Re:ゼロから始める異世界UC   作:リクライ

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第四十五話 進み続けていく

 

 

 みんなに送り出されるのはこれほどまでに気持ちのいいことなのだろうか。後ろ髪を引かれるようなあの感覚などもうどこにもなく、あるのは必ずスバルたちと協力して、災禍を終わらせることだ。

 完全に吹っ切れたライトは恐ろしく速い。村の建物を次々に通り過ぎ、植えられた草木は往々にして煽られる。

 そんな中、走るライトは右手に持ったカゴに左手を伸ばして蓋を開ける。開いた瞬間に濃厚でジューシーな匂いが鼻腔を刺激して唾液腺から唾液が湧き出た。

 サンドイッチを取り出して、大きく口を開いて半分ほど迎え入れる。厚みのあるとんかつなるものは衣がサクサクと香ばしく、噛むたびに肉の旨みが溢れ出し、その上コク深いソースがたっぷりとかかっていれば少し甘曇り酸味もある味わいがさらに引き立ててくれるのがわかった。

 

「うまいな、これ。終わって落ち着いてもしたら店長の奥さんにレシピでも教えてもらおうかな?」

 

 腹が空いていたのも相まって、食が進む進む。

 もう一個の方も口の中へと入れる。先ほどのようなジューしさもあるがやはりシャキシャキした野菜の食感も相まって、一口ごとにさっぱりとしたアクセントを感じさせ、最後まで飽きさせないものだった。

 空になったカゴを脇に抱えれば、腹に充足感が満ち満ちていて、力が湧いてくるのを感じる。

 

「美味かった、店長ありがとう。よし、レシピのことなんてあとだあと。まずは集中しないと」

 

 口についたソースを舌でひと舐めすれば、ライトはもう門のところまで辿り着く。

 視線を張り巡らせて、等間隔に木々に設置されている結晶を見る。魔獣と人間のテリトリーを分ける結界は切れている心配がなさそうで、おそらくは昨夜に切れていた結晶も光を灯らせているだろう。

 

「籠はここに置いて……問題は道で別れた森のどっちにスバルとラムが行ったのかなんだけど、多分こっち」

 

 籠を門のそばに置き終えたライトが一人で呟き、昨晩に魔獣が出現した方角へと足を踏み入れた。

 おそらく、いや確実に合っている。そう確信づけられる原因はすごく漠然としていて聞けばおかしいと思うだろう。

 

 ──森が、騒いでる。

 

 風は吹いているにも関わらず、それを何倍にまでも増幅させる気配。葉が靡けば鳥たちが一斉に羽を伸ばして吉凶を知らせるかの如く大空へと飛び立った。ユニコーンと融合したことも相まって感覚がダイレクトに伝わる。

 だがここで怯弱して足を止める理由にはなり得ない。

 

 ライトは息を潜め一挙手一投足に細心の注意を払いながら森を捜索する。

 前進するごとに森は深くなっていき、葉が降り注ぐ日光を一身に浴びて地表に影を落とす。

 

「だいぶ深いところまで来た。でも、この胸をざわつかせるこの淀んだ感覚……何か、とてつもなくやばい気がする」

 

 一刻の猶予すら惜しい。意を決して、静けさが支配する森をライトは駆け出す。

 すぐさま右手を反対の腕に伸ばし、大気を歪ませるマナの塊を掴み、振り切る。勢いに乗る光は伸び、残像を生み、剣とは一世を風靡するエネルギーの凝縮体が暗い森に一つの明かりを灯す。

 ただ走っている。以前こうして走っている中、ユニコーンとの知覚が曖昧で、身体の中で流れるマナは常に荒れ狂っていた。ズレが生じて余計なところにまで管を広げようと力の奔流が体を膨らみ壊し、疲労感と痛みが押し寄せるような異物感。

 だが、今はそれがない。それどころか、姿が見えていないはずのユニコーンが常に近くにいると感じている。肩に乗せて行動しているときとは比べ物にならないほど密接で、絡み合う。体と体の融合ではなく、二つの線の心が織り込まれて一つになったような感覚。

