Re:ゼロから始める異世界UC   作:リクライ

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第四十一話 無慈悲な宣告

 

 

 仄暗い溟海の遠く深い場所で意識が揺蕩う。

 揺らめく水面下、星すらも届かぬ眠りの深海、夢と現の境界の遥か彼方で次第に呑み込まれる。

 

「──る方法は、他には」

 

「──けかしら。でも、そっちの方も深刻なのよ────」

 

 思考を掴もうとしても、水の中にいるかのように、すべてが指の間からこぼれ落ちる。すべてが遠のいていく。

 縋るような声、それを突き放す声。涙声、無慈悲な刃を纏う声。

 夜の最果てにいる中、それは藻屑となる。

 

「────マナが────のよ。今の彼は──も同然、──覚めるか、それは龍のみぞ──ら。」

 

「ライ──ん……」

 

 声。何かが通り過ぎたような気がする。

 ここは水の中。届くはずもなく、不定形なものは全て流されて溶けていく。

 しかし、柔らかな感触が左腕に触られた。朝焼けに照らされているように、心地のいい感覚が体を包む。

 寒空とした温度が、熱を持ってきて、わずかに持ち上がった。

 この温もりが失われないことを願って、取り戻したくて、辿ってきたのだろうか。

 その感覚も離れていく。近いものが、また遠く、遠くへと離れていって。

 そして、

 

「──傷つかなくて、いいんです。──が、全て………」

 

 重い責任を背負い続けて、受け止めるような覚悟を残してここに残される。

 すべてが消えていく、音も光も力も何もかも自分を置いていく。遠い遠いどこかへ

 そして柔らかな、包み込むような白い光が中へと入り込んで………確かに、

 

 ──鼓動を感じた。

 

 

 

 

 強制的に意識を消され、そしてこうして目覚めるのは何度目なのだろうか。

 いつもの屋敷の天井ではない模様を見ながら、スバルが朧げに考える

 

「また見知らぬ天井。うっ……いってぇ」

 

 意識を掴み取り、横になる体を起こそうとした途端に、腹に刺さるような鋭い痛みが襲いかかった。

 頭を枕へ逆戻りにして、腹に手を差し向けたときに違和感。じわじわと追いついてくる感覚に耐えながら左手を目の前に持って来させると腕を捲り、納得がいった。

 左手の指から前腕に至るまで白い傷跡が埋め尽くしていた。

 違和感は何もそこで終わることはない。

 服の裾を捲り上げてみると、どうやら引き攣った脇腹にも同様の傷跡が。もはや他の場所をめくって確認する必要もない。全身の至る所に無惨な傷跡があると断定して良いと考えたらため息が出てしまう。

 

「絶対に死んだって、そう思ったんだけどな……」

 

 遠く、意識を彷徨っていた感覚はあった。あれが死ぬ一歩手前、三途の川を渡る一歩手前といったものだのだろう。

 中身が出てくるという悲惨な事態は免れたものの、今は血が足りない。レバーが目の前にでもあれば、喜んで自身の血肉の糧にしていたところだ。

 

「かろうじて命を拾って治療された後ってことか」

 

 服を正して指の感触を確かめながら、ようよう首を動かして周囲に意識を行き渡らせる。

 見慣れない天井にタンスやら縄やら香辛料やら。やや広い寝床は屋敷に比べればだいぶ庶民的でロズワール邸とは思えない。そして、寝台のすぐ側──椅子に腰掛けて顔を俯かせながら、その体を柱に預けて眠る美しい長い銀髪の少女の存在に気づいた。

 

「──エミリア」

 

 呼びかけても応じる気配はなく、完全に熟睡しているようだった。

 身なりにはいつもから気を配っているはずの彼女は今や髪が乱れていて、なにより着衣のあちこちには血と泥がひどく残っている。

 もうわかったことだ。負傷した自分が今こうして朝を迎えたこと。あられもない姿で眠るエミリアのこと。

 

「……俺はまた、この子に借りを作っちまったのか」

 

「それはどうかな。今回の場合、君たちは労力に見合った成果を上げてると思うから、リアも貸し借りがどうとかなんて思わないんじゃないかな」

 

 頼りない独り言に応える声があった。スバルがそちらに顔を向けると、エミリアの髪の隙間から這い出て浮遊し、こちらへ向かってくるパックがいた。

 

