「さあ、なんでも望みを言いたまぁーえ」
「まぁ皆まで言うな。なんなら声揃えて言うか?」
沈黙が支配する。
その空気を破るように、テーブルに手をかけて二人が勢いよく椅子から立ち上がって、高々に宣言する。
「俺をここで、雇ってください!」「俺をここで、雇ってくれっ」
辺りが唖然とした空気に包まれて誰も口を開こうとしない。辺りを見れば心底嫌そうな顔をしたベアトリスがいてライトは苦笑いを浮かべそうになる。
即断すぎる雇用要求の声が作り出した静寂。この空気を破るように、
「ひっく」
ラムのしゃっくりが静かな食堂に響いた……
*
*
現在ライトとスバルの二人は作戦を実行中。
その名も『とりあえず前のループを踏もう作戦』。不確実性盛りだくさんなこの作戦を発案したのは、ナツキ・スバル。
それはループもののお約束というもので、同じ道を通ればストーリーは同じところへと帰結・収束すると言うものらしい。そんな簡単にいかないと思うのはライトの感想だ。
そうこうしているうちにライトたちは衣裳室にたどり着いた。
中に入ればスバルは前回着たはいいもののダボダボになったものを選ぶ。ライトも白い執事服を手に取ったのだが。
「それはバルスには大きすぎるわ」
「え?」
予想外の展開にスバルは驚きの声を漏らす。それは用意された盤上そのものをちゃぶ台返しされたようだった。
前回のラムはスバルの目の前にある執事服を選んだというのに、なぜか否定。
「バルスに会うのは女物しかなさそうね。トライに関しては手足の丈以外特に問題はなさそうだから……レム、あれ直しておいて頂戴?」
指を差すラムが、二人の持つ執事服を直すよう扉の前に立つレムに言う。最初から決まっているように、妙に足早に進む事態。
ライトとスバルはなるべく同じ展開にしていきたいため、
「……じゃあ採寸お願いするね」
「右に同じく採寸してくれ。色々こそばゆくても俺は男の中の男っ。これくらいどうってことないんだぜ?」
と、両手を広げて採寸を要求するのだが一つ瞬きをしたラムの答えはというと、
「採寸は後にしましょう」
「「えぇ?」」
「ついてきなさい」
予想外。
やはりと言ってか、この世界はゲームとは同じようにプログラムされている訳ではないのだ。ならば当然違いが出るのは必然。
呆ける二人の目の前を横切り、ラムは衣裳室の出入り口前へ。
置いてかれてしまい、スバルの伸ばす右腕が戸惑いを隠すことができなかった。
「屋敷を案内してくれるのか?」
「それも後回しでいいわ。二人にはラムの仕事を手伝ってもらうから」
「え……あ、いやちょっと……」
だんだんと小さくなっていくラムの背中に手を伸ばすスバルだが、振り返ることもなく進んでいく。怪訝そうに眉を顰めるスバルが首に手を当ててライトの方を横目で見る。
「……早いとこ行こうぜ? ライト」
「……うん。──あれ?」
早足で廊下の奥へと差し掛かるラムの跡を追うスバルを見送りながら、ライトは何かに気づく。
扉を出て駆け足で出ていったスバルの背中を見た後に、レムがライトへと目を移したことに。何かしたのかと思ったのだが、これと言って心当たりはなく、歯切れの悪い違和感が心に居座った。
何事も聞いてみなければわからないがために、ライトは思い切ってレムに歩み寄る。
「どうしたんだ? レムちゃん」
「なんでもありません。置いていかれる前にお早めに向かう方がいいと思いますよ。ライトくん」
はぐらかされた、と言うべきなのだろうか。
どこか釈然としない回答に、ライトは後ろ髪を引かれる思いで衣裳室を後にすることにした。
背中には、まだ視線を感じる。
*
*
たったの五日間。されど五日間。
その間の過ごし方は『できるだけ前回の流れをなぞる』というのが方針だったはずだ。だが、その行動というのは最初から破綻していたことにスバルは気づいていない。
作戦の骨組み自体から崩壊している原因が自分であることに気づいているライトは平気を取り繕うことに精一杯だった。
