ふわふわ。いや、ここは電源がついたようにか。
意識の覚醒は、時としてすっきりとするものもあれば、疲れが取れなくて再び枕へご対面したくなるものの二つあるとライトは考える。
今回の寝覚めは後者だ。だが、悪夢とはまた違う、無性にクセになるような夢を見たような気がする。そういった大抵の夢は、起きたときには汗がダラダラと出て、服が肌と言う肌に張り付くような感じになる。今朝はそれらに比べてみても非常に穏やかな目覚めだ。
早く起きろと、目に差し込む陽光は急かしてくる。二度寝をしたいのも山々で、なおかつ疲れも取れていないの時はため息もつきたくなる。
ライトが目を開ける。ピンボケにボケまくった目を何度も瞬いて数秒。最初に飛び込んでくるのは白い天井で意識が固まるも目を閉じ定番の一言。
「朝、か」
今日も今日とて仕事が始まる。明日を迎えられるのは非常にいいことだ。あくびを噛み殺して、ライトは毛布をどかそうと一捩りしようと試みた。
だが、
「……? ふっーーっ! んーーっ! ……あれ」
動かない。大きく動けない。
疑問が脳内をぐるぐる駆け回って七転八倒。何をやってもどうしてこうなったのか皆目見当もつかないライトは指を動かしてみることに。
「指は……動かせる。なんかぎこちない、リンガも握れなさそうだ。──風邪か?」
考えられることといえば、湯当たりか湯冷めによる風邪。前までもあったのだ。ここ最近はなりを潜めていたものの、体の力がごっそりと削れたような感じになるのだ。経験則から、敷布団だと芋虫の要領で脱出して、備えていた栄養ゼリーを飲んで元気チャージ。少しばかり体調が良くなるのだが、ここではそんなものもなければ床に布団を敷く日本文化もないだろう。
思考を冷まさせて、ライトはひとまず取ったのはこの部屋を一望すること。視界から得られる情報は、全感覚の情報量の八割を占めると言われている。二番目に音。
まずは多い方からやってみることにしたライトは、目をぐるりと一転して停止。やってきた違和感に思考が停止しかけるもまた一望して停止。疑問が結論へと向かう階段を全速力で駆け上がってくる。
鳥のさえずりが外から聞こえる中、部屋の中は静寂さそのもの。疑念がさざなみと共に波打ち際へと押しやられ、ライトの疑問が確信となった。
「部屋が、違う。……それに」
人工的な印象の白い輝き。広い天井があり、備え付けの結晶がぼんやり淡く輝いているのは魔刻結晶だ。色は淡い緑色で風の刻だと言うのがわかる。朝だろう。
触れない手でどうでもいいことを払いのけるライトが次に受け取った情報は一目見てもわかる上流階級の一室。寝台は五人寝ても広く、大きく見積もってキングサイズ。この部屋には見覚えがある。なぜなら、
「ここ、最初の……最初? 初めてこの屋敷で目が醒めたところに似てる。……いつの間に。──!」
質素で落ち着きのある部屋から一転してこの一室。誰かがイタズラで運ぶのだとしたら、スバルぐらいしか想像つかないがそれがどうでもいいぐらいにおかしいことに気づく。
毛布から飛び出す肩を見てライトは息を飲んだ。視線の先にあるのは白い衣服に身を包んでいるからであろう肩。昨夜の服は黒。これは、イタズラというにはあまりにも悪趣味すぎる。ドッキリ、というだけで衣装チェンジというのはあまりにも酷く、気持ちの悪いことだ。そこになんの理由もなければ尚更。
「おかしい、おかしすぎるでしょ。あからさますぎる──」
ライトの耳がぴくりと動く。珍しい特技だろうが、そのおかげで音の場所がわかったりわからなかったりするのだ。これと言って信ぴょう性のかけらもないものだが、鼓膜が拾った音は床を鳴らす足音。足音は複数で雰囲気から何やら慌ただしいというのがわかる。
いち早く聴きたいライトはとりあえずユニコーンを呼んでみることにした。
「ユニコーン。いるか?」
一声。いつもならネックレスから飛び出して真っ先に胸の上に座るのだが、中々出てこない。
それもそのはずだ。なぜならライトの首にはネックレスが掛けられていないのだから。違和感に気づき、焦燥感に襲われるものの左から擦るような音が聞こえて目を向ける。
重いだろうに。ズズズと音を立てて引き出しから出てきたのはユニコーンで、その手には白金のネックレスが握られていた。
「ユニコーン。ネックレスありがとう」
宙を浮かび、いつものように胸の上に降り立ったユニコーンは取ったぞと言わんばかりにネックレスを掲げていた。無理やりにネックレスをつけられると、ユニコーンは再びネックレスへ蜻蛉返り。