「や。おはようスバル。体の調子はどうだい?」

 

「元気百倍! ……てぇ本当は言いたいんだけど、ぶっちゃけ体のあっちゃこっちゃがピーピー言ってる。まぁ、命もらってる身からすると、ケチケチ言う器のちっさい男じゃありませんから、喚かねぇよ」

 

 少なくとも背中に傷とかはなさそうだ。背中の傷は剣士の恥と言っていたような気がする。一生残るような傷跡に、宣うつもりなどないが。

 それよりもだ。

 

「見合った成果つったけど、実際あの後どうなったんだ? 正直俺は、森で犬どもにガブガブされて前後の記憶がねえんだが」

 

「ガブガブって可愛い表現だね。でも実際は……『ムッシャボリッグシャッブチブチッミチバリッブシャー!』って感じだったよ」

 

「その効果音だと間違いなく死んでるよ……腕の五、六本は足りないパターンだぜ?」

 

「うん。だからまあ、余剰ダメージ分青髪のメイドの子もひどい有様だったよ」

 

 屈託も遠慮もない様子で言われたがために、スバルの喉が凍りついてしまう。

 そんな彼の反応にパックは気を取り直すように「コホン」と前置く。

 

「もっとも、あの子の場合は鬼化の影響でがんがん治るからね。村までスバルたちを担いで戻った時点で目立った外傷はなかったよ」

 

「だぁー無駄にビビらせんなよ。……ともかくレムも村に戻ってんだな。子どもたちは? 呪いは解呪されたのか?」

 

「それも安心。僕とベティで上手くやったから問題なし。二人の判断は大正解だったよ、パチパチパチィ」

 

 ポムポムと両掌の肉球を打ち合わせるパック。

 見ていて和むその光景に口元が緩みそうになるが、スバルの脳裏に一抹の予感がよぎる。その予感がなんなのか定かではないが、ひとまずは直近の聞きたいことがあるため、首を振って改めた。

 

「まぁ、そうだな……エミリアは一晩中、ここに?」

 

「大人しく待つように言ったんだけど聞き分けてくれなくてね。スバルとライトの治療でオドまで削って消耗してるから、寝かせておいてあげてくれる?」

 

「あぁ、肝に銘じて………」

 

 聞きなれない単語だ。だがそれよりもスバルは二、三言前に感じた予感が何なのかが今ようやくとわかった。散らばったパズルピースが、ヒントを経てハマったみたいに。

 布団の中で温んでいたはずなのに、体は怖気付くように小刻みに震えている。昨日の夜、スバルがレムを庇うその前、ライトはどうなっていて、どうなったのか。

 

「オドっていうの聞いたことない……それよりもだ。ライトは! ……ライトはどうしたんだ……!?」

 

 重傷。もはや死に体と言ってもいいほどにライトはズタボロのボロ雑巾だった。

 左の方から指先にかけて、関節は軟体動物と言って差し支えがないほどに成り下がっていて顔面蒼白。これを満身創痍と言わずして何というか。

 声に宿る感情こそ迫真ではあってもパックに言われた手前、エミリアの睡眠を妨害することなんてしない。だからスバルは静寂な音量で厳粛にパックに問いただした。

 

「……ライトは、あっちだよ」

 

 口ごもるパックの態度はなんとも歯切れが悪いが、ゆらりと差し示された小さな手にスバルは身を起こして従うことにした。

 多分大丈夫なはずだ。多分ではない、きっとだ。いつものように、とまではいかないもののユニコーンがバカ主人の顔面の上で眠りこけていたり、ほっぺたを突いていたり。

 そんな物語、明るい希望的観測なんて窓から光差す太陽が雲に遮られて消え去った。

 

「──っ」

 

 部屋にスバルの息を呑む音が落ちた。

 遮られた日差しが意地悪く右隣の寝台に落とす。指先で指し示すような日差しのもとに、艶やかに反射させる黒髪の少年──ライトが瞳を閉ざしていた。やさしく肌を撫でる光に間に受けているが、様相は無表情。

 とりあえず無事なようで何よりだと、スバルは額に手をやってかいてもいない汗を拭った。

 

「ライト、よかった……生きてるんだな」

 