 異物感はない。身体を廻るエネルギーがサラサラと囁くように静かで、心地が良い。

 

「──ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……!」

 

 一定のリズムを刻みながら、回転する足に合わせてライトの呼吸は規則的に続いていく。

 通り過ぎる大気は肌を撫で、邪魔となる草は右手に握る光剣によって剪定される。

 だが、これだけ走っていても永遠に続くような緑の連続。同じ景色が作り出す感情は順調に進められているかの不安で、ライトの眉がわずかに寄った。

 

「本当にっ、どこにいるんだ? 情報がうるさいっ」

 

 陽光に幕を下ろす葉っぱが暗くするにもかかわらず、ライトの視界は陽の下にいるのと大差がないほどに見える。ただ、続々と移り変わる景色が鮮明で目が苦しい。

 するとそこに、

 

「一体、どこにいるんだスバルたちは。──ッ」

 

 アクセントが舞い込む。

 ふいに鼻に差し込まれた違和感にライトは顔を顰め、踵で地面を削り急停止。

 別次元に迷い込んだように変わった雰囲気、テリトリーが肌を触り、ぞわりと粟立つ。汗ひとつかいていないにも関わらず、全身を吹きかける自然の息吹はまるで夜風のように冷たい。

 鼻腔を掠めていた臭いが、今や四方八方から押し寄せている。

 微かだったはずの匂いが、今では周囲の空気そのものに溶け込み、息をするたびに肺の奥にまで染み込んだ。

 

「────」

 

 森の中、視線を前後左に右彷徨わせるライトが全身から警戒網を敷く。右手に握るサーベルが空気を裂いて唸る音は不安が滲んでいる気がした。

 背筋、いや全身を噛みつく寒気は全方位から感じるが、気配がつかめない。気配が分からなければ背の低い草木がその正体の姿を覆って何も見えない。

 未だ胸中をざわつかせる正体が掴めぬ中、現場は一転して酷く静かだった。

 戦慄が立ち込め、緊張が膨らむ。

 構え、足を地面に縫い付けて砂利が弾く音が響き、直後に森が息を吹き返した。

 

「────ッ!」

 

 突き破る騒然、唸り声に続きけたたましい跫音が鼓膜を叩く寸前、身体が振り向いた。

 頭で理解するよりも先に振り返る裏手、木々の隙間を縫って飛びかかる四足獣。赤い眼光に小さな動揺が走るが、ライトはそれよりも先に口腔が見えるほど開かれた大口に左腕を差し出してしまう。

 

「まず──」

 

 迂闊だった。理解が追いつかない広がった近くに奇襲。それら全てに動揺し左腕を差し出したことにライトは後悔した。

 鋭い牙が左腕に食い込んだ瞬間、肉が避ける鈍い痛みとともに包帯の中身が崩れる。皮膚が抉れ筋繊維と混ざり、血液は栓が外れたように吹き出し魔獣に降りかかる。──となるはずだった。

 

「────」

 

 ない。襲いかかるはずの痛みが。理解していたはずの現実が、左右に聞こえる地面へと潰れる音という真の現実によって塗りつぶされる。

 固く閉ざした目を開け、深山の中に閃緑が瞬く。

 ライトの眼前には腕がある。横合いに差し出した左腕。その奥に薄紅色の輝きが縦に伸びていた。

 

「……は」

 

 短く息を吐いたライトは両腕に込められた力を抜きあたりを見渡す。さっきまで左腕に食らいついては噛みちぎろうと茂みを驀進した魔獣がいない。

 右手に握る光の剣が地面を削りながらぐるりとライトが四方と見るたびに低く唸る。それに合わせて森に息を潜める気配がピリピリと切迫しだす。

 忙しないライトが足を動かして後ろを伺おうとしたとき、ぬるりとした感触が靴底を包んだ。

 

