Re:ゼロから始める異世界UC   作:リクライ

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第四十三話 舞い降りる者

 

 

 魔獣の一部があたり一面に転がっている。

 そこを一人の足がこの大自然の中を走り抜ける。のしかかる体重をそのままに踵踏み込み地面を潰せば、それは前進する勢いをより大きなものへとした。

 アドレナリンが全身を駆け巡ってこの危機から逃げろと危険信号を発している。

 道標もない生い茂るこの森の中、迷いたい気持ちを押し殺して速戦即決。

 意識に反して縮むふくらはぎを地面に鞭打って振り出しに戻し、それでもダメなら獣顔負けの唸り声をあげてゴリ押す。

 苦しい。息を必死に肺に取り込めば鉄の臭いが鼻腔を切り裂き、まつ毛に溜まった汗を苦しい瞬きで逃した。

 大きく足を前に出して体は前傾姿勢にする様はまさに空を切る馬の如き勢い。だが、後ろから追跡する足音は振り切れない。必死に生へとしがみつくことを嘲笑うかのようにスバルのすぐそばを駆けている。逃げ切るなんてことはもはや皆無に等しかった。

 肺が軋みを上げ、スバルが空気を求め口をすぼめて吸い込み味わうように開閉する。

 そのすぐそば──

 

「なんて卑しい顔……ついに馬脚をあらわしたのね」

 

「てんめぇ! ふざけんなよ!? 戦えるって言うから信頼したらこれだよ!」

 

 余計な酸素利用を後悔しながらも奥歯を噛み締めたスバルが脇腹でだらけるラムを担ぎ直す。

 スバルの『ナツキ・スバル囮大作戦』が執行されて約十分と少したったくらいだ。ライトとエルザの戦いから見たらカップラーメンを作ってゆっくり食べて片付けるほどの長い時間。

 囮は成功したはいいもののその戦闘は想定を遥かに上回る苛烈さだった。質より量を突きつけられた二人はついに防戦を決壊──敗走を余儀なくさせられこうして必死に走っている。

 

「戦えていたでしょう、実際。思ったよりラムの体力が持たなかっただけで」

 

「寝込んでるライトはお前みたいな状態で戦ってたんですぅー!」

 

 度重なるマナの消耗に手足をまともに動かせないラム。にも関わらず彼女の減らず口は戦う前よりも増えている気がしてならない。

 ライトもこのラムと同じ状態にも関わらず最後の一射を文字通り命を賭けて撃っていたのだとしたらガッツがありすぎる。覚悟ガンギマリだ。極光に巻き込まれた魔獣もラムが風魔法で討伐した魔獣なんて疾うに超えてるんじゃなかろうか。

 ラムが討伐したのは十七かそこら。いい方向に風が吹いたと思えばラムがふいに倒れて今に至るのだ。 

 

「クッソオォォ──ッ!! いいかげん、俺の中に眠るチートが解放されてもいいだろう、にぃ!?」

 

 感情のままに走っていけば戯れに飽きた魔獣が飛びかかり、スバルの右肩を容易く切りつけた。「ひぃー!?」と途端に情けない声をあげてへっぴり腰になるスバルが痛みから難を逃れようと涙を後残しして逃げて──

 

「──バルス! 前!」

 

「はぁ!?」

 

 腕の中で唐突なラムの叫び、視界に差し込まれる光にスバルが驚愕した。

 白一色となった景色がじわじわと色を取り戻して飛び込んでくる情報がスバルの脳を激震させる。

 今まで八つ当たりのように蹴っていたはずの地面が抵抗をなくして、体にかかる重力も楽になった。

 

 ──これはぁ……終わったかも。

 

 ちょっとばかり、いやだいぶ視点が上すぎる気がする。森がどうして足元に──

 

「うあああぁあぁあぁあああぁあ──ッ!!」

 

 気づいた束の間、スバルたちの体が宙に落ちた。体の中身が一気に上へ上へと持ってかれる浮遊感が体全体に押し寄せる。その直後、踵が斜面を捉えられて垂直落下を免れることはできたが結果の先延ばしだ。

 

「はめられた──!」

 

 野犬だからといってその知能を甘く見ていたのが仇となった。

 昨日の戦いだってそう。鬼化したレムを囲繞してジリジリと魔獣たちが体力を削っていたではないか。

 それを間近で見て、そして今こうして接敵していたにも関わらずスバルは念頭から欠如していた。

 その結果、もたらされたのは魔獣たちにいいようなおもちゃにされた挙句、こうして崖に擦れ落ちている。

 悠長にもなれない。崖が完全なる絶壁と化すまでもう残りわずか。

 

