ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

10 / 22
注がれる痛みはどこに逃がせば

 年越しの流れで遅くまでゲームをしたことにより、初詣に揃って寝坊した。

 晴天のおかげで初日の出がなんちゃらかんちゃらというネットニュースを見て、なんとなく去年に置き去りにされたような気分になったけれど、それをモモトークで送ったらイチカに笑われて。心地のいい幕開けだ。

 

 

 レンタルした着物はやっぱり動きづらく、神社に人が多いこととライフルケースが大きいせいで、私はしょっちゅう人にぶつかった。軽いせいで衝撃に踏ん張れず、あっという間に人波に飲まれてしまう。イチカが遠くに行ってしまった。

 

「あっ――」

 

 伸ばした手は虚空を掴んだ。

 ずっと一人で居続けるより、誰かと一緒にいたのを引き剥がされるほうが、同じ一人でも痛かった。冬の風を途端に意識してしまい、広い袂をきゅっと抱く。

 ざく、ざくと冷え固まってザラメ状になった雪をブーツが踏んだ。

 

 人波から外れ、モモトークで連絡を取りながら合流地点に向かっているときに軽く肩を叩かれた。

 

「イチカとお出かけですか?」

「そうなんですよ。でもちょっとはぐれてしまって」

 

 イチカの名前が出たから、私の警戒心は反射的に最低になった。

 振り返ると正義実現委員会の制服が目に入る。見上げて目を合わせた瞬間、周囲の冷気や雪をすべて吸いこんでも足りないだけの寒気がした。

 

「なに……!?」

 

 急いで距離を取った。相手はアサルトライフルを構える。遮蔽物に隠れるべきだったと気づいたときにはもう遅くて、私は立て続けに銃弾を浴びた。

 ライフルケースを庇って半身から地面にぶつかった。その拍子に巾着を離してしまい、焦りが加速する。南京錠の鍵は巾着に入れている。姿勢を低く、立て直す。

 

「私は新年も巡回なのに、のうのうと楽しんで! イチカの好きな人だかなんだか知らないけど!」

 

 目まぐるしく回転する頭が「好きな人」という名称のせいで急停止した。かけるべき言葉が浮かんでこないけれど、せめて何か言わなければ。

 

「知らない! 知らないですよ!」

「何言って……!? いつも二人きりで楽しんでるくせに!」

 

 どちらの声も半狂乱だった。思考をかき乱した単語が抜け落ちて、徐々に視界が開けていく。

 

 揉め事の気配を感じ取ったたくさんの制服が、距離を取って流れていく。その中に私が探し続けている姿はない。すっかり制服を眺めるのが癖になった。

 

 はっと我に返り、飛んでいった巾着に目を留める。しかし相手の間合いでライフルを取り出してなんになる?

 肉弾戦に持ちこむ? 万全じゃない体でどうやって? しかも着物だ。

 説得するにしても、相手が怒っているというゴールしか分からない。始点にも経路にも霧がかかっているから、感情を解きほぐせない。的を外した言葉はきっと相手を激昂させる。

 

「どうしてあんたなんかが好かれるの!? 私のほうがイチカが好きなのに! イチカに何をしたの!?」

 

 やめてくれ。好かれるなんて単語で私の頭を乱さないでくれ。私はただ友だちが欲しかっただけで……普通の人間関係が欲しかっただけで……!

 

 説得しようと奮闘する脳が別方向から殴られて、その予想外の衝撃に乱される。熱病に浮かされたように息が浅く早くなっていることを自覚する。むりやり深呼吸をした。

 

 私が一向に目を合わせないのが気に食わなかったらしく、相手は私の肩をさらに数発撃った。

 ミネさんとの戦闘でできた痣はまだ引いていない。だから思ったよりも痛みがひどかった。体勢を崩して、ザラメになった雪に手をこする。冷たさと熱が奇妙にまざりあった。

 運が悪く、着物の裾はむき出しの土に投げ出された。最悪だ。汚れた。

 

 イチカに怒られる。待って、今イチカのことを考えちゃ駄目だ! 自分で対処しなきゃ……!

