「────ッ!!」
左腕の鈍い痛みと腹に響く痛みがライトの目を覚まさせる。
頭を割られかけたところには痛みといったものは何もない。痛みだけが残響して幻肢痛を伴う中、その部位は未だ健在だ。
内臓の痙攣するような感覚に晒されながら、ライトは力の入らない身体を無視して息を吸い、
「ユニコーン起きろ──ッ!!」
一人しかいない部屋に響くライトの声が、引き出しの中に眠る一機を呼び覚ます。
刹那、引き出しが爆音を発生させて扉の方にまで吹き飛んで二度跳ねると飛び起きた者が浮き上がってくる。飛び上がると緑色のバイザーにライトを映して瞬きする間。ライトへと進路を決めてそのスピードを上げていく。
「うっ──ユニコーン?」
ユニコーンがネックレスを握りしめて胸に飛び込んでくる。痛みで左腕や鳩尾のキリキリするような感覚は一度リセットされて、ライトはようやく幻痛から解放された。
何事かと言うのは野暮なことだ。一度死にかけて、鬼と化してしまったレムに不意打ちではあっても手も足も出なかったのだ。その敗因が主人であるライトのせいだとしても、ユニコーンは彼に怒ったりなどしない。
健気なユニコーンにライトは申し訳ないことこの上ない。
「どうしたらいいんだよ……」
見覚えしかない白い天井に、ライトは雑言を吐き出した。時期はロズワール邸初日だ。それはイコール死に戻りしてしまったということ。死に戻ったということは、スバルのことを守れずに死なせてしまったことになる。
己の無力さを呪いたくなる。ユニコーンに手間をかけさせ、そしてレムも助けたくなって、スバルも助けたくなって死にかけて。結局何も拾うこともできずに手のひらには何も残らない。こぼれ落ちてしまったのだ。死に戻りしてしまった。
二兎追う者は一兎も得ず。言い得て妙だ。いや違うのかもしれない。二度目のループで手に入れたものも今では何もなくなり、そしてその時あったものでさえ無くしてしまった。それは──自信。
存在意義が揺らぐ。力はユニコーンに頼りきりなのに、それでいて二人を救おうという救いようのない傲慢っぷり。全くの無力っぷり。
「もう……何もしたくない」
頭に小さい感触が乗ってライトは目を静かに閉じて外界からの情報を遮断。自信喪失するライトの頭に労って撫でるユニコーンはどういう気持ちなのだろうか。
何もしたくない。だというのに、この心には疼きがある。
怠ける自分は許さない、そんな自己を縛り付けるようなもの。心の本質、心の根っこがどうにも納得がいかないと叫んでいる。きっと、話し合えばわかるはずで、分かり合えることができる。その可能性を拭おうにも拭いきれない。可能性があるのだから。
「レム……魔女教。……ラム」
糸口か。レムをあそこまで縛り付けるものは過去。断定はできない。姉への異常なまでの愛情とその姉からも与えられる愛情。──姉妹愛。
まず、魔女教が何のなのかさえわからない。魔女教とレムとラムの過去に直結できることは確実。魔女教が彼女たち姉妹を、一体どうしたというのだろうか。
……こんなに冷静になれるのは、喪失によって余白が生まれたことによる余裕か。
「おれ、今どこにいるんだろう」
「姉様、姉様。お客様ったらまだ寝ぼけていらっしゃるみたいです」
「レム、レム。お客様ったらこの歳で可哀想にボケてるみたいだわ」
外界から閉ざされていたライトの意識が、彼の不意に出てしまった言葉に反応したことで飛び上がった。目を開けてみれば扉の前には青と桃のメイド姉妹が立っていて、ユニコーンはいつの間にかネックレスの中に戻っている。
一言前に言ったことを、二人に聞かれたらそれでこそ一発でアウツ。すぐさま尋問もとい拷問が始まってしまう。というのは冗談なのだが、それでも前回のループのレムの態度から考えてみれば、信頼度がなければ有無も言わせずに全身を痛めつけて、情報を吐き出した後に抹殺。なんてこともあり得る。
「レ……あなたたちは?」
この世界ではまだ二人の名前を知らない。片方はすでに名乗ったのも同然なのだが、一応聞いてみる選択をとったライトは逸らしたい目を逸らさずに言った。
「ロズワール邸使用人、レムです」「ロズワール邸使用人、ラムよ」