「くっそどりゃぁ──ッ!!」

 

 命の落下に声を震わせてスバルが叫んだ。右手に鞘から引き抜いた剣で死力を尽くして崖へと突き立てる。

 

「くっアアアアイデデデデデッ!!」

 

 右半身で崖を削り、突き刺した剣をさらに捻り込ませて落下速度を制御。なんとしてもこの場を生還しなければならない。

 崖を削る勢いはだんだんと落ち着き、スバルの右腕にはもう一人の体重が上乗せされた。

 

「ふぉー! セーフ」

 

 見上げれば崖に突出していた植物の根っこが剣に引っかかっていて、絶壁は目の前。なんとか一命を取り留めたことにスバルは安堵する。

 

「危うく御愁傷様するところだったぜ」

 

「落ちたら流石に二人とも危ないわよ。バルス登れるの?」

 

「根性でどうにかしたいが、上で待ち構えてる魔獣が問題にぃ……」

 

 上で吠え面かいている魔獣たちを差し置いて、まず左腕に力を込める。とりあえず体勢を楽な方へと剣に身を預けようとして、

 

「「──あ」」

 

 二人の短い悲鳴が重なって、剣から甲高い音を出して絶命。剣は三分の一が木の根に挟まって取り残し折れてしまったのだ。

 体重を戻すために力の入った右腕は緊迫した糸が切れたように空振ったまま落下が、再開する。

 

「うわぁ──ッ!! 業物があぁあぁぁ!!」

 

 平衡感覚が行方不明になる先に頭が真っ逆様になる。この感覚はいつかの身投げを思い出してしまって、スバルの身の毛がよだって尻に力が入った。

 そんなスバルだが、無意識にラムを腕に抱いたままではあるため男気はあるらしい。

 力任せな寄り縋りからみじろいで、ラムが腕を差し迫る地面へと突き出し、

 

「──エルフーラ!」

 

 発動と同時にマナが膨れ上がり、地面から頭スレスレのところで嵐が吹き荒れた。

 真下直行だったスバルの体がラムの撃ち放った突風による反動で加速度がプラスからマイナスへ。

 位置の低い落下開始地点からおぼつかない足取りで母なる大地へと二足を着地。上を見れば魔法の張本人であり、その噴射反動をまともに受けたラムがもうすぐそこ。スバルは両腕を構えて抱き止める姿勢へと変らせて──抱き止めた。

 

「あっぶねぇ、マジでラム様神様仏様のタイミングゥ。ここまで来りゃ……」

 

 命を文字通り浮上させてくれたことに感謝して、はるか上層──およそ四階建ての学校に相当する場所から悔しげに吠え散らかす魔獣にスバルが引き攣る笑みを浮かべようとして気づく。腕の中にいるラムが動かないことに。

 腕に伝わる体温がさっきと比べ物にならないくらい激変して、俯くラムの鼻孔からは血が流れてしまっていた。言葉の返しようがなく、ラムは浅い呼吸を繰り返して呻くばかり。

 

「あれ、おいラム? これマナ切れ……ライトのやつか」

 

 千里眼に体外に干渉する風のマナによる風の刃。もとより憔悴しきっていたラムの体だ。きっと先の魔法が精神を限界にまですり減らしてしまったのだろう。

 ライトの症状もパックから聞いている上、ラムの状態がいかに命の危機に瀕しているかがいやでもわかった。

 

「ああくっそ、迂闊な俺がまじで呪いたくなる」

 

 自らに罵倒を打ちつけて、スバルは両腕の中に収まるラムを抱え直し、上を見上げる。

 流石の魔獣でも、身投げしてまでこちらを追おうとはせずに崖から頭を引っ込め始めていた。この状況に内心ガッツポーズするスバルは剣を拾い上げようとした。

 ──草木が揺れ、砂利を踏む音が唐突に耳に入り込んだ。

 

「おいおい、嘘だろ……これが犬のやることかよ」

 

 走り出そうとした足を止め、ブリキの人形のようにスバルの首が崖の正面へと向く。

 数えるのがバカらしく思えるくらいの魔獣たちが牙を剥き出して躙り寄るところだった。さっきまで崖に誘い込まれたこともあり、先回りもおそらくはできるだろうとは思っていた。二つのどちらかだと。