 

 どうにか立ち上がろうとする私に、再び銃口が向く。

 瞬間に響いた発砲音。私は思わず目をつむった。

 

 

 訪れない衝撃に不審を覚えた私は、ゆっくりと目を開く。無意識のうちに腕で顔を守っていたらしく、着物の優しい色味が開けていき、青空と禿げた木々と人と雪の世界になる。

 私を撃った人物は地に倒れ伏していた。撃ったのはイチカだった。

 

 夜明け前の瞳と目が合う。身が縮まる思いがした。

 

「大丈夫だったっすか?」 

「え、えぇ、なんとか」

 

 私に向いた優しさは、欠片もあの子に注がれない。銃口は相手の頭を捉えたまま固定されていた。一触即発の状況は変わっていない。

 身を起こしたあの子が私を指さした。血走った目が私を見ていた。でもその目よりも、イチカのほうが圧がある。

 

「どう――」

 

 額に弾丸を受けて、今度あの子は仰向けに倒れた。雪は固く、地面にぶつかったのと同じくらい鈍い音が、銃声の残響にまじって聞こえた。

 

「誰が話していいって言ったっすか? 一発でよかったっすね? これフルオートなんでときどき三発とか撃っちゃうんすよ」

 

 どうすれば、どうすればこの場が収まる? 争いごとの仲裁は今まで何度もしてきた。でも、友だち同士の、利益とかの判断が難しい争い事なんて収めたことがない。そもそもこれは何による、どんな争いなんだ。

 

 状況を整理すれば。

 あの子が怒っているのは、イチカが私を好いているから。

 イチカが怒っているのはおそらく、私が害を受けているから。

 私が焦っているのは、イチカから向けられる気持ちに整理がつかず、あの子が怒っている理由にも納得ができず、場の雰囲気に怖気づいているから。

 

 時がゆっくりと進む中で、私はレッドドラゴンが再び狙いを定めるのを見た。今まさに火を吹こうとしていた。

 

 

「駄目ッ!」

 

 駆け出して、正実の子の前で両手を広げる。

 引き金にかかるイチカの指がぴたりと止まり、まず銃口が下がった。イチカはひどく傷つけられたような顔をしていた。

 そんな顔をさせたいわけじゃないのに、どうして私はイチカを傷つけているんだろう。笑っている顔のほうがずっとずっといいよ。

 

「なんで、助けた私と敵対するんすか……?」

 

 銃口は行き先を見失って、ふらふらとさまよう紙飛行機みたいに宙を泳いだ。着物の袖から伸びた白い手が寒さで赤くなり、震えていた。

 私は、イチカと正実の子を天秤にかけたわけじゃない。ただ、信念とイチカを天秤にかけて、独善を選び取ってイチカを選ばなかったのだ。

 

「どいてください、カアナ」

「嫌です」

「私はカアナを撃ちたくないっす」

「弱きものをこれ以上虐げる必要はないはずです。気持ちの整理をするにしても、もう少し他の方法にしてくれませんか?」

 

 イチカは歯ぎしりの音が聞こえてきそうな形相になった。

 私たちの周りにできた空白の円を突き破って、遠くからお気楽な喧騒が聞こえてくる。こうして粘っていれば騒ぎを聞きつけた警備部隊が来てくれるだろうか。もし来てくれたとして、イチカはどうなってしまうのだろう。

 

「真実なんてどうでもよかった! イチカの気持ちを、嘘でも少しだけでも分けてほしかった! 私はきれいな嘘が欲しかった……!」

 

 背後から聞こえた声は悲愴にまみれていた。

 イチカは昆虫みたいな無感動な瞳で私を見透かしているように思えた。どうでもいいという心の声が聞こえてきそうだった。

 

 まるで見たことのない虫を見たときみたいに、不気味さと悪寒がないまぜになって心で淀む。私はもしかしたら、愛を相互に向けあう健全な関係よりも、一方的に愛を注ぐ関係のほうが負担にならないのかもしれない。

 でもここで考えこんだって仕方がない。この状況を穏便に済ませられるのは、きっと私だけだ。

 

「ひとまず、着物屋さんに行きましょう。クリーニングとかの話をしないといけません」

 

 