同タイミングなのも相変わらずだ。ぶっちゃけなんて言っているのか名前のところだけごちゃごちゃしていたため、初見ではわからずもう一度聞き直しているだろう。
二人からの視線も声色から感じる温かみも、全てが他人に向けるものと同一であり、よりライトは自身が戻ってしまったことが現実だと悟った。
「そっ、かぁ……昴は?」
目覚めたとき、いつもなら茶化しにくるスバルの姿が一向に現れないことにライトが疑問に思った。それに、二人の態度もどこか物悲しげにも思えてきて、ここにくる前に何かあったのかさえ勘繰ってしまう。
ライトの問いに、二人は視線を合わせると少し考えるそぶりをして、レムが瞑目。そのレムの様子を見て、ラムが一歩前に立つと一礼した。
「もう一人のお客様は……レムを見た途端、頭がおかしくなったのか叫び出してしまったんです」
「頭って……はは、多分気が動転したんじゃないかな」
体がぴくりとも動かないライトは、目だけを向けて答える。気の利いた言葉は思いつかないのはスバルがそうしてしまうのも、前回のあの日の夜を思い出したのなら仕方がないのことだとわかっているからだ。
だいぶ時間も経っているはずなのに、体はエネルギーが足りないのか動かせずにいる。きっと起きないライトを見て、二人は疑問を抱くはずだ。何とか……
「お客様。いつまでも惰眠を貪るのはやめたらどうなの?」
「いやそれは──ぁ」
言葉を紡ぐ最中、不意に鈍い音が静寂を破った。
話に考えてやっと答えようとしたと口が、止まる。自分の腹から発せられた音だと気づいた瞬間、ライトは顔が熱くなるのを感じた。
気まずさが場を支配する中、相手の視線が一斉にこちらの、腹部の方に浴びせられる。
ラムは「ハッ」と嘲笑し、冷ややかな蔑視の目をライトに刺した。
「相手の質問に唸り声で返すだなんて、お客様はきっと野蛮人なのね」
「ちょ、これはちが──」
ダメ押しのように再び腹の音が響いた。
耳まで熱を持つのを感じて、今まで干渉を避けていたレムに目を向ける。
彼女でさえもラムのように冷ややかな目を向けて、「フッ」と嘲笑。もはや誰もライトを助けてはもらえず、心なしか楽しんでいるような気もして、顔を覆いたくなる。覆う手も動かせないのだが。
この状況はもはや挽回する手立てもなく、さっきとは景色が変わったような無力感が、胸の奥にじわじわと広がっていった。
誰もがベッドに横たわる人物に言い訳の有無も言わせない空気になる中、ライトはゆっくりと口を動かす。
「──すみません……ご飯ください」
*
*
「仕方ないお客様ですね」
「……本当にすみません」
食事を終え、嫌味を言うレムに口元を拭いてもらうのは頬に一閃の雫を流すライトだ。
これには海よりも狭く、ダムよりも浅い理由があるのだ。
この体は前回と前々回に引き続き体の言うことが聞かない、と言うよりは燃料不足で動かそうにも動かせない状態にある。
燃料不足はおそらくマナが足りないということだ。先天的なライトの病によりゲートからマナを取り込む、いわば呼吸とも言える活動は行われているのだが、一向にユニコーンが顕現しないのがマナ不足の表れだと考える。マナはいわばこの身体を巡り巡る血か酸素と同等のもので、足りてなければ死んでしまい、逆に過剰であればあるほど身を蝕む毒へと早変わる。嫌味なロズワールから学んだことがここに繋がるなんて思いもしなかった。
「ありがとうレムちゃん。身体……少しは動かせるかもしれない」
「それはよかったですね、お客様」
──お客様。
同僚となり、働いて四日の頃はあんなによく話してくれていたと言うのに、そんな面影は微塵も感じさせてくれない。当然のことだ。死に戻りをして、巻き戻ってしまったのだから。
だからこの淡白な会話も仕方ないのだ。仕方が、ないのだ。どうしようもできない。
「それでは失礼します。お客様」
「ちょっと待ってくれ──」
「まだ何か?」
ライトの引き止める声に、台車を押すレムが振り返る。振り返ってくれたレムの表情には何も感じることもできない冷たいものしかそこには残っていなくて、ライトの口が強張ってしまう。