心は常に後悔が残っている。仕事中であったとしてもその後悔が背中から剥がれることなど決してなかった。
悪い考えに浸っているライトは頭を振ってイメージを突き放そうとして、髪にかかっていた雫が払い落とされる。
何か別のことを考えよう。前回と違うとしても何も悪いことがあった訳ではないのだ。パックと仲違いしてしまったものの、エミリアと仲が良くなった。これはいいことだろう。
考えていれば湯船に浸かっていた体が熱っていくごとに全身の血液が巡る。それはライトがいい出来事を考えていけば比例していくように。
結末は思い通りにはいかないものなのだ。だから今を精一杯生きていく。それが例えループしてしまったとしても、心を強く、強く保っていれば、いいだけの話なのだから。
「だったのに、なんでか、まずった」
大の字で湯船に浮かびながら、スバルは水泡を拭いて呟いた。
毎度のこと思うが、真剣身を帯びていたと思えば今のように周りの視線に恥じることもないスバルは本当に事態を深刻に思っているのだろうか。見ていて、自分がバカみたいになってきたライトが浴槽の淵に背中を預けて湯に肩まで浸かる。
「ユニコーンはまた禁書庫にいるけど、パックとうまくやってるかな」
言うまでもなく、ライトはスバルの策に乗ってトレース。
これにはもちろんユニコーンにも話した。彼の反応から察するに、死に戻りのことを認知しているらしく、こちらの言ったことには一応納得はしているようだった。
流石にツッコミや合間のアクシデントまでは真似はできなかったものの、執事としての立場は獲得できた。パックのご褒美は無理だったとしても、エミリアの呼び名、王選の概要とエミリアの関係。
ここまではよかったのだが、使用人見習いを教育する立場のラムが、これ以上にないほどに重労働を課してくるのだ。
「雑用レベルが一から四。下手したらそれ以上か? 中身の濃さが段違いだったぞ」
「これ完全に見抜かれてるみたいな感じじゃないか?」
ライトの呟きにスバルが体を起こして波を起こす。音を立てて近づいてくる彼がライトの隣へと座ると、ふぅと一息。
「どういうことだってばよ」
「最初さ、ずっと視線感じてたんだけど……もしかしたらレムが俺たちの力量を図っていたんだと思うんだ」
「え、そうなの?」
あっけらかんとしたスバルがライトに尋ねるも、返答は頷くだけ。
今日の業務だけでも、ライトはどこかしら視線を感じていたことに覚えがあるのだ。掃除や洗濯、庭の木の剪定に至って何もかも動作を舐めるような視線を。
あれが力量を図るものなら納得もいく。だとしても、あそこまで見るのもいかがなものかとは思うのだが。
「それで俺たちの作業に、俺たちが気づかない甘さを見つけたレムがラムに報告して、今の作業量っていうのが予想」
「えー……クソ、せっかくだから楽できると思ったのに……俺にも成長があるんだって思うだけでも収穫ってか?」
口を尖らせ不満を露わにするスバルが腕を頭に組んでため息。
スバルにとってもライトにとっても、仕事量が増えてしまったことは誠に遺憾である。前回のループ直後と今回の最初にデカい差があればここまで違うのも納得せざるを得ないのだが、問題はこのずれが戻った原因にも作用する危険性があるということ。
「特に今回の場合、戻った理由がわからねぇんだよな。王都のときは腹裂かれたり、二回目お腹パッカーンされたり、背中に刺されたり、とかだった訳で……」
「……昴は、辛くないのか?」
凄惨な死を聞き入れたライトは、揺れる湯船を見て呟く。聞いていてもただの冗談だと言えばそれで終いにできる。
だがライトは『死に戻り』について知ってしまった。今回のことがスバルに関係している訳ではない。もしかすれば、あの一夜にスバルとともにライトの命も消えてしまっていたのかもしれない。その可能性もあるはずなのだ。
そう考えると、恐怖が襲いかかってくる。いつその脅威がやってくるのか、ライトは震えて凍えそうなぐらいに。
