彼女たちは如何に。
月明かりがこの場を照らす。
淡く輝く青い光──癒しを司る水の波動を遠目で見ながら、ラインハルトは周囲に気づかれないほどささやかな吐息をこぼした。
端正な横顔には憂いが浮かび、戦いの名残がかすかに装いが残っている。廃墟のように荒れた広場に差し込む月光が、佇むものに脚光を浴びせて一枚絵のように写している。
その立ち振る舞い。ラインハルト自身には言葉を尽くせないほどの疑念があった。
「ライトの体……見た目よりもひどい」
瞑目し、惨状に思索にふけるラインハルトの鼓膜に焦燥感の漂う音色が届く。
額をぬぐい、尚も眠り続ける少年を床へと移すエミリア。関節部へと両手を伸ばし、再び青い光がライトを包み込む。
幾ばくかの時が流れ、ライトの青いズボン。裾を捲り足首を確認すると「うん」と納得のうなづきで振り返る。
「治療は完了。これで普通に暮らす分には動けるはず……」
「どうされたのですか? エミリア様」
一仕事を終え、息を吐くエミリアだが、その顔には懸念が残っている。足早に歩み寄り、ラインハルトは床で眠る、感情の宿っていないライトを一眼写した。
銀色の髪を揺らし、紫紺の目がラインハルトへ向く。
「彼の──ライトの体……関節の筋肉が無理やりちぎれた感じになってたの」
「それは……しかし治せたのでしょう?」
「うん。動けるはずなんだけど……ライト、普通の人よりも大気中のマナを取り込んでるみたいで……」
白い衣を翻し、ラインハルトはライトを注視する。すると、少しづつだが大気中のマナがライトに集まり、取り込まれているのがわかる。
「別に問題があるわけじゃないの。ただ、さっきの戦いで、精霊使いでもないのに大気中のマナを使うのが不思議で……」
「そうなのですか」
大気中のマナを使い魔法を行使する。それは精霊術師の使う精霊魔法に該当するものだ。二人がライトを見るが先の指摘以外、特に変わったように見えない。
首にかかる物が月明かりに照らされ光を反射し、刻まれている文字がエミリアの目に止まる。それはこの国でよく見かける公用語だが、見かけない動物の横顔が気になった。
「その上でエミリア様──」
少女の足元に膝をついて頭を垂れるラインハルト。その動作には何一つ淀みのない格式に則った正しい姿勢だ。
「此度は自分の至らなさにより、エミリア様に多大な心労をおかけいたしました。この失態に対する罰は如何様にもお受けいたします」
立てた膝の前に腰に預けていた剣を置き、ラインハルトは己失態を謝罪する。
騎士としての最大の謝罪の示し。いかなる罰が待っていようとそれを甘んじて受け入れる覚悟がラインハルトにはあった。
だが、首を傾げてきょとんとした少女は、
「そういうところ、よくわからないのよね、あなたたちって」
「はい?」
「危ういところを助けにきてくれて、こうしてみんなが無事に切り抜けられた。それなのに、その間の苦労や痛みの責任まで全部抱え込もうとするんだもの」
エミリアは優しげな雰囲気を宿す瞳をライトの隣で安らかな寝顔を浮かべているスバルに向ける。
「あの子の方がよっぽど素直じゃない。助けてやったんだからお礼よこせ、って言ってきたぐらいなんだから」
「全然欲張りじゃないお礼だったけどね」とエミリアは後付けする。
名前を教えて欲しい、とスバルが格好つけて言っていたのはラインハルトも見ていた。思い出し笑いを浮かべるエミリアに思わずラインハルトの唇も綻びかける。
「だから、助けてくれてありがとう。ーー私があなたにいうのはそれだけ。罰が見当たらないから罰を与えない納得できないなら、また次に助けるときうまくやって」
「──わかりました。そのお言葉、ありがたく」
より首を垂れて、それから立ち上がるラインハルト。
互いが向き合えば、ラインハルトの方がはるかに高く、エミリアを見下ろす形に。だというのに先ほど感じられたあの大きさは一体なんだったのか。
やはり『選ばれている』に足りる人物なのだとラインハルトは己の狭量さを推し量る。
「ところでエミリア様。彼──スバルとライトとはどう言うご関係ですか?」
「行きずり?」
迷いなくそう告げられてラインハルトは興醒め。
カチンと固まるラインハルトが面白かったのか、エミリアが唇を綻ばせる。
