──スバルとライトがこの屋敷で雇われて早四日。
時刻は夜。上弦のかけた月が夜空に浮かんで、それに照らされている二人が密やかな報告をする。
そこは広い部屋。中央には来客をもてなすための応接用の椅子とテーブルが置かれ、奥には屋敷の主人が執務を行うための机と革製の椅子がある。その椅子に二人の影が存在している。ロズワールと、彼の膝の上に座るラムだ。
「その後の、ライトくんとスバルくんの様子はどんなもんだい? 屋敷に来て早五日目──そろそろ見えてくるものがある頃じゃーぁないかね?」
「トライに関しては特にありません。特段優れているというわけも、劣っているわけでもなく普通より上、といった感想です」
耳元で主人の声を聞きながら桃髪を撫でられるのはラムだ。その部屋に双子の妹の姿はいない。これは単純に、今日の話題がスバルとライトのことであり、ラムが二人の教育係のためだ。
耳に入れたライトの仕事ぶりが思いの外好評で、感嘆の息を吐くロズワールがもう一人の新人、スバルの評価も追って聞く。
「それはそれは素晴らしいことじゃーぁないの。して、スバルくんは?」
「料理、洗濯、掃除が始めの段階ではまるでダメでした」
その内容に吹き出しそうになるロズワールだが、気を取り直してラムに微笑み、言葉の続きを促す。
「手厳しーぃね。でも、始めの頃と言うくらいだ……その後は何かあったのかな?」
「はい。バルスは物覚えに関しては良く、トライに教えてもらうことでおおかた改善しました。料理は中の上、掃除は中の下、洗濯を任せようとすると鼻息が荒くなります」
改善したと言ってもまだ並とは言えない成長具合に、緩みかける口を手で押さえるロズワール。
言葉の端から滲み出てくる毒舌には彼女の苦労がうかがえるものだ。
笑いを噛み殺すロズワールは窓の外を眺める。ラムは小さく吐息をつくと、主人の中で体勢を変えて、横座りの体をさらに内側に埋めた。
「それじゃラム、本題に入ろう。──間者の可能性は、どうかな?」
「否定はできませんが、その可能性は薄いと思います。バルスは……良くも悪くもというか、特に悪い意味で目立ちすぎです」
「あまり目立ちすぎると……」
ロズワールが手を首元に動かし、トントンと、当てる。イタズラのような笑みを浮かべるのは冗談めいたものも感じるが、下手をすればそうなるかもしれなかったのだから。
「ってなことになりかねないのに呑気なもんだよねぇ。ライトくんの方はどうだい?」
「トライにも関しても……かなり低いと思います。私たちに恩を感じているそうで、熱心に業務に取り組んでます」
「恩、か。損なことだーぁね。でも、真っ直ぐでもある。ライトくんになら、そろそろ話してもいい頃合いかーぁな」
遠い目で何かに思い馳せるロズワールからは、その風貌でも妙に様になるような表情をしていた。その目に何が映っているのか、見上げるラムには想像もつかない。
彼女の視線に気づいたロズワールは、目をラムに向けてわずかに口角を上げる。
「ということは、彼らは善意の第三者か」
窓の外に目を向ける。微精霊と言葉を交わしているエミリアと、それを離れて見るスバルを。ロズワールはその光景に目を細めて、口の端を緩ませた。
「私としては、邪魔するべきなんだろうけどね」
「どちらも子供ですから、放っておいても何も起きませんよ」
微かな笑い声が執務室で重なり、少年と少女の逢瀬を見下ろしていた窓の幕が引かれる。
──誰もその中を見ることは叶わなかった。大空から見下ろす月でさえも。
*
*
場所は移って浴室へ……
「仕事終わりのお風呂は、やっぱり気持ちぃ……」
大浴場に一人の声が響いた。疲れた体を温かい湯がほぐしてくれて、心地よさに声が漏れる。そのライトの前を、ユニコーンが静かに揺れる波に身を任せながら桶に浸かって、心なしか味噌汁に浮かぶ豆腐の様だ。
「ユニコーンも、あれからベアトリスちゃんとパックと仲良くなれてる?」
腕をだらけるユニコーンに力なき声で語り掛ければ、小さい手をこちらに振って肯定。仲が良くなって何よりで、顔を天井に向けて体重を後ろに預ける。
