Re:ゼロから始める異世界UC   作:リクライ

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第四十四話 心に従え

 

 

 周囲に無音の静寂が支配する。

 何も感じない何も聞こえない。足元には何もなく、だが落ちる感覚もない、ただそこを浮かんでいる。ただただ、途方もない真っ黒な景色がそこにあった。

 

『────』

 

『────』

 

 波が押し寄せて体をくすぶる。だが、それでも遠い。

 意味を成さない波は、中に眠る者を過ぎ去り汲み取ることができない。

 全てが不確かで、触れても指の間をすり抜けていく。

 

 ──………………。

 

 暗がりの中、朦朧とする『ライト』が虚空に手を伸ばす。通り過ぎるだけの空間に一つだけ握れるものがある。それを──掴んだ。

 

 ──っ。

 

 永久の暗闇に白い体が浮かび上がった。ライトの体が淡く光って光の粒が集まってできているように透き通っている。自分の体を掴めるのを感じれば、宙で遊ぶ無の空間は荒れ狂う海中のような──確かに意識が泳ぐ場所。

 

 ──ぁ、う。

 

 波に飲まれていた意識が浮上して来て、ここから出ようともがき苦しむ。肝心なところで詰め物をされたようにライトは呻き声しか発せず、何かが足にか絡みつくのを感じて来て焦燥感に呑まれる。

 引き込まれる。

 

 ──なにかを……やらな、きゃ。

 

 反抗する意識とは裏腹に、ライトの体が揉まれて呑まれて意識が沈みかける。恐れが胸を締め付け、冷たさが肌を刺すように全身を押し潰した。

 今度こそ、ここに沈んだら自分が自分でなくなってしまう。だのに、もがけばもがくほどに波がライトの体を包み込んで引き摺り込もうとしていた。

 彼は必死に手を伸ばして伸ばして、その波の力に抗おうとした。だが強大だった。とても──ひとりでなんてできない。

 

 ──おれ、は……

 

 呼吸ができなく、一際泡が傾れ込んで胸の中にそれが満ちていけば、意識が薄れていく。

 そこで──なくなった。

 

 

 

 

 深い海の中に、ライトの意識が漂う。

 

 

『──起きて』

 

 暗闇の中に、白い光が静かに差し込む。

 

『うちの子を助けてくださり、本当にありがとうございます! ライト様』

 

『ライト様はうちの子の命の恩人です!』

 

 ──聞こえる。誰かの、声が。

 

『またリンガ、買ってくれよ!』

 

『起きたらでいいのさ。また一緒に村掃除しようぜ?』

 

『助けてくれて、ありがと! ライト』

 

 何度も、何度も何度も何度も何度も、ライトの冷えた気持ちを包み込んでくれる。何度も温めて、引き上げてくれる。

 

 ──そうか……俺は

 

『『だから』』

 

『『起きて! /起きてください!』』

 

 ──ここにいて、いいのか?

 

 一つ、一つ。また一つ集まっていけば、その光は輝きを強まるだけではなく柔らかい神聖な輝きを放って、心臓が凍りついてしまう冷たさを持った水を柔らかに温めていく。

 その暖かな光に身を包まれれば、ライトが薄く目を開けた。

 目の前で光が集まり意思を持つように光輝が変形していく。それは得体の知れないモノではありながら、不思議と恐怖心は無く、むしろ安心感を持つものへと変わった。

 ──光に、手を伸ばした。

 手を伸ばせば、光が細く伸ばしてライトの手を包み込んで鈍く光って、散乱しかけだった身体を支えていく。その光がやがて新たな姿を迎える。──人の形へと。

 

 ──これ……。

 

 整ったフォルムは優雅で、流れるようなラインが空気を切り裂くように意匠が凝られていた。天を指し示す独特な角が神聖さを際立たせ、エネルギーが光の束となってその輪郭を露わにした。

 どこかで見たようなそれに手を握られたまま上へと持ち上げられていく。恐ろしさに澱んでいた水が透き通っていって、鮮烈な光の軌跡が彼の体を優しく撫でるたびに、心地よさに安心感を覚えた。

 

 ──近づいてくる。

 

 仄かににじむ虹から解放され、新しい空気を吸い込む瞬間、心が軽やかになっていけば優しい光がライトを包み込んでいく。

 もう何もしなくとも上へと体が浮上していって、光から離れないように手を伸ばした。

 白光と赤光が手に触れたと瞬間、瞬く間に光の奔流がカラダへと流れ込んでいく。

 赤く発光する回路が脈打つたび、内側から湧き上がる熱と衝動が意識の中に入り混じる。それは力なのか、それとも囁きなのか。見えない誰かの感情が流れ込むような錯覚に陥り、拍動が昂った。

 あるいは怒り、あるいは悲しみ、あるいは喜び、あるいは理解。あるいは、それら全てを混ぜ合わせたような衝動が、やがてのめり込んで入り込んで同調する。

 『可能性』を秘める光は美しくもあり、どこか禍々しい。あまりにも鮮烈で、生々しい光だ。

 ──もう後戻りはできない。一度受け入れたのなら、選ばれたのなら。

 瞬間、世界の幕が壊れ、世界が押し寄せライトを引き込む。

 

 ──そこは目に眩い光が劈いて、腕で塞ぐと黒が支配する。

 

 たちまち、遥か遠くに感じた外界の音と光が間近に迫ったのを感じて、

 

