Re:ゼロから始める異世界UC   作:リクライ

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第二十五話 すれ違う想い

 

 

 その日、ライトは思い出した。

 

「「「「「「あー! ライトだー!!」」」」」」

 

 彼ら彼女らを相手にする疲労感を。

 

「ライト遊べー」「遊べー」「駆けっこしろー」

 

 周りから温かい目で見守られる屈辱を。

 

「花冠作ろう?」「駆けっこ駆けっこぉ!!」「ライト遊べぇー」

 

 遊び相手を見つけた子供達に周りを囲まれてしまい、早々に逃げ場を失ってしまったライト。

 なぜこうなってしまうのかという疑問はこの際心の中にしまっておくことにしよう。これはもはや運命の鎖に絡みつかれていると言っても過言ではない。

 四日目には買い出しがあるのは前回前々回を見ても同じで、現在ライトはレムと二人でアーラム村に買い出し中。

 しかし毎回思うことがある。

 

 ──どうして、毎回名前がバレているのだ。

 

 村長やお孫さんの団長に名前を覚えてもらうため顔を出したのだが、そこには子どもたちはいなかったような気がする。それなのにこの食らいつきよう、子どもらの好奇心というのはそこが知れない。

 回想はここまでだ。このままでは目つきの悪いあのお兄さんの二の舞になってしまう。

 

「ごめんねみんな。時間があれば遊ぼうと思ったんだけど、食材とか色々買わないといけない仕事があるんだ」

 

「けちー!」「けちライト」「けち! けち!」

 

 足元から猛烈なブーイングの嵐が吹き荒れ、男子らが仕立てのいいライトの使用人服の裾を引っ張り合う。体が前後左右に揺れる姿はまさにライトの籠城が陥落寸前だと側から見ても知れる。

 

「わかったわかった。俺は遊べないけど代わりにほら、ユニコーン?」

 

「…………(よじよじ)」

 

 そこで、されるがままだったライトは服の中で身隠していた小さい者の名を呼んだ。

 後ろ髪を実際に引かれる体験はあまりないが、よじよじと登ってきたユニコーンが恐る恐る顔を覗かせる。

 すると、見慣れない生き物に今どき活発である好奇心が刺激された子どもたちはライトから一斉にユニコーンへと目を向けて色が変わった。

 

「その子、ゆにこーんって言うの?」

 

「そう。俺の契約精霊のユニコーン」

 

 髪の毛に張り付いた引っ込み思案なユニコーンを拾い上げてライトが膝を折りみんなに見えやすいようにする。

 見せた途端に「かっこいい」だの「かわいい」だのと、男子女子の反応の差は歴然だ。ユニコーンはどちらかといえば両方の性質を持った『かっこかわいい』だと思う。異論は認めよう。

 子どもたちの純粋無垢な瞳を一身に浴びてしまったユニコーンはビクッと肩を跳ね上げて飛翔。どうにかして目から逃れようとしたのだろうが、軽快に宙を遊泳するユニコーンを見た子どもたちはますます探究心のボルテージを上昇させる一方だ。

 

「すげー」「速い! 速い!」「ユニちゃんかわいい!」

 

「と言うわけでだ、ユニコーン」

 

「──ッ!」

 

 明るいライトの声に定位置である肩に着陸したユニコーンの体がピシリと固まる。首がガクガクとブリキのおもちゃのようにユニコーンが振り向けば、そこにはにかむライトがいて、

 

「子どもたちの遊び相手、よろしく頼むな!」

 

「──ッ(がーん)」

 

 頬を緩ませて溌剌にするライトとは正反対にユニコーンのグリーンのバイザーが大きく見開かれ純白の装甲に青が差す。

 パックと違い目に感情が見えにくいはずなのに、なぜだかユニコーンの目がいつもより元気がなく見えるのは気のせいなのだろうか。実際、ユニコーンの肩をすくめ息を吐くような仕草はとても弱気だ。

 だが許せ。これは必要ことなのだ。

 変わらない主人の心にもうどうしようもないという事実を叩きつけられて、ユニコーンは仕方なく肩から離陸し、ふわふわと離れていく。

 

「子どもたちのこと、怪我させないようにねー!」

 

「待ってーユニちゃん!」「よっしゃーつかまえろー」「追え追えー!」

 

 手を口に添えてライトがユニコーンに轟かせる。

 そして少し遅れて、両手を広げて我先にユニコーンを捕まえようとする子どもたちが宣言。そして風に乗るユニコーンを追ってどんどんと子どもたちの姿は小さくなっていった。

 子どもたちの湯水のように湧き出るあの元気は一体どこにあるのかわからない。とりあえず今日の夜の子どもたちは疲れ寝ること間違いなしだ。

 

「……もうあんな遠くに。よし、俺も買い出しするか」

 

 メモを片手にライトは目的の店へと辿り着く。

 相変わらずメモに描いてあるラムの絵は手抜きがあるが、抽象的と同時に心を掴むようなデザインで、美術展なり露店なり開いたら売れるのではないかと思うほどに芸術的だ。

 異世界のピカソかな。

 

「ライト様買い出しですか? でしたらこの果物は新鮮ですよ!」「ライト様ーこっちに調味料──」「ライト様──」「ライト様──」

 

