──進むって決めた。だから果たしてきて、戻ってみせる。みんなのところに。
いつからか感じていた空虚感がない。新しく埋められたものが紡ぎ、繋がり、やがて見分けのつかないものとなる。喉をすっと通るように自分がどう生きるのかわかった。ようやく、自分らしさが見つけられた。
だからライトは、為すべきと思ったことを離すまいと奥歯を噛み締めて走る。肩を並べるスバルと共に。
「──っ」
走り、左腕が揺れることで指先まで伝播。歪になる手のひらが時折ぽこぽこと音を立てて、突き刺さる鋭い痛みがライトの咬合力を増させる。
左腕に流れる血液が溶岩のように骨を焼かれているようでライトは横目を走らせた。巻かれた包帯の中、傷口が思い出したように血を滲ませていて、治りかけの瘡蓋が動かすたびに剥がれる。
左腕は使い物にならないようだ。
「────」
口には出さない。言ったらもっと痛み出しそうで嫌だから。
スバルの右腕もレムのツノへと放った一閃の後の着地ミス以来、ぶらつかせている。鈍痛がスバルの頭に響くたび、「痛ぇ、痛ぇよ……」と嘆いた。
その正面。
「見つけた……!」
ライトの翠玉の瞳が捉えた。
下っ端の魔獣が、事件の首謀者である子犬を取り巻いていた。子犬はその目を紅く鋭く光らせて、ライトとスバルに口が裂けんばかりの笑みを浮かべる。
何度見たかわからない。数えるのも煩わしい子犬の姿と生意気な顔を見て、スバルが薄ら笑った。
「そろそろお前とも最後にしたいもんだな」
足を進めるごとに小柄な魔獣の一挙手一投足がわかる。力を漲らせるように地を踏む姿は魔法を放つ準備段階か。
走り、接近して、これから襲いかかる土石流に神経を研ぎ澄ます。融合していたとはいえ全身に打ちのめす鈍痛は今食らえば瀕死も瀕死。そのまま魔獣の口に入ってジエンドなのは目に見える。
発動と同時に横道にそれてそのまま魔獣目掛け刺突。イメージはそれだ。最悪はいらない。
「は」
「おいおいおい……!」
小さい吐息を漏らすライト。目の前の光景に驚愕するスバル。
そのはずだ。今二人の目の前でありえない光景が飛び込み広がっているのだから。
唸り声に呼応するように子犬の瞳が赤く瞬く。全身を縮こませてたわめる姿は黄色の燐光を纏う姿と似て非なるものだ。
異変を感じ取り、靴底を地面に打ちつけブレーキをかける二人の視界が、
「あんなデカくなるのか……!?」
「そういうのは漫画のだけにしとけよ!」
漆黒の毛並みで埋まった。
小さくて可愛げのある毛玉がそばに立ち伸びる木々と同等に急成長を遂げる。
見下ろす側がいつの間にか見下ろされる側となった二人はぽっかりと口を開けて戦慄。
屈強な肉体に、獲物の命を狩る牙。そして凶悪なまでの形相はまさしく、ボスと言っても過言ではなかった。
「────ッ!!」
ライトとスバルの驚愕に魔獣が咆哮で応ずる。全身の毛が強張り、森が怯えるようにさざめきを引き起こした。
圧倒的存在が月の視線を浴び、地を叩く。その速さはでかい図体ばかりと侮っていたら命取りになるほどに俊敏で、地面は潰れ枯れ草は見る影もない。あれに当たってしまえば四肢の一つや二つ簡単に潰し飛ばされる確信があった。
「魔法が決定打にならなかったのが癪に障ったのか……?」
「そっちだって、当たってくれなかったくせに」
計九発は打っただろうか。ビームマグナムを使っても、自身が魔法を避けるように子犬もまた避ける。
背後、横、全方位に血濡れに釣られ、魔女の残り香に釣られる魔獣が集まり取り囲んでいた。囮作戦はひとまず大成功。
「怖くないぜ、くそったれ。こっちゃぁ切り札が二枚あんだ!」
勇猛果敢に吠えるスバルが懐をまさぐる。掴み、手にしたものに目を見開くとスバルはそれを口に含んで、