「ここで、ついさっき会ったのが初めてのはずなんだけど」
「ですが、彼らはあなたを捜していました。渡したいものがあると」
「だから不思議なのよね」と言い、考えるように顎に指を添えるエミリア。
床で並んで眠っている二人の処遇についてが問題となる。瞬きを二回、そうして考えがまとまったラインハルトが彼らの今後について話そうと、エミリアに向き直る。
「彼らの身柄はどうしましょうか。よろしければ当家の方で、客人として扱いますが」
「……ううん。こっちで連れ帰ります。そのほうが事情もはっきりするし。それよりも──」
言葉を切り、後方へと意識を向けるエミリア。彼女が顔を向ける先には未だ意識の戻る気配はないものの血色が良くなったロム爺。そして、その老人を気遣いそっと撫でるフェルトだ。
「あの女の子やお爺さんはどうなるの?」
「職務上、見逃すことはできない部類であると考えます。ですが」
間を開けて息継ぎ、肩をすくめるラインハルトが手をふらふらとさせて、何も持っていない、
「あいにく自分は、今日は非番でして」
「ふふっ。悪い騎士様ね」
「恐れ多くもこれが騎士の中の騎士なんて呼ばれている男の本性ですよ」
そう。休日のラインハルトには本来このような騎士としての職に準ずる必要なんてない。これはラインハルトがやりたいと思ってやった結果なのだから、私情を挟んでも文句は言われないだろう。本当にどこか抜けた騎士である。
そうしてひとしきり笑い、笑いの波も引いてきた頃、エミリアの考えもまとまったようだ。
歩みを進める彼女が向かうのは先ほどまで目を向けていたところ。老人を介抱する少女のもとだ。その接近に気づいた少女も顔を上げ、エミリアの歩みに覚悟を決めたように向き直る。
「そのお爺さんは、あなたの家族?」
腰をおり、しゃがんでいるフェルトの視線に合わせるエミリアが問う。
思っていた言葉とは違う。唖然とした顔を作るフェルトにはそんな言葉が似合う。
「そ、そーみたいなもんだ。ロム爺はアタシにとって、たった一人……うん、じーちゃんみてーなもんだな」
「そう。私の家族もひとりだけ。肝心な時に眠りこけてるし、起きてるときには絶対に言えないけど」
二人の間で沈黙が入ってくる。静まる中、空に浮かぶ月が六人を優しく見つめてことの成り行きを鮮明に照らした。
その空気に歩み寄るのはラインハルトなのだが、場の雰囲気を汲み取りその場で青い双眸を向けるだけ。
「……なー」
沈黙を破るのは老人を案じて介抱していた手を止めるフェルト。手を膝へと運び、何か言いづらそうに顔を斜めにずらしている彼女の体は少し落ち着きがない様子だ。
エミリアはただ待つ。待って、紫紺の目をだんだんと小さくなっていく少女を見つめた。
「白い兄ちゃんは……大丈夫なのか?」
心配。それは当たり前のことだろう。ライトが二度も、その体を挺してフェルトを守ったのをエミリアは見ていたから心配するのも共感できる。
八重歯の目立つ少女の瞳は少し赤みがかっていて、目の縁は雑に拭ったように赤くなっていた。その目が、顔が、眠っているライトへと向く。
「兄ちゃんが──ライトがさ、助けてくれたんだ……アタシを」
エミリアは、俯いてその年では背負って走るには細い足を見るフェルトの思いをただ聞く。
「死ぬかもしれねえのにさ、庇いやがって……ばかやろう」
少女の声が震え、その語尾が弱まっていく。肩を震わせるたび、その弱さを隠すように太ももの上で拳を握って黒の衣服に皺を作る。フェルトはなかなか声に出せないでいた。気恥ずかしさもある。だが、フェルトは自身にそんなことを言っていいのか、そんな資格があるのかわからないでいた。心の境界ははっきりしているというのに、その一歩が、たった一歩が踏み出せずにいた。
その迷いが心で渦巻く葛藤が溢れ出たのだろう。フェルトの目から隠れていた感情がこぼれ落ちる。
「──ぁ、くそっ止まれよ……っ」
「エミリア様──」
「ラインハルト。少し……待ってあげて?」
こぼれ出る雫が溜まり、集まって耐えきれず頬を伝う。
ゴシゴシと目を拭うフェルトにラインハルトが見かねエミリアに尋ねるも、今は黙ってその場を静観するしかない。