 心の評論会場を開催しているとライトの耳に飛び込んできたのは村の大人たちの声で、腕に乗った重りで思考が現実へとカムバック。

 周りにいるのは晴れやかな表情で自身を囲む大人たちで、後退りしたと思えば背中に野菜の詰まった袋を背負わされる。どんどん背中に袋が背負わされていって、ライトが両腕でバランスを取ろうと果敢に重量に挑んだ。

 そこを待ってましたと言わんばかりに横にライトが横に差し出す両腕に袋がくくりつけられた。一個や二個とかそんな次元ではない。下手したら数週間は保つのではないかと思うくらいの量だ。むしろ子どもたちによじ登られた方がマシだと思うくらいに。

 

「おもいぃ」

 

「まだまだありますよライト様!」

 

「はぁ!? え、いやもういい、どんとこいや!」

 

 まったくもって非常にバランスのとりにくい。そしてそれを嬉々としてやってくる村人にも悪気はないのだから余計に文句が言いづらくてとことん乗ってやろうするライト。

 そうして、あっという間に上半身が袋で覆われたライトの姿はもはや袋のモンスターだ。

 可動域を阻む袋と格闘しながら、ライトが代金の入った袋を渡、そして軽くなった袋を渡してくれた店主に礼。

 誰もいなくなったとわかった途端、ライトの肺が軋みをあげて膨らんで、

 

「だーもう! 多いんだってば──ッ!!」

 

 村に今回のループでもフルアーマーの運命を断ち切れなかった者の悲鳴が木霊した。

 

 

 

 

「たしか、この森を抜けた先に……あ、いたいた。ふぅ……もう一踏ん張りッ!」

 

 長い森の抜け道も抜けてライトは袋の間から見える一筋の橙色の光を絞りながら、先にいる青髪の使用人筆頭ことレムと子供達を見つける。

 足元が見えなくて途中で転けてしまわないものかと内心ヒヤヒヤしたものだが、道中そんな不運がライトの身に降りかかることはなかった。

 鈍重にのしかかる荷物が膝関節を猛烈に痛ぶりつくすのだから今のライトはそれはもうすごい顔をしている。それでも喋りながら話している人と同じくらいのスピードで歩いているのだから、自身も大概。スバルなら譲歩しても五十歩歩いた時点でバタンキューだろう。

 重い足取りながら、村の端を意味する柵に集まるみんなへと着々と近付いていくライト。

 

「あっつい……干からびるー。絶対ガブガブ飲んでやる……」

 

 ぐでっと弱音を吐くことすら億劫で、帰ったら水をがぶ飲みすることをライトは決意した。

 汗がまつ毛に溜まってしまい、奥の情景が歪んで見えるものの拭う腕は塞がっている。仕方なくだからと乱暴に頭を左右に振ると滲んだ汗の粒が細かな光の粒となり、朱に染まりつつある空気の中へと散った。

 遮るものがなくなったライトの視界の中には、膝を折って一人の子供におずおずと手を差し出すレムが映り込む。頭にはホワイトブリムの他に、一輪の白い花が飾られていて、より一層可憐さを引き立てていた。

 

「よく似合うな……あっぶないッ! ふぅー」

 

 思わぬレムの一面に見入っていたライトを疲れる足が足を引っ張る。危うく中身をごった返すところだったがなんとか体勢を整えてことなきを得た。

 藍色の髪をした子どもに手を引かれたレムがオドオドした様子で、本当に扱いが苦手なんだと見てとれる。一概に苦手と片付けられるかと言われればどうなのかわからないが、彼女なりに子供と接しようとしているのは微笑ましい光景だ。

 子どもが柵の前で屈めば、その腕に抱き抱えられるのは灰色の何か。

 子どもたちに勧められて困って物怖じしている彼女が観念したのか、その灰色に手を差し伸べ撫でる。

 

 ──みんなまであと少しだ……。

 

 二十メートルもあるかないかのところで、ライトはレムの手の先にいるものがわかった。

 ──子犬だ。スバルの手に噛み付いた子犬だ。

 何か背中を押されるような感覚にライトは陥って、今まで感じていた足の疲労感を忘れ無意識に歩速が増していく。呼吸は足を動かすための補給機となって、声が上がらず締め上げられたようだった。

 あと、もう少し。

 目に映すことを許さないように目に差し込める陽の光を瞼を絞ってライトは視界を明るみにする。

 束の間、レムに身を委ねて心地良さげだった子犬の頭に手が触れようとしたとき、

 ──噛み付いた。

 

「──ぁ」

 

「いっ」

 

 反射で手を引いたレムの顔は痛みで片目をつぶっていて、血が滲み始める左手に右手を添えた。

 

「だ、大丈夫かレム! 血が……ちょっと待ってて。ぐっ重い……!」

 

「そんなに慌ててもらわなくても、大丈夫です。気にしなくても、レムは治癒魔法で治せますので」

 

 小屋が目に入ったライトが駆け足で荷物を日陰に下ろすのを横目に、レムは首を横に振って助け手を断る。

 そうは言ってもとライトがハンカチ片手に駆け寄った頃にはレムの施術は始まっていた。

 左手に刻まれた噛み跡にレムは青白い光を右掌に宿して治療。時間が巻き戻ったようにじわじわと歯型が消え、元のきめ細かい白い肌が血の間から顔を出した。

 息切れに肩を上下させるライトが「おぉ」と驚嘆を漏らしてその光景に釘付けになると、レムはまっすぐに注がれる視線を気にしてか、

 