 だが、魔獣たちは前者も飽き足らず後者の方も組み込んできたのだ。もはや裏で誰かが指揮していても不思議とは思えない魔獣の頭の回転。

 それもこれも頃合いを見計らって土の高台から見下ろす子犬の魔獣の所為だ。つぶらの真っ黒な瞳にスバルは乾いた笑みを堪え切れない。

 

「こりゃ、絶体絶命ってやつだな。……恨むぜ魔女様」

 

 恨み言を残し、スバルが足腰をどこも折れていないことや痺れがないことを確認して、この絶望の状況を足掻こうともがく。

 どうか、魔獣たちが優位な状況に驕り昂って攻撃してこないことを祈って。が──

 

「……どうしたんだ」

 

 冷や汗を浮かべながらもわずかな違和感にスバルが震え声を上げる。

 どうしてか、魔獣たちがゆっくりと足を引きずるように後ずさるのだ。

 わけがわからない。それに今まで殺意と敵意がこちらに釘付けになっていたにも関わらず、その影もだんだんと薄れているような気がする。薄れたのではなく、もっとドス黒い何かが上書きにかかっているような。

 

「──!」

 

 上からパラパラと瓦礫が降りかかるのを感じ、反射的にスバルは顔を見上げた。同時に肌が粟立つような感覚に襲われ、そして納得した。

 ──はるか上方、崖より一人の人影が跳躍して降って来ている。

 遅れて姿を現す、血濡れの鉄球を引き連れる者が。

 その人物が崖下に降りてくるのはそう時間もかからず、『死』の予感を持ってして大地へと振りまく。

 

「──……っ」

 

 軽快な鎖の音が大胆な着地と同時に響き渡り、衝撃で飛んでくる砂利に息を呑む。

 あれだけの高所から落下したのに余韻すらも感じさせず、悠々と立ち上がるのは端正な給仕服を血で濡らした青髪の少女。

 

「──レム!」

 

 物騒な装いではあるものの五体満足で活発な様子を見て、スバルは無事を喜んだ。

 だが、これ以上にない殺意が辺り一面無差別に塗りたくられ、嫌な予感にべっしょりと冷や汗を背中にかいている。

 あわよくばここで和解し、姉妹協力戦線のもと圧倒的パワーで魔獣どもを捩じ伏せてスバルの呪いが無事解呪。エミリアの説教を覚悟して戻れば奇跡的回復を見せて目覚めたライトに熱い抱擁を交わして一件落着のハッピーエンド。

 ──だったらよかった。

 

「……。──フっ」

 

 そんなスバルの甘い考えはレムが振り返った瞬間に吹き払われた。瞬きすらも許されない逼迫した空気圧に思わずたじろいでしまう。

 彼女の顔に宿る要素に友好な明るさなんてものがまるで感じられず、押し出してきた感情はただ一色。──漆黒の殺意。

 それだけだった。一眼見ただけで会話のキャッチボールどころかジェスチャーも成立する空気ではない。

 目を離せば消し飛ばされかねない脅威。──脅威。

 

 ──脅威?

 

 何度も残響する言葉を咀嚼して、お門違いさにスバルは吐き出した。眼前のレムにどうして敵扱いしてしまうのか。

 

「ぶ、無事だったのかよ。助かったぜぇレムりん」

 

 口元が引き攣る思いで気さくに、あえてそう振る舞って見せるスバル。

 この呼びかけで、レムが多少でもその狂気から醒めてくれたらと思ったのだが、

 

「レムさーん。そんな見つめなくても俺はいます──おぉわッ!」

 

 そんな奇跡は怒ってくれるはずもなく、身体を翻したレムが鞭のように腕をしならせて『護身用』鉄球を飛来。

 咄嗟に身を後ろに倒せたのは偶然に近い。

 インドア派ゆえにスタミナが不足気味。そして度重なる足の浪費により体勢を崩し、奇跡の無傷回避が実現したのだ。

 その代わりスバルの顔面をマッシュドポテトにするはずだった鉄球は背後の岩へとぶつかる。崖を圧倒的質量が横一線に描き抉り出して、多大なる爪痕を残した。

 その有様に訪れる寸前だったスバルはゾッとして、縋るようにレムを見る。対するレムは敵意に濡れた双眼で睨み返す。

 

「くっそ、鬼化したはいいけど制御できない設定か……!」

 

