吐いた唾はもう呑めぬ。
疑いの目を深めるフェルトに、もはやスバルの言葉は対案無くして信じられる物から道端に転がるゴミに変わった。
そのスバルが、瞳に何か攻撃的な雰囲気を宿らせている。これ以上は隠すこともできないと、ライトはフェルトの前に手をかざして、スバルの目線が自分へと移るのを確認。
「なんで、来翔まで……」
「違うんだ昴。俺は疑ってない。でも、もう本当のことを言った方がいい。言わないなら俺が言う」
「……白い兄ちゃんも関係者なのか」
「ごめんフェルトちゃん。でも悪気があってしたわけじゃ──」
推論が外れたフェルトがライトの左手を掴んでスバルの元へつき飛ばした。
ライトが転びそうになるのを止めながら、仲間が再び戻ったことに安堵するスバルを見て、フェルトとロム爺に目を移す。
今この場に必要なのは、なんとかして彼女からの信用を取り戻して、この場の空気を取り持つことだ。
だが、いまいち決心できないスバルが言葉を濁す。
「時間がないんだ。頼むフェルト」
「頼まれてもな。アンタらを交渉相手としては認めるよ。でも依頼人の意見を聞かなくちゃフェアじゃねー。徽章の本当の価値を話して、相応の対価を用意するなら、話は別だけど」
スバルが焦る理由はわからない。でも、今の最善の選択は己のうちを隠しながらも依頼人の話を聞くことだろう。
少女の瞳を見る。そこにあるのはライトたちの態度から真実を掴み取ろうとする懸命な意志だ。
フェルトの言う関係者。これがどう言うものかは知らないが、徽章に関係したものだ。これを機にフェルトたちを牢に入れようと思われているのは心外にも程がある。ライトとスバルはただ徽章を返したいのだ。
「俺がそれを欲しがるのは……元の持ち主に返したいからだ」
「は?」
持ち主へと。
今できる有力な選択肢。本音をこぼす、スバルの持つ最大の誠意だった。
「俺はそれを持ち主に返したい! だからそれを欲しがってる。それだけだ! 頼む!」
「俺からもお願いだフェルトちゃん。俺はスバルを信じるし、徽章をなくして困ってる人がいるから協力したんだ!」
目を見開くフェルトに対し、スバルとライトはそう言い切り勢いよく頭を下げる。
敵意を持って威嚇してくる赤い双眸に空気が重くなることを感じるが、それでもライトたちは頭を下げ押し黙る。悪ふざけも何もない、誠意だけがそこにあった。
「……フェルト。どうも小僧らが嘘をついてるようには見えんが」
「ロム爺までほだされんなよ。冗談に決まってるだろ? 持ち主に返す? 大金まで払って盗んだ相手から買い戻してかよ? 馬鹿馬鹿しい。衛兵でも連れてきて、アタシをとっ捕まえれば済む話じゃねーか」
確かに、スバルと初めて出会った時に衛兵、ラインハルトに出会った。だが、スバルは決して彼に頼ろうとする素振りも見せることはなく、目の前に出された厚意にすら断ったのだ。
「違う、違うんだよフェルトちゃん。俺たちはただ徽章を返したいそれだけのためで……」
「つくならもっとマシな嘘をつけよ。真剣なフリして騙されねーよ。そうじゃなきゃアタシは……そうさ。アタシは騙されない!」
何もかも振り切るように、フェルトが言葉を吐き捨てる。
ロム爺はその彼女の胸中を知っているのか、フェルトへ向ける表情は痛ましげだ。
この頑なな態度で、フェルトが心変わりを禁じていることがわかる。
つまり交渉は、失敗してしまった。
「──誰じゃ」
ロム爺が表情を変え盗品蔵の入り口を見たその時だった。
誰かが来た。ロム爺のその反応に遅れる中、ライトは膝から崩れ落ちるスバルを受け止める。
何事かと思い彼の顔を覗き込みライトは異常さに息を呑む。焦燥感に駆られ、その結果交渉は決裂。その落胆とは思えないほどに、スバルの状態はひどいものだった。
尋常ではない汗が彼の肌をつたい、髭汗が湧いている。その呼吸は浅く今にも気を失いそうなくらい体を凍え震わせていた。