「治癒魔法が気になりますか?」

 

「え? まぁ気になるよ。俺魔法とかよくわからなくてさ。ユニコーンは使えるんだけど、俺だけはまだ使い方が……」

 

「それでしたら、エミリア様か大精霊様。もしくはロズワール様にご教授願えば、使えるようになるかもしれませんね」

 

「そっか……でももうこんな時間だし、聞くなら明日にしようかな。その方が二人も都合がいいかもしれないし。これハンカチ」

 

「……ありがとうございます」

 

 疲れが後を引く息を吐くライトに渡されたハンカチを少し見つめて、それから手に取るレム。

 手に残った血糊をレムが拭いているのを確認すれば、ライトはオレンジに染まりつつある大空を眺めて一服。だが肩を回して重石から解放された体をじっくりと味わいながらも、懸念は後をついて回る。

 簡単に明日とは言ったものの、本当に明日が来るかはわからない。今日の夜、かなりの確率でスバルを衰弱死させた呪術師と対峙して殺される可能性だってある。今だって左手についたままの血をハンカチで拭き取っているレムが不信感を募らせ、今日の深夜になんてことも。

 それに──

 

「どこなんだろう」

 

「……ライトくん?」

 

 淡く響く風鈴の音色が耳に入り、行方知れずになりかけたライト意識が振り向いた。

 小首を傾げてこちらの目を読み取ろうとするようなレムの目にライトが逸らす。

 

「──いや、なんでもない。……そろそろ帰ろうか。買い出しも終わったことだしさ」

 

「えぇーもう行っちゃうの?」「もっと遊んでよー」「まだ駆けっこしたーい」

 

「ごめんね、おれたちも買い出しが終わるとまた仕事があるのさ」

 

 ぴょんぴょんと有り余る勢いを見せる子どもたちを宥めて、「それよりも……」とライトの視線が迷う。

 遊び相手になっていたはずのユニコーンが見当たらないのだ。

 

「ユニコーンはどこに……あぁ、花かと思ったけど」

 

「はい。子どもたちに追い回されていたユニコーン様がレムを見つけるや否や頭に張り付いてしまって」

 

 「擦りつけられてしまいました」と、子供達の標的を自身へと移されたレムはやっと髪から離れたユニコーンをじっと見上げてほんのりとした恨みを瞳に滲ませる。

 そんな目に当てられたためか、ユニコーンは肩と一緒に体を跳ねさせると白い光を発して空中分解。光の粒子が逃げるようにライトのネックレスに飛び込んでいく。

 ユニコーンが逃げ込んだ先はネックレスで、それを身につけているのはライトとなる。少しだけむくれて見える顔を向けられるのも当然ライトとなるわけだ。

 

「許してやってくれないか? レムちゃん。ユニコーンも悪気があってやったわけじゃないんだ」

 

「それはそうなのですが、やっぱり腑に落ちません。こういった小さい方の扱いは、ライトくんとユニコーン様の方が心得ていると思っていたので……」

 

「いやぁそれは……そうなんだけどさ。ほら! おれも買い出し任されていたからさ? 仕方なく子どもたちを任せたわけで……」

 

「レムも任されています」

 

「うっ」

 

 苦し紛れの言い訳がレムの食い気味の一言に一蹴され、ライトは一歩後ずさって体をのけ反らせる。

 あまり感情を表に出さないレムが任された仕事に対して懸命に向き合うのは姉からの使命だったと言うこともあるが、それでも底冷えするような目で睨まないでほしい。悪気があったからそうしたのではないのだ。

 そう思いつつも、ライトはついレムの顔を見てしまう。レムもまたふと視線を上げてライトを見る。

 

「…………」「…………」

 

 無言のまま互いの瞳が静かに交差する。

 レムの瞳は淡青色。普段は穏やかで澄んでいるが、今はほんのりと不服の色が滲んでいる。一方のライトは何かと取り繕うとするも、言葉を飲み込んだまま動けずにいた。

 気まずい沈黙が、二人の間に落とされ流れる。

 ライトが視線を逸らそうとするよりも早く、レムは軽く目を伏せ、静かにため息をつく。

 再び視線が絡み合って、レムが言葉を紡ごうとしたとき、

 

「ライトとレムお姉ちゃんが見つめあってるー!」

 

 横合いから透き通るような無邪気な声が走った。

 声がした方向にレムとライトが顔を向けると今まで元気にはしゃいでいた子どもたちがいて、その中の男の子がニシシと笑みを浮かべてこちらに指を差していた。

 

「ライトとレムお姉ちゃん仲良し!」「仲良しなのにケンカするの?」

 

「違います。レムとライトくんは別に仲良くなんてありません」

 

「そこそんなに否定しなくてもいいよね!?」

 

「えー、でもライトとレムお姉ちゃんのそういう喧嘩って、ふーふげんか? って言うんだよ?」

 

 場がわちゃわちゃしてきたとき、小首を傾げて頭に着けている赤いリボンを揺らす少女の一言が周りの子どもたち、ひいてはライトとレムの意識までも集中させた。

 

「──っ!?」

 

