Asyl perspective
「は、はぁ♡……はぁ♡……お、お嬢様ぁ……。も、もう、やめへぇ♡……」
夢中でヴァルターのふわとろな身体を堪能していた私の耳に、甘く蕩けた吐息が届いた。
はっと我に返って視線を落とすと、頬を林檎のように紅潮させたヴァルターが、小さな体をふるふると震わせながら、潤んだ瞳で私を見上げている。
その瞳には薄っすらと涙の膜が張っていて——ああ、これは完全にやりすぎた。
「……ヴァルター。そ、その、本当にごめんなさい! つい、興奮しちゃって……」
魔法の話でテンションが爆上がりして、ヴァルターのふわっふわなしっぽや、ぴこぴこ動く柔らかな耳を存分にもふもふしながら遠慮なく堪能してしまった……。
気づけば目の前には、顔を真っ赤にして小さな舌をちょろっと出し、肩で息をしながら虚ろな目で宙を見つめているヴァルターの姿。
——あ、この表情はマズい。
今のヴァルターの表情には、公共の場では絶対に見せてはいけない種類の恍惚感が滲んでいる。
もし誰かに見られたら、私が何か怪しいことをしているように誤解されかねない。いや、確実に誤解される。
なでなでしてもふもふしてただけなのに……!
慌てて周囲に人がいないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろしながら、そっと手を引っ込めた。
私の手から解放されたヴァルターは、その場にへたり込んで——ビクン、ビクンと波打つように小さな身体を震わせている。
……目を蕩けさせて、舌を出して、顔を赤らめて、息を荒げて、力なくペタンと座り込んで、ビクンビクンと震えて……。
一見すると……その……何というか……すごくいけないワンシーンみたいで……。
——えっ、ちすぎる。
……いやおかしいです!
私は何もやましいことはしてないです!
ただもふもふしてただけ!それだけ!
本当にそれだけなのに、なんでこんなことに……!
「お、お嬢様……」
ヴァルターが潤んだ瞳で私を見上げてくる。
その視線があまりにも危険すぎて、私は思わず顔を背ける。
と、とりあえず——ヴァルターのふわふわで、触るだけで幸せになれそうな尻尾やお耳を撫で回したくなる欲求を、ぐっと必死で抑え込む。
ヴァルターはまだ息を整えている最中で、とても話せる状況じゃなさそうだ。
落ち着くまで、さっき彼女が言いかけていた言葉について、ゆっくり考えてみることにした。
——『……身体を洗い清めるのであれば洗浄魔法もありますし、私は使うことができるので……』
ヴァルターが何気なく発した、「魔法」という言葉。
その響きが、私の胸の奥で何かを揺さぶった。
確かに前世の記憶の中にも、魔法と呼ばれる現象は存在していた。
現実的ではないけれど——だからこそ——確かに、そこにあったはずの現象。
でも、そのほとんどが私の生きていた時代には科学という名の刃で切り捨てられ、社会から淘汰され、やがて絶滅した。
人々の大半は、魔法という存在を無意識に否定していた。
意味も分からず、興味を持つこともなく、ただ忘れ去っていった。
——でも、私は違った。
そんな忘れ去られた魔法を含めた、【幻想の存在】を——私は、追い求めていたんだ。
関連する書物を片っ端から読み漁って——誰も信じてくれないような話に心を躍らせて——夜通し資料を調べて……。
……いたような、気がする。
自分のことに近づくにつれて、記憶は霧のように曖昧になっていく。
まるで物語の主人公が自分の過去を思い出そうとすると「ん?なんだっけ?」ってなる、あのお約束みたいに。
でも——それでも。
消えかけた記憶の奥底から、確かに伝わってくるものがある。
前世の私は、魔法が——本当に、心の底から、大好きだったんだ。
つまり! 今、私が考えるべきことは——たったひとつ。
ずばり、魔法のこと!
知りたい!
使ってみたい!
研究してみたい!