何も言えずただ左手を向けるライトに、レムはこれ以上待つ必要がないと判断してスカートの両端を掴む。
「何もないようですので、今度こそ失礼します。お客様」
丁寧に一礼をして台車を押し、部屋の外に出たレムが再び一礼をした。
扉が閉まり、残るのは一人の呼吸と静寂な雰囲気。キャスターが回る音と足音が離れるのを確認するとライトは一つ、深いため息を吐いた。
「ラムちゃんは……朝ごはんをベアトリスちゃんとロズワールさんに。それと……」
──エミリアにも。
あの日の夜。エミリアはどうしていたのだろうか。過ぎた日のことを考えるのは無駄だと言うのだけれど、それでも気になってしまう。
微精霊と話すために外に出ていたのだが、あの騒音を聞き入れて異変を感じてもおかしくない。来なかったのは、──来れなかったのかもしれない。眠っていたパックに止めれたのかもしれない。もしかしたら、
「昴、か。まさか……エミリアは昴の──っ」
最悪な一つ可能性だ。あのとき、昴の死に目に立ち会っていたのかもしれないのだ。頭の中で、彼女が涙を浮かべて昴の体を抱きしめる光景が浮かぶ。それは想像に過ぎないのに、嫌に現実のように鮮明だった。
胸に込み上げてくるものが体の中にある管を通して喉元につっかえてしまいそうになって、ライトは固唾を飲み込み押さえ込む。
もう終わってしまったことは考えなければいいのだ。そうすれば逃げていられる。
「逃げられるわけ、ないだろ……っ!!」
ベッドに感情が当てられて柔らかい音が拳を優しく包み込む。心はこんなに昂り、怒っているというのに。
噛み締めすぎたのか、口の中に血の味が広がっていく。
体も調子が戻っていき、自分の意思通りに動かせるというのに、現実とはどうしてこうも動かないのだろうか。
「何を悩んでいるかわからなーぁいけど、うまくいかないものだよ」
「ロズワールさん……」
扉を開けて共感の意を示すのは、背に届くくらいに伸びる青髪に、道化のように奇抜な服装をしたこの屋敷の主人──ロズワールだ。
目を細めて小さく嘆息するロズワールを見てライトは自身の失態に気づいた。まだ何も紹介されてもいないというのに、目の前にいる貴族の名を口にしてしまったのだから。
「あぁそのこれは……」
「いーぃやそのままで結構だ、タカナシ・ライトくん。……スバルくんはこの屋敷で食客として扱うよーぉうにしたよ。エミリア様を救ったお礼としてだ。わーぁたしロズワール・L・メイザースが直々に君の元に来た理由も」
「褒美、の件……」
「そうゆうことだーぁね。スバルくんのようにくっちゃね放題するもよーぉし。君たちがしてくれたことはそれに値するものだーぁからね。褒美は思いのままさ、なんでも言ってくれたまーぁえ」
この部屋の中にはライトが生じさせた陰鬱とした暗い空気が漂っている。こんな中で食客として扱われるのを許される甘い汁に啜るのもまた一興。
だが答えは決まっているはずなのに、なかなか言い出せずにいたライトは毛布を握りしめて皺を作った。
ここにいてもいいのだろうか。またあの日のような事件が起こって、ロズワール邸の日常を壊す原因になってしまったら。
不安がよぎり、逃げ出したい自分もいる一方で、それに対抗する心根もまた存在する。ここにいればきっと──何かが見つかる。
そんな気がしてならないのだ。この世界というより、この屋敷に来てから何度もフラッシュバックのような、存在しないはずの誰かの低い声が聞こえてやまない。
『赦す、か』
原因をライトは知りたいのだ。自分の中の止まった歯車が軋みを出して揺れ動いているような、そんな感覚が起こってしまう起因を。
だからこそライトは、
「おれをここで、雇ってください……」
再び、ここで働くことを決断した。
*
*
前回と同じように、スバルの策を試してみることにした。
ユニコーンを禁書庫に預けて、衣裳室へレムとラムについていく。
「ここは?」
「ここは衣裳室です。これからお客様、改めライトくんにはここで働く上で必要な執事服を選んでもらいます」
「お客様、改めトライ。お似合いの服があるといいわね」
レムが丁寧に説明する中、ラムが腕を組んで先輩面をした……実際先輩なのだが。