「────!」

 

 踏み込んだ粘り気を帯びたものにライトが視線が跳ね落ちる。

 見た。地面に落ちた、二体の魔獣──否。身体の中心線から分かたれて、地面に伏した断面からジクジクと赤を地面へと塗り広げる魔獣を。

 

 ──何が起こったんだ。

 

 生気を宿さない魔獣の赤い眼を呆然と眺めて立ち尽くすライトは、ふいに自身の右手を凝視する。ほのかに赤を帯びたサーベル、その表面にはゆらめく波動が走り、粒子が散っていた。

 腕を下ろし再びライトが周りに視線を配るとき、右手に握られた剣の空気の振動とは別方向から唸り声が響いた。

 

「また……魔──」

 

 思わず口が滑るが、藪を飛び越えてライトの頭を狙う魔獣はそれよりも早い。だが、考えて認知したよりも、牙が間近に迫るよりも早く、身体はすでに先走っていた。

 喉奥が見えるほど近づかれたはずの視界が、いつの間にか四足獣の腹下を見ていた。後ろ足が倒れる上体を庇い、背中に地面がつくことはない。そのままのけぞるライトの体は引き寄せられるかのように上半身が起き上がり、同時に背後の地に四点着地する魔獣と対面する。

 

「コイツときたら、何がなんだかわからないというのに……!」

 

 左腕を庇って光剣を前屈みにする魔獣へとライトは構える。

 魔獣の目が昨夜のように敵意に満ちたどず黒い赤をしているが、態度が忙しない。それは襲うという点ではない。気が散漫としているだからだ。

 別の方向を気にしている違和感がライトの胸中を埋め始める。すると吠え、周囲の叢が慌ただしく葉を揺らして赤い光点が次々と出現し、地面を叩き押した。

 牙を差し向け、爪を差し向け、多勢に無勢の状況にライトを落とし込む魔犬ら。

 だが──

 

「──ッ!」

 

 一頭の牙が避けられる。片一方は食いしばって、傷だらけの衣服の中身を裂こうとする鉤は獲物を見失い、代わりに鼻先に押さえつけられる感触が続く。

 左腕の鈍い痛みに顔を歪ませるライトは、抑えた魔獣の頭を支えにすでに頭上にいた。そのまま右手に伸びる光を魔獣の首に薙ぎ払う。

 瞬く間に、大地に降り立つライトが牙の行先を修正する魔獣を見据えて跳躍。そのまま首へと斬りかかり振り下ろした。

 

「しぃ……」

 

「────ッ!?」

 

 ついさっきまでの動きとはかけ離れた動きを見せるライト。一瞬のうちに二体の同胞を失った魔獣は、ゆるりと立ち上がる人間の閃緑の双眸に蔑みと決意が同居するのを見た。

 そしてライトと対峙する魔獣を残して大所帯が森の奥地へと向かう中、彼らが耳にしたのは同胞の短い悲鳴だった。

 

 

 

 

「────」

 

 目の前に、三体。いや、さっき切り伏せたものを含めれば四体。その四体の魔獣が地面に地に伏して息絶えている。

 二体は首から先を失い、他の一体は片口から大きく切り裂かれ、二つに分断。そしてすっぱりと頭から尻にかけて分かたれた魔獣の屍。

 死屍の中心に右手に握る光を絶やさずに赤に濡れぬ者が木漏れ日を浴びる。

 

「──…………」

 

 ライトは静かに眼を閉じ、まるで眠るように穏やかにする。あれだけの戦闘を、死骸を前にしたというのに。

 純白の髪が、風に誘われるように揺れた。微かな流れに乗って、幾筋もの糸が空へと舞い上がり陽の光を受けて淡く輝く。

 瞼の中、瞳は目まぐるしく蠢いていて、まるで理解を得ようとしているようだった。

 

「……────」

 

