ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

12 / 22
ネズミ捕りに引っかかったクマ

 補習授業部の話をひと通り終えた先生は、ティーパーティーの生徒が持ってきてくれた紅茶を一口、香りとともに味わう。あたたかみが体に満ちた。滞っていた血流がやっと動いた。

 けれど、ナギサの話の重みとトリニティに渦巻く猜疑心は払拭できそうにない。

 

 澄み渡った空に目を向けて、余計に気が重くなった気がした。まとわりついてくる盛夏の熱気が気持ち悪い。

 

「もう一点、先生にはご説明しておきたいことがあるのですが」

 

 手もとの書類から顔を上げ、ナギサが先生を見た。ミラーリングだと言わんばかりに紅茶を運ぶ所作が先生の目に留まる。

 

「どんな話?」

「姫崎カアナさんについてです」

「――それも、さっきの話と関係ある?」

 

 先生の穏やかな顔に鋭さが光った。背もたれに預けていた体をゆっくりと前に出す。

 ナギサは困ったようなほほえみを一切崩さなかった。

 

「実のところを言えば、カアナさんも補習授業部に入れたかったのです」

 

 スパイ容疑。一文だけで先生とナギサはある程度を共有した。

 軽く触れただけで鉄すら切れそうな真剣味を帯びた先生と、腹の底が読めない妖怪のようなナギサ。じっとり見つめ合った二人の空気を、ナギサが緩めた。

 

「ひとまずこちらに目を通していただきたく」

 

 ナギサの背後に控えていたティーパーティーの生徒が書類を受け取りに動くも、軽く首を振ったナギサに拒まれる。彼女は音を立てずに椅子を引いて立ち上がる。

 自分から渡したい。先生はナギサの意図を考える。

 

 書類を見られたくないか、あるいは誠意の表れか。

 前者はティーパーティーの生徒をここに招き入れている時点で破綻している。だから、後者。先生はそう推測した。お願い事の類だろう、と当たりをつける。

 見るからに重要な雰囲気だが、対して書類は少ない。

 

 

 ナギサから書類を受け取った先生はしばらく黙読した。ナギサが二年のときに発生したセイア襲撃についての調査書類だった。これに合わせて、正義実現委員会を襲った謎の人物についての書類もあった。

 

「問題は、彼女が途中から単独行動をしていた、という点です。申しわけ程度の怪我についても不審としか言えません。まるで怪我を記載することによって嫌疑から逃れようとする作為すら感じられます」

 

 セイア襲撃時、正実として呼び出されたカアナの行動が、途中から途絶えている。他の正実部員は襲われたとき部隊行動をしていたから、妙な行動はできない。対してカアナはほとんど一人。襲撃者たちをどうにかして招き入れることができたのではないか。

 

 部隊単位での裏切りでない限り、彼女が最も犯人に近い。

 

 ナギサはそう言って目を伏せた。

 

「疑わしい点と点は繋がっているけれど、あくまで推測の範疇を出ない細い線、ということかな」

 

 ナギサは重々しく頷く。

 

 もとよりカアナは単独行動をしがちだった。これは当時のトリニティらしい(陰湿な)状況がカアナを孤立させ、加えて単独行動を許されるほど突出した射撃能力を買われて単独行動を許されたからだ。

 優秀であるがゆえに、怪しい。優秀ならば自分たちに悟らせないようにして隠密行動もできるのではないか。疑い始めればすべてを疑えてしまうのがカアナだった。

 

 ナギサは言葉を選びながらそう説明した。

 

「襲撃された正義実現委員会について私なりに調べたのですが、全員、片親であるか肉親がいません。行方不明者をたどってみると軍事関係者や研究者など様々な分野に行き着きました」

 

 カアナは片親なのか、それとも肉親がいないのか。溌剌としたカアナを脳裏に描き、先生は意外に思う。

 尋ねてみると、ナギサは「カアナさんはどちらも」と言って首を横に振った。

 

「三歳のときに行方不明になっているようです。そして、三歳という点が私の判断を鈍らせているのです」

「どういうこと?」

「もしもカアナさんが裏切り者だとして、三歳以降、ご両親と連絡を取った形跡はありません。ですから裏切り者として重要な作戦を知っている可能性は低いでしょう。そして、三歳までにトリニティを憎むための教育を終えることはできないと思いませんか?」

 

 先生は紅茶のカップを傾けた。しかしほとんど口に入らず、唇を濡らした程度で離す。

 正面を見れば、ナギサは赤い舌先で唇を湿らせていた。

 

「家になんらかの歴史書があり、トリニティ総合学園について彼女だけが知っていることがあるのかもしれません。内通の素振りは見られませんが、孤立していた一年の初めごろにトリニティへの恨みを募らせていたのかもしれません。疑えば疑うほどきりがなく、分からなくなります」

 

「ですから」ナギサが先生を真剣に見つめた。

 

「カアナさんをできる限り監視してほしいのです」

 

 先生はこんなとき、生徒の瞳から決して目をそらさない。

 

 

 カアナから不審がられない程度に、徐々にじょじょに先生は当番の頻度を調整した。カアナは今では一番シャーレに通うようになっていた。

 

 モニターを睨む先生の視界の端で、もちもちした華奢な腕が紙束を抱えて去っていく。日傘など差さずに過ごしているにもかかわらず、彼女はまったくもって日に焼けていない。

 

 この半袖も衣替えをすぎれば見られなくなるのだな、と先生は当てもなく考えた。

 性的衝動に突き動かされたわけではなく、かといって見とれていたといった理由でもなく、美術館に飾られた芸術作品をぼーっと流し見するような感覚で、先生はカアナのことを観察していた。

 

「そういえば、去年セイアが襲撃されたって聞いたんだけど」

 

