ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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第二のカアナ?

 優しい春の風が頬を撫でた。ミズタキを抱きしめたときのような日差しが心地いい。

 となりから聞こえてくる穏やかなギター演奏に耳を傾けていると、午睡の誘惑につい負けてしまいそうになる。

 ぶんぶんと首を振った。髪が遅れて舞っていろんなところに当たった。

 

「眠いなら寝ててもいいっすよ。時間なったら起こすんで」

「……もう少し聞いていたいです」

 

 目頭に生まれた涙を拭った。日焼け止めはしっかり塗ったし、音楽堂の警備開始まではしばらく余裕がある。もうちょっとの間まどろみの中をたゆたっていても、誰にも咎められることはなさそうだ。

 

 二年に上がってからギターを始めたイチカはめきめき上達していた。

 

『始めて何ヶ月?』

『一ヶ月になるっす』

『一ヶ月!?』

 

 巡回中に公園で休んでいるとき、こんなふうな会話をとなりで何度も聞いた。もしかしたらイチカよりも私のほうが得意げな顔をしていたかもしれない。

 

 先生に進められるまま買って気に入ったようだった。モンハンのアップデートが終わり、次回作までの待ち時間が長い今、いい趣味を見つけられたようで嬉しい。

 

 私は家の外にいるときはだいたい傀異錬成のシミュレーターを回すか、猫用品をネットサーフィンで探しているので、BGMとしてもとてもいい。会話せずとも心で繋がっているような時間が好きだった。

 

「シャーレの業務、どうすか? 慣れました?」

「多いし慣れません。この間『書類まとめてもらってもいい?』って頼まれたんですけど、余計に散らかしちゃって苦笑いを返されました」

「ルイに全部やらせてるからっすよ」

「だから『シャーレの書類で練習させてください』って言いました」

「せめて自分ちでやりましょうね?」

「先生とまったく同じこと言うじゃないですか。先生、私が散らかした書類でミレニアムの子に怒られたみたいです」

「何してんすか……」

「危うく私にも飛び火するところでした」

「カアナが火元だし燃料ですよ」

「着火させたのは先生なので……」

「うわ、屁理屈!」

 

 演奏で行き詰まったのかイチカの指が止まる。数秒の沈黙を挟んでから、アクセルを急に踏みこんだような激しい演奏が始まった。

 魂を必死に抑えているイチカの、ときおり舞い上がる火の粉が好きだ。

 演奏は少しずつ勢いを落としていった。演奏のコツみたいなものを掴んだらしい。

 

「いいですね」

「でしょ! うまくいったっす」

 

 演奏を止めて満足気に笑うイチカ。王様みたいに張った胸の後ろ側で、漆黒の翼が陽光を一身に受けている。

 

 上達を喜ぶイチカは抱きしめたいくらいに無邪気だった。

 ふと、ギターを持って突然私の家に来たときのイチカを思い出す。両手で抱くようにして持っていたギターを、「じゃじゃーん!」なんて言いながら私に差し出して。新しく買ったおもちゃを見せびらかす子どもみたいだった。思い出しただけでも胸がぽかぽかする。

 その日は夜遅くまで二人で一緒にいた。

 

 ギターに触れているときのイチカは年齢が下がる。気を許してもらえているみたいでたまらなく嬉しかった。

 

 スマホの手が止まっていて、ずっと液晶に触れていたせいで、眺めていた商品の説明を囲む水色の四角が現れていた。

 

「ここ最近のカアナ、ずっと難しい顔してたっすけど、ギターを聞いてるときはちょっと雰囲気がやわらかくなるんでよかったっす」

「そう、ですか?」

 

 自覚はなかった。しかしイチカがそう言うのなら本当なのだろう。

 イチカがギターに熱心なのは、ひょっとすると私のせいかもしれない。裏でいろいろなことに挑戦しているのは知っている。そしてどれもが長続きしないのに、ギターだけ続くのは妙だ。ゲームと同様に何か理由があるだろう。

 

 自意識過剰かもしれない気づきによって、嬉しさと申しわけなさが芽を出した。偏った肥料のせいで後者だけがすくすくと健全に成長していく。

 

 嬉しい。

 

 嬉しいのに、器が小さすぎて受け止めきれない。

 満杯になった器から感情があふれて、手を濡らして、肘まで滑り落ちて、やがて軒先から雫が垂れ落ちるように、肘で膨らんで床に落ちる。

 

 スマホの向こう側にはかたい石畳があった。そこにぶつかったみたいに、鈍い痛みが体に走った気がした。

 ……あふれないように外壁を増築しなければならない。

 

「セイア様襲撃のときからときどき変だなとは思ってたんすけど、新年を迎えてからはその頻度が上がった気がするっす」

「あー……そう、ですかね」

 

 スマホから視線を外す。イチカとは逆方向に顔を向けた。

 私を襲った制服連中を探すのに加えて、イチカから傾けられる感情の大きさにすり減っているのだろう。

 ちらとイチカを見る。演奏を止めた彼女が首を傾げた。私はギターにぶつからないように、イチカに向かって慎重に体を倒した。

 

「特に自覚はないですけど、甘えます」

 

