ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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融通の利かない正義

 私の怪我がひどかったこと、イチカと先生が私を庇ってくれたことで、私はかろうじて裏切り者の嫌疑を免れた。また、ミカ様という強大な邪悪が隠れ蓑になった。

 

 命令違反による謹慎はくだされたけれど、調印式で正義実現委員会の多くが怪我をしたせいで人手が足りなくなり、結局のところ私も駆り出されて。

 

 足もとに気をつけながら本部に向かう。エデン条約によるごたごたのせいで授業は進まず、トリニティの全員が日中でも慌ただしく動いていた。

 本部に入ると、私に気づいたハスミさんがやわらかく目尻を下げる。私はイチカが縫い合わせてくれた腕章を片腕で隠した。他の人からの視線が痛かった。

 

「構いませんよ。嬉しく思っています」

「ええと……はい」

 

 イチカが私と一緒に頭を下げてくれたけれど、いまだに正実の居心地は悪くて。

 自分で選んだことだけれど、輪から外れたのだという疎外感を覚えるたび、心臓が痛みを訴えてくる。後悔ばかりだ。

 

「怪我は平気ですか?」

「……動くのに支障はありません。戦闘はさすがに厳しいです。銃のならしも必要ですし、移動に時間がかかってしまいそうで。やれと言われたらやれます」

「無理しないでください。あなたの怪我はツルギと並んでひどかったのですから」

 

 たったこれだけの会話なのに、私は腕章を隠したまま落ち着きなくきょろきょろしたり、足を小刻みに動かしたりした。

 ハスミさんは一つ頷いて命令を伝える。内面の読み取れない複雑な表情をしていた。

 

「カアナ。あなたはミカ様の牢を見張ってください。今は戦闘意欲が低く、危険性は低いものと思われますから。過激派の暴動もミカ様の牢屋までの道で鎮圧されるよう配置しています」

「もしもミカ様と戦闘になった場合は」

「戦わなくても構いません。ミカ様を止めるためにはかなりの人員が必要ですが、今の正実にそれだけの予備戦力はありません。誰にも止められないでしょう。ですから、形だけの監視をしていただきたいのです」

 

 私の怪我がひどいからこそ、戦闘の可能性が低そうな場所に。また、やりたいと言う人がいなさそうだからこそ一人を好む私が。

 イチカは小隊をまとめないといけない。彼女の下に私がつけば妙な空気になるだろう。様々な兼ね合いの果てに任命されたことが推測できる。

 

 ハスミさんの気遣いに頭を下げ、牢に向かった。

 

 

 私が監視についた日から、ミカ様は私に話しかけ続けた。

 静まり返った薄暗い部屋は、私の反応を捉えた途端にぱっと明るく色づいて。絢爛な装飾が、高質な調度品の数々が、心の暗闇を隅に追いやってしまうような印象を受ける。

 なんでも揃っている牢屋なのになんにもない。光が生んだ影をすべて取り込んだかのような重さが、ミカ様を取り囲んでいる。

 

「……、……あ! 聞いてきいてカアナちゃん! 今日先生が来てね――」

 

 心のスイッチと部屋の電気が密接に繋がっているみたいに、ミカ様は一人でいるときは塞ぎこんで見えたし、誰かがいるときは焦燥の滲む勢いを見せた。

 ミカ様はきっと話を聞いてほしいのだ。だから私は辛抱強く聞き続けた。

 

 

「聞いてよカアナちゃん! ナギちゃんってば私のご飯三食ぜんぶロールケーキにしたんだよ!? ひどいと思わない!?」

 

 

 ミカ様の牢屋にほど近い壁が私の定位置で。私は目を閉じてじっとしているか、スマホを触っているか、ほとんどの部品を交換したクロアメの整備をおこなった。

 

 

「も~セイアちゃんってばいっつも難しい話ばっかりしてさ! 私に理解させる気がないんだよね☆ いらいらする☆」

 

 

 灰色の日常に埋もれたきらめきを、あるいは振り返ったときに軌跡に残るきらめきを、ミカ様は熱心に私に聞かせる。

 普通ならば社会生活で折れていく感性の棘みたいなものでキャッチした何かを、私に差し出す。

 

