ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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カアナとイチカ

 狙いを定めて発砲し、ボルトハンドルを引く。空薬莢が地面に落ちた。高音の残響が消えないうちに次の目標に狙いをつける。その繰り返し。敵は着実に減っている。

 

 気を抜けば暴走特急になってしまいそうな心臓を深呼吸によって宥めすかす。

 

 空のマガジンを投げ捨てて、ボックスマガジンを入れるわずかな時間に戦況を確認した。

 

「一人……前に出過ぎてる」

 

 市街地戦では味方の位置を把握しづらい。だから仕方ないけれど、あれでは集中砲火を受けるだろう。防弾の装備を身に着けているようにも見えない。正義実現委員会のひらひらの制服だけだ。

 援護の対象を即座に切り替える。銃口がとめどなく火を吹いた。

 

「……」

 

 スコープから視線を移してあたりを見回した。トップはすでに片づけているし、騒動を起こしたヘルメット団に応援の気配はない。あとは残党狩りだろう。女生徒は後続と合流できたらしく、少しだけ頬が緩む。

 さて、部隊の前進に合わせて私も位置取りを変えなければならない。

 

 起き上がって制服を手で払い、クロアメのバイポットをバレルチューブに戻した。高いはずの空には低く重い雲が垂れこめ、雨の到来を予感させた。

 雨の前には切り上げたい。ライフルの部品が錆びてしまうし、何より視界が悪くなって戦闘が長引く。夕ご飯が遠のく。ミズタキに威嚇される。近距離戦になりやすいのも嫌だ。

 

 曇天には似合わない春風に乗り、薄汚れたスニーカーが屋上を踏んだ。

 

 

 ビルから出て、一つ大きく伸びをする。雨が降る前に片づいてうきうきだ。これでミズタキに威嚇されずに済むだろう。

 補給地点までは遠い。ライフルケースのもとまで小走りで向かった。

 

「さすがですイチカ! まさか単独でヘルメット団の大多数を相手にしてしまうなんて!」

「本当だよ! まさか下級生に助けられるとは思わなかったな~!」

 

 補給地点には黄色い歓声があふれていた。一人やたら冷静に――というか効果的に敵を排除する人がいたけれど、その人が今回の功労者のようだ。イチカ、と言うらしい。

 当の本人は「いや~……はは、ちゃんと練られた作戦と連絡網のおかげで敵の位置が分かりやすかったっす」と後頭部に手を回していた。どこか困ったような笑みを浮かべている。

 

 私はその横を通り抜け、ライフルケースにクロアメをしまって施錠する。戦勝に浮かれる正義実現委員会の団体から離れようとしたとき――ぽつぽつと、小さな粒がアスファルトに落ち始めた。

 

「あっ、やばいっす、傘忘れたっす!」

「一緒に入ろ! ほら、急いで急いで! こういうときのために折り畳み傘常備してるんだ~」

 

 みなが空を見上げ、慌てたように屋根の下に駆ける。

 ひと粒は小さいけれど、あっという間に地面は深いグレーに変わった。街路樹の緑が艶を放ち、浮かれ気分は突然の雨とともに排水口に流れ落ちる。道ゆく人は駆け出すか雨宿りするかの二択を選び、歩くなんて悠長なことはしない。

 

 ライフルケースの鍵をいま一度確認した私は、しゃらしゃらとリングに結ばれた鍵を袖にしまって歩いた。

 走ろうかなとも思ったけれど、すでにけっこう濡れてしまっている。だったらもう濡れ鼠で帰っていいだろう。

 

 とはいえ靴下が気持ち悪い。使い古した靴の撥水だからだ。

 

『タオルを用意しておいてください』

『かしこまりました』

『あとお風呂も沸かしておいて』

『かしこまりました』

 

 小さな四角にいくつもの水滴がつく。おかげで画面が見づらいし、ときどき指紋に反応しなくなる。スラックスに液晶を何度も拭い、四苦八苦しながらルイにメッセージを送って、家路についた。コンクリートジャングルに浮かぶ青白い光は明るかった。

 

 悲しくなんてない。寂しくなんてない。家族が待っていてくれるのだ。でも、望みが叶うなら友だちがほしい。

 

『ミズタキにはおやつをあげないで!!!』

『かしこまりました』

 

 返ってくる温度のない定型文が、心の深いところを抉った気がした。手にわずかに力が入って、思わずスマホを握り壊してしまいそうになった。

 涙でできたような水たまりを踏んづけたら、ぱしゃんと跳ねた。スラックスの裾にかかった。

 

 

 目を離した隙に勉強道具や体操服がなくなる場所、というのがトリニティ総合学園だ。入学してあっという間に学園生活の幻想が壊され、私はすでに灰色に辟易していた。

 

 クラスメートたちが集まって談笑している休み時間、私は一人でスマホをいじっていた。傀異(かいい)錬成で作った防具のシミュレーションがうまくいかなくて天を仰ぐ。足が伸びて、近くに置いているリュックに当たった。南京錠が音を立てた。

 

 先生がやってきて「少し前におこなったテストを返しまーす」という声を出す。声は談笑にかき消されたものの、先生の姿を認めた生徒たちが席に戻り始めて、先生はかろうじて威厳を保っていた。無造作に引かれる椅子が床とこすれてきーきー鳴った。