「あれから盗品蔵のことを聞いたけど、俺にそんなことってできるのか? 信じられない……」
タオルを顔に押し付けて、目の疲れをほぐす。
盗品蔵のあの後。エミリア、スバルが言うにどうやらエルザを倒したのはライトだという。にわかには信じられない、と言うのが彼の感想。
手でその考えを払って、次の議題へと移す。
「パックは氷? みたいな魔法を使っていたよな? なら、ユニコーンはどんな魔法使うんだろう」
反響の容易いこの浴場で一人小さくぼやいてみる。パックは自身と同じような精霊と言うくらいユニコーンを評価していた。一体どんな魔法を使うのか、聞いてみたくなってさっきまで近くにいたユニコーンを探すと、先ほどよりも奥の方へ流れ着いていた。
体も芯まで熱ってきたようで心なしか息も暖かいような。このままではのぼせてしまうと、ライトはいそいそと立ち上がって湯船に波を作り、漂流するユニコーンに歩みを進める。
「さっ上がるぞ〜……なんかすごいな、こんな丸かったっけ?」
さすが大と付くくらいの浴場だ。ようやく辿り着いたと思えば桶ごと持ち上げ、ユニコーンを見た感想が口から漏れる。見かけだけならホワイトチョコレートのようにカクカクしたボディラインが豆腐のようにふっくらと丸みを帯びていた。
桶のお湯を捨て、ツノにかかった小さいタオルでユニコーンを拭こうとすると、こちらに身を任せるようにした。彼がこうなるのは理由がある。
「子供たちに追いかけまわされたもんな。気を引いてくれてありがとう」
スバルが来るまでの間、ユニコーンと一緒に子供たちの相手をさせたのだ。後にスバルが来るや否や子供たちをなすりつけて買い出しの続き。いつの間にか手に噛み傷のようなものを作ったスバルと、両手に袋を抱えたレムと合流して帰って来た次第。
一通り拭き終えたライトが感謝を伝えて桶に座らせる。そしてこちらも体を拭き終えると、風呂の余韻に浸る白を肩に乗せて、浴場の外へと行った。
*
*
「いい湯だったぁ。スバルとエミリアはもう戻ったかな?」
庭園に残って、二人夜空の下で告白。と言うわけにはならないだろう、スバルとエミリアなら。なぜだかそう言う雰囲気を片方からは感じたとしても、もう一方からは感じないのだ。悲しいことに。
そうやって考えながら長い廊下を歩いていると、違和感に気づいて足を止めた。
「なんか……いつもと違うような? どこに……ここか」
そうして辿り着いたのは二つ奥のドア。一見何もないようなドアからはすっきりとした雰囲気を醸し出していて、ノブに手をかけて回した。
書庫の奥、木製の脚立に座って開口一番に客人を睨みつける少女がいた。
「ベアトリスちゃん、こんばんわ」
「何か用があってベティーに会いにきたのかしら」
「いや特に何もないんだ。ただ雰囲気がいつもと違うような感じがして、開けたら書庫に」
「あのバカと同じで、一体どんな勘してやがるのかしら」
「え、昴もここに来たのか。俺だって三日に一回引き当てる程度なのに、どんな剛運男なんだ?」
バカと言ってスバルが連想されたしまうが、彼の運の良さには苦笑いが漏れてしまう。
それに同調するように、疲れた表情で巻き毛を指先でいじるベアトリス。伸びたロールが指から放たれたと同時にスプリングのように上下した。
その動きが面白いらしく、ユニコーンが肩から離脱して下へと渦巻くロール髪にダイブしていく。
「あっやめるかしらユーちゃ! くすぐったいのよ」
「いつも思うんだけど、ユニコーンと仲良くしてくれてありがとうな」
「当然なのよ。……ユーちゃは、ベティの──」
声が途中で聞こえなくなった。ユニコーンを見て優しい笑みを浮かべるベアトリスにどういった関係があるのか、全くもって不明だ。
だが、見ていて飽きない。まるで再会を果たしたワンシーンを見ているようで、ライトはその風景を黙って見惚れる。
そんなひと時もあっという間で、ライトの視線に気づいた少女が、その顔を顰めた。
「見世物じゃないかしら。用がないなら出ていくがいいのよ」
「あぁ……でもなんだろうな。ベアトリスちゃんは妹みたいで可愛いなぁってさ。妹いないけど」