フェルトの頬を伝って膝へと落ちる。こんな感情は初めてだと思う。困難による挫折で抗うために死に物狂いで盗みを生業にしてきた。他人を信用しない、信じれるものはロム爺と自分自身だけ。他のやつはただの負け犬で、自由のための障害物でしかない。
それでもフェルトを見るロム爺の目が見たくなくて強がっていた。だが、ライトの行き過ぎた命の投げ出しで、理解できた。理解してしまった。
「……言って、くれたんだ。……嗤うなって、一生懸命生きてるってさ、知ったようなっ口聞いてよー……」
違う、こんな言葉を言いたいわけじゃない。これではライトの言葉を蔑ろにしてしまう。もっと何かあるはずなのだ。でも、言い出せない。何か詰まったような、どうしようもない栓があと少しで外れかけようとしてるというのに。
嘯く弱さを前にするたびに、それとは逆に感情が表へと溢れ出る。どこかに栓をすれば必ずどこかで溢れ出る。フェルトの流れる涙のように。
「そう、さ……うれしかったんだよ。うれしくて……なんか、認められたみたいな……感じでさ。ここにいるみんな、アタシの夢を馬鹿にしやがる。でもさ……兄ちゃんはさ──」
──嗤わなかった。
嬉しくてどうしようもなくて、今でも声を高々にそう言ってやりたい。あの言葉は、自己出張も甚だしいものでもなかった。ただ純粋な綺麗事のような事実を言っていたのだ。
だが、言えない。耳が熱ければ肺が震えて、喉が締め付けられたように熱を持つ。唇が伝えたくても整理されない言葉がそのままのように、横に伸ばしたり力を抜いたり、頬がビクついて何を言いたいのかこれじゃ何もわからない。
「ぁ、──き、ちが、こんなんじゃっ……」
「落ち着いて……ゆっくり、息を吸って吐くの。言いたいこと、言えるはずだから」
優しく、握りしめて血が出そうになるフェルトの手をエミリアは包み込む。
この感情をどうにかするには両手で血の滲んだ手を撫でる少女の言葉に頷くことできない。息を吸って、震える肺に空気を満たせばすくんで尻込みする呼吸はおさまっていく。そして、揃わないように言葉を塞ぐ何かを口から息として吐き出して整っていく。
ぐちゃぐちゃに掻き回され、言いたいことを遠回りさせようとする感情はどこにもない。晴れ渡ったものがフェルトの思考を満たす。
そしてかけ出す。本当に言いたかったこと。身勝手に喜ぶよりも先にしなければならないことをフェルトは探し出す。
迷路のように入り組んだところはまっすぐな一本道へと変わり、そこを走る。手を伸ばして光るものを掴んだ。
「また、あったとき……なん、なんて言えばいいんだよ……。こんなっ、こんなアタシを……」
壊された。今まで信じてきた論理を。信じられるたった二つのもの。それすら忘れかけていたとき孤独になりかけてた時にあの少年が来たのだ。
自分を守れるのは自分だけ。無力になって初めて助けられて、なんで助けてくれたのかわからない。みんな損得勘定で生きているはずなのに。違うのだろうか。
わからない。自分に助けれられるだけの価値なんてあるのだろうか。
『フェルト! 行けーーッ!!』
悲痛な声が耳を鳴らす。その音はすでに過ぎ去ったはずなのに、何度も反響して心をかき乱す。
しょうがないような顔をしてミーティアの使い方を教えてくれたりもした。いつもスバルに振り回され怒るけど、どこか仕方ないような顔をしてため息をついて目尻を下げ薄く笑う少年。よそ者が向ける目ではない、何か守るものを見るように目を向ける少年。
そして姿が変わり、いつの間にか大きいと思ってしまった背中を少女に向けて、夢を嗤った女に立ち向かうライト。
フェルトは辿り着けた先で、ぶつかる本音。自分なんて守る価値があるのか。
「……っ、ぅっ……ひっ……」
「あなたはわかってない」
「──え?」
少女が、突然の軽蔑に意表を突かれ、月明かりに照らされている銀髪の少女を、涙で星のように煌めく目で見る。
わかるわけないじゃないか。今までこんなことなんてなかったのだから。
「っ……なにっ言って」
「ごめんって言われるより、ありがとうって言ってくれた方が相手は満足するの」
『よかった……本当に無事で』
優しい眼差しで微笑みを浮かべるエミリアの鈴の音色とは違う音がかぶってくる。表情も何かが被っている。
何なのだろうか。思い出せるはずだ。