「あとは、パックと……ライトを信じる!」
「頼まれた……!」
すり足で地面を軽く削って足並みを整える二人が正面にそびえ立つ敵に、四つ並ぶ眼が反射。
戦火が上がるのももう間も無く。腰を低く、前傾に構えたそのときだ。
「──帰ってきて──ッ!!」
聞こえる。約束が。
悲痛な叫びでも、必ずと信じて心に刻む叫び声だった。甲高く鼓膜をキリキリと鳴らして限界を均しているにも関わらず、ライトの心に穿って反響する。
一方的の約束が、双方によって契られ、より強固なものとなった。
皆、帰りを待っている。ここに来る間に、何度も戻ると約束したのだ。──帰る場所があるのだ。
助けなくちゃならない。助けたい。
黒い影が笑って笑って、白い影が暝目し沈黙。対照的な二人。そんなスバルとライトが、魔獣の咆哮を浴びせられ──抜刀。己の心を表すような得物が放たれた。
「俺がライトの左腕で!!」
「俺がスバルの右腕だ!!」
並び立つ二つの魂が、宣言する。
スバルの持つ刀身の折れた片手剣が敵を見定めるように月光を鈍色に跳ね返す。
ライトの右手から煌めく光の刃が、挑発させるように周囲を照らして静寂を満たす。
両者腰だめに剣を構えて俯瞰する赤い双眸を睥睨。
魔獣が咆哮。けたたましい雄叫びの末、三つの魂に静けさが舞い込む。激突まであと少し。開戦のときが目の前に。
そして、
「シャマアアァァァアク──ッ!!」
陰の詠唱が大気に呼びおこし、刹那に黒雲がスバルを中心に爆発。この場にいる者達、木々、大地、音、光、周囲を黒影で呑み込んで、結末は雲隠れした。
*
*
──光を吸収する黒の中。そこには無理解が広がっていた。
世界がわからない。感じられない。無理解だ。視覚も聴覚も、外界を脳みそに取り込む方法が黒靄によって削り取られている。ただ一つ、足裏に伝わる硬い地面の感覚がただ一つ、自分の場所を繋いだ。
何が起こった。
何がいる。
何がいた。
自分はどうしてここにいて、なぜ漆黒に閉じ込められた。
考えろ。いや、頭で考えるな。知るんだ。
思考回路が脳を迂回せずそのまま筋肉に電撃が走る。
走る。だが、足の力が抜けかける。これは無理解による抹消か、それとも真か。
どうでもいい。
感じれ。体外に信用できるものなど何もない。信じられるのは体の内にある感覚と無意識と意識の狭間の心。
なりふり構わず、だががむしゃらじゃダメだ。動かし、それに意味があるか。否、全てに意味があり、無駄なんてものはない。一つたりとも。そうして──
「──かっ、おおォォぁァッ!」
体の芯が燃え盛る。闘志が身を焦がし、熱情がスバルの口から放たれる。
前へ進もうとするんじゃない、進むんだ。力の抜けかけた足が再起する。抜ける。再起。抜け再起。
理解が無理解に侵される。だが、知だけが染み込んではジクジクと伸び縮みを繰り返して。繰り返して──
「どぅおりゃあぁぁア──ッ!!」
体が闇をぶち抜いて、目の前に知覚が襲いかかった。
左手に確かな手応え。手が握る硬い棒状から伝わってくるのは繊維をプチプチとちぎりながら、より深くねじ込む生っぽい感覚。生きている物を突き立てて殺しているという感覚。
もう十分だ。勢いよく腕を引き戻したスバルは地面に足をつけて、蹴る。
これが本来ならば、地べたに寝転がり尽き果てていたに違いない。マナを根こそぎ吐き出してしまえば、それこそライトと同じようになる。
そうならないための秘策──切り札一枚目がこれだ。
「虫は願い下げだが、ペッ──ボッコの実は助かった……感謝しといてやるぜ、ガキども」
感謝し、スバルの口から飛んだのは潰れて皮だけとなった赤い実──ボッコの実だ。