いつもなら着替えているところにちょっかいをかけられるものなのだが違うようだ。
首に確かなものを感じることができて安堵するライトは、歯を食いしばって動き出す。
「う゛っ、くぅーーっ……うご、けるっ」
無理に動かせば動かせることがわかれば、ライトは持てる力を振り絞る。
目指すは扉。うめき声をあげて身をよじるライトがついに脱出することができた。だが、ライトが寝ていたのはベッド。高さを見積もっていなかったことで、手をつけることができずにずり落ちたら青あざは必須。
そうしてライトは、
「うぉっ、しま──っ、いっでっ」
床に落ちた。それも受け身も取れずに。これは青あざができたこと間違いないが、ここまできて止まることができるだろうか。
選択など当に決まっているライトはさながらゾンビのように床を這いずって、扉の向こうから聞こえる三人の声に縋ろうとする。
「──バル見つけた?」
「いえこちらにはおりま──でした」
「こっちもよ」
途切れ途切れに紡がれるのはエミリアにレム。はっきりと聞こえたのはラムだ。
安心感のある声にライトは表情が緩むのを感じる。足音がだんだんとこちらに近づいてくるのと同様に、扉との距離も埋まっていく。
「二人はそっちの部屋と上の階を調べて。私はここを探すから……」
「「承りました、エミリア様」」
揃った声と同時にここから離れて行くのが床の振動を通して伝わる。何か伝えようにも物音を立てようにも現状のライトにその体力はなく、一人床と一体化しながら焦る。
ドアノブが金属特有の高い音を発して、向こうにいる者によって回される。
ドアが開いて光がライトの目に入る。目を薄く開いて、光を絞ろうとして目に飛び込んできたのは、スラリと長い足。きめ細かい肌は触った時にはこちらの手に温もりとしっとりとした触り心地が伝わってくることだろう。
そんな下心を深いところに押し込んだライトは床に顎を落ち着かせた。
「ここは、確かライトが寝ている部屋のはずよね。……ライトは──あの子もスバルも、どうして外に出ちゃうの?」
います。ライトは足元にいるのですよ。
それに気づかないエミリアは部屋から身を引いてドアノブに手をかけようとした時、目線が下へと向いた。彼女の目に映ったのは床。それも地に這いつくばるほとんど虫の息なライト付きだ。
エミリアと目があって数秒はたっただろう。だんだんと青い顔になっていくのは訳がわからないのだが、彼女には自分がどう映っているのだろうか。
エミリアがライトを見て顔を青くするのは無理ないだろう。なぜなら少年の目の周りには隈の目立つ体調の悪い人間。今際の際て反復横跳びしているようなライトなのだから。
「ちょっとライト!? 大丈夫!?」
「全然、だいじょばない……」
「待ってて、今寝床に運んであげるから」
女の子に運ばれるなんて不名誉にも程がある。絶対疲れてライトの顎が床にぶつかるのがオチだ。
そんな思惑を裏切るように、エミリアは「よっこらしょ」と気抜けする掛け声を一声発して、ライトの視界を大きく伸ばす。
驚きで声が出ないライトを待つものなどいない。突然の視界の上昇が落ち着いたと思えば胸に伝わる柔らかな感覚。
「──え」
「ライトってすごーく軽いのね。──しっかりご飯食べなきゃだめなんだから」
「……え?」
ばばくさいのかなんだかわからんこのセリフ。ギャップと感触に続く優しい香りでライトの脳みそは考えることを放棄しかけていた。
ただわかるのが、この子は見た目よりもパワーがすごいのだ(小並感)。
もういいだろう。抱き抱えられて二つのやわらかな感触が白衣の上に感じても、綺麗に整った銀髪に顔を撫でられながらフローラルな香りを感じてもライトにはどうでも良いこと。
あるのはしっくりこないヘンテコな気分。これはライトの感覚がおかしいのだろうか。大体の女性というのはこういった男性の体をいとも簡単に持ち上げられることができないということ自体が鼻から間違っていたのか。
今まで身を粉にするくらい頑張ってきたため、筋肉による体重は自信がある。感覚的に見ればスバルと同等だろうが、それをこうも簡単に持ち上げられてしまえば涙の一つや二つ流したくもなる。
軽い足取りでベッドに移動するエミリアが腕に抱いていたライトを座らせると一息つく。
「よしっ、じっとしてて──どうしたの?」
「なんでもないです。……なんでもないんです」
「なんで、泣いてるの? 待ってて、痛いところすぐに治すから」