「アタシの客かもしれねー。まだ早い気がするけど」
フェルトが扉の方へ向かい、未だ収まることのない怒気を宿らせるままノブに手をかける。
客。その言葉にライトが連想するのは依頼主。ついにご対面の時が来た。スバルを床に丁寧に座らせ入り口に体を向けようとした時、袖を強く引っ張られ床へと手をつく。
「どうしたんだよ昴……」
「──開けるな! 殺されるぞ!!」
スバルの静止の声にライトの体が強く揺れ動く。ライトは現実を受け止めるように固く目を閉ざすスバルを見て固唾を飲んだ。
彼をここまで怯えに怯えさせ震わせる正体とは誰なんだ。
思考を巡らせる暇も与えてはくれない。フェルトの手がノブを回して、押し開かれる扉の向こうから夕日影がこの盗品蔵のコントラストを鮮明なものにした。そして、
「──殺すとか、そんなおっかないこといきなりしないわよ」
仏頂面でドアの陰から出てきた、返すべき相手、銀髪の少女がこの蔵の中へと足を踏み入れた。
「よかった、いてくれて。──今度は逃さないから」
踏み込んできた少女にフェルトが声もなく後ずさる。
それも当然だ。盗んだ相手が粘り強くここまで辿り着いたのだから。
「ホントにしつこい女だな、アンタ。いいかげん諦めろっつーのに」
「残念だけど諦められないものだから。……大人しくすれば、痛い思いはさせないわ」
忌々しさに歯軋りしそうなフェルトに対し、彼女の言葉はかなり冷たい。
時刻は夕刻で、果物家の主人が見た昼の時間なら随分と早い特定だ。
危機迫る空気に変わりつつあるこの蔵の温度差で、ライトは身震いを抑えられそうになかった。
「ってことはこの子、俺がいなけりゃこんだけ早く辿り着けたってことか」
隣にいるライトにも聞こえない声量でスバルがそう呟く。
後ずさるフェルトはすでに部屋の中央、ライトとスバルを通り過ぎて奥に移動し、銀髪の少女は自然な流れで手を前に向ける。
その瞬間、蔵の中から冷気が立ちこみ始め空気のひび割れる音が鳴り響く。彼女の前方、ここにいる全ての人物を標的とする氷柱が生み出された。
「私からの要求は一つ。──徽章を返して。あれは大切なものなの」
宙に浮かび、こちらの動きを観察するように先を向ける氷柱は八本。先は丸く非殺傷のものだと言うのはわかるが、町の大通りで見たあの威力が内包されているのだとしたら昏倒は必須。
必然、この氷柱がすでに自分やスバルにも向けられていることに顔が引き攣るとともに、ライトはその場から一歩も動けずにいた。
「むぅ……ただの魔法使い相手なら儂も引いたりせんが、この相手はマズイ」
「なんだよロム爺! ケンカやる前から負け認めんのか?」
明らかに不味いだろう。この場を命からがら逃げようにも射程距離は見ての通りわかる。
ライトが心配することとは裏腹にロム爺は挑発的なフェルトを嗜めて警戒態勢の銀髪の少女を見やる。
見下ろすロム爺の双眸は強い警戒と、それを上回る畏敬が込められていた。
「お嬢ちゃん、あんたエルフじゃろう」
「エルフ」
唇を震わせて問いかけるロム爺にライトの口が開き、スバルは顔を上げてしまう。
ロム爺の問いにしばし瞑目したエルフが、小さく吐息した。そこにはどこか諦めたような雰囲気が乗せられていて、
「正しくは違う。──私がエルフなのは、半分だけだから」
「ハーフエルフ……それも銀髪!? まさか……っ」
「他人の空似よ! ……私だって迷惑してるもの」
ハーフエルフと聞いてライトは眉を寄せる。世界観によってその種族は扱いが異なる。人間とエルフの特徴を中途半端に持っているが故にその双方から迫害されている、とゲームの知識で知っていた。
しかし、ライトが事前に知っていた知識からくる原因とは違うようだ。何かの違和感。『銀髪』に一体どういった意味があるのか。
「兄ちゃんたち。さてはまんまとアタシをはめたな?」
「は!? いや俺は何も……」「え?」