「生きてる。そうだね……今のところはそうかな」

 

 小さくため息をつくパックに、安堵に落ちていたスバルの目が見開く。

 依然としてふわふわと宙を浮かぶパックはスバルが次の音を出す前に言の葉を紡いだ。

 

「確かに息はあるよ。でも、正直な話をするなら──ライトが無事目覚める保証は、どこにもないんだ」

 

「は」

 

 スバルの喉が鳴る。

 

「ど、どういうことだよ……!? ライトは助かったんだろ? なら──」

 

「違うよスバル。ライトの今の状態は『助かった』なんて生やさしいものじゃない」

 

 パックの声はおちゃらけた感じなんて微塵もなく、珍しく冷たいものだった。

 頭を殴られた衝撃がスバルの身に襲い掛かり、瞼が張り裂けんばかりに開かれる。もう一度ライトの方を見てみても、寝顔はまさに穏やかそのものだ。何も、悪夢にも、痛みにもうなされているとは思えない穏やかな顔だ。

 

「まさか、俺みたいに魔獣にガブガブされたとか……」

 

「スバルみたいにホイホイ魔獣に噛み付かれたとかはなかったよ。そこだけは安心してね」

 

 「そこだけは」と念を押すパック。

 あの後自身も含めてライトも気を失ったが、大丈夫だったようだ。泣き面に蜂のひどいバージョンはなかったとしても、やっぱり怪我が原因か。

 

「右腕に深い噛み跡と爪の傷。とくに左腕がとてもひどくて、関節という関節がほとんど機能していなかった。あんな大掛かりな治療は後にも先にもライトぐらいじゃないかな」

 

「そうか……でもそれだけじゃないんだろ? ライトが俺みたいにこう……起きないのは」

 

「そうだね。昨夜の魔獣との戦いでライトは無茶して魔法を使ってたでしょ。マナを使い果たしたのとさっき話した怪我で、今のライトはほとんど意識を取り戻せる状態じゃないんだ」

 

「そんな……っ、じゃあライトがいつ起きるとか、パックはわかるのか?」

 

 思わず詰め寄りかけるスバルだったがそれよりも先にパックは手で制し、猫面に翳りを見せる。

 

「一週間、二週間。下手すればもっとかかるかもしれない。マナが足りないのもそうだし、ライトの体は今は血が足りない」

 

 それがライトの容体で、手をつけられなくて生死を彷徨っている状態で、それがいかに残酷なことか。

 どうしようもないという事実が乗り出しかけたスバルに衝撃を与え、枕へと押し除ける。

 

「さっきからマナって……マナは魔法をブッパするためのMPじゃねえのか?」

 

「マナは魔法のエネルギーじゃなく、生命力でもあるんだ。なくなれば体も動けないし、身に余る力は使用者の体を壊してしまう」

 

 視線をライトへ泳がせるパックが長い尻尾をスルリと波打たせ丸くすると、いつぞやの魔法講義のようにする。

 

「いつ話そうか迷ってたんだけど、ゲート異常を抱えてることがライトに触れたときわかったんだ」

 

「ゲート異常って言うと……マナを受け入れやすい、みたいな」

 

「だいたいそんな感じかな。……ただでさえ放つのを控えろって言ったのに、ライトはそれを一夜にして五発も撃ったって聞いたよ。ライトの体は今やスカスカの精魂尽き果てた状態だし……」

 

 小さい肩をすくめるパックが両掌を中で弄んで言いづらそうにもたつかせる。瞳には、同情の色が見え隠れしているようで気忙しく見えた。

 

「ユニコーンも出てこないんだ」

 

「出てこないって……ネックレスからだろ? 精霊同士なら、外野から話しかけることくらい……」

 

 スバルの口が走り切ることを待たないで、パックは空を泳いで長い尻尾を靡かせる。行き先は未だ瞼を開けずに眠りこけているライトの首元、ネックレスだ。

 小さな手によって布団から引き出されたネックレスは白金ではなく何者にも汚されることのない白と化していて、ただ一言「起きてユニコーン」とパックが語りかける。

 だが、

 

「「…………」」

 

 返答はなくただただ長い無の空気だけがスバルとパックを包み込んだ。

 