「お前……その言葉」
驚いたような目でこちらを見るベアトリス。あんまりこういった動揺するような仕草を見せなかったため珍しいと思いつつも、頭を掻いて視線をずらした。
この後の特段用事といったものもない。このまま流れる空気を感じて時間がただ過ぎるだけなら、お暇といこう。
「気に触ったならもう言わないからさ。行こう、ユニコーン」
ユニコーンを呼び寄せてライトは回れ右で扉へと足を向ける。
一日の最後だ。これだけは言っておこう。
「おやすみ、ベアトリスちゃん」
扉を開け、最初に映るのが夜空に点在する月と、その光を受けて見える廊下だ。後ろに座って本に目を移してるだろう少女に手を振って一日の終わりを告げて、妙に心地が良過ぎる書庫を出る。
ただ、扉が閉まる直前、
「──あの人間が、なんで……」
寂しさを纏った声が聞こえたような気がした。
「どうしたんだ?ベアトリスちゃ……」
振り返って開かれた扉の向こうには先ほどまでいた書庫ではなく、元の客室へと戻っていた。
最後に何を言っていたのかそれだけが気がかりで、今日は寝付けなさそう。
「いない……。これがみんなの言う『扉渡り』なんだ」
「スバルくんと同じで、さっきから何をしているんですか? 扉の建て付けの確認でも?」
肩が跳ね上がるのをなんとか抑えて、声のした方向を向く。ライトの行動を目撃して呆れた目を向けるレムだ。月光を柔らかく反射する青髪を持った少女は、何も乗せていない銀トレーを片手に、彼の触れているドアノブを見やる。
「いや、この部屋に用はないんだ。ただ……ベアトリスちゃんの書庫がさっきあってね?」
「ベアトリス様に何か用が?」
このままじゃ、レムが頼みを請け負いかねないと思って左手を伸ばして待ったを要求。
言い出そうとしていたレムの唇が停止して、目が揺れ動いた。そのおかしいレムの挙動に手がぴたりと止めてゆっくりと引き戻し、ライトは左手に疑惑の視線を向ける。反響するベアトリスの言葉を首を振って忘れた。
「特にないんだ。明日話すよ」
「……そう、ですか。わかりました。──その、今のは?」
「今の?」
揺れる瞳をライトの左手に向けたレムがそう口にする。これと言ってただ手を伸ばしただけなのだが、何かあったのだろうか。
「ライトくんが手を伸ばしたとき……いえ、なんでもありません」
「そう……。ところでレムはどうしてここに?」
「ロズワール様と姉様にお茶と差し入れてきて、今はお盆を片付けようと歩いていたらライトくんにバッタリと」
「二人でこんな夜遅くに……あーやっぱり、いいや」
窓の外、そして魔刻結晶の色からもうすぐ今日が昨日となるというところ。そんな時間に二人きりで何をしているかと聞くのも野暮。寝るという時に生々しい話題になるなんて寝付きも悪くなれば悪い夢も見そうで何か嫌だ。
なんだか余計なことを言ってしまったと首を搔いて反省するライト。だが、そんな自分を見るレムの視線が気にかかった。水面のような薄青の瞳が、首を掻く手、左手をじっと見つめている。
「やっぱり、なにか気になるのか?」
「いえ、その、すみません見つめてしまって。失礼でした」
「いや、別に謝られても……手なんて、見ても減るものでもないし」
謝られても、手を見つめるくらいたまにはあるだろう、たまには。たまたま今日が多いだけで、統計的に見れば全然大したものでもないし気に掛けるほどでもないのだ。
少し照れくさくなって窓の外を眺めていると、反射するレムも外を眺めていることにライトは気づく。
こうして何も追われない時間が心地いいものだ。レムから嫌な感じもしない。夜の魔力とは刻として人の本性というものを曝け出させるのだろう。事実、二人の表情はどこか儚げだ。
「ライトくんは……スバルくんをどう思っていますか?」
「昴? んー、なーんだろ。変な奴?」
「変、ですか……」
「そうなんだよね。盗品蔵の話とか、多分エミリアとか、ロズワールさんとかから聞いてると思うけどさ。あの時の昴って今考えてみればおかしいって思ったことがあるんだよね」