「持ち主に返すとかおかしなこと言いやがるから怪しいとは思ってたんだ!」
「……? どういうこと? あなたたち仲間じゃないの?」
フェルトとライトたちが仲違いするのを視界全体に入れて、銀髪の少女が疑問を投げかける。
氷柱の監視は未だ緩んではおらず、疑いに揺らぎがあるのなら少しは話に参加する空気までに戻してほしい。だが、ライトは少なからずこちらに形勢が傾いてきているのを肌で感じた。
それはスバルにも感じ取ることができたようで、彼がゆっくり立ち上がるのを見てライトも続く。そして気づく。彼女の胸元に赤い花飾りが付けられていることに。
「ふ──」
「……?」
「なんだよてめー! 何笑ってやがんだ!」
何かスバルが笑ったような気がしたのだが、フェルトによって杞憂ではないことに気づく。今の状況に笑う要素はないだろうと思い抱くライトなのだが、
「まぁまぁ、いいじゃねぇか。フェルトは徽章を返してやれよ。そんでサテ……君は早くここから出てく。もう盗られたりしないようにな」
「何で親身になってくれてるの? 私すごーく釈然としないんだけど」
「納得いかねーのはアタシも一緒だよ。兄ちゃん、アンタ、何なんだよ?」
手を叩いたスバルによって全員の視線が向かう。注意を向けて彼が有耶無耶にするのを失敗し、逆に集中砲火を受けて皆の視線で穴が開きそうになる。
困ったようにスバルがライトに向いて助けを求めるのだが、こちらにどうしろと言うのだろうか。自分でやったことの責任は自分でとってもらいたい。それでもこのまま平行線になるのは埒が開かないため、ライトはスバルの肩に手を乗せる。
「えぇっと……俺たちは、街の大通りで大事なものが盗まれた少女がいたって聞いて、それで探して君に返そうと思ってここで商談してたんだ」
「あなた達、私とどこかで会ったことあるの? 見ず知らずの人の物を探して返そうとするなんて、すごーく変な人」
「あぁ違うんだ。こいつは俺に協力してくれたっていうか、むしろ俺が君に助けられた恩で……いや、俺は………っ!」
ライトの身分開示で場が更に先ほどとはまた違う可笑しい空気に変わりそうになって、スバルが訂正しようとするのだが息が詰まった。
彼の危機迫った眼を見て異様に思うライトだが、その真実はすぐそこまで迫っていた。
「──パック! 防げぇッ!!」
艶然とした笑みが背後に音もなく近づき、彼女の白い頸へと夕日で反射する鉄色が捻転するように襲いかかる。瞬間、首筋から血が滴り落ち床へボーリングほどの重さのモノが床へと飾られる。
ーースバルの声がなければだ。
ジャストミートとも言える。金属の叫ぶような音が室内を響き鼓膜を震わせる。一つ遅れて反応する少女の後ろには氷晶の障壁が展開され、白いうなじを完璧にその凶刃から守り通していたところだった。
少女の反応に反したこの防御。一体何が起こったか。ライトが警戒を張り巡らしながらもハーフエルフの少女を見ると、彼女の銀色の髪から灰色の子猫が出現している。ふふんを得意げに鼻を鳴らす一匹がスバルを見ると、
「なかなかどうして、紙一重のタイミングだったね。助かったよ」
「猫が喋った!?」
「ナイスパック。まだ五時前勤務時間内で助かった。あんがとよ!」
言語を発する子猫、パックに驚かされるも当のスバルが特に気にも留めない様子でサムズアップをしていた。
状況に乗れていないライトは心配するも少女の命を脅かした正体にこの驚きを向けるべきだと気を取り直す。
奇襲が防がれまんまと失敗し、蔵の客人五人から離れたところに着地した襲撃者は、
「──精霊、精霊ね。ふふふ、素敵」
悪びれもせずに己のペースを保ったまま顔を上げていくと、夕陽照らされわかる。
その人物は、
「精霊はまだ、お腹を割ってみたことないから」
貧民街でぶつかり、二度と会いたくないと思いながらも再会を約束し別れた。
「なんで……こんなっ」
エルザ・グランヒルテだった。