昨日ライトが姉妹に連れ去られたあと、魔法講義にて魔法を行使して動けなくなったスバル。そんな彼にエミリアが何かを口に放り込ませて小気味よく『噛んで飲み込むさーんはい』と歌って噛む。
するとどうだろう。体のエネルギーが活性化し、すっからかんになった体に喝を入れさせられた。これはいわばドーピング剤だ。
「とにかく、離れねぇと……!」
練度のない、マナもないスバルのシャマクがいつまで持続するかわからない。一刻も早く火線上から離れなくては──
「グオァッ!」
だがそれを許さない力が、スバルの考えを潰すように背中が地面にめり込み、押さえつけられる。
胴が押しつぶされ、目が飛びでかける熱さに襲われるスバルは取り込んでいた空気を吐き出してしまう。顔に生めかしいぬめりけが垂れ、気持ち悪さにスバルは片目を絞る。
折れた片手剣が深く首に刺さっているにも関わらず、勝ち誇ったように眼下にいるスバルを覗く魔獣がそこにいた。
「クソが……」
眼前、大口を開けてスバルの顔面を食いちぎろうとする魔獣の牙。
首に深々と刺さった剣によって立ち上った血液が魔獣の口からこぼれ落ちる。だが、二つ眼の闘志はいっぺんたりとも消えいってはいなかった。無論──スバルもだ。
「くたばって、その手をどけろ──!!」
寸前にスバルは突き立っていた剣に自由になっていた左手を伸ばし引き抜き、口腔から垂れ下がる舌目掛けて釘を刺す。
「────ッ!」
「おあ──!?」
痛恨の一撃が口内で暴れ狂う魔獣。絶叫を上げ、スバルの体を宙へと放り投げた。
ぐるぐると視界が回転し、何度も夜の一つ眼が覗き込む。だが、地面に体を打ちつけたと同時に、スバルは膝を地面に立てて手放さなかった剣を構える。
「嬉しい誤算だぜ。自分で動かなくてもここまで離れられたんだからな……!」
顔を振り回し、鬼の形相をスバルに向ける魔獣。
頭が熱い。だが、スバルの心はいたって平静だ。なぜだと思うか。目の前のやつは、一つだけ勘違いしている。
無理解の黒雲。脱して、感覚がリセットされたことはたった一つ、されど一つの存在を眼中から忘れさせるのに十分なモノ。
晴かける黒霧。その中から確かな足音がスバルの耳に飛び込んだ。
きたか。最大の切り札──二枚目の切り札が。
「待ってたぜこのタイミング! やれえぇ! ライト──ッッ!!」
喉を破らんとする叫びが自身の腹からしぼり出して、目を瞑るスバルが二つ目の切り札の衝撃に備える。
スバルの声が天高く轟き、霧の一点が突出して渦巻く。やがて雲は存在にぶち抜かれ、その御体を飛び出した。
──返り血で赤く染まってもなお、白だけは決して絶やさないライトが右手を突き出す。
*
*
シャマク。それは、黒靄が対象の感覚を削り取る目隠しの強化版。と聴いていた。
だが違う。見える。いや言い方が違う。
見えるのではない──確かに視ているのだ。五感では補完できない、もう一つの感覚が体から伸びる感覚。
肌に触れる気配はない。大地の震え、音、光、様々な情報が隔絶される中、魂が断片を掴み、焼きつける。
無理解の中、理解では通用しない。それは経験にも当てはまる。信ずるは己の魂の動く直感。
これがなんなのかわからない。名もなき力。だが、
──信じる。この感覚を。
──信じろ、自身を。
進んだ。飛んだ。斬った。
脳内が考えるよりも先にライトの行動はすでに終わっている。
依然視界は闇に呑まれたまま、全容は明らかにしてくれない。後ろ手に右手を振った。
斬った。裂いた。浴びた。構わず進んだ。
行動が行動を置き去りにする。
ぐるりと、闇を疾走するライト。途中に存在するガイテキをまるで予知しているかのように全て破り進んで幾ばくか。
『──やれえぇ! ライト──ッッ!!』
────ッ!!