 立ち振る舞いからレムの現状にそう当たりをつける。

 だとしても暴走を止める何かしらの手段がきっとあるはずだ。昨夜の鬼化は狂乱状態ではあれど、限界まで収束した閃光がレムの精神を引き戻したことを記憶している。

 となれば衝撃的な重傷を目の当たりにさせるか、物理的に呼び起こすかという選択肢になるのだろう。

 

「後者は……だめだ。できたとしても精魂枯れ果てて意識損失が目に見える。となると前者なんだが……即ミンチになる未来しか見えない」

 

 確証はないが重傷を負えばレムはきっと正気を取り戻すだろう。

 あいにくとそんな器用に怪我なんてできるはずもなくひき肉となったスバルに早変わるが。

 腕の中、ラムを見る。

 このメンバーの中ならレムの事情を知っていそうなのは姉であるラムだ。しかし揺すっても揺すっても起きる気配が一向にない。

 それに、

 

「────」

 

 いつまでも周囲の魔獣もレムも、大人しく待ってくれるとも限らない。

 レムは鎖を片手間に勢いよく引き寄せ慣性を急変。鉄球を強制帰還すれば、左手で受けたそれを携えて前傾になる。すでに攻撃に移すためこちらをロックオンしているところだった。

 緊張で砂漠となる唇を舌で湿らせ、スバルは口先八丁で遠ざけようと試みる。

 なんでも試し、当たった当たって攻略法を編み出していくのが長年も培われたスバル流なのだ。

 

「おいレム! 俺の名前はナツキ・スバル! 天地無用の雑用見習いにして……ぇと、ロズワール邸に輝く新星にして二つ星のうちの下男! お前やラムには迷惑かけ通しだったが、それでも時に仲良く時に仲違い……どぅおっふぉッ!?」

 

 情に訴えかける早口が、詭弁に聞き飽きたレムの横槍によってぶち壊された。

 大気中を恐るべき力で穿たれ、顔面一直線で向かう鉄球に身を回して回避するスバル。が、顔の横スレスレで通り過ぎる直後に鉄球の棘が右肩を浅く抉り、肉の削がれる痛覚に脳が沸騰した。

 

「痛ぇっつうのに……!」

 

 抉られた肩から身体を回し、スバルは伸び切った鎖の下をサイドステップで掻い潜る。程なくして、壁に垂直となった鎖が打ち払われ、スバルがいた地点に鉄縄紋が刻まれた。

 紙一重の差だ。気を一瞬でも迷わせれば自身が爆ぜた岩石の末路を辿っている。

 

「話の途中で撲殺とか躾がなってねぇぞ!」

 

「──ッ」

 

 叫ぶスバルに前傾となるレムが更なる一歩を踏み出す。かに思えば不意に壁に埋め込まれた鉄球を腕だけで引き戻し、上体が鋭利に後方へレムが向いた。

 

「────ッ!」

 

 背後から飛びかかろうとする魔獣に片足を軸とし回し蹴りが胴体へと食い込み、轟音が炸裂するのと同時に肋骨もろともぐしゃぐしゃとなったモノが足元に転がり込む。

 獲物を横取りしようと図に乗るからあんなことになるのだ。

 先に天へと旅立った魔獣が死に、そして波状攻撃を仕掛けようとした魔獣たちが開戦の鏑矢を上げ少女へ襲いかかる。

 最も近い一つが大口を開いて華奢な腕に噛みつこうとする。それを上回る速度で彼女が右腕を振るい鉄球を引き寄せ、旋回のスピードが乗った左腕が魔獣の頭蓋を穿つ。飛び散る血肉にも意に介さず、レムが右腕を叩き下す。付随して鉄球が急落下して魔獣の脊髄へと吸い込まれるように向かい、打ち砕いた。

 振り上げた爪先が、同胞の仇を討とうと決死する魔獣の横面を抉り飛ばし、四足動物は高い方へと飛んでいく。間と縫って突っ込む魔獣をレムが下腿で樹木へ蹴り飛ばす。

 ちぎっては投げられちぎっては投げられ。赤い果実が潰れてか細い魔獣の断末魔があたりに響く。鉄の蛇が魔獣の血と怨嗟を求めて地を這い辺りに鉄血の花を咲かす。

 場の中心を支配する『鬼』と席巻する魔獣の雑兵。

 ウルガルムはそれぞれ一個体を相手取るのに限っては文字通りの雑兵。──一個体だけならだ。

 

「やっぱ物量って反則だろ……」

 