強いて言えば心が痛い。虚な目でライトがそんな思いを抱きながらも、隣に座って両手をこちらに向けるエミリアに目を向ける。
彼女の手から淡く青い輝きが発すると同時に、ライトの体に送り込まれた。削がれていた何かが戻っていくのを感じて、心地よさに目を閉じてしまう。月夜の映える澄み切った湖で一人そこに浮かんで肌に伝わる水の冷たさに心通わせるようなそんな感覚。
優しいひとときも長く続かないようだ。苦しげにうめく声が聞こえてライトは開眼する。隣を見ると片目を閉じて耐えるような仕草のエミリアがいて、明らかに異常事態なのがわかる。
「だ、大丈夫か?」
「……うん、平気。全然……大丈夫だから」
「平気な訳ないでしょ。すぐに休んだほうが──あっつぅ」
あまりの急変にライトがエミリア背中を撫でて少しでも回復させようとしたが、手に何かが刺さり焼かれるような感覚に思わず手を引っ込めた。手を離してすぐさま自分の目の前に。手は焼けたのではなく、何かに凍てつかされたように霜がついていて赤く腫れ上がっていた。
「て、手が……なんで」
「なんでなんて当然でしょ。君が、ボクのリアに危害を加えたからさ」
低い声と共に部屋が冷えていく。聞けば誰もが恐れ慄くほどの威厳のある声と共にエミリアの懐から光が集まって形成。
ライトの目の前に現れたのは愛くるしい顔に似合わない剣幕を浮上させたパックだった。小さな手がだんだんとこちらに近づいてくる。
急激な温度変化から来るものか、あるいは目の前の脅威によるものなのかどちらなのかも見当もつかない。ライトはただ寒さと恐怖に震えて壁に追いやられるのみ。
「君がリアの命の恩人でも、それは許さない。大人しく氷漬けにされろ」
「待ってパックっ!」
エミリアの忠告を待つことなく、パックは小さな手を掲げて氷柱を生成。氷点下を下回った中でも、その氷の塊は白い煙を纏っていて絶対零度にも等しいものがライトの命を奪おうとしていた。
息を呑んで、ただ受け入れることしかできないライトは目を瞑る。
氷が放たれライトへと青い線を残して向かう。当たれば即死。縮こまっても腕で受けても無駄な抵抗。
ライト目掛けて放たれたそれは、頭を穿ち水風船が割れたように壁に赤を撒き散らす。体は四肢を投げ出して先のない首から夥しい血液が止まりかけの脈拍と共に噴水。誰がどう見ても一人の命が無惨に散ったのがわかる凄惨な光景は──
「──ッ!」
訪れなかった。
快音に続く金切音。ライトが目を見開き目の前の白に驚く。その白は左腕に盾を持ち、悉くを凍てつかせる槍を防いだのだ。ユニコーンの後ろに寄せ付けないほどの防御で、氷柱は青い光となり三方向に分散。マナが散り散りになりユニコーンの元に集い一つに。
パックの鋭い眼光と、ユニコーンのバイザーの奥の鮮緑の双眸の視線が交じり、緊張感が高まったとき、
「もうやめてって言ってるでしょッ──!!?」
「──リア」「──……」
鈴の音が荒々しく反響させる。悲痛な叫びが部屋に立ち込める冷気を打ち払った。
ユニコーンの吸収したマナがライトの元に線を通じて送り届けられる。受け渡された力はライトを動かせる領域までに引っ張り戻すのには十分な物。氷で貼り付けられたように重かった腰を上げて、ライトはエミリアを見る。
肩を上下し、大声で息を切らすエミリア。おずおずと、殺気を放っていたパックが落ち着きを取り戻し、彼女の元へ浮遊した。
「ご、ごめんエミリア。これは……君のためにしただけで……」
「私のためなんて、そんな言い訳聞きたくない。……なんで言うことを聞かなかったの?」
言い切る間も無く、エミリアがパックに言い放った。彼女の拒絶にどう思ったのかわからないが、パックが光の粒となって消えていった。粒はエミリアの懐へ。おそらく依代に戻っていったのだろう。
部屋の温度が常温へと戻り、あるのは立ち込める鉛のような重い空気。顔を俯かせて表情の窺うことのできないエミリアにライトは近づく。
「──っ、ご、ごめんなさい、ライト。こんな取り返しのつかないことして……」
「いや、全然平気だよ。君の方こそ落ち着いてくれ。体調も戻ったんだ、ありがとう」
「……どう、して? さっき、死んじゃうところだったのよ? なんで平気な顔、していられるの?」
涙で潤んだ紫紺の目を向けられ、口に出せずにライトが言い淀む。
どうしてか。ライトのこれは正直に言えば痩せ我慢なのだ。どんな理由があってもこれ以上悲しませるようなことをしたくない。もう手遅れでも、深刻な問題だったことにはしたくないのだ。