 ──ゆっくりとライトは目を開けた。 

 

 

 

 

 陽光が目に入って、目を閉じかけてしまいそうになる。時間は遅い朝ぐらいか。

 ぼんやりとした視界でも、ここが見慣れた屋敷とは違うまったく見知らぬ場所だとライトが気づくのにそう時間はかからなかった。

 新たに心を決めて目覚めたのはいつぶりだろうか。ただ一つわかったのはもう悩む必要はない、それだけだ。

 見慣れない天井の模様を眺めながらライトは漠然とした気持ちを掴みかけていた。 

 

「確か俺は……」

 

「ダメよライト。病み上がりなのに、起きちゃったら傷に響いちゃうわ」

 

「エミリア? って痛……!」

 

 寝台の傍、椅子に腰掛けるエミリアにそう言われてライトが咄嗟に左腕をつきかけたとき電撃が迸った。

 焼け付くような激痛が左腕を貫き、思わず全身が痙攣してしまう。まるで遅れてやってきた雷撃のように、痛みは骨の髄にまで響き、ライトの喉が勝手に引き攣った声を漏らした。

 

「……ッ、が……ッ!」

 

 何が起こったのか、すぐにはわからなかった。ただ、左腕が自分のものではないような、異様な違和感と鋭い痛みが脳を締め付ける。恐る恐る視線を落とすと、そこに肌色は一切なく、腕を丸ごと包帯でぐるぐると巻かれた重傷なそれだった。白い布から赤色が滲んでいて、未だかろうじて原型を留めている、そんな表現が今適している。

 

「……これ、俺の……」

 

 震える右手を伸ばしかけて、ライトは声を引き攣らせた。右前腕部にも包帯が巻かれていた。違う点があるとすれば、出血の差と今の今まで気づかなかったくらい痛みが伝ってこなかったことくらい。

 

「ライトってば、私が言ったそばから。少しは自分のからだを労ってあげて」

 

 諭すように優しく口を和らげたエミリアがライトの肩を持って布団へと戻させる。そっと床について何が起こっているのかわからず目を瞬かせるライトにエミリアはほっとため息をついた。

 

「まったく、男の子ってどうしてこんなに無茶ばっかするの。私にはさっぱりわかんないわ」

 

「無茶をしたんじゃなくて、無茶しないといけなかったんだよ……」

 

「そうやってすり替えたりしても、ライトが無茶したことに変わりないわ。本当に、めっなんだから」

 

「めって……」

 

 エミリアの子供扱いにライトの口角が引き攣った。

 エミリアのおかげで痛みがほんの少し和らいだ気がする。額に脂汗を浮かべるライトではあったが、目の前にいる何か物言いたげなエミリアを見て不思議そうに眉を顰めた。

 珍しくエミリアは整った銀髪を乱していて、どこか疲れ気味だ。それに彼女の清純さを際立たせる白い衣は泥と血で汚れている。

 

「エミリアが、俺を?」

 

「正確には、ボクとベティーと青髪の子もだよ?」

 

 じわじわと痛むのと同時に湧き出るライトの疑問にエミリアのきめ細かい髪の中から声が響いた。

 ひょっこりと小さい手でかき出てきたのは片耳が垂れた子猫型精霊、パックだ。顔を洗うパックはそれから困惑の色を宿らせるライトの双眸を見据えて「うーん」と喉を鳴らす。

 

「じゃあまず、君は自分が誰だかちゃんとわかるかい?」

 

「誰って、そんなことよりも昴は……」

 

「それは君が答えたらおいおいね? それじゃあさんはい、どうぞ」

 

 全くもって状況の理解に苦しむのだが、眼前で手を差し出すパックがピクついて体勢に厳しそうにしていたから、手短に言おう。

 

「わかったよ。──俺は小鳥遊来翔。これでいい?」

 

「自己認識もしっかりしてるし大丈夫そうだけど、念のため。一応だけどこれも見てね」

 

 そう言ってパックが小さい手のひらに顕現させたのは氷でできたお手製の手鏡で、それにライトの顔を映し出した。

 髪の毛がいつになくボサついて、体調の悪そうな──

 

「……俺、だけど」

 

「よぅし、傷以外ならまーったく問題なしだね! それにしても驚いたよ。普通なら死んじゃってもおかしくないところだったけど、そこから意識の後遺症もなしにライトは這い上がってきたんだから。もはや奇跡と言っても過言じゃないんじゃないかな?」

 

 腕を組んで、ふんすと意気組みするパックにエミリアが力強く頷いた。

 

「本当よ。私たちが村に着いたとき、レムがめずらしくあたふたしちゃって、スバルとライトを見たら私までしっちゃかめっちゃかになっちゃうんだから」

 

「……しっちゃかめっちゃかってきょうび聞かない」

 

「茶化さないの」

 

 聞かない言葉と知っている自身も古臭いのもさることながら、エミリアが人差し指をライトの唇の前に置いた。

 すぐに不満げな顔が崩れ、「でも」とエミリアが顔を綻ばせる。

 

「そんなこと言えるんだから、ライトが大丈夫なんだって、私安心した。待ってて、今治癒魔法をかけるわよ」

 

「何から何まで……本当に──」

 

「あやまらないで」

 