 次々と同胞の命を蹂躙される中、臆すことなく戦場の鬼へと飛び掛かる。殴り飛ばされ、潰され、破裂され、蹴り砕かれたとしても戦線から離脱して戦いを切り上げることはしない。

 粉骨砕身する魔獣たちの成果は少しずつだが、浮き彫りになっていた。はらからの死屍を踏み越え、言葉通り死に物狂いで牙を突き立てる。

 返り血に塗れたメイド服に裂傷が増産。その一つ一つの傷には積み上げた魔獣の屍の憎悪が蝕むように血を流させた。

 徐々にだが、形勢がスバルたちから魔獣側へと傾けられている。その間に挟まって戦況をこちら側に傾ける術もスバルは持ち合わせていない。

 苛烈を極めるこの戦いにもはやスバルに関心を向けるものはいなく、完全に弱いもの扱いだ。

 

「見られていない今のうちに……」

 

 辺りを見渡したスバルが地面に転がったままの剣に駆け寄り手に取り鞘に収め、移り変わる闘いを再び目に映した。これが圧倒的にレムの方が優勢ならただ指を咥えて魔獣が狩り尽くされるのを見ていただろう。だが、状況は徐々に悪化し始めている──すでに始まっていた。

 間髪入れず、大気に満ちていたマナが一つのところに集い始めたのだ。殺気と敵意に満ちた在所から俯瞰する存在、渦の中心にスバルの視線が吸い込まれる。

 戦況をついさっきまでまじまじと眺めていたはずの子犬が黄色の燐光を纏って魔力を練っている瞬間だった。

 

「──ッ!」

 

 弾けるように子犬の双眸が開かれ、吠えた。刹那、小さき魔獣が発した咆哮は鬱積したエネルギーを解き放って地面へと流し込まれる。

 黄色い閃光が地中を迸り、思考を持って上に立つ一頭の魔獣を上へ上へとのし上げた。

 レムの背後、突如として聳え立つ石柱。彼女の視界に入るのと同時に頭上から魔獣が牙を剥く。

 だが彼女は気づけない。気づけたとしても負傷は避けられない。少女一人をいとも簡単に隠せるくらい大きいそれは、レムを頭上から襲いかかる魔獣の影を誤魔化すくらいわけないのだから。

 魔獣の牙が守るものも遮るものもないレムのうなじを捉えて──

 

「うっ……ウぅあァ──ッッ!!」

 

 開かれた大口にうなじから挿げ替えた腕を突っ込んで、苦しみに喘ぐレムが地面へと重たい体躯を叩きつけた。地面に埋まった犬面を拳骨で叩き潰し、息の根を止めるという徹底ぶりを見せて。

 新たに生まれる裂傷が攻撃で振り絞るたびに血流を流し、レムを悪戯に消耗させる。もう見てるだけではいられなくなった。

 手段はあるにはある。割り込めばいいのだ。しかし、ただ単純に割り込めば争いの暴風に細切れにされるのがオチ。だから割り込むのは魔獣とレムの間に意識を介在──レムを救う。

 ふいにスバルは自身の左胸に伸ばす手が震えていることに気づく。手だけじゃない、あれほど焼けるほどに熱いと感じていた傷でさえ忘れるほど震えている。

 背に腹は変えられないのは百も承知だ。でも、怖いものは怖い。

 だがスバルが足踏みしている中でも、

 

「──うっ……」

 

 疾駆する魔獣が腹に食い込み、血が混じる空気と一緒にレムの呻きが吐き出される。唯一の武器であるモーニングスターは手元にない完全な丸腰。誰がどう見ても劣勢に押し込まれた。

 もうすでにスターターピストルは放たれたのだ。こうしてうだうだと迷っている間にも、レムの体には新傷が刻まれている。

 

 ──覚悟を決めろナツキ・スバル! 男は度胸……女は

 

「愛嬌──ッ!!」

 

 割り込む覚悟を、戦禍に身を投じる決意を心に満たして、足裏を地面に叩きつけ多く息を吸い込む。

 限界全開まで溜めた気合いを転がった武器を掴み終えるレムに、前傾になって睨む魔獣に、恐怖心を力づくでねじ伏せて──ぶちまけろ。

 

「怖ぇ顔しないで、笑え、レム!! 俺は──」

 