「たぶんユニコーンはライトを引き留めてくれてるんだと思うんだ。ここに連れ込まれて治療していたとき、ライトはまだユニコーンと融合していた」

 

「じゃあなんでユニコーンも! ……ライトと一緒に目を覚まさないままなんだ」

 

 感情が昂り始めるのを手のひらで抑え込み、寝息を深くするエミリアを心に留めたスバルの問いがパックに撫でつけられた。

 手のひらを顔に覆うスバルをパックはつぶらな瞳で眺めて、そして神聖さを保ち続ける一角獣を模した依代を大事そうに撫でる。

 

「届けられたライトはとてもじゃないけど治癒魔術をかけられる状態じゃなかったんだ。そんな状態の中、ユニコーンはライトのために、文字通り身体を削る覚悟をしたのさ。それで、間一髪ライトの命を取り留めることができた」

 

「俺やレムのために……ライトもユニコーンも限界まで力を尽くしたってのか。……クソが」

 

 ため息が止まらなくて、耳も熱くて、天井が水に浸されたみたいに歪んで見えてしまう。

 瞼が熱く涙に目が滲みかけたのをスバルは腕で覆い隠して、そこで感情を流した。今こうして助かって、これからだという日にライトもユニコーンもいなければならないというのに。

 

「なぁパック」

 

「なんだい?」

 

 顔を塞いだ腕を外してわずかに目の縁が赤くするスバルがゆらりと身を起こし、未だ消え入りそうな寝息を立てるライトへと顔を向かせる。

 

「ライトの体……見てみてもいいか?」

 

「見るなら相応の覚悟が必要だけど……本当に見るのかい?」

 

「大丈夫だ。覚悟なら……もうとっくのとうに済ませてるから」

 

 視線を自身の体に移したスバルは違和感の残る手で毛布へと伸ばし、捲る。やっぱりと言ってか、糊の効いた使用人服は見るも無惨なくらいに牙と傷でボロついていた。

 妙に重たい体に喝を入れて床に足をつければライトの眠る寝台へと歩みを進める。

 短いはずの距離が今やとても遠くに感じてしまうが、終わりというのはついぞ訪れるものだ。不安に息を詰めるスバルの先、ライトの顔色は優れない。

 艶やかだった肌色は触ってしまったら冷気を感じるのではないかと思うくらい白冷めている。こんなにも近くにいるはずなのに、呼吸音は大きくなるどころかむしろ小さくなっているとさえ錯覚した。

 

「これで……本当に生きてるんだもんな」

 

 奥歯に悔いを乗せて噛み締めるスバルはライトに掛け布団に手を伸ばして、手を伸ばして……。

 

「────」

 

 先が見たくないとスバルの意思に反して手が駄々をこね始め、震え出す。心なしか彼の表情は険しく、眉間の彫りをより深いものになっていた。

 覚悟を決めた上で何を躊躇う必要があるか。ただ手を伸ばして目の前にある布一枚を剥がして目に映す。たったそれだけなのだ。

 ふよふよと自身の傍に浮かぶパックが、緊張のせいかじっと見られているとさえスバルは勘違いしてしまい額に汗を浮かばせる。

 手が震えて、布を掴む力が入らない。それでも、心を奮い立たせて──スバルは一気に布をめくった。

 

「──っ」

 

「仕方のない処置だよ。ここまで直せたのはライトの体が特異だったのが幸いだった。繋ぎ合わせるだけでも道具に頼らなきゃならなかったからさ。それがなきゃ今頃……腕はない」

 

 視界に飛び込んだ凄惨な治療痕にスバルは怪我人でないのにも関わらず痛みを覚えた左腕を右手で掴んで握りしめてしまった。パックでさえ、両眼に悲壮を沈ませている。

 スバルのように白い傷跡がなんてものが可愛いものに思えてしまう。静かに呼吸するライトの左腕にはこれでもかと包帯がぐるぐるに巻かれていて、血が滲んだそれは命をすり減らしているかのようだった。指先から二の腕の付け根あたりまでびっしりと。

 

「傷跡は……この左腕の傷跡は治るのか?」

 

 心配を滲ませるスバルの眼差しにパックが首を振り折れた片耳を下げる。

 

「動かせはできるだろうけど、傷は一生ものだろうね。ユニコーンがマナを分けてくれたとは言っても、あくまで命の橋渡し。あれ以上渡していたら、逆にユニコーンがおじゃんだったよ……」