「じゃあ……これにするね」
「わかりました。試着室はあちらです」
レムに手で案内され、試着室へと入っていき、着慣れた純白の執事服に袖を通す。
やっぱり合う。
幕を払いのけて二人の前に立って、ライトはその場で一回転する。
「どうかな?」
「手足の裾がすこし足りないみたいですね。その点を除いてみれば、よく似合っていると思います」
「えぇ。小さなミスをしてしまえば簡単に台無しになる服。不便極まりないことだけど、似合っていると思うわ」
鏡に映るライトの斜め後ろに佇むレムが丁寧にお辞儀をしてから言った。評価に関しては前回と特に変わらない。
前回と変わらない評価を受け取る。また試着室へ入り元の服へ……
着替えて腕にかけた使用人服をレムに渡して、扉の前で待つラムの元へ足を進めた。これから、寝たり起きたり、勉強したりするプライベートルームをライトはラムの案内の元で選びに行く。
今は空っぽでも前の世界では自室であった部屋をライトは選んで、ラムから今日の仕事の説明が入る。マシンガンのように伝えられる聞き慣れた業務を流しながら、スバルが今どうしているのかを思い馳せていると、説明が終わったようだ。
止まった場所はどこかの部屋の前で、ラムが立ち止まると振り返ってライトを見る。
「これが今日の業務よ。わかった?」
「あぁわかった。あーでも昴と話してもいいかな? 一応苦楽を共にした仲だからさ」
瞑目してラムが仕方のない新米執事に深いため息を吐く。ロズワール邸は人手も少なければ多忙を極めており、流石のライトも先輩相手にこれは生意気だったのかもしれない。
確固たる意思で目を閉じるラムをライトが見て数秒。粘っていても流石にダメかと諦めていたときだ。
「仕方ないわね。お客様の使っている部屋は、ちょうどラムたちが立っている扉の前よ。わかったら話を済ませてちょうだい」
「なるべく早く、ね。わかった……話してくるよ」
扉から少し離れたところでラムが待機するのを見て、ライトは軽く手を振り扉へと瞳を移す。
ゆっくりと扉の面に手を上げて柔らかに握って拳を作り、叩く。
ライトの叩いた扉の音は、心配と焦りの乗ったようなものだった。
「昴、おれだ……来翔だ。入っていいか?」
ライトの心は首の皮一枚かろうじて保ち立ち上がることができたものの、スバルが同じように立ち直れるかといえば絶対ではない。彼の逃げの心の現れが食客という立場を得たことに繋がる可能性も、今回は視野を広げて第三者的立場で立ち回ろうとする可能性だってある。
ドアを叩いて十数秒が経過したが、向こうから返答の気配もなければ動いているような音もない。
開けていいのか迷って、ライトが視線を少し離れた場所で待機するラムに目を向かわせる。こういった場合は相手の心を汲んで放っておくべきなのか、押し通って入るべきなのか迷いどころ。
目でどうすればいいのかわからないことを露わにするも、ラムはライトからそっぽを向いた。他人の心など気にせずにズカズカと踏み込んでいくのがラムなのだと勝手ながら解釈する。
ならば、これは入ってよしという意思の表れだと思えばライトに迷いはない。
「開けるぞ」
軽く息を吐いて、意を結するようにライトがドアノブに手をかける。冷たく感じた金属が、わずかな緊張を増幅させるようだった。ノブが回る中、心の中で何度も問いかけながら静かにドアを押す。
開けた先で彼とちゃんと話すことができるのだろうか。
ドアのヒンジから生まれる軋みがやけに大きく響くのを感じて、人知れずライトは固唾を飲む。
空いた隙間から覗いたのは、上体を起こして明るく照らされている森を虚な目で眺めているスバル。
部屋の中に足を踏み入れて後ろ手にドアを閉めると閉まる音が響き渡り、スバルの顔が不意にこちらへと向けられた。
その目には一瞬、強い不安の色が宿っていた。何かに恐れ、身構えるような鋭さがある。しかし、ライトの顔を確認すると、
「ライト、か……」
眉が緩み、張り詰めていた肩をゆっくりとスバルが下げる。低く呟く声にはどこか安堵が滲んでいる。
目の奥に漂っていた不安はいつの間にか消え、代わりに柔らかな光が浮かび始めた。