 イチカはふっと雰囲気を緩めた。翼が私を抱くように回された。

 乱れた羽を梳くようにそっとイチカの翼を撫でる。ささくれだったイチカの心も、こんなふうに整えられたら嬉しいな。

 

 

「あ、あの……!」

 

 どのくらい経過したのか分からないくらいのあと、私たちの前で止まった影が高い声を落とす。正義実現委員会の制服を着ているけれど、見慣れた顔ではない。新入生だろうか。

 私がイチカの体からそっと離れるのと、イチカの翼が開いたのは同時だった。

 

姫崎(きさき)カアナ先輩と、仲正イチカ先輩で合っていますか……? わ、私、一年の下江コハルって言います……! その、い、いちおう、ご挨拶に」

 

 小さな翼をぱたぱた動かしながら、おどおどとコハルは話した。彼女は私と目が合うと顔を伏せてしまう。

 

 適当に自己紹介を済ませてもコハルは私たちの前から立ち去らず、まだ何か話したいことがあるような雰囲気だった。

 口を開いては閉ざすコハルを見かねたのか、イチカが私を手で示す。

 

「スナイパーライフルのことならカアナに聞くといいっす。正実一の狙撃手なんで!」

 

 私は立ち上がってコハルのライフルに顔を近づける。カバーが掛かっているので見づらいけれど、これは私のものとは明らかに違う。

 

「私のよりもハスミさんのが近いんじゃないですかね、これ。聞くならハスミさんのほうがいいと思いますよ? 丁寧に教えてくれると思いますし」

 

 ひ、とコハルが息を呑んだ。小さな肩があからさまにびくつく。いったい私はどう思われているのだろう。

 正面に立って気づいたのだが、私のほうがコハルよりほんのわずかに身長が高いらしい。

 

「えーと……なんですか、ハスミさんが忙しいようであれば私に聞いてもらっても構いませんので。ただ、コハルの銃の設計思想も運用思想も分からないので詳しくは話せませんよ?」

 

 イチカを思う気持ちが大きくなるに連れて、イチカから傾けられる気持ちが大きくなるに連れて。私はおそらく、徐々に排他的になっている。今のように人を遠ざけようとすることが増えた。

 誰かの大切にならないように誰かを大切にするには、遠くから一方的な愛を捧げるのが一番いいから。

 

 イチカとだけは一緒にいるけれど、私の平穏を最優先にするのであれば離れたほうがきっといい。でも、イチカを悲しませたくはないから、私はいずれ崩れ落ちる停滞を望んだ。

 

 おかしいな。最初は友だちを望んでいたのに、気づけば暗闇につま先から頭のてっぺんまで飲まれている。

 イチカが私の手首を優しく掴んだ。一瞥を向けると、彼女は首を小さく横に振る。

 

「カアナ先輩って、優しくて強いんですね……!」

「……?」

「二人ともすごく強いって言われていて、その、何かあったときは助けてもらうことが多いだろうから、挨拶に行ったほうがいいってみんなの間で話題になっていて……でも、カアナ先輩のことがよく分からないって人も多いんです。それで……」

 

 話の行き先が見えなくなったらしい。コハルは視線を右往左往させて黙り、大きく息を吸いこんだと思うと「もしものときはよろしくお願いします」と勢いよく頭を下げる。そのまま私たちが何かを言う前に走り去ってしまった。

 コハルの走っていった先には正実の一団がいた。そろそろ活動時間のようだ。

 

「心配ですね、彼女」

 

 私が立ち上がるのに合わせてイチカも立ち上がった。

 私はベンチに立てかけていたライフルケースのスリングを掴んで肩に掛ける。春休みに南京錠をすべて取り払ったのだけれど、一年も聞き続けた金属音がないとどこか落ち着かない。

 イチカが自然ととなりに並んで、揃って歩き出す。

 

「何が心配なんすか?」

「去年の私みたいになるんじゃないかと思って」

「あぁ……」

 

 私を標的にしていた連中は当時の三年生なのだと、春休みに私は説明を受けた。同時に南京錠を外すように促された。イチカは、いちいち鍵を外すのは手間だと説明し、手が震えてうまく鍵をさせないところを何度も見ていて、もどかしく思っていたとも補足した。

 新年に私を撃った同学年の子も厳しく罰せられたので、もう私は害されないだろう――というのがイチカの見立てだ。

 

「中心になってた人はもう卒業しましたし、誰かを仲間はずれにする人は、少なくとも正実にはもういないっすよ。ツルギ委員長もハスミ先輩も気を配ってくれてますし」

「正実には、ですか」

「っす」

「陰湿ですね」

 

 イチカは肩をすくめた。

 

 私は一団の端で足を止めてイチカと別れる。

 彼女は今年から小隊の指揮を取るようになったので、作戦会議のために中央へ向かう。

 

 スマホを取り出そうとして手を止める。スラックスのポケットに手を入れたままあたりを見回した。コハルは私とは遠い側の端にいた。輪の中に入っているように見えて、話の輪には入れていない印象を受ける。

 

 コハルのもとに慎重に歩みを進め、適当な近さで、私は傀異錬成のシミュレーターを回した。なんとなくだが、彼女は庇護対象な気がした。

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