 深く息を吐いて、膨大な情報を処理した脳に再始動をかけたライトがゆるやかに瞳が開き、翠玉に浮かぶ二輪の金環が煌めく。

 わかった──気がする。剣もろくに握ったことがないはずなのに、切った後に血が遅れて出るのか。死角の攻撃にも関わらず回避を選び、攻撃を選び、脅威からことごとく脱することができたのか。

 感覚が鋭くなったからといえばそれで片付くだろうが、卓越した技術を手にした初心者は振り回されて即刻おじゃん。

 それをそうはさせないとライトに補助輪をしてくれる者を短い理解の末、認知した。

 

「動いてくれるのか」

 

『────』

 

 ライトの呟きに体に響く音が流れ込んだ。音は鼓膜を揺らさずに、体内から湧き出てくる音はライトにしか聞こえない。

 内側で奏でられる音は焚き火のはぜる音のように温もりと安心感を伴うものだった。嬉しい、そんなふうに言っている気がする。

 

「──ダメだ、今はこんなことに気を取られている場合じゃない」

 

 今までわからなかった感情が音となって呼び込まれることに嬉しがりながら、ライトは頭を振るって気を取り直す。

 向かう先はわからないが、全力で足を使えばなんとか見つかるはずだ。

 さっそくライトは足を踏み出して──

 

「ふ──ん? とッ──ん??」

 

 一向に進まない。いや足は振り上げているのだが、上半身が別方向に向いてしまってライトはその場に立つ、現状維持を選んだ。

 ため息をつき、この体の中で椅子を引きずるような不快で苛立ちを覚える音にライトは耳を傾ける。

 

『──っ! ──っ、っ! (アッチ!)』

 

 めちゃくちゃ自己主張が激しい。この必死さは疑いはしていないものの、ユニコーンだ。

 すると、意思に反してライトの体が反対の方へと引っ張られる。その方角は四体の魔獣を自分に差し置いて我先にと言わんばかりに森を驀進する魔獣の別動隊の向かう先だ。

 

「魔獣の向かう先に何かある。そういうことか」

 

 まだ移動してそう時間も経っていないはずだ。深呼吸をしてライトは握りしめた左拳を見つめる。

 指先にまで巻かれた包帯は血が滲んでいて、もしかすれば傷が開いたのかもしれない。火で炙られたような痛みが継続して伝わってくる。

 痛い、けどそれで立ち止まる理由にはならない。掴めなかった後悔はもうしたくない。あのときのように。

 だからライトは振り切って──

 

「──しっ」

 

 駆け出す。

 ライトの全身に巡るエネルギーが表面に浮き出て、それが森を過ぎるたび直線を描き残す。マナが不必要に溢れ出ていると思うこの現象は違った。大気がわずかに歪んで見えるマナはライトの体を付いて離れずに包み込んでいる。

 一人森を駆け抜ける中、草木が揺れ多数の足が地面を打つ音が耳に飛び込んできてライトは顔を向けた。

 足並みを揃えて規則正しいリズムを大地に刻むのは──、

 

「またお前らか──!?」

 

 低木を勢いよく乗り越えてライトの向かう先に躍り出てくる黒の毛並みをした無数の猛獣。行手を阻むように陣形と取り揃えるそれらはライトの進路上に被る。

 地面に前足を突き立て軸として、頭をライトへ向けた魔獣どもの牙が鈍く木漏れ日を弾く。

 行き先に向かうライトと、こちらに猛進する魔獣たちの相対速度が加速度的に上昇し、

 

「はっ──!」

 

 鋭く短い発声と同時に戦果が衝突する。

 手元で光が瞬き、伸びる刃が空間を裂く。柄を握る指にわずかに力が込めると薄紅色の光が脈動し、振るわれ、軌道上に位置した大口を開ける魔獣の頭蓋へと吸い込まれる。

 閃光が通り過ぎ、顎から上がずれ落ち、遅れて魔獣の死体が血をこぼし始めた。

 続け様に前足を伸ばすもう一つの魔獣が、光剣を振り切って背中を見せるライトへとダッシュ。だが、振り切ったはずのライトの右腕は衰えることを知らない。速度が乗り、遠心力に釣られるままライトの体は魔獣へと反転した。動揺が魔獣の赤い双眸に走る間も無く、振り返るライトの目が捉え、うなじに目掛けて光が大気を唸り爽快に切断する。