だというのに、隣で淡々と語るスバルは辛さなんて感じない。むしろ次に勢いで託してしまいそうなくらいに。
「──辛いさ」
「なら」
「でもよ。誰の嫌がらせか知らねぇが、全部まとめて取り返して、吠え面かかせてやりてぇんだ。あの夜の笑顔にゾッコンになった俺を舐めんじゃねぇぞ、ってな」
天井に向かって拳を握りしめ、誰にともなく宣戦布告。
それはスバルがこの世界にきて、『召喚』と『死に戻り』を課した存在への。明確な反逆だった。
心強い。そう思ってしまった。ふざけているようにしか見えなかったスバルが、ライトにはどこか英雄伝としているようだった。
「──……初めて昴が心強いって思ったよ」
「へっ、ようやく俺の魅力に気づいちまったのか? まあ、泥舟に乗ったつもりで安心しとけっ」
グッと親指を立ててはから星を光らせるスバルに「なんだよそれ」と笑って和むライト。
安心感のない言葉が、今ではこんなにも真逆に聞こえてしまう。
と、二人の間に温かい男の友情が漂い始めると、浴場の扉が開いて雰囲気を払拭されてしまった。
「何やら楽しそうな声が聞こえてしまってねーぇ。私も混ぜてもらってーぇいいかな?」
ひょうきんに言ってに浴場に入り、股の聖剣を恥ずかしげもなく露わにしている全裸貴族がいた。
だんだんと近づいてきて、ついには腕を伸ばせばそれが掴めてしまうほどの距離に全裸が立ち、剣が湯船の風に揺れながら二人を見下ろしている。
「ご一緒してもいいかーぁな?」
「お断りします」
「私の屋敷の施設で、私の所有物だぁーよ? 私の自由にさーぁせてもらうよ」
「だったら聞くなよ風呂ぐらい勝手に入れ」
「おーぉや、これは手厳しい。だけど、わかっていない。確かにこの浴場も私の所有物だけど……」
これは一本取られたと言うように頭に手を添えるが、その手を下ろして、見定めるように彼のオッドアイがスバルを捉えて、
「使用人という立場の君も、私の所有物と言えるんじゃーぁないかな?」
ロズワールがスバルの顎に手を添えて、ライトを取り残して一瞬ラブコメが始まったかのように二人の視線が絡み合うものの、
「がぶり」
「躊躇ないなーぁ」
顎を摘んだ不快な指先を噛んだ。とは言っても力加減は絶妙で、一応の敬意をスバルはロズワールに払っていた。
同期のスバルと二人で浴場を独占。湯船は懐かしき銭湯の浴槽並みで、無駄すぎるスペースの使い方は貴族の道楽趣味丸出しである。それもあって独り占め、ならぬ二人占めは壮観なものだった。
出始めは興奮そのものだったが、この広さはガラんとしていて少し寂しげのため使い余していたのが実状。参加者が増えることは大いに結構なことだ。
だと言ってもこの状況は、
「これも想定と違う展開だよ……」
前回の四日間で、いずれもロズワールと入浴を共にしたことなどなかった。
仕事の問題でもある。前回でのループではロズワールは多忙を極めており、ほとんど顔を見合わせることもなかったのだ。身の回りの世話をする双子とは接していただろうが、ライトとスバルはファーストコンタクト以降を除いて食事で顔を合わせるぐらいで接触なんてなかったほど。
「何に悩んでるか知らないけーぇど、世の中うまくいかないことだらけだーぁとも。……」
「じゃあ、こっちにどうぞ」
「感謝するねーぇ」
何やら二人の間に入りたげなロズワールに、ライトは譲ることにした。
お言葉に甘えながら、湯船に入るロズワールはライトとスバルの間へ。
浴槽の壁に背を預けて長い吐息を吐く姿はどこにでもいる普通の男性で、どこの世界でも湯もみの快感が同様のもの。
「その様子だと、だいぶお疲れで?」
「少々仕事が立て込んでてね。まったく肩が凝ってしまうものだーぁよ」
笑いながら肩を手揉みするロズワール。領主ともなればデスクワークなんて切っても切り離せないものだろうに。こうも真面目な一面もあると知れば、一概に変態とは言えないのかも知れない。
