたいな震え方。

 

 私は少しだけ腕に力を込める。

 

「では、慣れてください」

 

「な、慣れる、ですか?」

 

「はい。これから先、ヴァルターが頑張ったら撫でます。可愛かったら抱きしめます。泣いていたら、たぶんまたどうすればいいか分からなくなって、とりあえず撫でます」

 

「そ、それは……執事として、たいへん励みになります。……な、なります、けれど……あの、こ、心の準備が……」

 

 ヴァルターは視線を右へ左へ泳がせながら、ローブの胸元をきゅっと握りしめた。

 どう見ても、動揺している。

 

 ……ああ、もう。

 

 そんな顔をされたら、こちらまで照れてしまうじゃないですか。

 

「……では、よろしくお願いしますね。私の執事さん」

 

「……は、はい」

 

 ヴァルターは、私の肩口にそっと額を寄せた。

 

 ほんの一瞬だけ。

 それでも確かに、自分から寄りかかるように。

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。アズールお嬢様」

 

 その声は、まだ少し恥ずかしそうで。

 

 けれど、どうしようもなく嬉しそうだった。

 

 私はその声を聞きながら、腕の中にいる小さな温もりをそっと確かめる。

 

 お嬢様と呼ばれるのは、まだ少し恥ずかしい。

 

 生涯忠誠なんて言葉も、正直かなり重い。

 

 でも。

 

 この子がその名前を誇らしそうに抱えているのなら。

 

 私がつけた名前で、こんなふうに笑ってくれるのなら。

 

 ちゃんと大切にしなければいけないと思った。

 

 名前も。

 笑顔も。

 この子自身も。

 

 そう思いながら、私はそっとヴァルターの頭を撫でた。

 

 もう慰めるためではない。

 この子がここにいてくれることが、ただ嬉しかったから。

 

 ヴァルターはくすぐったそうに目を細めて、ほんの少しだけ私に身を寄せた。

 

 それから、花が咲くみたいに笑った。

 


To call someone by name is to tell them again and again that they are still here.

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