「例えば、どんなことですか。教えてください」
盗品蔵を回想して、最近あったものが少し懐かしいものと感じて不思議に思っていると、レムがこちらに近づいて来てライトが少し驚く。こんなかわいい女の子に近寄られるのも動悸が激しくなる原因だろうが、彼女の語尾が少しばかり別の印象が現れたような気がしたのだ。
問いただすような。そんな雰囲気を。
「うん、わかった。……なんだか、すべてわかってるみたいな、そんなことをたまに話すんだよ昴って。この前の、えぇとエルザに会ったときとか、初めて会ったはずなのに様子がおかしくなってさ。こんな感じ」
「そう、ですか。──やっぱり」
「ん?」
小さな口が震えてかすか音を発したレムに、ライトは首をかしげる。
すべてわかっているみたいなと言ったときに、なにかさっきまでとは違うオーラを感じたのだ。エルザとは違う別の何かが。
「用事を……思い出しました。ライトくんはすぐ寝ていてください」
「ぅえ?いやレムちゃんと話し終われば部屋に戻って寝るけどさ。どうしたんだよ、そんな早口で」
「いいんです。それでは、おやすみなさいライトくん」
「お、おやすみ……」
押し付けるような雰囲気に気迫されてしまうライトが首振り人形のように肯定を繰り返して、半ば無理やり話を終えられてしまう。
なにも知らないまま置いてけぼりにされてしまって、段々とレムの背中が小さくなっていくのを眺めていると、影の中へと入って行って見えなくなる。
今ここでできることといえば、今日という日に別れを告げて明日を出迎えるのみしかないため、胸騒ぎを抑えてライトは自室へと向かうことにした。
*
*
部屋に戻ると妙な緊張感が抜けて、強張っていた体の力が抜ける。体重を前へと移して忙しい足音を鳴らせばベッドに体を転倒させて小さく声が漏れた。
「つか、れたぁ……ん?」
力無い声が発せられ続いて軽い音が右の方からして、ライトの右耳がわずかに動く。視線を移すと枕に小さな窪みができて紺色の石が浮かんでいた。
重い体を謎の石にずり動かせながら目を擦って視界を取り戻し、枕を注視。
「んー? あ、ユニコーンか。白いから背中以外全部見えない」
大きすぎる枕に沈むユニコーンを見て頬が綻ぶ。気が抜けて睡魔が瞼を集中攻撃してきて視界が歪むが、
「スゥー…………っ!危な。まだ着替えてないのに寝そうになった」
脱力しかけた体を飛び上がらせて、上着を脱いで椅子の座席に畳んで置く。私服に早変わりすると、猫も顔負けな伸びをしてあくびが出てきた。
そのままベッドへと腹落ち。苦しげな声が喉を鳴らせるがモゾモゾと芋虫のように毛布に潜り込んで、頭を柔らかい塊に押し付ける。
「ユニコーン?なにゅっ」
片目を開けると緑のバイザーをまばらに点滅させるユニコーンがいて驚くが、顔面に倒れ込まれてさらに驚いた。
物質化していた体が白い光に霧散して、首元のネックレスに注がれる。毎度思うのだが、透けて散り散りになるのは某青いロボットが死んだときのようで心臓に悪いのだ。
「はぁー。そう言えば、昴はちゃんと成功したのか? あいつはあいつでガッツはあるから、エミリアとのデートも多分できるだろ」
浴室前の着替え室で、風呂上がりは五倍増しに見えると言って髪をいそいそとセットするスバルを思い出した。
エミリアとのデートの取り付けに成功した後に禁書庫に入って有頂天となったスバルが、ベアトリスをいじっていたのなら、少女の疲れ顔にも納得がいく。
ランプを消して、闇が訪れる。瞼を落として睡魔に身を任せるのだが、こういう時に限って寝付けが悪い。疲れているというのになぜか。
「──寝れない……こういうとき羊数えれば良いのか? ん?」
予感のようなものなのだろうか、嫌な気配がする。胸騒ぎを抑えながらベッドへと身を預けて意識を空にし、体中を巡る力を弱めた。
音が耳を過ぎ去っていく、木のさざめきが。外の環境音が。
ライトの意識が落ちていって、暗い世界を漂う。そこにあるのは夢のようなものなのだろうか。全てが暗くなる中、最後に見たのは
人間の内面の、深淵をも映し出すような、
虹を見た。