Re:ゼロから始める異世界UC   作:リクライ

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第三十一話 涙には戻らない

 

 

 剣幕を纏い、されど穏やかな表情で業務をこなす新人の一人である少年ライトが庭の剪定を行っている。

 次々に整っていく木々は爽快感をあらわにするように木々を揺らし、鳥たちは羽休めをする。

 

「……こんなところかな」

 

 首にかけたタオルを片手で持ち上げ額を拭い、目に押し付け揉みほぐす。

 

「っとと」

 

 片足が緩んだのかわずかに体勢を崩してしまうものの、ライトは倒れることはなく地面に足を打ちつけて立て直した。頭を振って雑念を払いのけ、剪定道具を片付ける。

 歩みを進めるライトが止まるとしきりに後ろが気になったのか、顔を木々に向かせて目を瞬き、そして擦る。だが、彼の顔は安らぎを覚えるどころか、より剣呑な雰囲気を醸しつつあった。

 

「今日の庭仕事はこれくらいか。花に水もあげたし、木も整えた。肥料も撒いたし、服も汚れていないからどやされる心配もない。大丈夫──まだやれる」

 

 最終確認のようにライトが一人ごちると早歩きで小屋に行っては用具を手早く収納。しっかり元あった場所に戻して次の業務場所へ。

 変わらない。何一つラムとレムのやっていたことを丸ごとトレースして、少しだけ急ぎそれでも丁寧にライトはやっているだけだ。

 そそくさと歩みを進めるライトの背後。門からまっすぐに続く道の端に生える針葉樹、背の低い低木たち。その一本一本は、まるで意思を持っているかのように整えられて並んでいた。全て──この広大な庭に生える木々全てだ。

 するとそこに、

 

「ひゅっひゅひゅー、この俺ナツキ・スバル! 庭園にてただいま参上!」

 

「庭仕事ならもう終わらせたよ。ほら」

 

「直々に花たちを咲き乱れさせ、木々を剪定オール……って、は!? ちょいちょいちょい! あんま調子が乗ってやるのもいいんだがよ、少しは俺の入る余地くらい残してくれって、な! いやぁそれにしても」

 

 眉を顰めるスバルは階段を上り終えてこれから屋敷に戻ろうとするライトの背後の庭園──綺麗に整えられた庭園をみて冷や汗をかく。どこをどうみても、どう切り取ってみても手が抜かれているような場所なんてものはなく、完璧そのものなのだ。

 

「マジカルミラクルで完璧だな……少しは休めよライト。これからってときに……」

 

「大丈夫大丈夫。……大丈夫だから、本当に。昴の方こそ頑張って!」

 

「あ、おい! ライト!」

 

 スバルの静止の声を背に受けてもライトの歩みは止まらない。それどころか速度が増していくのだ。──逃げるように。

 そうして、たまにすれ違う、銀髪の少女と子猫にはそれとなく言ってライトは躱し、また速度を早める。時折桃髪の少女も彼の仕事ぶりには何か思うことがあったのだろうが、それすらもライトは躱し次の業務を消化する。

 仕事を見つければ解決し、また解決し解決。解──

 

 

 

 

 壁に何かを打ち付ける音がして、レムは驚いてその場所に近寄った。

 

「ぅっ……」

 

 苦しげな声を出して、壁に服を擦りつけて床に体を引き寄せられる白服の使用人──ライトがいた。足を前に出し片膝つけて立ち上がり、顔に手を押し付ける素振りをする。

 聞こえないくらいの独り言を手のひらに向けて言うライトがそこから前髪を掻き上げ、重力のまま腕を下げる。

 一連の流れを先ほどからじっと見ていたレムに気づくとライトは頬を叩いて笑みを作り、

 

「どうした? あ、そうだレム。さっき庭の剪定とか水やりとか花瓶の水換えとか、色々済ませておいたから。これからも頑張るから、心配しなくて結構だよ」

 

「はい。先ほどから見ていましたけど、とてもよくできていたと思いますよ。心なしか、レムと姉様の仕事も軽くなっている気がしますので。しかし、あまりレムたちの仕事をとらないでくださいね」

 

「前に昴にも同じこと言われたんだ……ごめん、気をつけるよ」

 

 瞳を床に落として、人差し指を頬にカリカリ引っ掻くとライトは「まぁ」と首肯してレムに向き直る。

 

「頑張るから。だからレムたちは……いつも通りにしてて」

 