もう、とにかく! 魔法と呼ばれる現象に、心の底から興味をそそられる。
胸の奥がざわざわして、じっとしていられないくらいに。
だって、前世では魔法に関する記録のほとんどが
図書館の奥の奥、誰も手に取らない埃まみれの棚に、ほんの僅かに残された断片的な記述——それを必死で探し回っていた記憶がある。
というか、もしかしたら私は、前世ではオカルトの中でも特に魔法オタクだったのかもしれない。
いや、絶対そうだ。そうに違いない。
——それに。
前世の記憶がどうとか、そんなの関係ない。
今の私が、魔法を求めているんだ。
うじうじ考えるまでもない。
早く、魔法に触れたい!
知りたい!
使いたい!
「……ふう、ふう、ふう。……ア、アズールお嬢様。すみません、落ち着きました」
魔法のことで再び興奮しそうになっていた私だったが、ようやく抜けた腰が戻ったらしいヴァルターの声を聞いて、思考を一旦止めることにした。
「ヴァルター、大丈夫ですか?」
「はい。ですが、もういきなり耳と尻尾は触らないでいただけると助かります……。この身体だと特に、変な心地良さで……おかしくなりそうなので……」
そう言いながら、尻尾を股の間に必死で隠し、お耳を両手でぺたんと押さえつけるヴァルター。
ちょっとトロンとした表情をしながらも、まるで私を責めるかのようなジト目でこちらを見ている。
その瞬間。
——んんんんんんんんっっ!!!
——かわ゛い゛い゛!!
脳内で何かが弾けた。
すぐさま押し倒してお耳や尻尾を弄り倒してしまいたい——そんな嗜虐心を容赦なく抉ってくるヴァルターの仕草。
魔法への興奮も併せて、脳内が爆発寸前だ。
「……すみません。以後、気をつけますね」
押し倒してしまいたい欲求を、とてつもない精神力で抑え込んで、何とか言葉を絞り出す。
……ふぅ。
吸血鬼(仮)の超速思考と精神力に助けられた……。
危なかった。本当に危なかった。
……まったく。ヴァルターはまったく!
私が吸血鬼(仮)じゃなければ、理性が爆発して押し倒して(尻尾やお耳を)弄り倒して、ひぃひぃ言わせてしまうところですよ。
本当に。
マジで。
「……あぅ。……いえ、その……いきなりでなければ……触っても、大丈夫なので…………」
——え。
——え?
「……え!?」
——んんんんんんんんっっ!?!?
今、何て言いました!?
これは、もしかしてもしかすると——私に触られるのは嫌いじゃないってことで、それはつまり許可があれば触りまくってもOKということで、ということはヴァルターもまんざらでもなかったということで、それならば……!
吸血鬼(仮)の超速思考が最高速で回転する。
思考の声が早口でぐるぐると巡る。
脳内BGMは「フライト・オブ・ザ・バンブルビー」だ。
——よし。
とりあえず、手をわきわきとさせながら、ヴァルターにゆっくりと近づいていく。
……ヴァルターが悪いんですよ?
そんな可愛くて魅惑的な尻尾とお耳を、ゆらゆらとさせて……。
触るなという方が無理な話です。
……さぁ、ご近所さんのワンちゃんを一匹残らずヘロヘロに籠絡させたことのある私の、ナデナデの秘技を見せてあげます…………ぐへへへへへ。
そんなよだれを垂らしそうなだらしない顔をしているであろう私の様子を見たヴァルターが、ぱっと顔を青くして後ずさった。
尻尾がピンと立ち、お耳が警戒するようにピクピクと動いている。
「ア、アズール様! い、今はダ、ダメです!……ほ、ほら、夜明けも近いですし! 今は拠点を探しに行きましょう?……そ、そういうことは、また、夜更けの落ち着いた時に……」
涙目になりながら必死に言うヴァルター。
——ぐぬぬぬぬぬ。
——涙目のヴァルターもかわ゛い゛い゛です!!