 社会生活をまともに送っていなかったら、もしかしたら私もこうなっていたのかもしれない。ミカ様と私は、社会からどうしようもなく浮いてしまうという一点で、なんだか似通っていた。浮きながら好かれるか、浮きながら嫌われるか、という点では真逆をいっていると思うけれど。

 

 

「どうしてカアナちゃんは私と先生のお話にまじらないの? もっとみんなで話そうよ!」

 

 

 強迫観念にかられているみたいに、ミカ様は自分を悪者にしたがった。でも、悪者であろうとする立ち居振る舞いが痛々しく思えて仕方がない。

 

「――私には、どちらが悪いのか分かりません」

 

 いつも通りミカ様の話を聞いているとき、私は不意に言葉を落とした。

 

「どちらがって? 私とナギちゃんで? それとも私とセイアちゃんで? まぁどっちにしても私なんだけどさ☆」

「いいえ、そのどちらでもありませんよ」

「じゃあ何? 意外とカアナちゃんってマイペースに話すよね」

「かもしれません」

「そうそう。いっつも私の話聞いてばっかりでさ! 暇じゃないの? いや、私の話が暇だっていうのに頷かれると複雑なんだけどね☆」

 

「そうですね」と相槌を打って、銃の整備を止める。冷たい壁に頭をあずけた。

 ミカ様は私が作り出す緩慢さを壊さないよう、必死に堪えているように感じられた。

 

 そのことを指摘して笑うと、私たちを遮る鉄柵ががちゃんと音を鳴らす。聞き慣れた金属音が蘇った気がした。

 

「カアナちゃん?」

「アコーディオンを演奏したいなら実物を持ってきますよ。鉄柵をぐにゃんぐにゃんしたところで音は出ませんから」

「そこまで力強くないし☆」

「それとリンゴも持ってきましょうか?」

「おい☆」

「頭が沸騰しちゃいそうなら茶葉も持ってきますけど」

「沸かさないから!」

「これで優雅なアフタヌーンティータイムですね」

 

 がちゃがちゃと鉄柵が音を出す。私は口もとに手を当ててぷくぷく笑った。

 

 鉄柵を揺らすミカ様の隙を縫って話し始めた。

 

「私には、襲撃者たちとトリニティ総合学園とミカ様の、どれが悪いのか分かりません」

 

 さっきと同じ内容を、ほんの少しだけ詳細に。

 ミカ様は呆気にとられたように言葉をつまらせた。部屋は喧騒から切り離され、静寂に包まれる。明るさだけがうるさかった。

 

「調印式をめちゃくちゃにした襲撃者たちは、そもそも長年苦しんでいたはずです。その恨みを晴らすにしては、調印式のあの騒動ではきっと生ぬるいです。長きにわたって虐げられた者たちが、一瞬だけ私たちを害することは、悪でしょうか」

 

 私は手際よく銃を組み立て直す。冷たい音が部屋に響いた。ミカ様は一言も発さなかった。

 

「健康的で文化的な生活をしている私たちは、安全圏から石を投げています。司法試験に受かったわけではないのに、明確な悪人が現れたとき、世間は人を断罪します。ハリボテの裁判官の証を握りしめて、声高らかに。これは悪でしょうか」

 

 工具をさっと箱に戻し、ロックをかけ、定位置の壁に沿って置く。銃のスリングを肩にかけ、全身に力を込めて立ち上がる。背中に硬質な重みがあった。軽くジャンプして怪我の具合を確かめる。万全とは言い難い。

 

 ミカ様のもとまで歩いた。ぺたん座りしたミカ様は鉄柵を握りしめたまま、小柄な私を、まるで化け物でも見るみたいな目で見上げた。

 私は自分の表情に自覚がなかったけれど、もしかしたらすごい形相をしていたのかもしれない。

 

「ミカ様は明確に何かを裏切ったのかもしれませんが、ミカ様の裏切りによって私たちは傷つけられたのかもしれませんが。ミカ様の行動がなければ襲撃者たちの苦しみが表に出ることはなかったんじゃないでしょうか」

 