 正実の子とイチカの間に入って私は歩いたし、着物屋についてからは話を進めた。

 クリーニング代がどうとか、誰に払ってもらえばいいかとか、そういった話をしているときに、ふととなりを見る。

 

 シニヨンでまとめられた髪の下に細い首があって、イチカはいつもストレートで下ろしているから、私はうなじを初めて見た気がした。モノトーンの着物によく映える白い肌だった。その線の細さみたいなものが頼りなく思えて仕方がない。

 あぁ、イチカを怒らせたかったわけでも落ちこませたかったわけでもないのにな、と心に空いた穴から小さなため息がもれた。

 

 

「それでは、あとのことはお願いします」

「いえいえとんでもないです。むしろ災難でしたね、お大事になさってください」

 

 見送ってくれた店員さんの奥に、肩を落とすあの子がいる。

 私への怒りは、イチカに嫌われたことで悲しみとなり、最終的には後悔に塗り替えられたようだった。これから先どうやってお金を払うのかも、正義実現委員会からどんな処分がくだされるのかも分からないから、いずれ不安へと変じるかもしれない。

 長く伸びた私とイチカの影は、扉が閉められると同時に店内から姿を消した。私たちは賠償を背負わずに帰路についた。

 

「私の家に寄っていきませんか? 近いですし」

 

 私はイチカの手を取った。冷え切った手だった。両手で包みこむけれど、そもそも私の手も冷えていたのでなんにも変わらない。着物屋さんは暖房がちゃんと効いていたんだけどな。

 イチカは私を無表情に見つめて返事をよこさなかった。

 

 西の空は夕日に染め抜かれていた。東に迫る夜は厚い雲によって覆われ、二つの天気が、二つの時間が、喧嘩別れをしたみたいに寂しく広がっている。

 ざく、ざくと硬質な音を響かせるイチカのブーツは、最終的に私のとなりに並んだ。

 

「――っす」

 

 横断歩道で車が途切れるのを待っていると、不意にイチカが口を開いた。

 ずっと考え事をしていた私は「へ?」と気の抜けた返事をする。横目でちらと見上げても、イチカは相変わらずむすっとしていた。翼がときおり乱暴な音で空を切った。着物から着替えるときに下ろされた髪が宙を舞い、イチカはそれを鬱陶しそうに耳にかけた。

 

「甘酒っす」

 

「甘酒」と私は繰り返す。名前は聞いたことがあるけれど、見たことのない代物だ。

 

「酔ったんですか」

「まぁ……はい」

「お酒に弱いんですね?」

「うるさいっすよ」

 

 イチカは居心地悪そうについと顔をそらす。

 私は回り込んで満面の笑みを浮かべた。落ち着かなげにしきりに羽ばたく翼のせいで前髪が何度も上に行くし、なにより風が冷たかった。

 

「ざぁ~こ、ざぁ~こ」

 

 声は甘かった。心は苦いものでいっぱいで、きっといま心臓を握り潰したら血じゃなくてゴーヤのエキスみたいなものがあふれてくるんだろうな、と思った。想像したら口の中にその汁が逆流した気がして気持ち悪くなる。

 

『嘘って、なんとなく分かるじゃないすか』

 

 イチカはかつて、そう言った。そう。そうなのだ。分かるのだ。私もそれは例外ではない。

 嘘をつかれることよりも、嘘をつかれる関係性なのだと伝えられたことのほうが、より悲しい。お前は敷地に入ってくるなって言われているみたいで。

 たとえそれが優しさによるものだとしても、私はイチカの心から弾き飛ばされた。

 

「だ~か~ら~! もう! うるさいっすよ!」

 

 視界をしきりにひょこひょこする私に、とうとうイチカが叫ぶ。

 曇天はもう私たちの真上にまで広がっていた。空元気が鈍色の雲に吸いこまれていく。不格好で不器用な笑顔を浮かべた私たちは、傷つきながら、傷ついたことを口にできずに家に向かう。

 

 

 私がルイに何も連絡を入れなかったせいで、用意されていた夕食は一人分だった。それを明日の朝に回しつつ、二人分の何かを新たに作ってもらうことにする。

 

「ミズタキってかわいいっすよねぇ」

 