 ここは天下のお嬢様学校。権力者の目につく場所では、みなお嬢様だ。

 

 

 転機は放課後に訪れた。音楽堂の警備に行く前に再び傀異錬成のシミュレーションをしていたところ、不意に影が差したのだ。顔を上げると、柔和な顔立ちの糸目の女子が立っていた。

 

「となり、座っていいっすか?」

「構いませんけど……」私は周囲を見回した。「他に空いてるベンチありますよ。無理にとなりに座らなくても」

「ほら、あなたのとなりも空いてるベンチっすよ? ね?」

 

 白く細長い人さし指でわざとらしく私のとなりを指す女生徒。私は曖昧に頷いた。

 その女生徒は、青空の広がる草原から聞こえてきそうな明るい声をしていた。ぶんぶん手でも振ってくれそうな人懐っこさもある。彼女はスカートにしわができないように気をつけて、私のとなりに座った。

 

 

 仲正イチカ、と言うらしい。聞き覚えのある名だ。彼女が自己紹介をしたのに合わせて私もしたのだけれど、そのあとの会話は続かなかった。

 

 見るからに陽の者であるイチカといえども、私と話すのは骨が折れるのかもしれない。スマホをスクロールする手を止めて横を見る。

 

「どうして話しかけてくれたんですか?」

「え?」

「いえですから、どうして話しかけてくれたんですか? と」

「ええと……?」

 

 イチカは片方の唇をつり上げて頬を掻く。困らせた自覚は芽生えたが、だからといって私がどうこうできるものではない。

 

「話したかったから私のとなりに座ったんだと思ったんですけど、違いました?」

「いや、まぁ、そうっすけど」

「だから話を振ってみました」

 

 拳を握ってふんずとすると、一瞬の間を置いて、イチカは堪えきれなくなったように笑い出した。両手でほっそりしたお腹を押さえる仕草すらも上品に見える。

 通行人の何人かが笑い声につられて私たちを見た。

 

 私と話すことで標的になってしまうかもしれない。しかし周りの人は談笑を続けている。少しくらいならいいのだろうか。心が音を奏でて、私はイチカに不安を言えなかった。

 

 ひとしきり笑って、イチカは目尻を拭った。

 

「変な人っすね、カアナは」

「……よく言われます」

「よく言われていいんすかね……?」

 

 小首を傾げるのに合わせて長い黒髪がさらりと流れる。そよ風によってわずかに膨らんだ。高そうなシャンプーの香りがする。

 

「カアナっていつも一人でいるじゃないすか。だから、気になって」

「仕方ありませんよ。人とつるむの苦手ですし」

「だからっていっつもスマホいじってちゃいけないっすよー」

 

 彼女と話しながらも親指が勝手に動いているのを咎められる。乾いた笑いをこぼして「癖なんです」と言い訳した。

 スマホをスラックスに押しこんだ。普段から手に持って歩いているので、しまうと異物感がすごい。

 

「一人でいて寂しくないんすか?」

いえ、全然(・・・・・)

「なんか……かわいくないすね」

 

 イチカは引きつった笑いを見せた。

 私は両手の人さし指を頬に当てて淑やかに口角を上げる。

 

「顔はかわいいですよ」

「心はかわいくないです」

「きったないですか」

「腹黒いっす」

「まっしろですよ。日焼けには気を遣ってますから」

「そうじゃな〜い!」

 

 イチカの気持ちを表現しているのか、翼が大きな音を立ててはためく。私の髪が風圧でなびいて顎に当たった。

 私のほうに伸びてきた片方の翼を両手で挟んでふにふにと揉んだ。濡れ羽色の翼はしっとりしていてさわり心地がいい。高価なクッションみたいにやわらかい。イチカが神妙な顔をした。

 

「……何してるんすか?」

「翼触ったことってないなぁと思って。羽、試しに一本抜いてみてもいいですか?」

「うわあダメダメ! 何やってるんすかちょっと!」

 

「それ手入れ大変なんすよ!?」と、関係あるんだかないんだか分からない悲鳴が轟く。

「減るもんじゃないんですから」と言いかけて、正門や噴水周りにたむろしていた正実が減っていることに気づいた。そろそろ任務の時間らしい。

 

 面白くないイルカショーを前にしてみんなが他のエリアに行ったみたいだった。もしかしたら今度はイチカも――と思ったら汗が吹き出た。

 

「それでは私は音楽堂の警備がありますので、これで」

「あ、ちょっと! え?」

 

 足元に置いていたリュックを背負うと、南京錠とチャックがぶつかった。左手首に掛けているリングがしゃらしゃらと高い音を立てた。黒い布地のライフルケースも背負って、移動の準備は万端だ。

 一歩踏み出すたびに鍵が鳴らないよう、左手をだらんとぶら下げて歩く。相手に場所を気取らせないために物音には最新の注意を払っていた。

 

「ほら、イチカも早く行かないと遅刻しますよー」

 

 腰を浮かせたままのイチカに振り返って叫んだ。所在なげに伸びた手がイチカの愛銃を掴む。

 

 

 少し歩いただけでポケットに手が伸びて、スマホを取り出しかけた。今日くらいは、と思ってポケットに戻したけれど、やっぱり歩きにくさがすごい。狙撃するために寝そべったら絶対に邪魔になる。今はそれすらもおかしかった。

 前に伸びた長い影が、楽しげに左右に揺れていた。

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