 

 口ごもるパックに対して、スバルはただ現実を受け止めて粛々と頷くことしかできない。

 ユニコーンの身を削ってまで主人を救おうとしたのは、今エミリアが疲労に意識を沈ませていることと似たようなものなのだろう。

 治療は急を要する。自身に比較して、出血も怪我のレベルも桁が違うライトになら尚更。

 他人のために傷つくことも、身を削ったとしても損をいとわない。エミリアならば躊躇わないだろう。

 

「今は外で日を浴びて、治り立ての状態を確かめておくといいよ」

 

「……あぁ、そうさせてもらう」

 

 吐息混じりに返すスバルは目を伏せて、ライトの左肩を優しく掴む。

 これは自己満足に過ぎないだろうが、言っておかなければ自身の気が休まらないことをスバルは知っていた。

 

「ライト、ありがとな……早く目ぇ覚ませよ。これから先、お前もユニコーンもみんな揃って笑い合いたいからな」

 

 微笑みは浮かべさせ、心には涙を浮かべてスバルはライトの包帯で巻かれた腕に優しく喝を入れた。これから先にある暖かくて明るい未来をライトの目が覚めたら話したい。

 玄関先に向かうとき、横目に過ぎたライトの横顔が安らいだようにも見えたが深層心理でのぞんだ光景だ。ライトの顔色は依然変わらない。

 途中、治してくれたエミリアに小さく頭を下げて扉へと向かうが扉に近づきスバルは扉に手をかける。

 ゆっくりと扉を開くと軋む音が鳴って、スバルが光る方へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 家を出ると、騒然となっている村の様子がわかってくる。時刻は早朝で、朝日が体を優しく包み込んできた。

 村の中央を見てみれば、ほとんどの村の住民が老若男女問わずに勢揃いで集まっているのがわかる。肩を寄せ合い不安を和らげようとする者達。それを守るように若頭を筆頭とする一団が囲んでいた。

 怪我をしている顔ぶれもなく安心に胸を撫で下ろすスバルは後ろに体を回して借りた家の扉を閉じる。と、

 

「──バルス、起きたのね」

 

 後ろから声をかけられて、スバルはくるりと方向転換する。

 声色を聞いてあらかた想像はついていたが、実際に顔を見ると安堵感は段違いだ。

 背後に立つのは桃髪のメイド──ラムだ。

 いつものような給仕服にラムは身を包んでおり、その両手は籠の中いっぱいに盛られている芋で塞がっていた。

 そのカゴからは香ばしい塩の香りが漂ってきており、落ち込んでいたはずの心が目の間の食糧を求めるのは必然であったようで、スバルの胃袋から渇望の声が上がった。

 

「あれだけ重傷だったのに、目が覚めたらすぐ食事をせがむなんて浅ましい。まだ眠りこけているトライになんて言うの? 犬に噛まれて駄犬にでもなったんじゃないの?」

 

「駄犬って……。その……ライトのことなんだが……」

 

「喰らうがいいわ」

 

「──え? ぼふぼざ!?」

 

 だんだんと気落ちして視線が地面へと落ちるスバル。その口に突然の灼熱が燃やし尽くそうとしてきた。

 突っ込まれた衝撃とふかし芋の尋常ではない熱さに、スバルが口を押さえながら地面をのたうち回る。

 思いの外突っ込まれたため取り出すのに苦戦していると、やっとの事で取り出すことができる。

 ふかし芋の半分が残ったため、ゆっくりと舌に乗せると、自然な甘さがふわりと広がり、柔らかな食感が舌の上に崩れていく。蒸したことで増した甘味が蜜のように深く、後味にほんのりと土の香ばしさが残る。それは焦燥感に冷え切った心を温かくしてくれたようだった。

 

「あ゛ぁあ、死ぬかと思った。ドチャクソ美味かったけど」

 

「おいしかったでしょう? できたて……いえ、蒸かしたてよ」

 

「何だよそのキメ顔!」

 

「はいはい、もう一個あげるから黙って貪っていなさい」

 

 話しているうちに半分ほどあった芋はもう腹の中へと収まってしまった。反感を露わにするスバルでもその瞳はさらなる芋を欲していることに気づいたラムがしょうがないといった表情で一つ受け渡しながら、