 顔に憂いをかけ始めるライトに、淡い光を両手に宿らせるエミリアが強かに言い放つ。

 左腕から全身にかけて浸透する優しい波動に解けていく緊張に、エミリアの心根が伝わってきた。厳しくもあって、それでいて優しげで慈悲深い。献身的な、彼女の心が。

 

「私がしたくて、やってることなんだから。だからあやまらないで、ね?」

 

「その、うん……ありがとうエミリア」

 

 あれだけ熱した鉄棒で押し付けられたような痛みがエミリアの魔法によって随分とマシなものへとなった。

 だが、完全に治すとまではいかないらしい。エミリアが左腕から手を離すと深い嘆息をして額の汗を拭った。

 

「体のマナを昨日の夜のうちに出し切っちゃったんだから、治療はここまで。これ以上治すと、今あるライトのマナを使い尽くしちゃうかもだし、また無茶するかもだからこれでおしまい」

 

「動かすだけで痛かった腕がもう……本当にありがとう、エミリア。パックも」

 

「ライトの腕をここまで治したのはボクのおかげでもあるんだからね。敬うといい」

 

 小さい体躯もあいまってかわいい全開のパックが腰に手を当ててライトにふふんと胸を張った。

 思えば、ぐちゃぐちゃでも足りないくらい酷かったはずの腕もこうして動く。すっからかんだった体にどう治療を施したのかを聞けば、十中八九原始的な医療用法となるのだろうが聞かないでおこう。なんだかグロそうだから。

 

「いやぁ人の体に針を通すなんて久しぶりだったから。もうあっちこっちに力が入って大変だったよ」

 

「今聞きたくないことをなんで言うのさ」

 

「出血がひどかったらから傷口を凍らせながら……」

 

「オッケーもうわかっただまろうか」

 

 どうしてこんな人の心をのぞいたみたいに聞きたくないことを平然と言ってしまうのだろうか。人の心、いや精霊心は相も変わらずライトはわからずじまいだ。

 

「とにかく、ライトは絶対に布団からでちゃダメなんだから、お利口さんにしてて。絶対に! ぜーったい、なんだから!」

 

「わ、わかった。って、そういえば聞きたいことがあるんだよ。スバルはどこに?」

 

「わかんない。スバルったら、私が寝ている間に抜け出したのか布団の下を見てもいなかったの。目が覚めたら、パックに知らせてって私言ったのに。ほんと、バカなんだから」

 

「ぎく」

 

 今ぎくって聞こえた気がする。あとこのご時世、ぎくとか口に出す人はそういないだろうし言ったら即バレるだろう。実際ライトは半分開いた疑いの目で二人から目を逸らすパックを見つめていた。

 

「パック?」

 

 エミリアも気がついてしまった。

 全員の視線を浴びる中、パックは自身の長いしっぽを影に隠れる。

 

「い、いやぁ、ボクにはにゃんとも──むにゅ!」

 

「パック、スバルがどこにいるのか知ってるの?」

 

 ズイっと効果音が聞こえるくらいにエミリアがパックへと詰め寄って、紫紺の双眸が疑惑の色に塗り変わる。

 助けを求めようと小さい手を、小さい頭を忙しなく動かして見るがここには誰も味方なんていなかった。

 

「えっとそのぉ……スバルなら、村の子どもたちと遊んで……」

 

「パックが嘘ついたら私、一生口きいてあげないんだから」

 

 なかなかに容赦のない手札を切って出すエミリアが頬を膨らませてパックからそっぽを向く。青ざめるパックに対してエミリアの心は寛容ではない。

 流石にエミリアの言い分がなかなかに答えたらしく、パックが耳を垂れて観念した。

 

「……わかったよ。スバルは桃髪のメイドの子と一緒に森の中に入って行ったんだ。妹のレムを助けるためにね」

 

 歯切れの悪いパックの言葉に焦る感情を手のひらで顔を覆いライトが思考を走らせるのと同時に、エミリアの目が大きく見開く。

 

「どうして……レムが森に行ってスバルもラムも一緒に行くことになるの!」

 

「それは……」

 

 詰め寄られて口元を震わせるパックに、エミリアの掴むに手に力が籠り始める。

 焦りが空気に溶け入り、収拾がつかなくなりかけていたとき考えのまとまったライトが長い吐息をして恐れを宿した喉を震わせた。

 

「呪い、まだ残ってるのか……昴に」

 

「え、なんで……呪いは解呪できたはずじゃないの、パック」

 

「…………」

 

 ライトの呟きと確かめる声色を向けられたパックが瞳を床に落とし黙りこくる姿は、もはや答えを言っているようなもの。

 疑念の目を向けるエミリアにパックは小さく首を横に振って、

 

「ライトの言ったこと、正しいよ。スバルの体には呪いが重なりすぎて手をつけようにもつけられないんだ」

 

「どうしてそんな肝心なことをパックは私に言わなかったの! 言ってくれたら……私」

 

「そんなこと言って、リアはどうするつもりだったのさ。一人で森の中に行く。それでもしリアが傷つくことにでもなるのなら、ボクは絶対に行かせないよ」

 

「──っ」

 

 確固たる意志で言い放って見据えるパックにエミリアが小さく息を呑む。

 仮定として、今行ったとする。現在のエミリアはスバルとライトの治療により消耗している状態。そんな中、パックが通常よりも顕現できる時間はもちろん減っている。風邪を引いてテストに挑むようなものだ。無理をしてどうなってしまうのかわかったもんじゃない。