 「また後で」と付け加えて、ライトはレムの横を通り過ぎて次の仕事を探そうと屋敷を練り歩こうとする。

 だが、レムはライトのことを目で追う。仕事の仕方とその速さ。道具を引っ張り出しては木々を撫でるように整えていく。

 もちろんそれは、昨日の姉様の説明を聞いていればできるようなことばかりだ。ただレムが気に掛かったのは、どの道具を使えばいいのか常に正解を導いて、次々と業務を並の使用人以上にこなしていく手慣れさ。

 

 それが一日や二日でできる技術ではないことを知っているレムには、異常だと思った。だが、異常なのはそこだけには止まらない。

 違うのだ。スバルと外見は同じで同郷。種族としては人族に分類するはずのライトがロズワール邸というこの広い敷地を使用人筆頭であるレムの業務量に並ぶ場面すらあった。この男、普通ではない。

 かといって疑いの目をかけてみれば、

 

「ん? あーいつも通りが引っかかった感じ? あれは、新人の俺たちのことなんて心配しないで、ときに仕事を分けてもいいよみたいな感じ。あ、ひょっとして仕事分けてくれるの? やるよ? 絶対やる」

 

 こんな具合に気にかけて寄ってくるためわからない。それはスバルもやってきたことでもある。隙だらけにも見える言葉と態度に似たような印象を感じざるを得ないが違う。

 態度はまるっきり嘘、と言うより何か隠して、それを無理やり乗りこなしているそれだ。裏はないと思え、むしろ行きば違いの善意。

 何かを必死に取り返そうとしているように見える。レムとラムとみんなに親しくなろうと努めていることも見て取れる。分け隔てなく接し、しかし彼ら彼女らが聞こうとしたときに取り繕ってすぐにどこかへ行く。

 平気の中に見え隠れする表情が、追われるように自責して誰かに代わるようにそれらをする懸命さが、切迫した感情を押されているように見えてレムの眉を寄せる。

 決定的な何かをひたすらに追って、これでもかと出し尽くそうとしているそれが、ひどく胸を疼く気がした。

 

「ライトくん」

 

「…………」

 

「あなたは、どうしてそこまでするんですか?」

 

「────」

 

 ぴたりとライトの動きが止まり、目元が前髪によって隠される。

 二人の間に沈黙が落ちて数秒。十数秒はあったかもしれない。

 手が静寂を払うように持ち上がると、ライトは己の表情を隠す前髪を乱雑に押し上げて、

 

「……そんなの──これくらいしか俺にはないから……」

 

 呼吸が止まったような感覚がレムを襲った。喉にかかる違和感が奥に突っ込まれたように詰まる。

 気づかないライトはそのまま立つレムの横を通り過ぎて、歩く速度を早めた。

 彼の歩いたことで生まれた風がレムの意識を戻し、どうにかしないとという命令だけが脳を支配した。

 それがどういうわけか、レムはライトの手を取ろうとすることとなったのだが、背中はすでに遠くに位置していて届くはずもなく。

 行き場を失った手は、ゆっくりと腰の横に落ちた。

 

 

 

 

 ──やらないと。 『ライトくん』 やめろ。

 

「ラム? あーそこはもうやっておいたから、大丈夫だよ。むしろどしどし仕事送ってきてね。なんだってやるから。体調の方? ぜんぜんぜんぜん。むしろ調子いいし、この仕事が天職なんじゃないかって──」

 

 ──そうだ、やるんだ。 『あなたを』 やめろ喋るな。やめろやめろやめろ聞きたくないその声で言葉を喋るな。

 

「どうしたんだよエミリア。あ! もしかしてまだ片付けられてないところあった? ごめんすぐやってくるから」

 

 ──こんなのダメだ。もっとやれるはずなんだ。もっと早く、もっと丁寧に。 『絶対に』 こんなの記憶にない全てまぼろしそうさ全てまやかしなんだだから目の前にいる黒い影が本当にいるなんてあり得ない。

 

「……レム、どうしたんだ? 休憩に紅茶か……でも俺まだやんないといけないことあるからさ。時間ができたときにお願いするよ」

 

 ──休憩なんてできるわけがない。大丈夫なはずなんだ。心の綻びはホチキスで止めてそれでもダメだったらセロハンテープで貼り付けてやり過ごす。自分のことは無視できるはずだ。だから聞こえるはずがない。はずで────

 

 

 

──────『ユルサナイ』

 

 

 

「──ぁ」

 