 先生は振り返ってカアナを見た。回数をこなすことで手際のよくなった彼女は手を止め、「あぁ、はい」と先生を見る。

 

「カアナもあの場に居合わせたの? ちょっと話を聞いてみたくて」

「いましたよ。正義実現委員会の人はみんな深夜に呼び出されたので」

「詳しいことは分かってないって聞いたんだけど、それは本当?」

「侵入経路、逃走経路は不明ですね。セイア様に撃ちこまれた弾丸は広く普及している弾薬だったみたいです」

「カアナもそれで怪我したの? 私が聞いた話だと、カアナだけ少し怪我しちゃったみたいだけど」

 

 カアナは考える素振りを見せた。腕を組んで首をひねり、整然とファイルの並ぶガラス棚を見る。

 

「少しの怪我というか、青痣ができたくらいですよ。イチカからでも聞いたんですか?」

「そうそう。いろんな人に話を聞こうと思っていてね。まずはイチカとカアナ」

 

 先生は人好きのする笑顔を浮かべた。しかし、イチカに話を聞いたのは本当だが、イチカはそれを「カアナのことなんで」と言って深く話さなかった。先生はナギサと会って秘密裏に動いていることを悟らせないために、あえて嘘をついたのだ。

「へぇ」と神妙な声で相槌を打ったカアナはスラックスのポケットからスマホを取り出す。ロックを解除して軽く操作し、納得がいったように頷く。

 

「イチカ、昨日当番でしたもんね」

「仲がいいとやっぱりお互いの予定を把握してるものなんだね。カレンダー?」

「えへへ……そうなんですよ」

 

 カアナはカレンダーなど見ていないが、先生からはそれが分からない。

 頬を緩めたカアナは少しの間スマホを操作し続けた。目もとだけが冬の月のような鋭さを帯びていることに、先生は気づけなかった。

 

 二人はときおり手を止めて去年の騒動について話した。しかし、ナギサからもらった書類以上の情報を先生は得られなかった。

 

 先生はカアナの雰囲気が変わったことに気づいたが、怪我のことという、あまり思い出したくないことを思い出して怖くなってしまったのだろうと考えた。カアナは飄々としていながら臆病な少女だ。先生はそう思っていたので、怖かったであろう記憶を必死に手繰り寄せるカアナに好感を覚えた。

 怪しいとは、どうしても思えなかった。

 

 

「なんだかネズミ捕りにクマが引っかかった気分です」

 

 カアナからだいたいのことを聞いたイチカは、最後の一言に苦笑を返した。

 先生がカアナに『怪我のことはイチカから聞いたよ』と伝えた直後、カアナはイチカに連絡し、シャーレの業務が終わったあと落ち合うことを決めた。

 

 夕食の準備を進めるイチカの視界に、ソファに三角座りをしてクッションを抱くカアナが映る。口もとをクッションで隠してうなだれていた。ため息が聞こえてきそうだ。

 

「どうするっすか。伏線だって言ってましたけど」

「だって先生って……思わないじゃないですか。伏線クラッシャーですよあんなの。なんで嘘ついたんでしょうね、先生」

「さぁ。知られたくないことがあったとか?」

「でも内容までは……って感じですよね」

 

 クッションから顔を上げたカアナは、今度は背もたれに全身を預ける。天井を仰いで白いおでこがあらわになった。

 

 イチカは食事の仕上げをしながら、カアナは食器の準備をしながら話し続ける。

 

 嘘をついていることは分かる。しかし、なんのために嘘をついているのか分からない。先生はずぼらなところがあるが、嘘をつくことのデメリットや、嘘が露見したときの悪影響を考慮できる人物だ。そうそうかんたんに露見するような嘘をつかないだろう。

 

「報告書類を読んだ……って可能性はないっすかね? なんらかの事情でセイア様襲撃について調べていて、トリニティの上の誰かから書類を借りた、とか」

「秘匿されている書類ですよ? アクセスできる人が限られてますし、いったい誰が渡すんです? あぁそうか、秘匿されている情報を知っていると変に思われるから、嘘をついたんですね。そして誰から受け取ったのかも隠したい、と」

 

 エデン条約の調印式が近いこともあって、連邦生徒会長の失踪により荒れた情勢は、ぴりぴりしていながらも安定している。

 

「じゃあ問題は、誰が書類を渡したのかですよ。裏で何かが動いてますね」

 

 その日は重い夕食になった。

 真実を覆い隠す霧は深く、進めども進んでいる実感がわかない。手を大きく動かして霧払いしたくとも、勢いそのままに障害物に当たれば怪我をする。じっとしていることが得策なのだろうか。魔の手が忍び寄らない霧は、待てば晴れる。

 

 カアナはイチカと目を合わさずに、じっと夕食を眺めて言う。

 

「様々な学校の様子を見る限り、先生が力を貸してくれれば何かが起こって何かが解決するはずです。私たちが知っている情報は先生もアクセスできるでしょうし、触れないほうがいいと思います」

「タングステンのことは?」

「そもそも同じ襲撃者かどうか分かりません。ここでへたに情報を出せば混乱を招きます。最悪の場合、私たちが疑われます。もう引き返せません。重要なのは、セイア様が襲撃されたことについてです」

 

 カアナの口調は毅然としていた。真剣な口振りが食事の雰囲気を重くし、箸を進める手が遅くなる。

 自分とは目を合わせてくれなかったな、とイチカは不審に思いつつ、先生に嘘をついていることを悪いと思っているのかもしれない、とも思って、迷いに迷い、食事の手が止まる。

 

 二人が皿洗いをしたのはそれからしばらく経ったあとのことだった。

 結局何も進展しないまま、先生が生徒を害することは考えづらいだろうという結論に落ち着き、触れない方向でいこうと二人は意見を共有したのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。