 そんなこと、悲痛を顔に浮かばせるエミリアも承知なのだ。

 

「ごめんねリア。今のボクたちには魔獣を相手どるのにも厳しいんだ」

 

 肩を落とすエミリアから掴む手が緩み、パックが宙へと解放される。

 エミリアとパックの間に空白が生まれ静寂が落とされる中、一人体を起こす者がいた。

 

「っつう……でも」

 

「ライト、まだ無理しちゃダメよ。安静にしていないと……」

 

「大丈夫。もうだいぶ楽になったから」

 

 左腕を労わってライトは右腕をついて体をゆっくりと起こした。

 エミリアを温和にやり過ごして、どうしても聞きたいことがあるのだ。布団の上で楽な姿勢にするライトは口を固く結ぶパックへと目を向ける。

 

「どうしてレムが……助けるために?」

 

「青髪の子はスバルを助けるためにももちろんそう。でももう一つ、彼女を動かしたものがあるんだ。──君だよ、ライト」

 

 パックの口から出てきた言葉は脳みそを激震させるほどに衝撃的だった。理解が追いつかなくて途端に息が詰まりかけるライトは無意識的に左胸を抑える。

 聞きたくないと警笛を鳴らす鼓動を右手で押さえて、ライトの口が開いた。

 

「俺が……? どうしてさ。昴のためにならなんとなくでもいい、わかるんだ。でもそこに俺の入る場所なんてどこにもない。はずでしょ」

 

「じゃあ聞くよ。君のその左腕は、どうしてそうなっちゃたのさ」

 

「どうしてって──」

 

 レムを助けるために。言おうとした口がぷつんと音を切らして、空気だけがライトの肺から漏れる。

 

 記憶のテープが巻き戻って、昨晩の出来事が、そのありようが鮮明に浮かび上がる。スバルを助けるため滑り込んだ時には体を押し潰すような衝撃が。次に浮遊感。そのとき、近くにいた『影』を包み込んだ。しかし他ならない、自分の命が消えるのを覚悟して。

 肉を潰し、中がへし曲がる感覚。体から血液が抜け落ちて地面に滴る景色。そして、高まるエネルギーと一瞬にして消え去りそうな感覚。

 最後。体を抱き起こして、見下ろす少女の瞳は濡れそぼり、縋るようだった。唇が何か言おうと震えているのに聞こえない。そこで途切れた。

 

 訳がわからない。それしか湧いて出なかった。

 気持ちを吐き出させてくれたときもそうだ。どうして気を割いてくれるのか。どうしてあのとき手を取ってくれたのか。

 

「……わからないよ。俺に、なにが……あるっていうのさ……」

 

「わからないよ。でもその何かはボクでも、リアでもない。君だけにしか見つけられない」

 

 苦しみがポッカリと穴の空いた要素を引き延ばし、破こうとしている。見たくもない、知りたくも感じたくもない。拒否的な反応がライトの額を伝って、視界が白くなるくらい瞳を閉ざした。

 息がを荒くしてネックレスに追い縋ろうと右手を握りしめるライトに、エミリアが手を伸ばそうとして、パックが止める。これは誰も介入できない、自分自身でしか折り合いのつけないものなのだから。

 

「俺が……俺が傷ついたって──」

 

『もう……傷つかなくて、いいんです。──くん』

 

 言いかけたライトの脳裏に声が遮る。

 自分の声と誰かの声が思考で覆って邪魔をする。いや、これは違う。邪魔ではない。手助け、かもしれない。潤滑油のように滑り込んで、ほつれて絡まった固定観念を紐解くような。

 頭の奥から、かすみがかったものが断片的な印象となって音に乗り鳴り響く。

 聞こえる。声が。紡がれる思いが。紡がれた願いが。祈りが。

 

 ──聞け。耳を傾けろ小鳥遊来翔。

 

 今このイメージを取りこぼしてしまったらきっと取り返しがつかない。

 固く閉ざした瞳を開けて、左腕の方を、包帯に巻かれた腕をライトが見る。たまたまかもしれないはずなのに確信がそこに宿っている気がしたからだ。

 

「……確かに感じた。あの温もりを──」

 

『──全て』

 

 確かに存在したあの暖かな、朝焼けに身をつつまれたような温もりが右手と重なる。ライトが左腕を触ったまま瞳が揺れ動いた。

 ただあの日の夜の光景が映っていた。腕の中でか細い息もしなくなって、安らいだように眠って終わってしまった少女。

 

『傷つくのはもう、レムだけで──』

 

 希う手が雲を切る。

 

「──行かなきゃ」

 

 脊髄で反射した言葉がライトの口から飛び出す。

 わかった気がする。論理的なものではないかもしれない。しかし、漠然としたものがライトの心を突き動かすのだ。自己犠牲的なレッテルではない、本当にやりたいことを。──為すべきと思ったことを。

 

「だめ。私、こんな大怪我してる子を放ってなんていられない」

 

「………それでも、俺は助けに行きたい。もう二度と、あんな……」

 

 ここにいないはずのラムの慟哭が耳を劈いて、あの静かな夜の悲劇が鮮明になってくる。なぜここにいるんだ、どうしてここに来たんだ。今まで自分の中に空いていた穴が埋まったような気がして、自分の居場所が見えてきた気がした。