 レムの肩が、ほんのわずかに跳ねる。

 けれど、すぐさま冷静を取り戻したように背筋を伸ばし、二人の意表を突く言葉を口走った少女を見る。視線につられてライトも見る。

 ──ペトラ・レイテ。子供達の中でも頭ひとつ抜けて賢い子、という印象がある。巷では村で一番の美少女と言われるほどで、立てば芍薬、座れば牡丹みたいな大それたものではないが、それでも頑張って大人っぽくしようとしている少女。ペトラはちょうど小学六年生の女の子くらいだろうか。

 レムの表情は毅然としているものの耳がわずかながらに赤くなっているのをライトは見逃さなかった。いらぬ迷惑をかけさせて恥までかかせてしまったことにライトは近くに穴でもあれば入りたくなる。

 そんなライトをよそに攻防が始まった。

 

「……違います。レムとライトくんが夫婦喧嘩をするわけがありません」

 

 だが、すぐさまに「じゃあ仲直りのけんか?」と別の子どもが畳みかける。

 

「いいえ」

 

「えー? でもさっき見つめあってたし」

 

「偶然です」

 

「でも喧嘩してるのに仲良しじゃないの?」

 

「……違います」

 

「じゃあやっぱりふーふげんかじゃん!」

 

「違います!」

 

 レムの語気が少しだけ強まった瞬間、子供達は「やっぱり図星なんだー!」と笑い声を上げた。こうなってしまえば後は子どもたちに波が到来して打つ手がなくなってしまう。

 完全に遊ばれていて、それでもなんとか反論しようとレムの瞬きの数が増え、毅然とした態度が剥がれつつあった。

 子どものやることだからと無理やり納得させるライトはため息を押さえつつ口を開く。

 

「レムちゃん、子ども相手に本気で反論するの、大人げないよ」

 

「……納得できないのです」

 

 レムがわずかにむくれた表情を浮かべた次の瞬間、子どもたちは「やっぱりふーふげんかだ!」と再び口々に騒ぎ出す。

 そこで、流石にライトも黙っているわけにもいかなかった。

 

「いいかい、子どもたち? おれたちは別に夫婦とか親しい間柄じゃない。──先輩と後輩。わかりますか?」

 

「でもふーふげんかって言われて、ライトもレムお姉ちゃんもすっごく焦ってたよね?」

 

「いや……それは完全に死角から撃ってきた言葉だったから」

 

 ペトラの言い分に言葉を詰まらせてしまうライト。その泳ぐ視線は子どもたちの間を通り抜けて、漂着した先がこちらの出方を横目で眺めるレムであり、そこでライトが意識が固まってしまう。

 

 ──なんで見てるの!?

 

 だが、ハッとして何か取り測ろうとしてももう手遅れだ。ライトの口から何か口走る前にペトラの「ほら!」という口の方が早い。

 

「やっぱりライトはずっとレムお姉ちゃんのことチラチラ見てるー」

 

「違っ、これは……」

 

「ほら、なんにも言い返せないー。はい、ライトの負けー!」

 

「なんと!?」

 

 このまま良いようにされてはスバルがいたときよりももひどいヒエラルキーになってしまう。

 子どもたちに押されっぱなしのライトはグッと拳を握りしめ撃墜寸前の魂を踏みとどまらせた。そして闘志を燃やすように顔を上げて、

 

「まだだ! まだ終わらんよッ!」

 

「えー、ライトもう負けそうなのに?」

 

「おれがそう簡単に倒れると思ったか」

 

 腕を組み仁王立ちし、堂々と胸を張るライト。

 コホンと一つ咳払いをして、それからライトは子どもたちに向かって指を立てた。

 

「いいか? おれの故郷には『仏の顔も三度まで』っていう言葉があるんだ」

 

「ほとけのかお?」

 

「そう、どんなに優しい仏様でも、三回までなら許してくれるが、それを超えるとカンカンに怒るっていう意味なんだ」

 

 こてんと頭に疑問符を浮かべる子どもらに対し、ライトがさも自身ありげに頷く。

 つまりはこういうことなのである。

 

「つまり、おれも今まで二回までは多めに見てきた。しかし三回目──今度こそ、お前たちの無邪気に傷つける言葉には負けない!」

 

 第一はレム、第二はライト。そして三回目の正直にしてライトが子どもたちに挑みにかかる。もはや大人の余裕などどこにもない同レベルに自ら堕ちてしまった男がそこに立っている。

 その宣言を聞いた子どもたちは互いの顔を見合わせてニヤリと笑った。

 

「いいよ! じゃあもう一回聞くね!」

 

「よし、どんとこーい」

 

 第三ラウンドの火蓋が切って下された。

 

「ライトはレムお姉ちゃんとふーふげんかするくらい仲良しなんだよね?」

 

「答えはノー。違うよ」

 

「じゃあレムお姉ちゃんとは仲悪いの?」

 

「……いや、仲は悪くないはず。むしろ良い? かも……」

 

「仲良しなの? 仲良しじゃないの? どっちなの?」

 

「これじゃまた……ぐぬぬ」

 

 じわじわと包囲されるような感覚に、ライトの背中から冷や汗が湧き出てくる。

 言おうとしたらそこだという勢いで回り込まれてしまう。まさかこの子どもたち、エスパーだとでもいうのか。

 

 ──なんだ……このプレッシャーは!