そうだ。もう少しで死ぬという時に運良く助かって最初に向ける顔がそんな顔なのかよと思った顔だ。ライトの声と表情は暖かかった。助けられたことで自分に酔ってるわけじゃない。フェルトに生きていてくれて安堵していたのだ。たとえあの場で命潰えたとしても。
「謝ってほしいんじゃなくて──してあげたくて、したことなんだから。ね?」
答えなんて、あの時から見せてくれていたじゃないか。
赤い瞳を見開き、光が宿る。その目にはもう迷いはない。あるのはあの時助けてくれて心の破片を繋ぎ止めてくれた借りと返すための心意気。
「そう、だな……そうだよな。……しっ」
目頭を乱雑に拭い、フェルトは調子を整えるために深く呼吸する。赤い双眸がまっすぐと少女を見て、決意を抱く。迷っていたフェルトはもういない。
全くあの少年は、ライトはとんでもない借しを作らせたものだ。どう返せるかわかったものじゃない。でも、また会うときにいう言葉は決まった。
「アタシ、言ってやるよ。──助けてくれて、ありがとうってな!」
「ふふっ。そうね」
言いたいことが言えたからなのだろうか、フェルトは考えもまとまったことで自分のやっていることに思い出した。少し気恥ずかしくなり、熱くなる頬を冷ますようにロム爺の方へと顔を向ける。
しかし、この答えに行き着いたにはエミリアの助け合ってのことだ。顔を逸らしながらもフェルトは口をアヒルみたいに尖らせて横目で見る。
「もっと、すげーきつく来るかと思ってた。やさしいんだな……その、ありがとな」
「そう、ね。さっきまでのままならそうだったかもしれないけど、毒気抜かれちゃった。それに、あなたも優しいのね」
少女の言葉にフェルトが固まったかと思えば、何か八つ当たりのようにペシペシと老人を叩くようになった。しかしいつまでも照れ隠しをしてはいられない。
「命を助けてらったんだ。恩知らずな真似はできねー。盗ったもんは返す」
「ん。そうしてもらうと助かるわ。私も、このお兄さんをのはすごーく気が咎めるから」
片目をつぶるエミリアがいつの間にか隣にいるラインハルトを手で示す。その言葉と赤毛の青年と右往左往して、フェルトは露骨に顔を顰めた。
「騎士の中の騎士。そんな奴と追いかけっこなんて正気じゃねー。今日だけで何回アタシより足の速いやつに会ったと思ってんだ。びっくりしすぎて自信無くすっつーの」
その言葉にラインハルトは微笑み。フェルトは舌打ちはするものの、もう一人の残影を思い出してそれもいい気もすると一人耽ける。
エミリアも思い出したのか、先の戦闘での印象を語ろうとするも、
「そうね、ライト早かったものね。こう、ギューン! って感じで」
「は!? ちげーよそこは、ズバって感じだろ!」
お互い印象的なことしか言えずじまいで、しんみりとした空気が行方不明となってしまった。
一息ついて、フェルトが立ち上がってエミリアの前へ。同じく立ち上がるエミリアに懐をまさぐって、
「んじゃ返す。──大事なもんなら今度から取られねえようにちゃんと隠せよ」
「あなたにその忠告されるのってへんてこな気分ね。……できれば今回だけじゃなくてもうこんなことやめてほしいけど」
「そりゃ無理な話だ。言っとくが、アタシだってあんたが命の恩人だから返すって考えてるだけ。これは兄ちゃんに言われてもやめねーからな。悪いことしたなんて思ってねーし」
エミリアが願いを言うもさっぱりと断るフェルト。
強かな笑み浮かべる少女の横顔は、その年齢でするには痛ましい。そんなフェルトの主義主張を聞きながら、ラインハルトはしかと無言で受け入れる。
決して見逃すことのできない状況なのはわかっている。だが、そうやって規制に規制を重ね、厳格化したとしてその先に待っているのは行き場を失い途方に暮れるのはこの貧民街の住民。一方が良くなる位方でもう一方はそれの皺寄せによる苦しみ。
そう考えられる程度には、ラインハルトは王都を見てきたつもりだ。
それはエミリアにも察せた様子。銀色の髪が彼女の顔に影を作って儚げな印象を醸し出している。決して言及はせず、エミリアは手を出して、
「わかった。……強情ね」
「何もしねーで食い物が湧いてくるならやらねーかもな。そんじゃ、ほらよ」