 目を伏せてじっと右手を握りしめていたライトが顔を上げ、胸に手を当てて眉を寄せるエミリアとパックをその目に、覚悟とともに移り変わる瞳に映す。

 紫苑色ではない、翠玉の瞳の奥には二重の金環がゆらめく。その光は、まるで二つの魂が共鳴し、鼓動を重ねあうかのように鼓動していた。ユニコーンとライト。二つの意思を。

 その目に当てられたエミリアとパックは、ライトの放つ気迫と真剣さに口を噤む。

 

「まだ何も終わっていないのに、ここでただ待つなんてこと、俺にはできない。まだここにいちゃいけないんだ……俺も、ユニコーンも」

 

「リア、行かせてあげなよ? こうなっちゃったら言ってもスバルみたいに飛び出しちゃうかもしれないし」

 

 無茶と無謀を重ねようとするライトに不満を表明するエミリアだったが、隣でふわふわと浮遊しているパックに乱れた銀色の髪を優しく撫でられ吐息。

 パックも肩をすくめ、エミリアと一緒に呆れたように小さく笑った。ため息混じりのその笑いには、何とも言えない諦めが混じっている。

 

「わがまま言ってごめん。でもありがとう、俺何とかしてみせるよ」

 

「そこはなんとかじゃなくて、言い切って欲しいんだけど……うん、スバルと同じでほんと子どもなんだから」

 

 確かスバルは『今年で』十八歳だったような気がする。盗品蔵の一件でわちゃわちゃしていたから流れで誤魔化された気がして、ライトの眉が真ん中に寄った。ライトも正しく言えば今年で十八。つまり同い年だ。

 自分よりもどことなく三歳下のように感じて見えるスバルと同じ子供扱いはなんだか癪だ。

 むず痒さにライトが頭を掻きたくなって右手を迷子にさせているとエミリアが距離を詰めてくる。木を踏む特有の重みのある音には僅かに軋むような音も時折混ざっていて、だんだんとその緊張感を醸し出していた。

 目の前に立つエミリアはライトの行き場に迷う右手を両手で包み込み、胸の前に持ち上げて瞑目する。

 

「──あなたに、精霊の祝福がありますように」

 

「────」

 

 両手越しに願いが交わされた。

 その手をジッと見つめて、それからエミリアは紫根の双眸にライトを映す。

 

「いってらっしゃいライト。ちゃーんと、スバルたちを連れて帰ってきて」

 

「約束か……わかった。今度は破らない。昴たちを連れ帰るよ──必ず」

 

 昨日のように後ろ髪を引っ張られるような感覚はどこにもなかった。むしろ背中を押すような感覚に、ただただ清々しさに胸が熱くなるの感じて、左手を胸に当てて朗らかな笑みを讃えた。

 ライトは確かな決意を胸に、ゆっくりとノブに手をかけた。

 

「いってきます」

 

 躊躇うことなく押し開け、目の前に広がる景色が澄んだ風となってライトの体に迫ってきた。風の出迎えに感謝して、ライトは自然な動きで一歩を踏み出す。

 

 

 

 

「みんな外で集まってる。当たり前か……子どもたちが行方不明になってたんだから」

 

 ライトが騒然とした村の光景を見てそうこぼした。

 時刻はおはようではなく、おそようというくらいの時間帯だ。小さい子なら待ち侘びるおやつタイムのような日の上がり。陽の高さを見ていると、お腹が空いたような気がする。

 

「う、うーんまだ腕が痛むけど、動くしサーベルも握れそうだな。……あぅ」

 

 体を伸ばしているとライトの腹からエネルギー源を求める渇望の声が上がる。その音は大きくライトが思わず両腕で腹を抱えてしまうほどで、頬に熱が籠るのを感じた。

 

「……お腹減ったな。村の人に言うのはなんか悪そうだし、現地調達のほうがいいかな。でも、この世界の食べ物ってわからないしな……」

 

 村の人に要らぬ心配をかけぬために、そしてわざわざ食料を求めるのも何だかせびるようで性に合わないため、スバルたちを見つけるついでに木の実でも集めながら食べようと思った。

 だが、ここは異世界。一般の常識が、必ずしも同じだと限らないのは考えるまでもなく、知らないものを食べて死ぬのは嫌だ。

 腹を右手で軽く撫でていると、ライトがさっきまでの騒然としていた空気が変わっていることに気づいて、村の中央へと顔を向ける。

 

「……あー、皆さん?」

 

 村の人たちに注目されていた。その目には歓喜のような色もあったのだが、同時に死人を見るような色も混じっていて思わず後ずさってしまう。

 

「ライト様っ」「ライト様もう怪我は!」「ライト様お目覚めになったんですねっ」

 

「ちょっ、急に近づくの怖いよ!」

 

 頭を掻いて苦笑いをするライトだったが、住民の皆皆様が喜びの声を上げれば一瞬のうちに周りを取り囲まれてしまった。

 突然の迫りように後ずさってしまったが、あれだけの傷を負っていた状態でレムやエミリア、ベアトリスに治療されながらあの家に運び込んだのだから心配するのも無理はないだろう。

 角刈りの青年がいち早く駆けつけば、ライトの包帯に巻かれた左腕を花のように丁重に触って、

 

「よかった。村のみんなも心配なさっていたんですよ。担がれて戻っていらしたとき、ライト様の顔色はひどく、血で濡れていたときは村のみんなも生きた心地がしませんでした。しかしこうして目が覚めて、元気そうでなにより」