確信が脳みそを貫いた瞬間、ライトが高く飛び上がった。
黒雲を飛び出して、彼方まで。目の前には情景がプラズマのように打ち抜かれライトは目を見開く。
ライトの視界に横向きとなる魔獣の頭目がいる。倒れてはいない。ライト自身が空中に身を投げ出しているのだ。
迷いなく、右腕を突き出すライト。その手には光刃は握られていない。二本の指を折りたたんだ形は銃だ。
直感が警笛を鳴らす。
刹那、大気中と自身のマナが指先にへとひしめき合う。すでにトリガーは引いた。
狙いは頭。その一点のみだ。
光は、これまで苦しみ死んでいった者達、送り出してくれた者達。決して自分だけの力ではないのだ。
「堕ちろ──ッッ!!」
叫び、ライトの瞳が鮮緑に瞬いたとき、堰は弾けた。
空間が悲鳴をあげ、放たれる光。まっすぐ、まっすぐ。一直線に光弾が真紅の尾を残して。
軌道上のあらゆるものが焼き尽くされる。はるか宇宙に浮かぶ月も貫かんとばかりに。
「────ッ!?」
遅い。魔獣が気づいたとき、ライトの放ったマグナムは目と鼻の先だった。
跪く者。宙を旅する者。受ける者。魂のぶつかり合う三者の時間が光速の閃光で遅延した。
当たる。鼻先に。肉に。生物に。
焼ける。血も肉も、吐息さえも。
そして──穿った。
須臾の朝が終わりを迎えたとき、魔獣の頭はそこにはなかった。あるのは空白で、蒸発したために魔獣の首からは湯気が立ち上っている。
上空へと放たれたマグナム。遡る流れ星。
決着が今ここに、
「────」
ついた。
中枢部を失った魔獣の体躯が力無く横にブレ、地響きを立てて倒れる。
「────」「────」
──風が吹いた。
シャマクによって黒く塗りつぶされた世界が舞い戻って、森が生き返る。木々がざわめき、体に伝う汗に夜の寒風が当たって心地がいい。
折れた剣を杖に、深い吐息をするのはスバル。目の前に横たわる首から上を失った魔獣を眺めた。
「終わった……のか」
「あぁ、やったよ……」
その傍、荒い呼吸に肩を上下させるライトがため息混じりに呟く。
長かった。本当に長かった。一日中気を張りすぎていたせいか、達成感のあまり身体中の力が抜けて上体を起こしたあと立ち上がれない。体のエネルギーを全て使い果たしてしまったためでもあるか。一歩たりとも、ライトはここから動けそうにない。
スバルが息を吐き、立ち上がる。
「やったな……ライトぉ……!」
「いい腕だったでしょ……」
「さすがは、俺のマイバディだな……」
言ってスバルが近づく気配と共に、何かを差し出された気がしてライトは顔を上げた。
白い歯を見せて笑う、ボロボロのスバルが手を差し伸べていた。
掴もうと、砲撃の余波で若干軋む右腕を上げるライトだが動きはぎこちなく、今にでもまた地面へと落っことしそうだ。究極の脱力が襲いかかってきて、視界が奥に行きかける。
「おっと……」
「──ぁ」
倒れ込みかけるライトを、スバルが小さく声を漏らしながら右手を掴んだ。
「あ、ありがとうスバル」
「いいってことだ。その疲れ様に、功労賞は譲っとくぜライト」
「それはまた……」
呆れ笑いを零すライト。そのまま立ちあがろうとするのだが、体が自分のものではないような感覚が全身を包み込んでいて力が入らない。
立ち上がる気配のないライト。そんな彼にスバルは左腕に力を込め、痛みに耐えながらライトの体を引き寄せた。
「っ手間をかけた。……でも、やっぱり功労賞は俺だけじゃなくて、スバルもだよ」
「冗談だ冗談。俺が潔く譲る質じゃないの知ってんだろ? っていうか……」
気づいたように、スバルがライトの体を上から下へ目を巡らせて、眉を顰める。
全身を舐め回すようなスバルの視線にライトがむず痒く感じてしまう。若干引き気味になりながら熟考するスバルの言葉を待って刹那。
「──ライト、お前いつ着替えたん?」
「え? 着替えたって……」
「あ……消えた」
腕を顔の前まで持ち上げると視界に白いカケラが宙を舞うのが見えた。ただ変化はそれだけで、ボロボロの使用人服を纏った自身の腕しか見当たらないライトは眉をへの字にする。
「俺の気のせいだったか……? まぁなんでもねぇさライト。気にすんな」
「気にすんなって言われてもな……どんな格好だったのさ」
「なーんかかっこよさげな……」
顎に指を添えて先ほどの映像を巻き戻すスバル。彼の言葉に被せるように、
「──っ」「──な」