 

「まあ、昨日の件に関しては素直にお礼を言っておくわ。ご苦労さま」

 

「ご苦労さまって、どこまでも上からだな。お前が礼を言うようなことか? ライトがあんなんなってんのに」

 

「トライ……えぇ、あのどうしようもないバカな男にもよ」

 

 怪我人に対してなんの配慮も慈悲もない言葉だが、出たそれは吐息まじり。疲れと呆れをラムは隠せずにいたことをスバルは見た。

 

「勝手に傷ついて、自分がいらない存在なんてトライは思っているでしょ。バカバカしい」

 

「それは……そうだな。あいつ、ライトの野郎はバカなやつだ。だから目が覚めたら真っ先にお説教してやろうぜ」

 

「バルスと同意見なのは忌々しいけれど、そうね……やっぱりトライはレムに似てるわ。無理をして追い立てられているようにするところも、考えすぎなところも。もっと肩の力を抜いてほしいわね」

 

 妹のことをこぼして口元に安らぎを宿らせるラムにスバルもそっと笑みをこぼす。

 そんなスバルの笑顔が面白くないのか、ラムはじっと蔑みに変えた目で見つめた後視線をそらして、次の瞬間──

 

「づぉ!?」

 

 ドスっと音を立てて、予想外の『足』をスバルの爪先に踏みつけた。

 

「痛ってぇ!? おいおい、今の話に機嫌損ねる要素あった!?」

 

「別に……なんでもないわ」

 

「特に理由のない暴力が俺を襲う──!? 病み上がりの身体にやるか姉様!! ふ・つ・う!」

 

 らしくないと思ってたラムの態度だが、先の攻撃からいつものラムだとつま先をさすりながらスバルは涙目を差し向ける。自身のやったことに対して「ハッ」と嘲笑でラムに一蹴されてしまうのもまた、

 

「セットかぁ……ま、傷の駄賃だと思えばこんなの気持ちが良いもんだ」

 

「踏まれて喜ぶなんて、バルスはよっぽどの変態趣味なのね。ラムから三歩、いいえあそこの木まで離れてちょうだい」

 

「ひどい言い草だな姉様!? だいたい俺は踏まれて喜ぶ図太い精神なんて持ち合わせておりませんわ! でもエミリアたんには……いややっぱりなんでもねぇ」

 

 他の女性にならまだしも、エミリアになら踏まれたいという気持ちもあったりなかったり。多分しどろもどろになって慌てるかわいい一面も見れたりするかも。

 表情筋がぴくつかせて異様な笑みをするスバルはマゾな側面もあるらしく、ラムは首を振ってどっとため息。それはそれとしてと、ラムは桃髪をなびかせると瞳をスバルに向ける。

 

「領民に何か不利益があれば領主の責が問われる。あのままウルガルムの群れに子どもたちが脅かされていたらと思うと……バルスたちの行動は正解だったわ」

 

「ウルガルム……あの魔獣の名前か」

 

 おそらくあの犬型魔獣の名称なのだろう。

 それまたたいそうな名がついている。スバルは今までの研鑽から、この魔獣の由来が大体わかったような気がしていた。

 この世界に同じような神がいるのかはわからないが元の世界の知識で言うなら、北欧神話に登場する番犬ガルムがそれなのではないか。聞いただけで会ったら命はないと言う存在なのが伝わる。

 未だに芋を持ったままのスバルにラムが頷き森の方へ目を向ける。

 

「ええ、でも大丈夫。ほつれていた結界は結び直したから、村の中は安全よ」

 

「こっちから抜けてかない限り、か? またガキ共が向こう行って子犬を連れ帰ってきたら意味ないぜ?」

 

「痛いところをつくのね。──村人にはしっかりと言い聞かせておくから」

 

 そこはかとなく、ラムのまとう空気が穏やかじゃないものに変わった気がする。

 聞くところによると村の結界の管理とその報告は村の住民の責務だったらしく、怠ったことでロズワールの不利益につながりかねなかったことがご立腹だったようだ。

 今の時期になぜこのような事件が起こったのだろうと沸々と湧き立つ疑問を考えながら、スバルは別れたラムの向かった先を眺める。

 先にいたのは身を寄せ合い不安を和らげる住民で、物怖じや遠慮という言葉を知らなそうなラムが今まで森の周辺を監視していた住民に労わっている。その気持ちを屋敷で働いている自身やライトにも少しは分けてくれないだろうかと思えば、何とも言えない気持ちに浸される。