 

「心配してくれてありがとう団長さん。村のみんなも」

 

 ライトの無事を聞けば、安堵に吐息をする者。彼の朗報に目を滲ませる者もいて、何だか自分が次第にこの世界に馴染んでいるようにも感じてきて顔が和らいでしまった。

 だが、本題はこれではない。一刻も早く三人を助けなければならないため、ライトは改まって角刈り青年と顔を見合わせる。

 

「団長さん。俺、森へ行きます」

 

「……一人で、森へ入られるのですか? どうして……? いえ、でもそれではライト様の傷に触ってしまいます。まだ病み上がりというときに無理をされてはいけません。ライト様はもう十分に戦ってくれたんです。今は回復に専念すべきですよ」

 

「ライト!」

 

 ふと割り込む小さな声がライトの耳を打った。

 聞きなれた声にライトが顔を振り向かせると、呪いに体を蝕まれていた少年少女らがこっちに向かって走っている。

 子どもたちは昨晩のうなされていたのが嘘のように活発で、ライトが目を丸くして驚く。

 

「リュカ……」

 

「「ライト!」」

 

 上半身の素肌を晒し、首元にヒロイックな赤いマフラーを巻く少年リュカ。その後ろから続々と子どもたちが押し寄せてきた。

 あっという間にライトの周りをぐるりと取り囲んで、子どもたちはつぶらな瞳をこちらに向ける。

 生き生きとした六人の姿にライトは胸の辺りがポカポカするのを感じた。

 

「ペトラ。ミルドにメイーナ、ダインカイン兄弟も。……よかった、無事でよかった」

 

「また森に入るの?」

 

 ふいに投げられた問いにライトは言葉を失ってしまう。

 動きが止まるライトの傍、しんみりとした口調で言ったのは赤いリボンのカチューシャをつけた少女、ペトラだ。

 こわばった表情のペトラに図星をつけられてしまい、ライトの口が噤んでしまう。移り変わったライトの表情に今の時期感受性の高い子どもたちの眉が顰められた。

 

「もう行っちゃやだよライト」「腕、ボロボロ……」「痛そうだよライト」

 

 純白だった執事服は傷と血でほつれ、赤みがかってしまっていて、左腕の袖は肩口から裂け、跡形もなくなっている。その服の裾を小さな手がぎゅっと握りしめた。

 見上げる子どもたちの瞳は不安に目を泳がせて思いわずらっている。誰も声を荒げることはない。それでも、震える指先が、強く引き寄せられた裾が、何より雄弁に心を訴えてきた。

 

「危ないとこ、行っちゃだめだよ……!」

 

 懸命に引き留めようとする幼い力。その自分を想う必死さが、ライトの心の奥に響く。

 しかし、エミリアと約束したのだ。絶対にスバルたちを連れて、自身を含めた全員を連れて帰ってくると。そうしたいと。

 膝を折って苦悶した表情を浮かべるライトは落ち着かせるために子どもたちの頭を撫でる。

 すると、ふと背筋に微かな違和感が走った。村の連中ではない誰かに見られている。

 

「──?」

 

 視線を感じる方へとライトは目を向けるが、住民たちに揉まれて肝心なものが見えない。

 微かな隙間に眉を顰めて、ジッと目を凝らす。建物の影から息を潜めてこちらを眺める者が確かにいた。

 

「ふんっ」

 

「あ」

 

 少女──ベアトリスらしき少女がふっと踵を返し赤いドレスの裾が揺れ、ひらりと舞う。

 遠くからでも鼻を鳴らしたのが聞こえ、ライトの表情が唖然としたものになった。多分だが、村の住民の前に顔を出すことを躊躇い入るタイミングを見失ったのだろう。

 

「やっぱり……うまくやってくれたんだな、子どもたちの解呪」

 

 子どもたちの解呪、スバルの傷、そして自身の傷を治す手伝いをしてくれたことにライトはすでに気配のしない場所に微笑みを浮かべた。

 ライトは深く息を吐く。一度目を閉じて、暗く染まる視界の中、自分の内にある迷いや恐れを押し込める。

 決意は変わらない。ゆっくりと足に力を込め、ライトは見据えた。その瞳には揺るぎない一人の意思を奥に宿している。

 

「……みんなが俺を止める気持ちは、わかるよ。俺のことをみんながこんなに心配してくれるのはすごく嬉しい。でも──それでも、俺は行くよ」

 

 揚々としていた雰囲気がなりを潜めてみんながみんな覚悟に呑まれた。

 ライトの瞳は予感のする方へと、森の方へと向かう。

 

「あの森に、助けなきゃいけない人が──守りたい人がいるんだ」

 

「守りたい人?」「だれだれ?」

 

「誰って……まさか昴、黙って行ったのか……!」

 

 話の噛み合わなさにライトが口に手をやって静かに叫んだ。いくら心配をかけさせないためというのは理解できる。誤魔化せるスバルとラムの手腕に驚きもするがそのなことすらつゆ知らず、待っている人たちは──

 

「えっ!?」「どういうことですかライト様!?」

 

 一般の住民たちがお互いの顔を見合わせて驚愕の色へと染め替える。

 しまった。急いで取り繕うとするライトだったが吐いた唾は飲み込めない。

 迂闊に口にしてしまったライトの言葉に村の人たちの顔色が変わる。

 