 

 この場から弾き出されそうなほどの圧力にライトの足が慄く一歩手前。だが、奥歯を噛み締めここから逆転の一手を──

 

「ほらほら、三回目だよ? ライト、もう怒っちゃうのー?」

 

「…………っ!」

 

 なん、だと。

 こちらが策を練ろうとしたとき、脆弱となったタイミングを見計らって崩しにかかっただと。やはりこの子らはエスパー。異世界の子ども、恐ろしいほどの可能性だ。

 子どもたちのペースに巻き込まれ、完全に陥落寸前のライト。口元を固く結び、言葉を詰まらせてしまう。そんなライトの様子を目の当たりにする子どもたちは、一斉に指をさし、叫んだ。

 

「ライトまた負けたー!」「三回どころか何回も負けちゃうー!」「よわーい!」

 

「ぐあぁぁぁ……!」

 

 気付かされてしまった。これが、これこそが、

 

「──若さ、か」

 

 言葉の銃弾が無防備に晒されたライトの心に次々に撃ち抜き、地面に膝をつく。純白を誇っていたライトの使用人服が、地色に汚れた瞬間だった。

 唯一ライトが救われたのは笑わないでくれた子犬を抱えたお下げの少女と傍にいるレムで──

 

「ふっ」

 

「そういうところが甘いんです。姉様がこの場にいればどれだけ良かったことか……」

 

「────」

 

 ダメ押しの二手がライトの脳天と心臓を撃ち抜いた。ライトは膝を屈したまま動かなくなって白に燃え尽きる。

 ──完全敗北。

 項垂れ、地面に光の灯らない目を落とすライト味方はいない。それどころか、レムが子どもを味方につけている気がしないでもない。現に、

 

「どうするんですか? 大人気ないライトくん。このままではレムの、ひいては姉様やロズワール様の沽券に関わります」

 

 レムが小さくため息をつきながら、しかもどこかほんのりとした満足感を滲ませてこちらを覗き込んでいる。

 ここは一つ冷静になることがベストだ。子ども相手にムキなるなとと言っておきながら、結局のところムキになっているのは自分ではないか。そう考えると完全敗北という四文字が薄れていく気がする。

 蔑称を名前の前につけて呼ぶレムですら、その瞳の中にはまだ闘志が宿っている。ここは一つ、大人な対応をするのが、ベストな選択だ。

 

「なるほどな。確かに、お前たち子どもの言いたいことはわかった」

 

「ライトくん……!?」

 

「ライトが復活した!」「でもまた負けるんじゃない?」

 

 ニヤニヤ笑う子どもたち。だが、今のレムと自身の先ほどまでの軽率な物言いとは違う。ここで繕うのが格式高いロズワール邸に仕える使用人であり、大人なのだ。

 

 ──なんとでもなるはずだッ!!

 

 静かに目を閉じて、ゆっくりと立ち上がるライトが落ち着きの払った声で紡ぐ。

 

「……みんなは『夫婦喧嘩』なんて言うけど、大人の関係となるとそう単純なものじゃないんだ」

 

「んー?」

 

「たとえば、『仲良し』っていうのは、ただ一緒にいることだけじゃなくて、時に意見がぶつかることもある。お前たちだって友達と喧嘩すること、あるだろ?」

 

 スラスラとライトの口から流れ出る言葉の川に、子どもたちは顔を見合わせるとコクコクと頷く。

 各々の反応にライトが頷くと人差し指を立てて続けた。

 

「でも、仲が悪いわけじゃないだろ?」

 

「うん」「そうだー」

 

「それと同じなんだ。レムとはいろいろあるけど……これからもちゃんと信頼していられる。だから、お前たちの言う『仲良し』の形とは違うかもしれないけど……みたいな感じかな」

 

 落ち着いた口調で語るライトに、子どもたちは「ふーん」と納得したように頷いた。

 

「なんか、ちょっと難しい。けど……これが大人っぽい」「なんかよくわかんないけど、なんかわかった!」

 

 自分たちの正義が、立場が変われば牙を向く。どちらにも正義がある中、わかりあうことが大事なのだ。

 子どもたちが素直に聞き入れてくれたことで、ライトは内心ホッとする。そしてチラリとレムの方を見ると感嘆の色を浮かべた目で見られていた。

 

「えと……レム、ちゃん?」

 

「あそこまでボロボロだったライトくんが持ち直して、挙句勝ってしまうなんて。レムはライトくんに、少しだけ感服しそうです」

 

「そこは言い切って欲しいけど……でもまぁ、正直に言うと勝ったって言えないな。みんなにいいようにされちゃってたし……辛勝。多分引き分けだよ」

 

「そういうものなのでしょうか」

 

 レムの問いかけに、ライトは少しだけ考える素振りをした後、肩をすくめて苦笑いした。

 

「まぁ……良い勝負だったってことにしよう」

 

「では、ここはレムの勝ちということで」

 

「そこはイーブン。引き分けにしようよ……」

 

「冗談です」

 

 小さく笑うレムと、満足げな子どもたち。

 正直に言えば、レムの冷静な判断が自分をクールにしてくれたおかげで保てたのが大きい。一概に引き分けとはいかないが、騒がしくも穏やかな時間が流れる中、ライトはどこか不思議な気持ちになった。

 

 ──人と人とがわかりあうのって、難しいな……。

 

 負けたような、けれど悪くない。そんな気分を胸にライトは子どもたちとレムを眺めたのだった。

 

 

 

 