「ま、こうして君たちと語らうことができるのは喜ばしいことだーぁとも。二人とも初日の仕事はどんなものだったかーぁな?」
「ぼちぼち、と言ったところです」
「俺はそうでもねぇ。二人ともスパルタすぎて追いつくのがやっとさ。ほれ俺のケビンも、もうやめてぇ、って言ってるぜ?」
言いながらにピクピクと大胸筋を交互に動かすスバルに苦笑いしてしまうライト。それでもライトの肉体は負けていない。スバルが力を象徴とする筋肉なら、彼は無駄のない筋肉だとも言えるだろう。そのつきようは一概にバイトで手に入れただけでは言い表せないものかもしれない。
彼と同様に苦笑いするロズワールは話を続けた。
「ラムとレムはちゃんとやっているかーぁな? 聞いても君たちを見れば大体予想はつーぅくけどね。あの二人は屋敷で働いて長いから、後輩との接し方も弁えているはずだーぁけど」
「レムとはまだあんましだけど、ラムとはうまくやってるよ。むしろ、ラムは少し馴れ馴れし過ぎる気が。先輩後輩以前に、俺がお客様の時点から態度変わらねぇよ、あの子」
同僚になる前後でも、彼女の振る舞いかたは変わらない。これは、ライトもよくわかっていることで、過干渉はせずにむしろ見捨てられてしまうほど淡白であった。
「なーぁに、足りない分はレムが補う。姉妹だから助け合わなきゃ。そう言う意味じゃあの二人はじーぃつによくやっているとも」
「そう、ですか……。俺はあんまりそういう感じじゃないように思うんです。レムちゃんの、何か追い立てられるような、頑張っているようなあの姿が、俺にはとても──」
──気に入らない。
心で思っていても口に出すことはできなかった。彼女だけでない、別の誰かの否定にも繋がるような気がして。
そうは思っていても、別にレムが嫌いという訳ではないのだ。ただ単に、見ていられないようなそんな感じがしてしまってうまく話せない。
「やっぱり君は──」
「へぇーなんか色々見てるんだなライトって。ま、レムにフォローされてばっかのラムが『姉だからラムの方が偉い』ときたもんだぜ? 勘違いじゃねぇの? 勘違い」
「そうかな。……そうだよね」
「ライトくんが一体何に悩んでいるかはわからなーぁいけど、スバルくんの神経はなかなかなものだーぁね。でもそうか、そんなふうに答えていたかい。ずけずけ踏み込んで遠慮のないことだ。実にいーぃことだよ」
「皮肉るとき気をつけた方がいいぜ? 俺ってばなんでも正直に受け取っちまうタチだからな」
空気が読める読めないにしてもこの二人が屋敷に与えた影響というのは大なり小なりあるということだろう。姉妹の件しかりエミリアとパックの件しかり。そういう意味ではロズワールのいう遠慮がないことにカテゴライズするのかも。
「皮肉じゃないとも。実際、いーぃことだと思ってるよ。あの子らは少し自分たちだけで完結しすぎてるからねーぇ。そのあたり、ちょこーぉっと外から他人が掻き回す……ライトくん、君みたいにね」
「え、俺ですか……」
「そうだそうだっ、何俺のエミリアたんに手ぇ出してやがんだ?」
標的がライトへと移行して、スバルがエミリアと仲良さげだった彼に目を鋭利なものにする。ない襟を掴もうとするように手を湯船に叩いているスバルに、ロズワールは片目をつぶって水飛沫を防いでいた。
「というように、それで変わるものも、きっとあるんじゃーぁないかな」
「そればかりはロズっちに賛成だっ、ぐぬぬ」
「なんでそんな目で見るのさ…… エミリアとはただの友達だよ、フレンド! 大体この話なんて朝済ませたじゃん」
ロズワール越しに意見にそぐわない二人が互いを睨み合う。
見合っていても疲れるばかりか、均衡を崩して二人は湯船に首まで沈めた。ようやく悪いムードが解けたのかと、ロズワールも同じように浸かって、三人はぬくぬくに全身を任せながら感嘆を交換する。それからふと、スバルは思い出したように壁に預けていた背中を離した。