 私がルイとやり取りしている間、イチカはラグに丸まったミズタキを撫でていた。何回か家に来ているし、ゲーム中によく通話していることもあって、すっかり馴染んだようだ。

 怒っていたはずのイチカがいつの間にか落ち着きを取り戻していたことに、私の心は幾分か軽くなった。

 

「ねー」と言いながらソファに腰を下ろすと、ミズタキがゆったりと私の腿に移動した。彼女の重みと熱が心地いい。

 

「私のほうが懐かれてますね。えっへん」

「うえぇ~泥棒猫じゃないすか!」

「しゃー!」

「なんで最初から威嚇してるの!?」

「ご飯を忘れたからです」

「それは自業自得でしょ」

 

 とすん、と人がとなりに座ったとき特有の弾みのあとに、横から手が伸びてくる。大きさも体温も触り心地も何もかも違う二つの手に優しく揉みくちゃにされ、ミズタキは穏やかに鳴いた。

 

 少ししたころイチカの手がぴたりと止まった。イチカに手を重ねてミズタキを撫でてもイチカは何も言わなかったから、何か逡巡しているのだろう。

 やがてぽつりと言った。

 

「私、けっこう怒りっぽいんすよ」

 

 イチカはミズタキの首を優しく掻いた。白猫がイチカみたいに目を細くして上を向く。

 

「薄々勘づいてましたよ。実は」

「え……上手に隠せてたつもりなんすけど」

「普段の様子からじゃ絶対に分からないでしょうね。私、モンハンやっててなんとなく気づいただけですし」

「意味分からないんですけど」

「そうですか? プレイングに性格はけっこう出ますよ」

 

 初見のとき、イチカは攻撃的になる。後隙を考えずにチャアクで超高出をぶっぱするものだから、乙ることもある。

 そこから徐々に行動を覚えて調整していく立ち回りが生き様のように感じていた。一般的に初見は被弾が多くなるのかもしれないけれど、刺し違えてでも攻撃を当てるってくらい果敢に攻めるのはもはや性格だろう。

 

 最初は目を丸くしていたイチカだが、私の話を聞き終えるころには苦笑を浮かべていた。

 

「……意外と分かられるもんなんすね」

「私のも見てれば分かると思いますけどね」

「火力が出ないからって読みで降竜当てに行くところとか」

「それで被弾がかさむんですよねぇ……」

「でも初見の立ち回りは分からないっす」

「意外と慎重ですよ。イチカと真逆かもしれません」

 

 ミズタキはそのうち眠ってしまったらしく、規則的に胴体が波打った。

 イチカが初めて家に来たときはかなり気が立っていたのに。もう。すっかりイチカも家族の一員だ。

 

 私はふとテレビに視線を向けた。イチカのぬいぐるみも一緒に置きたいけれど、私はあまり裁縫が得意ではないし、勝手に加えてもいいかも分からないから、作るだけ作って母さんの部屋に置いていてもいいかもしれない。

 ソファに背を預け、ミズタキをまねして目を閉じる。ダイニングの穏やかな光が瞼の裏側に見えた。

 ルイが規則的に包丁を動かしたり、フライパンを動かす音が聞こえる。いつの間にか肉の香りが部屋に満ちていた。

 

「正直、ちょっと不安でした」

 

 私は横目でイチカを見上げて首を傾げた。

 

「めちゃめちゃ気を遣ってたんで」

「見せないように?」

「えぇ、まぁ」

 

 それだけ言ってイチカも私のまねをするみたいに休んだ。

 イチカにもたれかかって、これだとなんだかフィット感がないなぁと思ったので、ミズタキをそっと寄せて立ち上がる。薄目を開けただけでミズタキは抵抗しなかった。

 ソファに深く座るイチカの上にぺたん座りをするみたいに、ゆっくりと体を被せた。

 

「ほら、ぎゅー、ですよ。ぎゅ」

 

 イチカの頭を抱いた。彼女はやわらかく笑って、私の胸に頭を預ける。今日ばかりは私のほうが大きいようでむずむずする。

 でも、私はやっぱり、一方的に愛を注ぐことはできるけれど、愛を注がれることができないのかもしれない。命を消費させて輝く星のように、きっと今、私の心は輝いている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。