 帰り道。足裏から伝わる吸い付いたしっとりと湿った土を踏み締めて、背中に荷物を背負い両手には数の減った袋を抱えてライトは歩く。隣にはレムが両手に荷物を抱えて歩いていて、すんなりと追いついてる様は余裕すら感じる。

 前回のループで対峙したレムの額からは白く光るツノが生えていた。あれは鬼の証なのだろう。今もこうして重い荷物なのに汗ひとつかかない涼しげな表情で隣を歩くレムにも鬼という身体能力があるからこそ。

 ふと大空に漂う雲を見送って、ライトは考えに浸る。

 雲は何も考えないで空を漂う。感情を振り撒くまま、またどこかへ通っていってしまう。何者にも縛られず漂い流され、何も持たないで大気を旅するあの雲が、居場所なく存在が朧げな自身を彷彿とさせてれる。

 

 ──おれは、今どこにいるんだろう。

 

 自分の内にあるはずの可能性も思うように動かせず、もがいてももがいても何も得るものはなかった。

 いつになったら燻る自身という存在を確信できるのだろうか。

 いつからかライトは自身がどこにいるのかわからないでいた。母の手伝いをしても、友達と駄弁っていたときも、バイトをしていたときも、日常を生活していく中でも、その痕は消えず残っていた。

 ポッカリと欠けたように、パズルのピースをどこかで落としてしまったように未完成な状態でそのまま歩き、生きていた。どうしてそうなってしまったのかも、今ではひどく朧げでわからない。

 

「あの、ライトくん」

 

「ん?」

 

 ふいに、隣から声がかかる。

 風に揺れる髪を押さえてライトの顔を覗き込むレムは和らいで見える表情で心配そうに見ている。光の灯らない紫がかった目にハイライトが灯るライトの瞳を。

 

「ライトくんは、先ほどからなにを見ていらっしゃるんですか?」

 

「なにって、特になにもないよ」

 

 ぶっきらぼうにそう言い返すライトはレムから目を逸らして、地平線を跨ぐ山のその奥を見る。

 夕刻の呼び声を感じさせる橙色に太陽が世界を優しく包み込む。名残り惜しむかのような光は淡く、木々の葉や花々を優しく撫でた。

 風が吹くたびに雲のかたちも空の色も僅かに揺らいで移り変わる世界の美しさが、二度もループした自身を孤独にさせる。

 この空も前回と前々回も同じような模様だったのだろうか。

 思えばいつかの空も、こんな燃えるような色をしていたような気がする。どこから湧いたかわからないこの記憶も、流れる雲が覆い尽くして流す。

 移り変わるライトの雰囲気を感じてか、体を跳ねさせて荷物の位置調整したレムがライトの見る先を見真似する。

 

「でもライトくんの顔が、時折遠くを見ているような顔をしていましたので」

 

「…………多分それ、どこかを見てるわけじゃなくて」

 

 「ぇ……?」と疑問に声を漏らすレムが顔を見上げるのを横目で見てライトは言葉を紡ぐ。

 

「どこにいるのかなって、考えてるときだと思う」

 

「故郷の話、ですか?」

 

「いや、自分がさ」

 

 少し間を置いて出たレムの言葉にライトは首を振って、目を横に動かして彼女を映す。

 なぜだか、誰かと話しているとき──レムと話しているときだけは、あの嫌な声はあまり響かないような気がする。その代わり、何かとても大切なものが見えてくる気がした。

 すぐ近くにあるはずで手を伸ばせば届くのに、取ろうとすればサッと遠ざけられる。もどかしさに苦しめられ、ひび割れの殻に囚われている。ひどく漠然とした印象だ。

 

「何をしていても、そのときを本当には過ごせていないような」

 

「……意外でした。ライトくんにも、そういった悩みがあったんですね」

 

「……うん」

 

「レムもそういった感覚は……常日頃から感じています。それを感じないで済むのは、ほんの一握りの望んだ通りの道を歩ける人たちだけ……で」

 

『姉様をあんな目に合わせた元凶が、その関係者が……のうのうと、レムと姉様の大事な──』

 

 語気が弱まっていって表情に翳りを見せるレムの反面、怒りと迷い、悲しみ。感情をごちゃ混ぜにしたレムの言葉が脳を揺さぶる。

 望んだ通りという言葉から弱まり後悔が滲み出た雰囲気がどこか過去の言葉に似ているような気がしたから。 

 雨上がりから幾分か乾いた土の道を、二人分の足音だけが流れる。

 時折微かな砂利が弾けるように鳴るが、それもすぐに静寂に溶け込んで消える。

 夕暮れに伸びた二つの影が、歩みに合わせてゆらりと揺れ、風がそっと吹くと、道端の草がわずかにそよいだ。

 

「あのさレムちゃん」

 

「なんでしょうか、ライトくん」

 

 二回目の大きな風が後ろへと通り過ぎたとき、ライトが口を結んで黙っていたレムに尋ねる。

 なんだか居心地悪くて喋りたくなってきて、ふと村の子供達との光景を思い出したからだ。

 

「……さっきの子どもたちさ、楽しそうだったね。あんなにはしゃいじゃってさ。なんだか疲れたけど、なんだか少しだけ楽しかった」

 

 歩調を緩め、隣を歩くレムに視線を向けながらライトは静かに呟く。もの寂しいように声を落とすライトに、レムはただ黙って聞いていた。

 

「レムちゃんはさ……子どもとあーやって話したり、遊んだりって好きか?」

 