 

「──ま!?」

 

 しかし、光剣を振り下ろすままにライトの体がバランスを崩し、取り囲む魔獣に対して大きな隙を見せてしまう。

 

 後方の魔獣が動きを封じさせようとライトの足首目掛けて爪を振るう。焼印でも当てられたかのような痛みが足首を包み、ライトの顔が苦しみに歪んだ。アキレス腱は爪によって抉り切られ、立ち上がることもできないライトは全身に牙と鉤爪を埋め尽くした。

 ──それが、魔獣の目が思い描く未来。来ない未来。

 

 凶爪が差しせまる瞬間、サーベルを持つ右手が地面に吸い込まれるように動き、右腕にライトの全体重がのしかかる。そして視界が逆さまになるライトは足を上空に曝け出し、魔獣の攻撃から回避した。

 

「あっぶない──ッ」

 

 安堵に胸を撫で下ろす暇もなく、ライトは地に足つけて再び駆け出した。その後ろには同胞の屍には目も向けずに踏み越える魔獣がライトの背中を追っている。

 魔獣の先遣隊を追うライトも常人では出せない速度で森を疾走しているが、さすがは魔獣。慣れ親しんだ森というのもあってか根を超え、大地を踏み込む四足には一切の迷いがなく、じわじわとライトとの距離を詰める。

 そして爪を地面に食い込ませてさらなる加速を得る魔獣たちが懸命に足を動かすライトを赤い眼で捉えた。

 再び戦いが始まる。

 

「本当にしつっこい──ッ!」

 

 魔獣の群れが一斉に少し距離を置いたところで縁を描くように取り囲み、ライトは愚痴をこぼしながら走る姿勢を変えずに臨戦体制を取る。

 先頭を陣取る魔犬が低く吠えると、それに呼応するかのように左右の魔獣が同時に飛びかかった。

 

「──くっ」

 

 激しくかける足を突如として強張らせ、地面を削るようにライトが踏み締める。苦悶の表情を刻みながら失速するライトを前に、獲物を見失う左右の魔獣同士が体躯を押し合って体制を整え、また走り出した。

 急制動し、土と石を巻き上げて地面を滑りながら背後に動きが映る。突然の減速に動揺を走らせる魔獣が速度を緩めずに、牙を包帯で巻かれたライトの左腕に噛みつこうとしている。膝をわずかにたわめるライトが強張らせ──

 

「とうッ!」

 

 滑る地面を押し除けて跳び上がった。

 ユニコーンが体の動きを導いたかのように空中で体が自然と捻れる。サポートするユニコーンの感覚を噛み締めながら、ライトは飛び越え、赤い双眸を真上に向ける魔獣の胴体目掛けてサーベルを横一閃に薙ぎ払った。閃光が魔獣の体表を裂き、切り離されると遅れて赤黒い飛沫が滴り落ちる。

 ライトは眉を顰めて、足から着地するのと同時に再び加速。対し、首を横に動かして魔獣たちは走るライトを見れば同胞同士で吠え、減速。再びライトを取り囲う。

 

「数が多い、倒し切れるか……?」

 

 緊張に唇が乾くのをライトは下で舐め濡らす。心臓が緊張しているにも関わらずたくさんの血液を全身に送り出している。研ぎ澄まされた五感が鼻を刺す獣臭を感じ、肌を撫でる大気が神経をより深いところにまでいく。

 喉が熱い。視界が奥に引き込まれて森を駆け巡る自分自身を俯瞰しているように見える。

 地面に足を叩きつけるたびに靴下の繊維が肌にのめり込んで、切り刻まれ、ひりつく痛みが脳を焼く。

 だが、右手とともに、サーベルと痛みを握りしめてライトは戦慄する追跡者を見つめた。

 