困り果てて髪を掻こうと右手を動かそうとするとエミリアの目が動く。何かを追うように追従する目は赤く腫れて、水脹れが破れたことで血が垂れているライトの右手だ。
髪に手が到達する直前に、エミリアに掴み取られて顔を顰めるライト。想定外に次ぐ想定外で麻痺していた痛みが息を吹き返しライトの目を白黒させる。
じんわりと染みる温もりが手を包み込むと光が灯った。傷口は巻き戻るように塞がっていき赤みが引いていく。治癒魔法に驚いていると、エミリアがライトを凝視していた。
「責任取るから」
「え?」
「私は、あなたに取り返しのつかないことしちゃったの。だから……なんでも言って。ライトが求めることなんだってするから」
ライトの顔に穴が開くくらい真摯な目で見るエミリアが、悲壮な顔を浮かべる。
この少女は、一回言った説教のことをもう忘れたのか。手を取られながら膝を折って床と睨めっこするライトがどうしたものかと左手で顔を覆う。
思い浮かぶとしたら……この現状を作り出した自身の辞世。いわゆる腹切りを介錯してもらいたいところだが、絶対望まれていない。なら、この場で出てくるお願いならきっとこれしかないだろう。
考えのまとまったライトがゆっくりと立ち上がり、固く口を結ぶエミリアを見た。
「わかった。なら、俺の願いは──」
「うん」
瞑目して、一呼吸置いて、目を開けて決意を瞳に宿すエミリアを見た。
「──仲直りしてほしい」
唖然とした顔で目の前の少女の瞳が見開かれる。
我ながら良い提案だと自画自賛するライト。これならばお互いにとって損はないし、むしろ得寄りだろう。それに、ライトは彼女に失礼なことをしようだなんて万に一つもないのだ。この状況を産んでしまったのは紛れもなく自身が原因で、エミリアは関係のない被害者なのだから。
優しい笑みをエミリアに浮かべるライト。それに続いてユニコーンが彼女の頭に着陸してよしよしと撫でていた。
これで解決。となるわけもなくエミリアが固まったかと思えば、次に膨れっ面になった。
「なんであなたも、スバルと同じでがっつかないの?」
「がっつくもつかないも、俺たち友達だろ? 友達は、友達を蹴落としたり貶めたりしないものでしょ」
「とも、だち?私なんかと友達になったら……」
「なんかじゃない。やめてくれよ、そんな自分を落とすような言葉。あのとき、俺は君に助けてくれなかったら死んじゃってたかもしれないからさ。それを助けてくれたから、友達ってことで良いじゃん。これでおあいこ」
自分でも無理矢理なことを言っているとは自覚している。だが、いつまでもエミリアには泣いてほしくない。誰にだってライトは泣いてほしくないのだ。それが自分に対してのことであるなら尚更。
エミリアがどう思ったかはわからないが、この言葉が伝わっていることを切に願うライト。
すると、エミリアが「ふふ」と小さく笑った。
「ともだち。ライトは──私の友達」
「そう、これからもよろしく」
「うん、これからもよろしくね、ライト」
花が咲いた。朗らかな笑みを浮かべるエミリアにはこう言い表すしかできなかった。
己の語彙不足を呪いながら、ライトは彼女の笑みを真正面に受けてしまったことで赤面してしまう。
EMCと豪語するスバルの気持ちがわかってしまった。こんなエミリアの表情、誰だって惚れてしまうのは仕方がないことだ。
だが、ここは男のライト。彼女に惚れている者は先にいるため、この感情は机の鍵付き棚にしまっておくことにした。
そうはしても上気した頬がなかなか冷めないライトを見て、エミリアは面白いと思った。
「そういえば私、ライトに名前教えてなかったわね」
「──ぇ」
小さい動揺がライトの口から漏れる。
知っている。一度自己紹介してもらったのに忘れる愚か者なんてどこにいるのだ。
突然のことでわからないライトを追い詰めるように言葉が紡がれる。
「私の名前はエミリア。昨日はありがとう。あなたってすごーく強いのね」
在りし日と同じ言葉が、動揺を待たずしてライトの鼓膜を揺らした。
あり得ないはずだ。
こんなことは、──時間が巻き戻っている限りは。
怠さ。怪我。冷気。エミリアの笑顔の温かみから彼女の衝撃的な一言での天変地異。それはライトの思考回路を完全停止させるのに足りる衝撃が詰まった出来事。
そしてライトは、
「ちょっと大丈夫!?」
「もぅ、わかんなぃ、よ……」
背中から床に落ちるということとなった。