「どうなんでしょうか。あのような空気、レムは物怖じしてしまいがちで……姉様なら、きっと子どもたちの扱いも上手いでしょう」

 

 姉を自慢するように鼻高々なレム、そこには純粋な尊敬が見られて姉のことが本当に大切なんだとわかる。

 しかしと、はぐらかされたような気がするライトは肩を軽く揺すり、ずれかけた荷物を抱え直しながら、レムに顔を向ける。

 

「じゃあ、レムちゃんは子どもと遊ぶの、きらい?」

 

「……嫌いではありません。でもレムがいると、きっと子どもたちは面白くなくなると思うんです」

 

「そうかな……? レムはさ、子どもたちの目、ちゃんと見たことある?」

 

 肩を落としていたレムは「目ですか?」と見上げると、その先で見つめるライトが頷く。

 

「そう、目、だよ。あんなに生き生きしていて、あんなにも目を輝かせてお話しして、面白くないなんてことないよ。子どもたちはきっと、レムちゃんのことをしっかりものの良いお姉ちゃんだって、思ってくれてる」

 

「……そうなんでしょうか」

 

 眉尻を下げて気後れするレムに「そうだよ」とライトは微笑みかける。

 何かと、レムは姉であるラムを比較して一歩前に線を引いている印象があった。ラムも確かに扱いはうまいだろう。姉としての器のデカさ所以にラムの包容力は凄まじく、たとえ手のかかる後輩が一人や二人増えたとしても教えは的確。

 人のふり見て我が振り直せ。的確すぎてグサグサ刺さり崩れそうな場面は何度あったことか。

 しかしラムは一人の人間であるのと同時にレムもまた一人の人間なのだ。ラムの抜け目のないところが童心の対抗心を燃やすことの意味で人気になるが、いじりがいがありそれでいてテンパるレムもまた人気だろう。現にここにはいじられて人気な男がいる。

 

「帰りのときもおれらのことまっすぐな目で見て話してたじゃん。まーレムちゃんが子どもの味方になっておれが汗かいてるのを臭うとか遠回しな態度取られたときは……」

 

 がっくしと「さすがに、堪えたなぁ……」と項垂れたライトがため息をつく。子どもらが鼻を摘んで臭いと言われたときは、煽られたときよりもダイレクトにくるものがある。レムの場合直球ではないにしろその分切れ味が抜群なのだ。

 今のように、レムはライトから段々と距離を置きながら、

 

「ライトくんがひどく汗を流してたのは事実じゃないですか。ハンカチを渡されたときも……」

 

「それでおれの顔と見比べてたの!? たぶん気持ち悪かったよね……」

 

「いえそんな。レムはほんの少し、かなり少し気にはしていましたが、拭くものがないときに渡してくれたのは感謝しています」

 

「気にしてはいるんだ……」

 

 乾いた笑みをこぼしてしょんぼりと肩を落とすライトはレムのスカートについているポケットに入っているであろうハンカチに目を向ける。

 

「なんだったら捨ててもいいよ、そのハンカチ」

 

「まさか。ちゃんと洗って返しますよ、ライトくん。無駄遣いしてしまっては、作ってくれた人にも悪いですし、なにしろ貸してもらった身ですから、これくらいは」

 

「そう……ありがとうレムちゃん」

 

 目を細めて礼を言うライトに、レムは小さく頷いた。しかし、その表情にはどこか影がさしているようにも見える。

 ライトの眉がわずかに寄せられ、考えるように唇が引き結んだ。

 何も生まない空白だけがまた再発して、自然の音色が耳の中に飛び込む。だが、それは先ほどとは打って変わってひどくノイズが被ったような嫌な音。神経が軽く逆撫でされるような感覚にライトがどうにか話を切り出せないかと視線を泳がせていると、前に顔を向くレムが息を吐くとともに肩を下げた。

 

「……ライトくんは、どうしてそんな簡単に肯定してくださるのですか?」

 

「え?」

 

「ライトくんは……何も知らないでしょうに」

 

 思わず聞き返したライトにレムが風の音に紛れるように小さく呟く。聞き取りやすくないのに、一言に込められた感情がひどく鼓膜を叩いた。

 崖の柵の手前、不意に背中を押されて産毛が逆立つような感覚にライトの視線がひどく彷徨う。

 

「それは……おれはレムちゃんは良いところがあるのに、自分を低く見過ぎな感じがして……」

 

「低く……? そんなことありません。レムはただ、事実を言っているだけです」

 

「……。──ぇ? ちょっと、待ってくれよ」

 

 立ち止まる自身を無視して歩みを進めるレムにライトが止めに入った。

 見ていられなくなってしまって、雨の後で足元が悪い地面を構いなしに闊歩してライトは次第にこちらへ振り向くレムへと近づく。

 青髪が揺れ動くのと同時に、隙間から覗く底冷えするような目つきに足が戸惑うも進む。ここを逃すと、もう聞けない気がするから。

 

「そんな言い方ないだろ」

 

「……ない、とは?」

 

「レムが……自分のことを低く見過ぎなところだよ……」

 

 動揺に濃色の瞳を揺らして、ライトは影の落ちた淡青色の瞳を映す。

 眉を顰めて語尾が次第に弱まる彼の物言いにレムが目を逸らし、夕日で落ちる影を濃いものにした。

 

「……ライトくんには、わからないですよ」

 