「そだ、ロズっち。ちょっと聞きたいことあんだけど、聞いてよろしぃ?」
「まぁ、私のひろーぉくて深い見識で答えられる内容なら構わなーぁいとも」
「自分、いかにも博識なんです、って迂遠な言い方する奴なんて初めて見たよ。それはそれとして、この風呂ってどんな原理で湧いてんの?」
浴槽の縁に肘をかけて、指を湯船の底に指すスバルはいつからか湧いてきた疑問を口に出した。
ライトたちの浸かる浴槽は石材でできていて、質感はゴツゴツとしたような自然味あふれるものにはなっていない。磨かれたような、タイルのようなものになっている。
浴場はロズワール邸の地下の一角にあり、男女兼用でもある。それはつまりスバルが現在片思い相手のエミリアも、メイド姉妹も使っているのだ。
言ってもお湯の入れ替えは当たり前のように行われていて、贅沢なことこの上ない。費用としてはどれくらいかかるのか気になるのだが、領主でもあり魔術師の中でも偉い立場のロズワールなら気にしないでも大丈夫だろう。
「別に? 飲んだりとかしてないけどな。飲む前に気付いてたし」
「君の冒険心には驚かされてばーぁかりだ。私がまだ若かった頃に、君のその発想は出たのだろうか」
スバルの先を見ない若さを眩しそうに逸らして、流し目でライトへと目を向けるロズワール。
途端に彼からうっすらと笑みが消えたような気もするが、すぐに戻った。
「ともあれ、その答えは簡単だーぁよ。浴槽の下に火属性の魔鉱石を敷き詰めてあるわーぁけ。入浴の時間にはマナに働きかけて湯を沸かす。調理場でも使ってるはずだよ」
少しだけ、ほんの少しだけだが、ライトが皮剥きをしながらでも鍋の使い方を教えてもらったのだ。ユニコーンという精霊と契約しているとなればマナに卓越しているとでも思ってのことだろう。
実際使えると言ってもユニコーンに頼りっきりで、何かと火を扱う場面では持ちつ持たれつみたいになってしまった。
『マナに働きかける』なんて二人は知らない以上、スーパーシェフブラザーズなんて誕生し得ない。
「なんかさ、マナがどーたらって魔法使いとか、ライトとエミリアたんみたいな精霊使いとかじゃないとどうにもならねぇのか?」
「そーぉんなことはないよ、ゲートは全ての生命に備わっている。動植物すら例外じゃーぁない。でなければ、魔鉱石を利用した今の社会は成り立たないだろうしねーぇ」
「ロズワールさん……当たり前のように言ってる『ゲート』? って何なんですか?」
新しい単語の出現に疑問を述べるライト。向こうのスバルも首を捻っていることからやはりライトだけが知らない訳ではないようだ。
そんな二人を見かねてかどうかはわからないものの、ロズワールが口を固く閉ざしてライトを見る。
「──君は……あの人から何も教えて貰っていないのかい?」
「え」「あ?」
「……いんやーぁなんでもないとーぉも。よし、ここは一つ授業をしてあげよーぉうか。少し無知蒙昧な君たちに、魔法使いがなんたるものかをねーぇ」
ひらりと手を開いて片目を閉じるロズワール。
少し引っかかるものがあったのだが、それよりも魔法使いという単語が、二人の興味の虜にしていた。
ユニコーンの使う、魔法と言っていいのかもわからないシールド。パックの生成した氷柱をマナに戻して避けるように霧散、そして一部の吸収。あの魔法が一体どの属性に該当するのか全くもってライトは予想が浮かべないでいた。
「それじゃーぁ初級から。ライトくんはまだしも、スバルくんなら『ゲート』については知っているね?」
「頼みの綱だったんだろうけど、俺はライトと同じとこから来たんだよ。これぽっちも知らないでーす」
「すんごい急に声の調子落ちたね。そして二人ともゲートのことも知らないか……控えめに言って、え、それマジ? ってーぇ感じ。使い方、合ってる?」
『マジ』の使い方を確認をとるロズワール。砕けた言葉は主にスバルの口から発生するもので、ちょくちょくこの世界に輸入されつつある。特に『マジ』の使用頻度は日常生活で圧倒的に高く、馴染み深いものとなってきていた。