がさりと音を立てる叢が静けさの漂う森から動きを奪う。ざわめいていた木々も息を押し殺して、この場の空間だけが切り離されたように音が止まった。
ほんわかとしていた雰囲気が戻り、アドレナリンで冷めていた痛みが熱烈なまでに上昇。雷に打たれたような衝撃が視界を真っ白にしてくれる。
残った情報は血生臭い現場を席巻する獣臭と、耳に刺さる複数の足音。
「まだ来んのかよ……万事休すか」
「ここまできて……っ」
舌打ち、左手に握る剣に力を込めるスバルと足をすらせ下がるライト。
右手に力を集中し、光の粒子をイメージしろ。出せ。出せ。出さないと死ぬ。なのに、危機迫る状況でもライトの体は限界をすでに迎えていた。あるのはさらなる衰弱と、精神の磨耗。
得物は召喚されず、ライトの右手が虚しく空を切った。
息も荒い。体温が冷め切り奥歯がガチガチと震えかち合う。にも関わらず、ジクジクと傷口が燃えるような熱を発し、昏倒しかけの意識が火照る。
『────っ!』
体の内、ユニコーンが警笛を鳴らしている。
器に溜まった力は干上がっている。行使しようとしても確実に魔法は使えない。──器でも使わない限り。
魔獣が迫っている。衰えた二人の様子を見てか、魔獣たちの進みは遅い。だが、戦いの火蓋はきっかけ一つで切り落とされる。何度目かわからない戦いが始まる。
瞳を閉じる。
なりふり構ってなどいられない。心の奥底の最後のスイッチ──トリガーに触れる。
引けば戻らない。きっと、自分の源まで削ってしまう狂気の策だ。それでも、ここで逃げる選択肢などライトには残されていなかったし、逃げるつもりも鼻からない。
トリガーを持ち上げ、カチカチと妨げるクリックが終わろうとする。しかしそれは、
「ウルゴーア──ッ!」
空から降り注いだ炎弾が、無謀を永遠に中断させた。
「うわ!?」「ううぉああ!?」
大気を蝕む熱が喉を焼いて驚愕の声が、空気として出ていく。
すでに傷だらけの体を火傷ダメージが加算されてしまった二人が腰が抜けて尻餅をついた。
「いったい何が……」
熱気が顔に当たって苦しさを我慢するスバルが腕をどけて目を向けた。
「これ……」
ボヤける視界。ライトは鮮烈なまでの赤を見た。
──かつて目の当たりにしたあの炎が、襲い掛かろうとした魔獣を燃え上がらせている。
苦痛に体を捩らせる四足の魔獣が炎の中で踊り狂い、やがて壊れたように崩れ落ちた。残るのは地面に落ちる影と見紛うほどに焦がされた肉塊。
それだけではない。魔獣を焼き殺した炎弾は止まることなく、次々と降り注ぐ。闇の中も、草むらの中も、火炎によって開けて情景を詳らかにされた。
着弾する炎弾によって魔獣たちは絶叫。苦しみ悶えるが炎は無情に肌を焼き肉を焼く。魂は燃焼し空虚な零度が身を襲い、魔獣たちは地で丸まって、終わった。
「あっはーぁ、随分と酷い有様だーぁね」
上空からヘラヘラとした笑い声が聞こえ、ライトとスバルの首は一挙に持ち上がった。
長い藍色の髪を巻き起こる気流に靡かせる青と黄色の目の持ち主。奇抜な衣装に身に包む王国随一であり、おそらく変態である魔法使いが──ロズワールが現着した。
「遅いですよ……ロズワールさん。なんでもっと早く来なかったんですか」
「そーだー! 遅刻だ遅刻ぅ! 俺たちが何回死を覚悟したと思ってやがんだ」
実際一度死にかけた。覚悟したのも片手じゃ足りないだろう。
悪態をつくライトにスバルが深い吐息をし、手を地面についた。
大バッシングを食らうロズワールは笑みをそのままに首を振る。
「これはこれは手厳しい。しーぃかし、君が魔法を打ってくれたおかげでここに来れたんだーぁよ?」
「俺の?」
「そう。ライトくんの撃ってくれた魔法のおかげで、わーぁたしは君たちの窮地を助けることができた。にしても……」
顎に指を添えるロズワールが炎で明るくなる森を一望した。首や胴を切り裂かれたり、黒焦げになったりする魔獣の死骸をオッドアイに映した後、視線はライトの方へと注がれる。全身ボロボロ、その中で酷い左腕へと。
「それ、動くの?」
「多分、今は無理です」
「……帰ったら、治してもらいなさい」
「ぁー……はい」
なんだろう、このぎこちない会話は。あと、さらっと他人に治療を押し付けるようなことを言っていた気がする。ロズワール自身、治癒魔法を使おうとは考えないのだろうか。
痛ましいものを見て眉を曲げ、嫌に献身的になるロズワールと変な空気に眉が中央へと寄るライト。