「スバル様が、森に……!?」「それだけじゃない、ラム様もだって」「てっきり屋敷に戻られたのかと」

 

「スバル、どこにも行かないって言ってたのに」

 

 大人たちが取り乱し、子どもたちもそれによって声が震え落ち着きがなくなった。

 村の人たちの動揺は波のように伝播して伝わっていってしまう。今まで一人の復活に賑わっていた村が混乱した雰囲気に呑まれかけた。

 そのとき、

 

「静まれ、静まれ! ライト様が困っておいでではないか」

 

 ざわつく民衆を一瞬で落ち着かせた声の持ち主はスバルのケツを触って若返る発言をしていたお婆さん──村長のミルデ・アーラムだった。いつもは穏やかな雰囲気を纏っている老婆が、声を張り上げて皆に叱責している。

 村のみんなは互いの顔を見合わせて沈黙して、混沌の渦に巻き込まれかけた村は一瞬で鳴りを潜めると村長の前の人がはけて道が開く。

 

「ライト様。先ほど言ったことは本当のことなのですか?」

 

「……えぇ、──レムもそこにいます」

 

「──っ!」

 

 息を呑む声がライトの足元から聞こえた。口を開いたまま瞳を潤ませて畏縮するペトラにライトは「大丈夫だから」と小声で言うことしかできない。

 スバルたちが魔獣の住まう森に赴いたのは、一人魔獣の掃討に出向いたレムの救出だ。そしてレムは魔獣を全滅させて、スバルの体に縛りつく無数の呪いを解こうとしている。

 そんなことをまたうっかり口にしてしまったら不安が増えてまた村の人たち動揺を募らせてしまう。

 穏やかだった双眸に鋭い眼光を宿らせ、見定めるようにライトを見つめる村長は口元に手をやって「コホン」と一つ咳払いをした。

 

「なぜとは聞きません。ただならぬ事情というものがあるのでしょう」

 

 こちらの意図を読み取ってくれた村長の言葉に静かに首肯するライト。

 だが、「ですが」と村長が一つ前置いて、ライトから目を離して森の方へと顔を向けた。

 

「スバル様たちはずいぶんと前に森へ入ったのでしょう。それよりもずっと前にはレム様までも。あの広い森のどこまで深く行ってしまわれたかは定かではない」

 

「それは……」

 

 厳かな声で森に向かって告げる村長にライトは眉を顰め言い淀んでしまう。

 確かに昨夜子どもたちを探すために森に入ったが、全くそこが見えない場所だった。運が良ければスバルと合流することができるかもしれない。だが、その運がなければ。会えず、途方に暮れる。

 

「ライト様は今しがた目が覚めたばかりで、左腕の傷は他と比べて重く、顔色も……。酷な話、あなた様が森に入っても、お三方に会えず死んでしまうかもしれないのです。向かうにはそれ相応の覚悟が必要なのも。それでも……」

 

 再び、村長の真剣な視線が忠告の言葉に目を伏せるライトへと向く。胸の奥でじわりと重くなる何かを感じながら。

 森の奥深くに踏み込んだスバルとレム。自分が追いつける保証はない。それでも、待つだけでは駄目なんだ——。

 

「覚悟なんて、そんな大層なもの、ない。俺はただ……今度こそ間に合いたいだけなんです」

 

 もう、間に合わないなんてことを繰り返したくない。ライトはすでにその先にある後悔と絶望を身に染みて体感しているからこそ、そこに一抹の可能性があるのなら力を尽くす。力を尽くせば、道はきっと開かれるはずなのだから。

 焦燥感と決意が込められた、少し震えながらも力強い声。叫んでいないはずなのに、その声は村人の体を震わせ動きを止めさせた。

 熱意が込められた息吹をすぐそばで受けた村長は威厳を絶やさずにしかとライトを見定める。だが、余計にライトの心を決めさせてしまうことになると、村長はため息を地面にこぼした。

 

「……そうですか。こうなるだろうと、この老いぼれの深慮ではわかってはいましたが。ここで止めたとしても、ライト様は無理を通してでも森へ進むのであろうことに」

 

「……──じゃあさっきのは」

 

「ライト様、それは違います。あなた様にそれだけの気概と、そしてその目があったからですよ」

 

 首を振って放った言葉にライトが「目?」と口にすれば村長は落ち着きを払って首を縦に振って微笑む。

 

「ライト様の目は、今や強い願いと誓いの光が宿って見えます。可能性を秘めた、とてもいい目をしておいでです。──だからこそ」

 

 区切り、厳格な態度からいつものような穏やか物腰へと軟化するが、依然として彼女から放たれる真摯な思いは変わらない。

 そこにあるのは信じることで生まれた、温かな笑みだ。顔に浮かんだ皺の数だけ、人と出会い、話し助け合い生まれた年輪には納得する以上の安心感が滲み出てきている。

 息を吸い言葉を待つライトに、村長がゆっくりと唇を動かして、

 

「皆を連れて、また元気な顔で戻ってきてください」

 

「──はい!」

 

 ライトの自信に満ちた声があたりに響いた。体は誰が見ても重症そのものなのに、そんな不安要素を跳ね除けてしまうライトの雰囲気が村人に笑いを作らせる。

 が、

 

「────」

 