「ふぅ……。しっ──」

 

 鋭い発声と同時にライトの体が飛び上がり、一体の魔獣めがけて光剣を振りかざす。

 そして急に日差しが照り出し、黒い毛並みを艶やかに反射する魔獣が閃光に触れる寸前──消えた。

 

「え」

 

 思考が引き戻され、ライトは顔を見上げた。自分の置かれた状況を確かめるために。

 魔獣が急速に離れていって視界が晴れる。その先にはぽっかりと開いた断崖で──

 

「──やばいっ!!」

 

 叫び、ライトは着地と同時に足を思い切り地面に突き立て減速を試みる。しかし、乗りに乗り切ったスピードは止まることを知らず、光剣を突き刺しても斜面を降りているかのように水平な地面を滑るだけ。ライトは上体を前のめりに保ったまま巻き起こる土煙を伴う。

 孔明の罠だ。速度が乗って調子に乗った自身を魔獣たちは崖に投げ出そうというのか。

 急いていても遅い。ライトの速度は減少していても止まる予測地点は崖を超えた空中。

 

「くっそ止まらない──!」

 

 奥歯が割れるくらい歯噛みして、ライトは懸命に地面に足をめり込ませる。

 そして──、

 

「おぉ──っ!?」

 

 意思に反して膝が曲がるとライトの体が滑る速度は変わらずに体重を横へと移動。たわんだ膝が堰き止めた力を地面へ押し潰し、跳躍する。

 サーベルが勢いを失って掌に収束、体に収まると間髪入れずにライトの右腕が続々と通り過ぎる木々の一つを捉えて──捕まえた。

 

「うっ」

 

 木の幹を掴んだ。指が食い込み、ざらついた樹皮が掌を強く擦るが構わず、目一杯力を込める。

 しかし、勢いのついた身体はすぐには止まらない。遠心力に引きずられ、横向きに重力が落ちたと錯覚するほどに振り飛ばされかける。肩が強く引っ張られ、骨が筋肉が軋みを上げて脳へと訴えかけた。

 それでも、必死に力を込めて踏みとどまり、止まる。勢いを失った身体が重力を思い出したかのように下へと投げ落とされた。

 

「……っだぁ、危ない……はぁ……ところだった」

 

 多対一戦法でしかも挟撃をするという徹底っぷりを見せた連中だ。ハナから誘い出して崖に落とすつもりだったのだと言われても納得する。

 調子に乗りすぎるのも考えものだ。

 

「ふぅ……ありがとうユニコーン、あぁ……助かった」

 

 あの窮地に冷静な判断で救ってくれたユニコーンに感謝し、ライトは地面から背中を離した。

 目の前に断崖。その先に広がるのはどこまでも続く緑の海──濃淡さまざまな木々が幾重にも折り重なり、風が吹けば生きているかのように揺れている。頭上には熱帯の海が逆さになったかにも思えるほど空が広がっていて、そこにライトが疲れの含んだため息を吹きかけた。

 

「……早く行かないと。──痛っ」

 

 身体を立たせようとしてライトが痛みに顔を歪めた。地面に手をついた右手が熱した鉄板についたように焼け、神経を刺す。

 地面から引いて、ライトは弾かれたように自身の右手を見た。見たのを後悔したくなった。

 手のひらは皮膚のあちこちが深く剥がれわずかに裂けている。血が滲むどころか一つの雫となって落ちるほどで、指先が小さく震えていた。ささくれた木の繊維が入り込んでいて動かすたびに新傷を生む。

 これで済んだのは逆に奇跡と言える。ユニコーンと融合していなければ、今頃爪は剥がれ手のひらの皮はズル剥け。それどころか白い中身も見えたかもしれない。

 

「はぁ……痛い」

 

「愛嬌──ッ!!」

 