ロズワールの使い方に満点と言わんばかりに親指を立てるスバル。
「で、で、ゲートってぶっちゃけなんなの?それがあるとなしで何がどう変わるの?」
「ゲートだからそのままの意味で、門とか? ……違い、ますか?」
『ゲート』と言えばこちらの世界でも、門という意味でよく知られている。直訳であっても体から出てくる何かというのだけは朧げながら浮かんだライトが、恐る恐るロズワールに聞いた。
少し間を開けて「うーん」と唸るロズワールを固唾を呑んで見るライトとスバルはクイズ番組で正解しているかドギマギする参加者のようだ。
「ピンポーン。ライトくん、正解だーぁとも。せーぇっかくだから君に、この後の説明を任せてみるとしよう。先生からの試験だーぁよぉ?」
「んな抜き打ちテストあってたまるか。わかりませんでいいんだよこういうのは。男たるもの、時には諦めも肝心」
「なんでもいいんでしょ? 的外れじゃなかったら。……えーっと、『ゲート』は物の出入りをする門みたいなもので、マナを体に入れたり、吐き出したりできるもの、みたいな」
辿々しくもありながら結論を言い切ったライト。
思考回路を活性化させる音楽が各々の脳内で再生されるなか、ロズワールが顎に指を当てて天井を見た。
顔が戻って、指を鳴らした彼が片目をつぶって、
「及第点だーぁね。物の出入りで例えるというのはなかなかいい考えだーぁけど、貿易のように関税はかからないんだーぁよ。生命線だーぁからね」
「ふーんMP関連の蛇口ってことか……ま、俺も薄々わかってたけどな」
「わかってるやつは諦めも肝心とか殺生なこと言わないよ」
知ったかぶりスバルに疑惑の目を向けるライト。半月に開く目で見られてもなおスバルの態度は依然として変わらないため、これ以上聞いたとしても無駄なのかもしれない。
「ゲートが誰でもあるってことは、俺たちにもあるんだよな?」
「まーぁ、そりゃあるだろねーぇ。君たち人間?」
「──人間です」
「ただの人間が、跳んで縦横無尽に部屋を駆け回ったり、壁をぶち破ったりするわけねぇだろ。比べて俺は真人間だ。……モブです」
真面目に人間のはずだと思っていたのは違ったのか。知らないところで人外扱いされたライトは落ち込み、勝手に自滅して落ち込むスバル。
だが二人は気を取り直す。それは異世界に来て嬉しい情報、『魔法』という魅惑の単語が心躍らせたのだから。
「嬉しいことの一番はエミリアたんにあったことだけど、これもかなりヤバいな! 来たかついに俺も夢の魔法使い……待ってろよ? ライト。その玉座から今引き摺り下ろしてやるからな?」
「座ってもいない椅子から誰を引き摺り下ろそうっていうのさ。でもそうか……これでユニコーンに頼り切りにならなくて済むんだな」
「魔法の話でそこまで喜んでもらえるとなーぁると、魔法使い冥利に尽きるってーぇものだね。もっとも、ゲートがあっても素養の問題は大きい。自慢でしかないから自慢を言うけど、私のように才能に恵まれることはまずなーぁいもんだよ?」
フラグ、立ちました。バサッと豪快かつ軽やかな音を立てて。
自信満々なロズワールは知らない。両隣に座すのは異世界から召喚された『招かれし者』であるという事実を。
異世界から呼ばれた召喚者には特殊な力が宿るものなのだ。現にライトにはユニコーンという、エミリアやパックでも見たことのない契約精霊を授かっていた。ならばスバルにだってあってもいいはずなのだ。ここまで偏りがあるのはバランスが悪い。
「きたぜ、ロズっち。俺の新たな希望だ! 魔法、魔法、魔法トークしようぜ。乗るしかねぇこのビッグウェーブに! 俺の輝かしい未来がな!」
「そーぉ? それじゃ続けちゃおう。魔法には基本となる四つの属性があるわけだーぁけど、知っているかなーぁ?」
「知らなーい!」「わかりません……」