「それにしてもだ!」
「おや?」「スバル?」
空気は霧散し、がなり声をあげるスバルが割り込んできた。荒げた声のせいで右肩を刺さられるような痛みを覚えるスバルは少し咳き込んでから肩を落とした。
「ナチュラルに忘れられるのって結構傷つくんですが……。いやそれはいいんだ」
「いいんだ……」
「いや良くねぇよ? ただ誰かが汚れねぇと話進まなくなんだろうが。だからここで区切る。──ロズっちはどうして探してたんだ?」
先ほどとは打って変わって、空気感を取り戻させたスバルがロズワールへと問いかける。
当たり障りもないものなために、「そうだねーぇ」とロズワールは歩みを進めながら一つ咳払い。
「村でエミリア様に散々釘を刺されたからねーぇ。『無茶でも無謀でも、追い詰められたらきっと魔法を使うから空から見落とさないでね』てーぇね?」
「バレテーラ……」
いやバレるだろ。パックでも誤魔化しが効かなかったんだから。即刻問い詰められて、そこからの自白が早いのなんの。
朝に起きてからの出来事をライトは思い出し、ほのかな笑いを浮かべてしまう。その横、スバルは対称的でがっくしとこまり笑い。
意味合いの異なる笑いを浮かべた二人は互いに手の甲を打った。
「なにはともあれ……終わったなライト」
「あぁ……長い、本当に長い一週間だった」
本当に、長くていろんなことが起きまくった激動の一週間だった。
体感三、四週間の出来事。平時とは異なる色濃い思い出だ。味にしてしまえば胃もたれを引き起こしてしまうくらいにはマシマシ具合。
夜空には無数の星が散りばめられていて、ここまでの旅路を祝福するかのように輝きを披露していた。心の奥底で響くような静けさと共に、この異世界の美をそっと語りかける。
自然の声に耳を傾けると、予兆のように感じていた風が柔らかな手に包まれる心地よさが広がっていく。深呼吸するたびに清涼感が体の中まで染み渡る。
そんな風に、二人が心を傾けていると、
「ロズワール様──っ!」
燃え尽きた煙が漂う中から姿を見せたのはラムだ。レムに肩を貸したまま、ロズワールの存在に気づくとラムの表情は一時氷解しかけるも、
「お手を煩わせて申し訳ありません」
「いんやーぁいいとも。むしろ、私の不在に君たちはよーぉくやってくれていたよ」
労をねぎらうロズワールにほんのりと頬を赤くして、ラムが胸に手を添えて一歩下がる。
そんな感じの主従のやりとりを横目にくすりと笑みをこぼし、
「ぐぅえッ!」「うっ!」
突如として飛びついてきたレムの抱擁にカエルの悲鳴をあげるスバルと、背中を地面に強打し口からが空気が飛び出る羽目となるライト。
肩あたりに青い髪が揺れている。女性らしいその柔らかな感触があってドキドキする状況だが今は別な意味で余裕のない心臓がバクバクと言っている。
「痛い痛い! レム、腕が左腕がぁぁ……!」
「そんなギュってしないでくれぇ! 右肩が! 外れた右腕があぁ……!」
このままだと、本当に死んでしまう。感情の制御が効いていないレムによる抱擁でだき死められる。
応急処置が施されたライトの左腕が骨もろとも軋みと痛みのハーモニーを奏でていて、抜け出した右腕でレムを宥めた。が、
「戻って……生きてて、生きててくれてる。……ライトくん、スバルくん」
感極まるレムはライトの反応に気付かない。
涙声に息をしゃくりあげてレムが肩を振るわせる感覚。悲鳴をあげる左手と「ぐごご」とすぐそばで悶えるスバル。さまざまな情報が脳内で渦巻き限界を超える一歩手前まで差し迫っていた。
「また、こんのパターンじゃねぇ……か……」
先にダウンしてしまったのはスバルだった。
ぶつかるスバルの左腕の力が弱まれば規則正しい息が肌で感じて、こちらまで一気に疲れが重くのしかかってきた。
「ライトくんも今は眠るといい。目が覚めたとき、君たちがしてくれたことへのお礼は尽くそうじゃぁないか。ひとまずは、スバルくんの体に巣食う呪いの排除を約束しよう」
「は……い」
こちらを見下ろすロズワールの真剣な声色にライトは朧げに答えた。
だが、謝礼の約束には確かな安心感を覚えて、ライトの首は地面について意識を手放す。
眠りに落ちる寸前、魂へ身近に感じていたものが役目を終え力を抜けるのを感じながら。温かい抱擁を感じながら。
繋がっていたものが切れ、ライトは暗闇へと落ちていった。