 ため息をついて辺りを見渡そうとした時に叫び声が耳に飛び込んできて、ライトは驚愕に体が跳ね起きる。

 崖の向こうから聞こえるがなり声は、

 

「この声スバルか!?」

 

 鬼気迫る声が発生したのは崖下だ。

 風に触れるたびにヒリヒリする掌を閉じ、ライトは崖っぷちにたどり着いて膝を折る。恐る恐る顔を覗かせて翠玉の瞳を光らかせると桃髪のメイドのラムを抱えるスバルが飛び込んだ。そしてその先には多数の魔獣を相手に単独で殲滅するレムがいる。

 あたりは血肉に塗れてそこかしこに魔獣の死骸が転がる中、レムの状況が普段とは違うことに気づいてライトは息を呑んだ。凄惨さにもそうだが、彼女から放たれる光を全く受けつけないほど黒い殺気によるもの。

 その様相には覚えがある。

 

「以前の……屋敷のときと同じ」

 

 眉を寄せるライトの脳内にありし日の記憶が蘇る。

 闇の中、額に白いツノが生えて狂乱するレムは今目にしているレムの状況と同じだ。その強力無比な存在で、まさしく『鬼』言って差し支えないレムが窮地に追いやられている。これは魔獣のせいであって、また魔獣のせいでもない。昨夜にみんながうまくやっていればこんなことにはなっていないはず。

 いや、やっぱり──

 

「もとを正せば、あの子犬のせいだけど」

 

 額に脂汗を浮かばせるライトが片膝を立てて深い吐息をする。

 あれを使ってしまえば、体にどんな負担がくるかわかったものではない。大技は大体五発打ったときに身体中のマナを全消費した。

 だが、ここで戸惑っていても事態は急速に進んでいる。崖に落としにかかった魔獣たちもライトに気づいて駆けている。もう覚悟を決めるしかない。

 ぶっつけ本番だったが、いつだってそうだ。

 

 ──落ち着け。狙いはレムを囲う中で一番近い連中。昨日の感覚を思い出せば、きっと当たるはず。

 

 眉間に力を込め、ライトは片膝を立てて右腕を突き出す。左手を添え、狙いを定めて息を潜めるライトは右手を開き、痛みを噛み締めて指を銃の形に組んだ。 

 

「当てる──!」

 

 喉が震え、瞬く間に指先にマナが吸い出される。いや、体から吸われる感覚は昨日よりもはるかに軽い。

 ライトを包む大気中のマナが迸り、集う。眩い白光が球状へと膨れ上がり、空間が歪むほどの圧を放ち、青白い光球がエネルギーの極限を示している。

 そして次の瞬間、

 

「──ッ!!」

 

 

 ──世界を揺るがす一撃が解き放たれた。

 

 

 一閃の、鮮烈な朱の光が空気を貫き、青白い電撃が迸る。轟音と共に下方へと空を切り進む真紅の光線はレムへ飛びかかる魔獣らへ伸び、蒸発。勢いが衰えることのない凝縮されたエネルギー体は地表へ激突し、抉り消すとともに大気に散った。

 

「はぁ……当たった……」

 

 レムの背後に迫る脅威は消えた。

 昨日ほどマナが削り取られる感覚は軽いものの、衝撃が体に堪える。ため息を噛み殺すライトは膝に手を置いて立ち上がった。

 エイムの問題はこれでクリアだ。

 しかし、

 

「……これを飛び降りるのか」

 

 四階建て校舎くらいある。自分の身長も含めたら、目視換算で大体十四、五メートルの恐るべき高さだ。

 これを今から飛び降りるのだ。高すぎて口角がぴくぴく痙攣しだすライトは左右を見渡す。先の砲撃に気がついた魔犬らがこちらに向かって突き進むのを見た。

 時間は残されていない。右も左も追い詰められた。逃げも論外。

 じゃあもう──

 

「──飛び込むしかない」

 

 息が荒く、吸って吐くたびに自分の目線が高くなっている気がしてならない。

 大丈夫なはず。最も近くにはユニコーンがいる。

 