「あはーぁ、無意味で無目的で無邪気なまでに無知で素晴らしい。気分いいから説明しちゃう。火・水・風・土の四つのマナ属性だ。わかったかーぁな?」
「基本中の基本だな!」「……わかりました」
興奮に先を進めたいがあまりにスバルがスキップボタンを連打しまくっている。その片方には今一歯切れの悪い返事をするライト。
どう考えてもあのユニコーンの現象に合致する魔法が四属性の中から思い浮かばないのだ。
燃えるようでも流体のようでも野原を走る風のようでも、ましてやどっしりと構える大地でもない。何か『光』のようなものだったような気がする。
「熱量関係の火属性。生命と癒しを司る水属性。生き物の体の外に働きかける風属性。体の内側に働きかける土属性。主に属性はこの四つに大別されていて、普通の人はその中の一つに適性があるってーぇこと。ちなみに私は四つの属性全てに適性があるよーぉ?」
「わぉ、自慢がウザイがここは素直に褒めてやる。すごい! 属性ってどうやって調べんの?」
「もーぉちろん私ぐらいの魔法使いになるともう触っただけでわかっちゃうとも。──ライトくんに関しては見ただけでわかったけーぇどね?」
「え」
「マジ? ライトってひょっとして……いぃやきっとユニコーンの属性から来る予想だろ? 俺ちゃんわかってるんだもんね!」
スバルの言葉に納得するライトだが、それでもユニコーンは四属性に当てはまるものではないのかもしれない。実は予想よりもすごい精霊で、四属性を束ねたこともある偉大な精霊なのかもしれない。あのパックも偉い立ち位置にあるとさえ豪語してくれたのだ。
しつけのなっていいない犬みたいにはしゃぐスバルを生暖かい目で見ながら、ロズワールは双方の額に掌を押し付けた。
「よっし、んじゃちょこーぉっと失礼します。みょんみょんみょんみょん」
「うおお! 魔法っぽい効果音だ! 水見式とかそんなのじゃなくてこれだけでわかるとか、ロズっちマジ偉大!」
二人はただ診断結果を待つ。片方は希望に瞳を輝かせ、もう片方は座禅を組んでいるように落ち着いて。
どこか懐かしいこの空気も、額から手のひらが離れたことで瞑目していたライトの目が開く。
「──よーぉし、わかったよ」
「きた。キタキタキタキタぁ! 待ってました! 何になるかな。やっぱ情熱の火? それとも冷静沈着クールガイな水? あるいは草原を吹き抜ける爽やかな風? そ・れ・と・も、どっしり台地のように頼れる土?」
「うん『陰』だね」
「ALL却下!?」
耳を疑う診断結果が飛び出して、思わず悪い病気を告知されたような反応をとってしまうスバル。
そしてその反応を苦笑いで内心楽しんでいるライトにも目を向けながらロズワールは重い口調で答える。
「もう完全にどーぉっぷり間違いなく『陰』だね。ライトくんは『陽』だよ。二人とも他の四つの属性との繋がりはかなーぁり弱いね。逆に言えばこれは珍しーぃ部類なんだけどねーぇ」
「……『陽』?」
「は!? 『陰』と『陽』ってなんだよ! 分類四つって話じゃねぇの!? いつの間に性格診断みたいになってるんだけど!」
「話さなかったけーぇど、四つの基本属性の他に『陰』と『陽』ってのがあるにはあるの。たーぁだし、該当者はほとんどいないから説明は省いたんだけどねーぇ」
ほんの極一握りにも満たない確率を引いた、というらしい。
限りなく希少な属性ということは、それすなわち例外。例外、それはつまり、
「特別な力……」
「特別な力とはつまりチート能力。てことはすげぇ属性なんだろ。五千年に一度しか出ない超激レア的な!? それがここに二人いるからレアリティ下がっちまったけど。で、どんな魔法使えんだ!?」
「そうだねぇ、『陰』属性の魔法だと有名のなのは……相手の視界を塞いだり、音を遮断したり、動きを遅くしたりとか、それが使えるかな」
「デバフ特化!?」
「『陽』属性は使用者自身や指定した相手に、身体能力を強化する魔法が多い。あとは光線を放ったり、とーぉかね」