 

 

 パタンと本が閉じるように足運びを止めるライト。手が顔に向かって肌を擦り、指先で目元をもみほぐす。

 急いで、砕けそうなモノを紐で縛りつけよう。そうすれば治ってまた動けるだろう。動けるようになったら、また働いて、ダメだったらまた巻きつけて。──その繰り返し。

 笑みを忘れてはダメだ。かといって不自然ではダメだ。取り繕え。脆い自分の面持ちを臨機応変に仮面をかぶって過ごせ。

 任された仕事を全力で取り組んで、手が空くことに恐れてまた別の仕事を冷えた残滓宿る両手に埋めろ。

 

「…………」

 

 大丈夫だ。記憶を、十数年の記憶を掘り返して使い潰し、アップグレードして心に刻み込んでいけ。それだけだ。たった一週間。いや、もっと続くかもしれない。

 元の世界より多少は厳しいだろうが、たったの少しだ。

 機械だ。自分はただの機械。自律移動型ロボットだ。不安要素は残さないで任務を遂行し、分け隔てなく人と接する機械。

 全てに意味があり、意味があることをするから意味がある。変に思われていないはずだ。元の世界でやってきたことと規模が違うだけで、やっていることは同じなのだから。

 一秒と一秒の間にある隙間に油断の入る隙など入れるわけがない。むしろその隙を食い尽くす。

 

「生まれつき、自分の危ないことに関しては勘がいいはず。だから──大丈夫」

 

 わずかにライトの首にかかるネックレスが淡く光。がライトは気に留めていなかった。ユニコーンが出る気配は嘘のようになかった。まるで閉じ込められているように。

 

「これが俺なんだ。これが……俺なんだよ」

 

 心配になる。しかし、人間が心配に感じることの約九割は全く当てにならないものだと聞いたことがある。だから大丈夫。『普段』と何も変わらない。

 

『──トライ』

 

「────」

 

 不意に声がかかり、顔を抑え床を見下ろしていたライトが瞬く。

 視界には灰色の廊下が延々と続いていて、その中央には桃色の少女がいた。髪色と瞳しか色付かない。他は影のように黒く塗りつぶされていた。二次元のように見えるほど、ただ真っ黒に。

 

『なんでレムを見殺しにしたの』

 

 ──仕方……ないじゃないか。俺にはなんの力なんてない。レムが苦しんでたときから、もう手遅れだったんだから。もう何したって無意味だったんだ。

 

 顔のない黒い影。少女の形をした黒い影にそう口にする。

 視界が滲んで、目の中に存在しないはずの色が影の周りから浮き出てきた。黒の輪郭がブレ、形がフィルターがずれたみたいにはみ出て、赤、青、緑に。

 ──瞬く。

 

『君には、なにかやるべきことがあるんじゃーぁないかな』

 

 ──あるよ。レムを、みんなのために、迷惑にならないようにここで暮らして守る。働く。返すべき恩が、借りがこの場所には存在する。見つけるべきものがここにあるはずだ。ある、はずなんだ。

 

 優雅な佇まいで腕を組み、うすら笑いの雰囲気を感じさせる道化の影がここにいて、ライトのことを二つの色をした目が品定めする。

 頭を抱えたライトは、そのまま手をずらして耳へと移して固く閉ざす。

 なのに、

 

『本当はどうでもいいって、そう思ってたんじゃないの』

 

 ──違う。みんな大事なんだ。スバルにエミリア、パックにベアトリスにロズワール。ラムに……レムも。みんな、みんな大切なんだ。

 

 なのに、また脳を直接響かせる声。

 銀色の髪をした影が、傍に浮かぶ小さい影が、小さい両手を後ろに重ねて顔を覗き込んでくる。

 視界を逸らし、ライトは横を振り向く。

 

『どうしてお前は気づこうとしないのかしら』

 

 ──気づく? 何を気づけばいいんだ。だったら教えてくれよ。俺は今どこにいて、どこに行っていっていたらいいんだ。それを教えてくれよ。誰でもいいから、俺がいていいっていう……居場所をくれよ。 

 