「あぁもう、俺行きます──!」

 

 決断が長い自分をブチ殴り、ライトが崖と宙を踏み越えた。

 

 

 ──その瞬間、世界が裏返った。

 

 

 足元から一切の支えがなくなり、風が怒鳴るように耳元をかすめる。上下を逆さまに、胸が落ちてくる。重力が遅れて追いかけてくる。

 遅れて、だが確実に。

 そのときだった。

 

「……っ!?」

 

 視界の端。空を切り裂いて飛来する、鉄球。

 反射よりも早く左肘に右手を伸ばし──

 

「──しッ!」

 

 右手を振り抜いた。魔力を受け取って潰した右手にサーベルが形を成す。じんわりと手のひらに染み込む痛みが走るも、なりふり構わず刃を強引に振るった。

 光剣が腹を粉砕しようと突進する重みと殺気を孕んだ鉄球とぶつかり、甲高い音が鳴り響く。

 棘付きは進路を変えるがライトの落下軌道は変わらない。このまま直行だ。

 

 ──着地の姿勢!

 

 顔を上げる。

 地面が迫る。

 この一瞬を逃せば、命はない。ライトは両足を引き寄せ体を捻って上下を逆転。ユニコーンの補助が滑らかな着地へと導く。

 刹那、

 

 ────ッッ!!

 

 地面に激突した衝撃が足から背中、脳天まで駆け抜けた。土が爆ぜ、風が吹き飛ぶ。

 テレビで見たことのあるヒーローアクションは最も簡単にやってのけていた。しかし実際は違う。

 これ膝に悪い。

 

 ──痛ぁ……。

 

 痛みを奥歯で噛み締めながら、ライトは体を起こす。軋む膝を労わりながら、ゆっくりと。

 しかし、何はともあれ──

 

「ぎりぎり間に合ったようで、本当によかった」

 

「あ、ぁ……」

 

 スバルの反応からで、自分がいかに奇跡的復帰を遂げたのか想像に容易い。だが、間に合った。今度こそ、間に合った。

 安堵感に喉が震える。朗らかな笑みを讃えるライトは右手で払い、砂埃から全身を露わにした。真っ先に目に飛び込んできたのは、鼻から血を流し目を閉じてぐったりとするラムを抱えたスバル。

 

「ライ、ト……起きて、くれたのかよ」

 

「うん。心配かけさせたよね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、スバルの顔が歪んだ。抑えていた感情が欠壊して、目尻からとめどなく涙が溢れ出す。

 あまりに唐突に流れ始めたそれは蛇口を捻ったようで、ライトがあきれたような笑いを浮かべてしまう。

 

 ──やっぱりだった。

 

「みんなが呼んでくれた。みんなが、俺を気づかせてくれた」

 

 みんなが気にかけてくれていた。みんなが、自分を見てくれていた。

 初めから、ライトは自由だったのだ。それを縛り付けていたのは他人のせいじゃなくて、見て見ぬふりをし続けて狭めていた自分自身なのだ。人と関わって、他人が、自分の心が傷ついてしまうことを。

 

「みんなが……だから」

 

 溢れ出してくる想いを息を吐いて静める。それでまだ雪崩れてくるのなら、奥歯を噛み締めてライトは味わった。目を閉じながら。

 

「答えたいんじゃない。俺は、応えたい」

 

 誰も一人では生きられないことを知った。思い合って、助け合っているのだ。

 そんな自由を、こうも踏み躙る未来なんてものはいらない。

 背中に浴びせられる数多の視線によって銘肝させられた。

 瞑目し、心を張り切らせるライトはスバルたちから背き、視線の数々を真正面から受けてみせる。過去も未来も、縛り付ける運命も。

 怖くても、傷ついてもその奥へと切り開いて、

 

 ──進み続けるんだ。

 

 

「タカナシ・ライト、未来を切り開く──ッ!」

 

 

 

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