「わからないって……それはそうだろ。まだ一緒に働いて三週……二日か三日くらいだし。それに、わかってないのはレムちゃんもだろ」

 

 こちらを怪しげに見続けるレムにライトは近づいてかぶりを振る。レムが見上げてライトが見下ろしているはずなのに、レムの呆れたように見つめる視線が、ライトの肩を重くするようだった。

 が、なおもライトは奥歯を噛んで耐えた。

 

「なんでラムちゃんが引き合いに出されるか知らないけど、ラムにはラムの、レムにはレムのいいところがある。それは、当たり前でしょ」

 

「よく何も知らないでそんなことを軽々しく口にできましたね」

 

「少なくとも、おれの目にはレムちゃんのすごさがちゃんと見えてる。ラムちゃんとは違う──レムちゃんだけのすごさが」

 

 プロ顔負けの料理を作って、比べ物にならないくらいに日々の業務に勤しんで、そしてどれも完璧にこなすレム。感情の宿った暖かなスープなんてまさしく誰にだって作れるものじゃない。

 時折目に入る踊るように窓を拭き、廊下を掃いていくレムの軌跡は彗星が通り過ぎたように綺麗なのだ。

 子どもたち一緒に相手していたときの譲らなさとか、そのときに見せた微笑みなんて海のせせらぎのように涼しく可憐。

 探せば探すたびに見つかるレムのすごさ。これがすごくなかったら──

 

「レムちゃんのなにが……どこがすごくないのさ」

 

 震えるライトの声がただこちらを凍えた目でじっと見つめるレムへと吹く。

 

「──そんなの、綺麗事です」

 

 レムの声が震えた。夕日に照らされる半面は険しく、普段の落ち着きの払った彼女とは違う。

 たった一言で一蹴され、憂愁が瞳を溺れ息を呑んだライトは夕焼けに焦がされながら停滞した。

 そんなライトを意に介さずにレムは前髪の影を顔に降ろし、肩を震わせる。

 

「ライトくんは、レムの何を知っているんですか? どれだけレムが醜くて、どれだけ足りないのか、何も知らないくせに──!」

 

「今は知らない。けど……」

 

「だから! 知らないのに、勝手に決めつけないでくださいッ!」

 

 レムが一歩踏み込む。

 ライトが一歩退がる。

 肩が勝手に強張って、絞められていないはずの首が絞められたように窮屈で、苦しい。荒々しさが滲む声色。絞り出すような低い唸りや言葉を噛み殺すような震えが混じる声に、ライトの息遣いがふらついた。

 両手を塞ぐ袋が軋み、レムの歯噛みする音が響く。

 

「レムはただの出来損ないです。姉様に比べたら何もできない、役に立たない足手纏いの妹! そんなレムの、どこが! すごいって言うんですか!?」

 

「そんなことないだろ!」

 

 両手に抱える荷物に力を込めて身を乗り出すレムに、ライトが声を張り上げる。

 そんなことない。そんなことないはずなんだ。

 目に殴りつけるレムの苦しい表情が嫌いだ。できないと、無理だと言って決めつけるそんなレムが嫌いだ。嫌いだった。嫌いじゃなくなった。なんとかしたくなった。助けたいと思い始めた。助けたいのだ。

 今はなくとも前にあったはずの左腕の痛みが、忘れかけの想いを呼び覚まさせては締め付ける。

 決意に目を染まらせ、喉にライトは願いを乗せようとして、

 

「……そんなことを言う資格が、ライトくんにはあるんですか?」

 

 呆気なく、静かに突き刺す双眸が、言い渡す唇によって切り捨てられた。

 冷淡な目がライトの熱くなった心を急激に冷やし凍らせる。

 背筋に氷があてがわれたように言葉が詰まってしまい、瞳が揺れて焦点が合うことがないはずなのに感情の消えたレムの目が鮮明に映った。

 止まる思考。

 打撃にピントが合わずボヤける視界。そこに、赤で滲んだ白い布が投げつけられ、ぽすんと音を立てて袋に入る。

 

「────」

 

「ハンカチ……ありがとうございました」

 

 視線を外してわずかに躊躇いながらレムがそう告げて、ライトを一人置き去りにする。

 引き止めないといけないのにライトは瞬きすら忘れたように、レムのいた場所を見つめたまま呆然と立ち尽くす。

 言葉も動きもなく、ただ──放心していた。

 呼吸さえ浅くなり、肩が微かに震えているのを自覚して意識を取り戻したのは、レムの背中が手の届かないところに離れてしまっていた頃。

 

「待ってくれレム! 確かにおれは何もわかってないかもしれない……でも、だからってここで終わりにしたくないんだ!」

 

 声が届いたのか、レムの歩くペースが落ちて、肩が少し跳ねたような気がした。

 湿った土をライトは乱暴に一度踏み叩いて、泥が白いスーツに跳ね飛ぶ。

 

「──出来損ないなんて、そんな悲しいこと言うなよ! なぁ!」

 

 ライトの声を後押するように草木がざわめいて風が吹き抜ける。夕暮れの橙色が世界を包み込む中で、ライト言葉だけが虚空に溶けていく。

 レムは俯いたまま、振り向いてくれなければ足を止めもしない。

 返ってきた反応は鳥の囀りと目をつんざくうるさい光だけで、ライトの影が後悔を後引きするように長く伸ばしていった。

 

 

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