取り出したそれを手のひらに乗せ、少女はエミリアに盗品を返す。
月明かりが雲に隠れ、一瞬。赤い煌めきがラインハルトの瞳をよぎる。その煌めきには見覚えがあり、重要な何かだと思い、記憶の棚を探る。
そして、それを見つけ、
「──え」
「ラインハルト……?」
徽章を握る少女の手首を、横から掴み取っていた。
驚きで瞳に浮かべるのは当人の二人だ。揃って顔を見上げて伺えるのは、真剣な表情を浮かべるラインハルトで何か考えるように口籠もっていた。
「い、痛いっつの……放して……」
腕を振って弱々しく抵抗するフェルト。
だが、彼女の手を握るラインハルトの力は弱まる気配がない。屋根を突き飛ばすほどの力と跳躍は本気になれば手を文字通り捻り潰すことだってできる。加減してるとはいえ、小柄な少女に解けるような拘束ではない。
「なんてことだ……」
震える呟き。何かに慄くようにラインハルトは一点を凝視する。その目の先にあるのは困惑するフェルトではなく、彼女の手に握る徽章だ。
そしてその言葉に反応したのはエミリアだった。
「待ってラインハルト。確かに、お咎めなしで済ませるのが難しいことなのはわかってるの。でも、この子は徽章の価値を知らなかったのよ。そして盗られた私自身はそれを問題には……」
「違います、エミリア様。僕が問題にしているのは、そんなことじゃない」
上から言葉を阻まれ、エミリアはその場で押し黙る。
上の者の言葉を遮るというのは本来無礼に当たるものだ。エミリアへの無礼な態度も忘れて、ラインハルトはようやく自分が腕を掴んでいる少女を見た。そして、青年の燃える紅の髪と同じ色の眼を持つフェルトのゆらめく瞳が不安を映し出す。
「……君の名前は」
「ふぇ、フェルトだ……」
「家名は? 年齢はいくつだい?」
「こ、孤児だぜ? 家名なんて大層なもんは持っちゃいねーよ。年は……たぶん、十五ぐらい。誕生日が分からねーから。っつか放せよ!」
話しているうちに少しばかり調子を取り戻し、乱暴な口調で少女が暴れる。もう片方の手で拘束する手を外そうとするが、溶接しているかのように外れない。
少女からラインハルトは目を離さないでエミリアに、
「エミリア様、先程のお約束は守れなくなりました。──彼女の身柄は、自分が預からせていただきます」
「……理由を聞いても? 徽章盗難での罪と言うなら……」
「それも決して小さくない罪ですが……今こうして目の前の光景を見過ごすことの罪深さと比べれば、些細なことにすぎません」
戸惑い、眉をひそめるエミリア。そんな彼女の困惑を仕方のないものだと割り切り、フェルトに目を向けて、
「付いてきてもらいたい。すまないが、拒否権は与えられない」
「ふざけ……助けたからってあんま調子乗んな……っ?」
ラインハルトの言葉に応戦しようと抗おうとするが、不意に少女の体勢が崩れる。少女は恨めしげにラインハルトを睨み、その奥へと視線を移し、
「にい、ちゃ──」
最後に二人の少年に言い切るまもなく、全身の力が抜けた。
意識の失ったフェルトの体を支え横抱きにし、持ち上げるラインハルト。
「また騎士様らしくないやり方……」
「加減は心得ております。──エミリア様、また近いうちに呼び出しがあるかと思われます。ご理解を」
横抱きにされる意識のないフェルトの手から徽章を取り出し、エミリアへと差し出す。
龍を模った徽章はまさしく『親龍王国ルグニカ』の象徴そのもの。彼の掌に載っている鈍く発光する埋め込まれている赤い宝珠が、エミリアに渡ることで再び赤く煌めく。
「スバルとライトのことを、どうかよろしくお願いします」
徽章を受け取り、無言でエミリアは一礼するラインハルトを見とめる。
彼が腕の中で眠るフェルトの顔にかかる前髪をよける。あどけない白い顔立ちは気を張ることを忘れた、年相応な愛らしいものだ。
雲に隠れていた月が、この場にいる全員を照らす。何かを予期するかのように。
「落ち着いて月が見られるのは今日が最後かもしれないな」
誰ものがその月に魅入られる中、ライトの首にかかるモノはわずかに息を吹き返す。それは今目覚めたものか、果てはその残滓が宿ったのかわからない。だが、
捻れる一角の獣を模ったモノがほのかな温かみを発して、一瞬。ほんのわずかに形容し難い色を瞬いた。