「どうしたのさ、不安そうにしてたら急に落ち着いて。まぁ動きがうるさいのは昴の平常運転だけど」
「へへ……その通り過ぎて乾いた笑いしかでねぇ。ライトは、またここで雇ってもらったのか?」
「……うん。おれは探したいことが、あってね」
「また、もしかしたら──死んじまうかもしれないってのにか?」
スバルがベッドから目を背けずに呟いた一言に、ライトは無言で頷く。
死んでしまうかもしれないのは前回も前々回も全く同じ条件だ。ただ、ライトの近くには危険人物とも言える人が最低でも二人いる。ロズワールとレムである。
ロズワールに関してはただの直感と片付けるにはできないことが前回のループではあった。ユニコーンとライトを確かめるような言動に意味深な発言は、十分に自身のことを何か知っている可能性が高い。それゆえに寝首を狩られそうというのが懸念点。
レムに関しては、正直に言うとわからないのだ。人柄は信じてもその人柄を超えてしまうほどに彼女を不信へと追い込むもの──魔女の匂い。これに関してが本当に謎なのだ。
わからないものをずっと考えるわけにはいかず、ライトはその話題をひとまずは置いて口を開く。
「……何があったんだ? ──前回の、死んだとき」
ゆっくりと紡がれるライトの言葉に、スバルはベッドへと倒れ込んで両腕で寒さに怯えるように体を抱き止める。
「ライトが逃がしてくれたあと、外に出たんだ。その外に出る途中に、急に寒気がして、体に力入らなくなって。……そしたらさ、エミリアがいてよ……慌てた顔したエミリアが泣きながら……」
「もういい……もういいんだ。わかった……言わなくていい昴」
この後に続く悲劇を語ろうとしたスバルの口をライトが上から挟んで止めさせる。震えて、涙声で途切れ途切れに語るスバルが見ていられない。
寝台の横には椅子が置いてあって、思いつくのはロズワールがここに座っていたということ。ライトがここにくる前に、スバルの処遇をロズワールが決めるためのものだ。
寝台で啜り泣く声を耳にしながら、ライトは顔を覆って目を背ける。エミリアは友達であるライトと楽しみを共有したくて律儀にも彼のことを待っていたのだ。そして待ち人を待ち、来たのは何者かに衰弱させられて今際の際を彷徨うスバル。
最悪すぎる。下手な約束を取り付けてしまったから、エミリアを、そして彼女の悲しむ姿など見たくなかっただろうスバルが見たのだ。
「それでさ、ロズワールが来る前に……エミリアが来てくれたんだよ。レムとラムが心配してたってさ。笑えてくるよ……あいつだってそうしたくなかったのにさ……ここでは何もないはずなのにめちゃくちゃに叫びまくって」
両腕を解いて鼻を啜りながらも自虐を言い、打ちひしがれるスバルは枕に手を向かわせて皺を作る。これからいうことが苦悩を強いられるものであるかのように。
「それは……いいんだ。あの後……エミリアに、俺の今までのことを言おうとしたんだ。そしたら──心臓を握りつぶされて……」
「心臓って、何言ってんのさ……」
「『死に戻り』だよ……。エミリアに話そうとした途端に時間が止まって、エミリアの顔も時間も空間も全て止まって色褪せててって……。なぁ、なんでだ? なんで……どうしてっ、ライトにだけ話せて他のやつらには話せねぇんだよ?」
涙で顔を汚すスバルが振り返って噛み付くように質問しても、ライトは答えられずにいた
『死に戻り』はライトにだって当然わからないものでどうして戻ることができて、どうしてスバルについていくような形なのか。
だが、一つだけわかるものといえば、これは禁句なのだろう。恐怖を刻み込んでそれ以上言わせないための罰。
喉まで出かかっている慰めの言葉が、スバルに話せないでいたライトは目を逸らす。
「どうしてだよ──ッ! どうして……あれは、嘘だって言うのかよ。……俺が、俺たちが、何したっていうんだよ……。これ以上、何したらいいんだ……」
「昴……」
声を荒げて、内の苦痛を曝けて吐き出すように、スバルはその激情を叩きつける。だが、言葉も勢いを失い、芯を失って撫で付けるものへと曲げていく。