 睨みつけるクリーム色の髪をした少女を前にうずくまって、ライトの背丈を低くなる。

 誰も彼も、何も目に入らぬようにライトは固く目を閉ざして懇願する。ブラックアウトした視界の中にはまた幻想が、記憶が映し出されるというのに。

 フラッシュバックと誰しもがそう言う現象だ。

 その中で色づく景色があった。

 帰り道。口論してライトを置き去りにし、歩くたびに間が大きくなるのとともに背中が、姿が小さくなるレム。

 あのとき無理にでも追いついて、何か言っていればどうにかなったのだろうか。

 しかしそれすらも無情に溶けて、再び暗転する。離れていく彼女に、ライトは届くはずもない左手を伸ばした。

 そして掴んだのは。

 

『──ライトくん』

 

 ──……ぁ。

 

 桃色の髪を持つ黒い影の太ももに頭を乗せる青髪の少女。

 その右手だ。次第に薄れていく体温が、手のひらを伝ってライトの左手に移り溶け合う。

 

 ──ぁ。違う。違うんだ、俺じゃない。俺のせいじゃない。悪いのは君に呪いを仕掛けた呪術師じゃないか。だから俺のせいじゃない。俺のせいじゃない。だから……だから──

 

 

 

『許しませんから』

 

 

 

 灰色の世界が真っ赤に染め上げられる。

 目が熱い、喉が熱い、いや違う全部が燃えるように熱い。もう何も考えたくない。

 取り返しのつかないことをした。今、現在、時計の針が巻き戻ったこの時間で、例え今こうして生きているレムがいるからといって心には深い傷が刻み込まれている。

 

 ──ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゴめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごメンナさいごめんなさいごめんナサイごめんなさいごメンなさいごめんなさいごめんなさイゴめんなさいごめんなさいゴメンなさいごめんなさいごめんなサイごめんなさいごめんなさいごめんなさいゴメンナサイ──。

 

「ライトくん大──ですか……?」

 

 まだこの黒い影は何か言おうというのか。

 ライトはひどく恐れて困惑し、左手の力を緩めようとした。だが少女の形をした影は掴んだ手を離そうともしなくて、むしろ握りしめる力を増す。万力のようなその力は左手の骨を軋ませて痛覚が脳を刺激させた。

 だめだ。わかった。全部、悪かったんだ。こんなの許されないことだったんだ。

 

「ライトくん!」

 

「──アぁ──ッ!! ぐっ、うぅ……」

 

 大音量が耳に叩き込まれて、ライトは声を抑えることができずに叫んで壁に体を打ちつける。

 ひどく頭を打ちつけたようで、脳味噌が揺れてしまい視界がまぜこぜ状態に。だが、黒くなった視界は色を取り戻して光を受け入れた。

 呼吸ができると後頭部に伝わる冷たい温度がぐるぐると回るライトの頭を鎮める。

 

「ライトくん大丈夫ですか? 姉様も少し休まれる時間をとったほうがいいとご忠告なさっていたはずなのに」 

 

「──ぇ、れむ……?」

 

「ライトくん、少し休まれたほうがよろしいです。そんなにひどい顔されては、レムも姉様も安心して業務ができませんから」

 

 制御の効かない手を無理やり顔に持ち上げて、ライトは己の顔をカタカタと触る。

 収まることのない手の、指の揺れが目の付近に到達すると、湿った感触が指の腹を通して伝わった。

 

 ──涙? 泣いてた……? 何を呑気なことを。涙で救えることなんて自分しかいない。今更泣いたところで……!

 

 己の至らなさにライトは自責し、別々な破片で結びつけた心に鞭を打つ。

 ここで立ち止まってしまえばレムに、みんなに不信感を買わせるものになってしまう。これはスバルにだって言えることだろう。きっとどこかでスバルも悩んでいるはずなのだから。だから圧し掛かるプレッシャーを背負って、さらにのしかかるモノも背負うのだ。

 重い腰を持ち上げて、ライトは腕で顔を拭うと顔面に笑みを貼り付けて、取り繕ってみせる。

 

「ぜんっぜん! ……だ、大丈夫だから! 余計なおせっかいさ。いやーまいった全くもってぜんっぜんダメだね。こんなことで挫けてたらレムたちに追いつくこともできないし、みんなに迷惑かけちゃう。でもありがとう。もう──大丈夫だから」

 

 ──たった、一週間だ。レムを救い、ラムを救い、みんなを救い。そうして幸せで何気ない日々を過ごせれば、一週間なんて豆粒に等しい。

 