もう、ダメだ。理性が持たない。
このまま押し倒して——。
——いや、待て。
待て待て待て、私。
……同意がなければ、例えなでなでスキンシップだとしてもセクハラ……というか犯罪だ。
……深呼吸。
……ふぅ。
落ち着け、私。落ち着くんだ。
「……分かりました! ヴァルター。じゃあ、また落ち着いた時にナデナデの続きを……」
またもや吸血鬼(仮)の超速思考と精神力に助けられた。
本当に、この能力には感謝しかない。
この体になってから不思議な能力が次々と発覚しているけど、この自制心の高さはかなり便利だ。
普通の人間だったら、こんなにフワフワした耳と尻尾を目の前にして理性を保てるはずがない。
……絶対に。
「……は、はい。かしこまりました、アズールお嬢様」
ヴァルターは少し恥ずかしそうにうつむき、ふわふわの耳をピクピクと震わせながら返事をした。
その仕草があまりにも愛らしくて、思わず頬が緩む。
——よし。
落ち着いた時には、たっぷりとヴァルターをなでなでして、ヘロヘロに攻略してやります。
そう心に誓いながら、私はヴァルターの隣に並んだ。
「それで、アズールお嬢様。拠点なのですが、一つ当てがあります」
脳内がもふもふお花畑状態になってしまって夜明けの危機を完全に忘れていた私に、ヴァルターが拠点について提案をしてくれた。
「おぉ! 当てがあるんですか! それは助かります!」
正直言って、この世界のことは何もわからない。
前世の記憶と多少似通った部分はあるけれど、言わばここは前世とは全く別の世界。それも私が生きていた時代よりも1500年以上昔の時代だ。
そんな状況で、この世界の住人であるヴァルターの存在は、異世界人も同然の私にとって命綱のような存在だ。
「今私達がいるこの森は【まどいの森】と呼ばれています。名前の通り、人や妖怪の方向感覚を狂わせる魔力が満ちた広大な森です」
ヴァルターの口から語られる地名に、思わず胸が高鳴る。
まどいの森だなんて、まるでRPGゲームの序盤のダンジョンみたいな名前じゃないですか!
「この森の中心には高く盛り上がった山があり、妖精が多く生息していることから【妖精の山】と呼ばれています。その山の中腹に行けば、私の言う当てがあります」
妖精の山……!
ますますファンタジーRPGな雰囲気が濃厚になってきました。
妖精って、小さくて羽のあるあの妖精でしょうか?
ティ◯カーベルみたいな?
いやいや、暫定ファンタジーRPGみたいなこの世界だと、ゼ◯ダの伝説に出てくるような光の玉かもしれないですね。
この世界に来てから不思議なことばかりでお腹いっぱいだったけれど、こういう夢見ていた世界の名前を聞くと、少しワクワクというか、かなりワクワクする!
前世でゲームやアニメでしか見たことなかった世界に、今実際に立っているんだから!
……でも、こんな森の奥深くで私達が今いる場所もわからないのに、どうやって目的地まで行くんだろうか。GPSもないし、スマホの電波も当然ない。それに方向感覚を狂わせる森だなんて、迷うこと間違いなしだろうし……。
あいにく私には、星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる便利な眼なんてものも持ち合わせていないし……。
「……なるほど。でも、その山の方角というのが分からないのですが、どうしましょうか。ここでは木に隠れて山はおろか空もあまり見えないですし……」
「……? 何を言っているのですか? お嬢様? 飛べば良いではないですか」
ふわり
「へ?」
なんでもないかのように、空にふわりと浮かんだヴァルターに、突然の事で唖然となった私は固まる。
「ヴァ、ヴァルター!? 空に!? えっ? どうやって飛っ!? うぇ!?」
「お嬢様、落ち着いて下さい。お嬢様は飛び方をご存知ないのですか?」
ヴァルターは空中でくるりと可愛らしく回転し、首を傾げながら私を不思議そうに見てくる。
そんな空にプカプカ浮いているヴァルターのローブの中は全裸美少女なので、下からの光景には見えちゃいけない大事なものがモロモロ見えちゃっている。
……が、しかし、空に浮かんでいることにビックリするやら興奮するやらで落ち着きがない私は、その事を指摘出来ずに思考停止してしまう。
尻尾がゆらゆらと空中で揺れ、その先端が描く軌跡に思わず目が奪われる。
しかし、それよりも衝撃的なのは「飛び方を知らない」という問いかけだ。
まるで「呼吸の仕方知らないのですか?」と困惑されながら聞かれているような感覚。
「ど、どうやって、飛んでいるのですか!? 揚力は? 重力は? 物理法則はどうなってるんですか!?」
前世の常識が頭をよぎり、思わず科学的な疑問を口にしてしまう。
「お嬢様、落ち着いて下さい。じゅうりょく?やらぶつりほうそく?やらはあまりよくわかりませんが、妖力や魔力の使い方は分かるはずです」
ヴァルターは困惑した表情を浮かべながらも、優しく説明を続けた。
「貴方様は吸血鬼です。魔力や妖力を用いて空を飛ぶことは、呼吸をするように当たり前のことなのです。空を飛ぶ方法は単純です。自分が空を飛ぶ姿を当たり前のように思い描くだけ。全ての魔法の根源たるエネルギーは意思や想像の力であると、私に魔法を教えてくれた先生は言っていました」
ヴァルターの言葉にハッとする。
そうだ!