 本日二度目となる黒雲と勁烈な痛みを承知でスバルが口角を引き裂くほど叫ぼうとして──詰まった。

 言おうとしたのだ。だが言えない、言えなかった。これはスバルが怖気ついたわけでも、世界が色を無くして止まったわけでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それよりも強大な轟音がその場を相剋したからだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白光と赤光が混ざり合い、渦巻く蒼い稲妻は空間を切り裂く。大気中のマナを吸い尽くし極限まで収束した破壊が上方からただ一直線に、飛びかかる魔獣を呑み込みにかかった。

 爆発的な閃光の熱膨張が魔獣もろとも地面を抉り、弾け飛ぶ土煙と砂塵。熱気と焼けた金属ような臭いが辺りを席巻し、ここにいるすべての意識がネストへと顧みる。

 

「……今のは」

 

 鼻がうるさくて鼓膜が奥に引っ込む。誰がこんなものを撃ったのか、せっかく腹を括って吸い込んだ空気が勿体無いじゃないか。

 誰かなんて関係なく、スバルは戦場を逆巻いた輩に拳骨の一つでもくれてやりたいと鼻を抑えた手に力を入れる。

 誰か、誰か。いや、誰かではない。スバルはそれを知っている。

 

 ──ま、さか。

 

 そんなことありえない。だってそいつは、今頃まだ布団の中で回復が見込められず眠っているはずなのだから。

 

「お前、なのか? ライ……」

 

「──アぁッ!!」

 

 小さく喉を震わせたスバルにレムのがなり声が掻き消す。そして間髪入れずに鉄球が大気を貫いて、空中で鉄蛇が荒れ狂った。

 向かう先はスバルたちが滑落し、レムが飛び降りた崖。そこから一人の影がスバルに向かい一直線に墜落してくる。

 モーニングスターの影が人影を覆う。その凶悪な鉄塊が空気を裂いて着衣に接触する寸前、影の右手に閃光が孕む。

 

「──ッ!」

 

 刹那、煌めく刃が生まれ、疾風のごとく振るわれた。鋭い一閃が縋る鋼球を迎え撃ち、火花を咲かせ打ち返す。

 圧倒的暴力を柔を持って鮮やかに制した者が今大地へと降り立ち、同時に乾いた砂が舞い上がった。濛々と立ち込める砂埃が一人を覆い隠すくらいに、飲み込む。

 静寂を切ることが許されない中、砂塵のカーテンから二つの閃緑がゆらめき立ち上がり、

 

「ぎりぎり間に合ったようで、本当によかった」

 

「あ、ぁ……」

 

 安堵が滲んだ声が響くのと同時に、砂の幕は右手に伸びる閃光が切って払われた。

 全員の視線を浴び、陽光の讃歌を一身に受ける。

 左腕には深傷を覆い隠す丹花が浮かぶ包帯が巻かれ、穢れなき純白の髪は天日を跳ね返す。肌は病的なまでに青白くあっても、どういうわけか弱々しさを感じさせてはくれない。

 目の奥が焼けるくらい熱い。自身の目から涙が浮かんでいることさえ忘れるくらい、スバルは眼前に見入っていた。

 

「ライ、ト……起きて、くれたのかよ」

 

「うん。心配かけさせたよね」

 

 朗らかないつもの笑みをライトは浮かばせる。

 

「みんなが呼んでくれた。みんなが俺を気づかせてくれた。みんなが……だから」

 

 息を深く吐き、ライトの様相は何かを受け止めるように口を固く結んで瞑目し、開けた。

 その瞬間、鮮緑の眼差しに二輪の黄金が瞬き、朗らかな笑みを浮かべた。

 涙が拭っても拭ってもどんどん溢れ出てくるスバルにはライトの顔がよく見えなかった。ただ、絶対に笑ってるんだろうと確信めいた思いがスバルの胸中を埋め尽くす。

 

「答えたいんじゃない。俺は、応えたい」

 

 崩れた表情を直し、ライトは動きを止める魔獣たちとレムに決意が走る双眸を向け、振り返る。

 右手に握る光剣を横に構え振り下ろし、背筋を天へと伸ばして堂々たる仁王立ちをするライト。右手に握る光剣が揺らいで唸るたびに、空間を満たしていた鋭さが、殺気が、静かな重みに置き換わる。

 それは責任でも、重圧でも、使命でもない。たった一つのまっすぐな望み。

 

 

 

「『タカナシ・ライト』、未来を切り開く──ッ!」

 

 低く、静かに。しかし、確かな決意を宿した声が響く。

 その姿は全身に虎視が向けられても揺らぎなく、誰よりも確かな意思を宿した者が断言する。

 

 

 ──『可能性』は復活する。

 

 

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