喉をしゃくりあげ、込み上げてくる熱いものを次々に頬へと流すスバルを、ライトはただ呆然と立ち尽くして受け止めることしかできなかった。スバルはあの日の夜の、感情の流れない目と迷いと殺意の狭間を右往左往して、狂うレムしか目の当たりにしていない。
でも、それでも、ライトはスバルにレムを信じるなとは言えなかった。決死の覚悟でレムの元に行ったライトは見たのだ。眉を悲痛に歪めて、選択肢を見出せずに迷うまま拳を突き出すレムを。振り解くまで彼女は迷っていたのに、結果最悪に振り切らせたのはライト。
「俺はもう嫌だ」
「は?」
後悔の苦渋に思考を滲ませるライトに空白を産ませたのは、手のひらを顔に押し付けて声を篭らせたスバルの否定。
息が喉のしゃくりでうまく吸えなく、ときたま呻めきをあげるスバルが、言葉を紡いでいく。
「もう嫌なんだ……あんな目でもう見られたくない……レムのあの目が。だから俺は……」
「……逃げるっていうのか?」
受け入れられず、仲良くなれるはずだった人からスバルは目を背けて、たった一人の理解者かもしれないライトの手を避ける。
現実から目を背けて、ひたすらに頭を出さないスバルにライトは歯を食いしばって下で鉄の味を確かめられた。奥歯が軋みをあげて痛みがライトを冷静にさせようとしても感情は胸の内で増すばかり。
「どうして、なんでさ! ここで逃げても何も問題は解決しないんじゃないか!」
「──わかってるんだよ、そんな言葉ッ──!! 結局さ、お前もいい人ぶりたいだけなんじゃないか? 俺を励まして、自分が正しいってそう思いたいだけなんだろ!? お前が心配そうな顔していても裏では俺のこと邪魔だって言ってるんだろ!」
眉を怒りに操られ目の奥が痛くなるくらいに叫ぶライトをさらなる憎悪でたたき伏せる。
憎しみを当てられ、スバルを前にして怒りが霧散してしまったライトは呆然としてしまう。舌が空回り、言いたいことが脳でも追いつかなく出力できないライトは引き攣る肺を取り戻すために息を吸った。
乱される心を押さえつけて目の前が見えかけたライトは、かかる布団を突き飛ばしたスバルに押し飛ばされ、壁に背中をぶつける。襟に掴みかかり怒りで引き攣った笑みを差し向けるスバルに、ライトはしたいことしか言えない。
「違うんだ。おれはそれでも、みんなと過ごしたいからで──」
「うるせぇッ!! お前はそうやって、みんなと仲良しごっこしたらいいじゃねぇか。俺のことなんか放っておいて、屋敷の襲撃からみんなを守ればいい!! お前にはチート特典のユニコーンがいるんだからさ──っ」
異世界に突然落とされて、与えられた能力が他言の許されないセーブ&ロード。どうせなら俺強えEEE展開を望んだスバルは、盗品蔵で目の当たりにしたライトのチートとも言える力を羨み、妬んで、殺伐とした言葉を殴りつける。
死んだこともない、綺麗事ばかり目の前に見たくもない光を照らすライトに。
己の心情をぶつけてネガティブに言葉を汚し吐き捨てるスバルに、ライトは何も言えずに鋭利な光を宿らせる黒の双眸を見ることしかできない。
怒りを空気に流し込んで、この部屋を温度の高いものとする二人は、
「今の言葉、聞き捨てならないわ」
「ラム、ちゃん……」
「ラ、ム……」
開けた扉を閉じ、薄い胸の前に腕を組んで二人を検察する桃髪の少女に止められた。
二人の口から出た言葉を吟味するように目を瞑るラムが、細い二の腕に人差し指を叩いて歩みを進める。行先は壁に押さえつけられるライトと、押さえつけたまま顔を向けるスバルにだ。
「あなたたちはこの屋敷に招き入れているの。トライはロズワール様のお屋敷で雇われ、お客様は客人として。でも、たとえエミリア様の恩人ではあっても、よそ者ということに変わりはないわ。今の話、正直に話してくれると助かるのだけど」
「あっ、え……くっ」
目を開け、懐疑心を刺し止められる一人のスバルは何も言えず、ただ怯えて襟を掴んでいた手の力を抜く。
足を恐怖で動かせず、震えることしかできないスバルをライトは首をさすりながら猜疑心を体の隅々までに当てるラムの前に立つ。
こうなってしまえば、もう後には引くことはできない。ならば、ここはいっそのこと開き直って言わなければ。
それが例え、