私は前世でも魔法やオカルト、幻想を追い求めていたんだ!
幻想を追い求める者が、無粋な物理法則や世界の常識に囚われていては本末転倒なんだ!
身体や記憶に刻まれた
私は空を飛ぶ事が出来る!!
だって、私は吸血鬼なんだから!
自由自在に空を飛びまわる事の出来る、幻想たる存在なのだ!!
ふわり
自分が空を飛ぶ姿を、超速思考の中で何度も何度も思い描いた。
地面から浮かぶ足、風を切る体、雲に手が届くような感覚——。
すると、不思議なことに体が軽くなり、足元から浮力が生まれるのを感じた。
前世の記憶に縛られた常識が解き放たれ、身体が宙に浮かび始める。
地面から足が離れた瞬間、全身に電流が走ったような感覚。
重力という鎖から解放された体は、まるで水中にいるような、いや、それよりもずっと自由で軽やかな浮遊感に包まれた。
風が頬を撫で、髪が宙に舞い上がる。
これが、空を飛ぶということ——。
「すごい! すごい! すごいです! きゃー! 私空飛んでますよ! ヴァルタァァァー!」
「ちょっ、まっ、お嬢様!?」
歓喜に身を任せ、私は空中に浮かぶヴァルターに向かって突進した。
勢いのままに彼女に抱きつき、その柔らかな体に頬を寄せる。
そして、どさくさに紛れて、ふわふわの耳と尻尾に手を伸ばした。
「ひぁ♡ お、お嬢様♡ んんあっ♡……や、やめ♡」
ヴァルターの耳がビクンと跳ね上がり、尻尾が一瞬でピンと伸びる。
その反応があまりにも愛らしくて、思わず撫で続けてしまう。
猫じゃらしに反応する子猫のように、ヴァルターの耳と尻尾が私の手の動きに合わせて踊る。
指先に伝わる柔らかな感触と、ヴァルターの甘い吐息が混ざり合って、なんとも言えない背徳感と満足感が胸を満たした。
もちろん、この後すっごく怒られた。
「お嬢様の初飛行をお祝いしたいところですが、まずはマナーについて厳重注意です!」と説教30分コース。
説教中はいつ夜が明けるか内心ビクビク震えていたが、ちょっと本気で怒ってる様子のヴァルターが怖くて言い出せなかった。
でも、土下座して謝ったら優しいヴァルターはお触り禁止令を解いてくれた。
ただし「度を超えたら本気で怒りますよ」と釘を刺されたけれど。
……ヴァルターは怒らせると怖い……覚えておかないと……。
……でも、ふ、ふふふ、どこまでが「度を超える」のか、その境界線を探る旅が、これから始まる予感……楽しみです!
そして何より、空を飛べるようになったことで、この異世界での冒険がまた一歩、前に進んだような気がした。
【あとがき】
以前まで17000文字の話になってしまっていた第8話ですがお話を3つに分割しました!