「俺はバフと光線!? やったぁ」
デバフは敵を弱体化させるなら、バフは味方に支援するスキルの総称。それに加えビームも使えるときたものだ。これに興奮するなと言われてしない人がどこにいるのか。
デバフの陰属性よりも攻撃魔法が好きなのか意外にも好戦的なロズワールは、陽属性の効果を口にする。
陰魔法もちょくちょく話すのだが、本当に申し訳なさそうだ。
「異世界で召喚されて武力も知能もチートもなし。ライトに吸われた。この責任はそれ相応のけじめが必要だよなぁ?」
「ちーぃなみにスバルくんは魔法の才能もないね。私が十なら君は三ぐらいが限界値だよ?」
「さらに聞きたくなかった事実だよ! もはやこの世には神も仏も閻魔様もいやしねぇ!」
体を湯船に投げ出して大の字に浮かぶスバルは言い方を悪くすればドザエモン。期待を本当の意味で裏切られてしまえばその反動も絶大なのだろう。
空気が抜ける風船のように萎んでいくも、期待はなかなか拭えないスバルは考える。
「使えるだけでもよしと考え……でも、アサシン適正もあるって考えれば結構いいのか? じゃあライトの才能はどうなのよ。ロズっちを超える逸材とかだったらいよいよ飛び降りも視野に入れかねん」
「物騒なことを言うもんだーぁね。ライトくんはなかなか複雑なゲートを持っている。生まれ持った病気と言ってもいい」
スバルが考える人のような姿勢で固まり、ライトの表情が死んだ。
──先天性疾患。それは生まれつき体や臓器の機能に異常がある疾患のこと。それがゲートにあると言うことは、ライトの体は今こうして生きている瞬間にも異常があること。
聞きたいこと山々の話を、宮廷筆頭魔術師の立場にいるロズワールも言いづらそうに話を続ける。
「ゲートからマナを取り込んで、取り込んだマナを行使すると言ったけーぇど。供給が高すぎるのも当然ながら問題があるんだーぁよ。積もり積もったマナはいずれ宿主の中で膨れていって、そして……」
口から開いて、ロズワールからパッと空気が破裂する音が発せられる。
ライトの顔色がさらに悪いものとなっていく。掌を勢いよく開く様はまさしく爆発四散。そのジェスチャーからは冗談めいたものを感じたが、彼の口調からはもっともなことを言っていた。
それを見かねてか、ロズワールは柔らかな笑みでこう続けた。
「まぁ、君の場合大精霊様もいることだから、てきどーぉにマナが維持されるはずだーぁとも。本来精霊が実体化するにはマナを消費するから心配しなくても大丈夫だーぁとも。きっと、多分ね」
「ライトの顔が百面相みたいになってるよ。大丈夫なんだよなロズっち」
チートはないにしても、命に別状がある病気さえ診断されてしまったライトに、スバルは煽ろうにも煽れなかった。
彼からの確認に対してもロズワールは片目を閉じてウインクをするのみ。全くもって安心感なんてない。
今までライトが生きていただけでもかなり奇跡だったんじゃないだろうか。ユニコーンは神様仏様。
「命の保証はするとも。それに、魔法に関しては二人ともそれぞれの属性の専門家はちゃーぁんといるからね。使いたいのなら教わったらいいとも」
「ライトの場合はユニコーンだろ? いいな、お前は手取り足取り……そうか! 手取り足取り魔法を教えてもらえると言うシチュエーションにこそ満足するべきなんだ。よし、風呂上がりにさっそく!」
エミリアに魔法の手ほどきをしてもらって、ライトに奪われた親密度を挽回しようといきり立つスバル。もはや前回をなぞると言う目的など忘れかけている。
「勘違いしているみたいだーぁけど、『陰』属性の専門家はエミリア様じゃーぁないよ?」
「な・ん・だ・よ! さっきからそんなに人の心を弄んで楽しいのかよ! じゃ専門家誰よ! お前か! それともレムとラムどっちかか!? こっちだったらまだ男の子としては申し分ないね!」
「ベアトリスだよ」
「申し分あるわ!!」
ばしゃーんと、手を湯船に叩きつけて、今宵最大の叫びが炸裂した。