「わかったラムちゃん。昴、おれは──信じてるから」
「──ぇ、ライトやめろ……お前」
苦しんだとしても。彼の、スバルの言う──『死に戻り』を。
憎悪に塗れた言葉を浴びせられたはずのライトは微笑んで、ペナルティに恐怖を刻まれたスバルが引き止めようと手を伸ばす。弾き飛ばして、押しのけた手を自分勝手に伸ばすスバルは行き先を保身と不安のどちらにも彷徨わせる。
どんなに表面を取り繕っていたとしても、やっぱりスバルの心根はいい子だ。スバルの目に宿るものは恐怖が入り混じっていたとしても、それは他者を気にかける心痛なもとに歪めていたのだから。
だから、ライトは話す。
「耳を塞いでくれ昴。……ラムちゃん、実はおれたち──いや、おれは」
──『死に戻り』を語ろう。
正直に話さなければ抵抗の意を示したところで絶対に話させると顔に書くラム。
例え嘘を言ったとしても、ループで過ごしたラムと接したからこそわかるのだ。彼女は聡く、包み隠した嘘は跡形もなく切り開かれてしまうのは目に見える。だからこそ、正直に話すしかない。
例えスバルの言うような、心臓を握りつぶすような現象に陥ったとしても。
「……ラムちゃん。おれは『死────」
もしかしたら何もなく、ただ受け流されるか、真摯に聞き入ってくれて状況の打破に手を貸してくれたらと淡い希望を抱いていた。だが、そんな気持ちに行き届かせないように時が止まる。
一瞬が永遠と言えるほどに引き伸ばされ、果てを感じさせない今に無音が過ぎ去る。
──あれ、は……
何もかも消え去った無にライトの声が落ちる。指先は固まり、足も固まり、目も口も呼吸も何もかもが縛られる中、見ることと考えることが許された。
何かが起きている。この瞬間に確実にだが、得体の知れない何かがここに忍び寄っていることがライトにはわかった。
『──どこ?』
人ではない何か。不気味に蠢く黒い靄がライトの周りを覆うように巡回して、数秒も待たずして姿を変える。
量を増やし、渦巻いて形を悍ましいものにしてできたのは細長いもの。ライトには、それが長細い腕に見えた。腕より後ろは見えない。
──見えない。アレも俺を見えない……?
場所がわからないのか、スバルの方に飛んでいけばすり抜け、ラムの方に行ってもすり抜ける。
見つからず終わると思ったときだ。黒い靄が増え、渦巻いては二の腕まで見える腕を何本も伸ばし、部屋中を探り始める。
すると、一つの腕の指先がライトの眼前で滑る。それが確証となったのか、
『ここに……?』
腕たちが彼の周りを覆い込んでは着々と歪みを入れて、侵食し、近づこうとしている。
心臓が一段と鼓動を増して、ライトが視界が奥に引き込まれるのを感じた。それはあの日の夜、正気を失ったレムに撲殺されるところを間一髪逃れたときのような強制力に引きづり込まれる感覚。
これはタブー。この世の禁止用語にも匹敵する何かをここで言ってしまったら、その者に待ち受けるのはおそらく、死。
ガラスが悲鳴をあげて、これ以上は無理だと警告を発する。
そんなときだった。
──なんだ、これ。
首にかかるネックレスが宙を柔らかに舞って、ライトにしか見えないように光を生じさせた。紺色に包む繭がライトの心臓、体全体か。存在自体を覆うようにして球体に展開。その周りを幾何学文字の羅列が遠心力を持って回転。
それとは別に、繭には横一列で描かれた文字何十にも折り重なっているモノが縦に流れ続けて、検査機のような高音まで奏で始める。
意識が引き込まれる。いやクロスカーテンのようにライトの意識を覆い隠して、安置所に送り込もうとした。この場を遠方から覗いて、彼の心臓をも掴み殺そうとする存在の感知できないところまで。
そして、最終段階のように二つの文字と十字線が刻まれ、封じたライトの意識を重鎮のように蓋をして。
「──トライ? トライ!? しっかりしなさい!!」
言葉を閉ざし、顔に陰りをつけるライトの異変に、ラムは彼の名を呼び叫ぶ。
四肢をだらけさせ横倒しになるライトの表情は何も宿らず、ただ何も残らない、魂を宿らせない抜け殻のようになった人が転げ落ちた。
ライトの意識は、存在が、その黒からも感知できないところに安置された。