 だが、それには呪術師の正体を暴かねばならないのだ。

 スバルかレムか、もしくはライトか。五日目の朝を迎えられずに屋敷を悲鳴が木霊することになる。

 悲しむ声を聞きたくない。ラムの理不尽なこの世界に悲しみと怒りを訴える慟哭なんてもうたくさんなのだから。

 二手に分かれて、という策ももちろん考えたには考えた。しかし実行するとなるとそこにはやはり信頼がつきまとう。例え呪術師の情報を正確に知ったとしてもかえって怪しまれてしまうから。

 この二つを同時に行うには、時間が圧倒的に足りない。届かないほどに、もどかしいほどに、狂気に落ちるくらいに足りないのだ。

 

 こうやって戻れる時間も回数がある可能性だってあるかもしれない。だから楽観的になれるわけがない。

 

 大体スバルが死んだことで死に戻るのなら、自分が先に死んでしまった場合どうなってしまうのかわからない。

 迂闊な行動はできない。失敗なんてできない。返せてもない。

 あれほど啖呵を切ったはずなのに、勇気があるはずなのに後ろ足を引っ張るあの声がそうはさせてくれない。

 だからこれはささやかな反抗。仕事をして、話して触れられたくないことは覆って隠してしまえばいい。

 死ぬよりは十分に楽なはずだ。そうに違いない。スバルだってレムにだって感じていたあの苦しみに比べれば、こんな思いは些細なものなのだから。

 

「では」

 

 短く切り、ライトがレムに背中を見せて駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ってください……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷静な音の後ろに焦りを見え隠れさせる色のした声が後ろからかかってきて、抜いた左手が後ろに引かれてしまいライトは立ち止まってしまう。

 打たれたようにライトの顔が後ろに向いて、左手に伝う感覚に意識を巡らせた。自身の手は、眉を曲げて心配さを露わにした青髪の少女が右手で離すまいと掴んでいて、

 

『だから……れむは、らいとくんと──』

 

 呪いに魂を蝕まれ、苦痛に苦しむレムの顔とこの場にいるレムの顔が重なってしまい、ライトに嘔吐感と失血感が襲いかかる。

 

「──ぉぁ、離してくれ頼むから。俺は……!」

 

「どうしてライトくんは、そこまで…………頑張ろうとするんですか。ここに、あなたが思うほどのことなんてないはずでしょうに」

 

 一瞬影を落とすレムがライトに再度問う。

 逃げ出したかった。この今際の際の崖っぷち状態を自分で立てるようにしたくて、ライトは手を振り解こうとした。

 できなかった。そんな気力が、今のライトには存在しない。

 だが聞き捨てならないことが飛び込んだ。ここには何もないと。そう思えば思うほどに口先が軽くなっていって、

 

「レムには……わからないよ」

 

「……え」

 

「レムにはわかんないよ!! 俺の気持ちなんか……だからこの手を離し──離せよ……!」

 

 言ってしまったことはもう口には戻せない。突き放してしまう言葉だと気づいた瞬間、ライトは頭が白くなるのを感じた。

 またあの日の繰り返しだ。この手は離してしまう。離されてしまう。

 なのに、目の前の少女はどうして手を離そうとしないのか。

 前髪と横合いから殴りかかる眩い橙の光で影を作るレムは何も言わずに、ライトの左手を掴む手に力が増す。

 近づきようも離れようもできないこの状態で、ライトはどうすることもできずにただ立ち尽くすことしかしない。顎に力を込められて、右手に血が浮き出てしまう。

 が、

 

「──ぁ」

 

 限界まで張り詰めた精神がふとした瞬間に途切れるのはどういうときなのだろうか。

 視界が何十にも重なって上下がわからなくなったとき、ライトは他人事ながらに考えた。思考回路はまだ生きていたらしく、原因なんてすぐに辿り着いた。

 昨日からずっと張り巡らせた緊張と、昨日の今日で夜に見た悪夢による精神摩耗。

 視界にまで異常をきたし、常に人の髪と目以外の色を消したこの世界による悪夢の同化。

 そして先の緊張状態からの気の緩みと、声を荒げて無駄だという落胆による興奮状態の中止。

 力が抜ける。危険を知らせるアラームが今になって頭の中身を蹂躙した。

 

 ──こんな、とこ……で。

 

 視界が暗転し、聞こえなくなるの音を補う音が甲高く上書きして遮断。ただ肌から伝わる感覚しかない中、ライトは後悔の泥に呑まれる。

 仮初の修繕に修繕を重ね、元のものとは断然脆くなってしまったソレが崩れるのを感じた。

 最後、沈みゆく世界の中で、崩れ落ちる体が温かに支えられて──── 

 

 




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