 

「ここ、か……」

 

 ため息をついて、未だ疲れの取れない足を昨夜救助した子どもたちの家に向けたスバルが、一軒目の扉の前に着く。

 ノックして少し待っていると何やら慌ただしい足音が聞こえてくる。扉が開けばスバルの顔を確認して歓迎ムードになり、ベッドに寝ている子供、ミルドを見る。

 その顔は安らいだ様子で、本当に呪いが解除できていることに安堵を覚えたスバルは少し世間話をすると、そそくさと家を出て次の家。また次の家へ。

 メイーナやリュカ、ダインとカインはもちろんのこと、ペトラに関しても問題は何もなく、完全に解呪されていた。

 とくに何もすることができなかった自分にお礼の品を用意されて照れ臭さいっぱいのスバルは大した洒落も言えず逃げるように家を後にした。

 村を一通り見て回ったスバルは特にやることが思いつかず、最初の家に戻ろうとするのだがライトの容体が脳にチラつく。

 

「一週間、二週……下手すりゃもっとってパックが言ってたよな」

 

 パックの申告を思い出す。

 外傷は治せたとしても精神にまで影響しているのなら、ループを選択してもライトの精神は寝たきりの状態でスタートしてしまうのだろうか。

 そんな危険性がなかったとしてもスバルは死のうとは思わない。なぜなら、

 

「俺はあのとき、絶対に助けてやるって大見え張ったんだ。それに死ぬのなんてごめんだし。……ん?」

 

 スバルの口から驚きの声が漏れる。石造の柱の横に地面に擦れるくらい長いドレスの裾をもつ少女がいたからだ。

 こちらの顔を一目見た途端に少女、ベアトリスが可愛らしい顔を煙そうな表情へと変えるのを見て困り笑いを浮かべるスバルは歩み寄る。

 

「ベア子……子どもたちの解呪手伝ってくれたんだって? ありがとな」

 

「……別に。ベティはただ、にーちゃに頼まれたからやっただけかしら。──それより、話があるのよ」

 

 話がある。

 そう言われて心当たりがあったスバルが体勢が少し後ろになって言い淀む。

 もしかしたらだ。万に一つのこと、ライトの容態を回復させられる術があるのではないか。術式を解呪できるほどの実力の持ち主であるベアトリス、禁書庫の司書であるベアトリスなら解決策の一つや二つあっておかしくない。

 その実、解決策を見つけたのでわざわざ自分を探しにきた、というのだとしたら何と可愛らしいのであろうか。ここまでツンデレキャラの定番を踏んでくる者がいただろうか。

 そう思っていると心なしか足取りが軽くなったスバルがベアトリスの行った所へとついていけば、石橋の影にかかっている所へと着く。

 

「わざわざこんなところに連れてきて、何の用件だ? もしかしてもしかしなくても、ライトの件で何か見つかったとかか?」

 

「違うかしら。あれにはもう手の施しようがないのよ。怪我が治っても、マナの回復やその後のことなんてどうしようもないのかしら」

 

「はぁ!? ……俺の期待返せよぉ。勝手に期待した俺も悪いが……じゃあなんなんだ?」

 

 片手で顔を覆いながら石橋の柱にもたれかかるスバルは指の隙間でベアトリスの表情を伺う。傲岸なスバルに対してベアトリスが嫌味の一つや二つ付け足すかと思えば、視線はどこかおぼつかず右へ左へと彷徨わせていた。

 それは何か言いづらいことがあるらしい表れ。

 怒られる寸前の子どものような態度にスバルも急かす気も失せてしまい、自身の首に手を置いて次の言葉を待つ。

 そのスバルの態度が帰ってベアトリスの心に区切りをつけさせたらしい。ベアトリスが瞑目し、一呼吸おけばようよう瞼を開けスバルを蝶の瞳孔に映す。

 そして告げる。

 

「あと半日もしないうちに、お前は死ぬかしら」

 

 死の予告を──。

 

 

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