 地響きのような音が一人の男から大音量で流れた。

 顔が、耳や熱くなっていくのを感じる。こんな大一番の時にお腹が鳴るなんて想定していなかったため、顔面の筋と言う筋がコンクリで固めたように、鍛えられた鋼鉄のようにライトが動かなくなっていた。

 いつかの屋敷で起きた罵るような笑いが起きるのではないかと、村の人たちがそんなことはしないとわかっていても不安が巻き起こってしまう。

 そんな懸念を思い浮かべ固まるライトとは裏腹に、村の住民が納得したように笑った。一人が手を叩くと注目がそっちに行って、

 

「そりゃそうだ。ライト様は昨日子どもたちを救助して今しがた起きたばかりなんですから、お腹が空いていることなんて当然!」

 

「誰かライト様が今すぐにでも活力の出る食べ物を持ってないか!?」

 

「え? いや、その悪いですよ」

 

 勝手に場がまとまりつつある現状に、ライトがオドオドと右手を挙げて止めようとする。だが、物怖じするライトに首を振る村人たちは顔を見合わせてやめようとしない。

 そんなときだった。

 

「では、俺が持ってきますよ」

 

 若干お祭り騒ぎと化した状況に終止を打って出たのは、リンガを売ってくれた店主だ。両手には籠を持っていて、中には野菜と肉が挟まったパン。いわゆる、サンドイッチなるものが蓋の隙間からのぞいていた。

 

「森で戦うともなれば、腹ごしらえは必要でしょう? これを持っていってください。妻が作ってくれたものですが」

 

「うわぁ美味しそう……本当にもらってもいいんですか?」

 

「もちろんですよ。前にも言いましたが男として生まれ、戦地へ赴くのであれば腹ごしらえは必要です。絶対にですよ!」

 

 そんな熱烈に言い放たれてしまえば、「はい」としか言いようがないではないか。もちろんノーと言うつもりもないが、それでもこの気合いの入りよう──鬼気迫る何かを感じると、震える手で籠をしかと受け取ったライトは思った。口にはしない。

 

「あーあはは、ほんと、何から何まで……ありがとうございます。この恩はまた食べ物を買うことで無しにしてもらえませんか?」

 

「いいんですよ。これはいわばライト様に対する恩返しと、これからもよろしくっていう意味です。だからたくさん食べて、そしてしっかり帰ってきてくださいね」

 

 溌剌とした店主の表情にライトが力強く頷いて返してみせる。そしてカゴの中にあるものを今度は真正面で見てみた。

 蓋が開いた途端にソースの匂いが鼻を刺激してますますライトの腹の虫が収まりを知らなくなる。向かうついでに食べられる手頃なサイズであるため、柵のそばにでも置いておく方がいいか。

 と、口の中に入れた瞬間と満たされた後のことを考えて固唾を飲むライトの背後に忍び寄る影。ライトの下半身──ヒップに下から手を伸ばすと、

 

「うひゃあ!?」

 

「活気ある若者のケツは若返る若返る。さぁ行きなさんな、可能性に満ちた若者よ」

 

「痛っ」

 

 尻に喝を入れられいい音が奏でれられば痛みが背筋を跳ね上げさせる。

 ほんの少し涙を浮かべるライトが尻をさすって顔を村のみんなに向ければ、住民の表情に圧倒された。その顔は元気に満ち溢れていて確信めいた何かを宿らせていて、目にはライトが、汗を頬に伝わらせている困惑している表情が映っているのがわかった。

 

「「いってらっしゃい、ライト様ッ!!」」

 

「──っ!」

 

 背中を押すアーラム村の住民たちの励ましに込み上げる感情に喉が詰まって、ライトの目が大きく見開く。全身に吹き抜ける風とともに今まで絡みついていた固定観念が吹き飛んだ。

 ここにいるべきではなく、ここに居たいから居場所ができる。そんな簡単なことをどうして今まで気づけなかったか、わからない。しかし少なくとも、受け入れられなかった過去があって今のライトがある。だからこそ過去は未来と等しく愛おしい。

 もう枷は解かれた。あとは内に眠る可能性を為すべきと思ったことに全霊をかけるだけだ。

 

 ──やろうユニコーン。今度こそ二人で一つに!

 

 合図とともに身体の中に巡るマナが清らかさを持ってライトとユニコーンが一体となる。外見にまで及ぼすマナの奔流は髪を純白に染め上げ、瞳には翠玉が嵌め込まれた。

 それだけではない。周囲の空気は震え、降り注ぐ陽の光をありのままに受ける純白の髪は重力から解き放たれたようにわずかに浮き、まるで風にゆらめく炎のように微細な動きを見せる。

 瞳には黄金の輪が二重に浮かび上がって二つの魂が共鳴し、まるで収束しているようだ。

 一方的な力の発露ではない。互いを認め合い、共に進むと誓ったものたちの証──深き絆が今ようやく形を成したものだった。

 

 

 

「アーラム村の皆さん、お世話になりました。──『タカナシ・ライト』、ユニコーン、行きます──ッ!!」

 

 

 

 声高々にライトが己と精霊の名を挙げた直後、姿が掻き消えた。否──常人では到底発揮できない速度を持ってして森へと駆け出しただからだ。

 瞬く間に大きな声援が巻き起こる。

 

 もう迷わない。この気持ちを胸に、前へ進むだけだ。

 

 

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