 しゃがみ、目線を合わせる。私とよく似た色の瞳だ。

 ミカ様が何をしたのか、私はほとんど何も知らない。重大な裏切りをしたことしか知らない。

 先生が事情を説明しようとしてくれたけれど断った。私はミカ様と先生が話すときは必ず離席していた。

 

「今回のひと騒動で私たちは確かに傷つきました。でも、それよりも多くのものを失い傷ついてきた人たちの苦しみを表に出したことは、悪でしょうか」

 

「私には判断できません」と言って話を締めた。

 私たちは、命の重みや優先順位によって正義とか悪とかを変動させる。でも、都合のいい正義に信念はない。

 私はミズタキと会ってからの人生をかけて、判断したくなかった。

 

「命の重みとか優先順位で敵を設定して、誰かを守るために誰かを叩いて、そんなことしても虚しいだけだと思っちゃいます」

 

 ミカ様はしばらく黙って、私の目を見ながら「変な人」とほほえんだ。たぶん、私たちは似ていることを共有できたと思う。

 

 それから数日間、ミカ様を開放するためのクーデターが起こるまで、ミカ様は私といるときも静かだった。

 

 

 ミカ様を開放しようとする一派が正実の封鎖を突破したらしく、牢に押しかける。ハスミさんから連絡を受けたころにはすでに室内に入られていた。

 戦闘はしなくていいと念押しされたけれど、ひとまず私はリーダーの手首を掴んで捻った。関節をきめられたリーダーの悲鳴がうるさい室内にひときわ大きく響く。

 

「何をしている!」

 

 私はクーデター部隊の熱を消すことができず、燃料を追加投入しただけで、周囲の人たちに銃を向けられて打つ手がなくなった。

 だが、ティーパーティーのよく分からない派閥の人たちとミカ様で、どちらが虐げられているかなんて明らかだ。

 

 憧れと信念のためなら、私はどんな痛みにも耐えられる。

 

 取り囲む人たちを睨み上げながらさらに関節をきつくした。響く悲鳴に、本当に撃ってもいいのかと確認するみたいにティーパーティーのみんなが顔を見合わせる。

 都合のいい正義には、いつだって信念が足りない。迷わずに撃てばいいものを。

 

 ミカ様が何かを言えば、ティーパーティーの誰か一人が発砲すれば、私がスリングに手をかければ。たちまち銃撃戦が発生するだろう。

 

 望むところだ。

 

 奥歯を噛んで、震える手に力を込めて、私は開戦を待つ。

 

 

 しばらく睨み合いが続いた。それを唐突にぶち破ったのは「ダメッ!」という切羽詰まったコハルの声だった。

 コハルは入り口に固まるティーパーティーを頑張って押しのけて、ミカ様の牢屋を背負う。広げられた両手と両翼は小さいが、何よりも大きく見えた。

 

 いまだにリーダーは情けない状態だが、それでも他の人たちが声を荒らげる。

 

「どきなさい、今の状況が分からないの!?」

「緊急の事態なのよ!?」

 

 標的が私からコハルに移った。私は二人を守るために、捨てるようにリーダーの片手を開放する。即座に身を翻し、バイポッドを展開できそうな銃座につく。

 

 コハルはちらと後ろを見て何ごとかを言った。

 ティーパーティーはコハルに対しては容赦なく詰め寄った。

 

「どけっ!!」

 

 突き飛ばされてコハルがよろめく。

 コハルは下唇を噛んで、音が聞こえてきそうなほどにティーパーティーを睨み返した。

 

「……い、嫌っ! わ、私はバカだから、何がどうなっているのか全然分からないけど……。でも、これは違う! こんなの絶対にダメ!!」

 

 彼女の勇気に、思わず笑みが浮かぶ。

 よく言った、コハル。対して強くもないのだから、私よりもずっとずっと怖いだろうに。あとは私がすべて引き受けるよ。

 

 怪我のせいでリコイルの制御ができるか自信がないけれど、やるしかない。私は一つ深呼吸をして引き金に指をかけた。

 痛みすら覚える優しさに、敬意を表して。

 

 

 極度の集中力が世界を遅くして、私の震えを相対的に遅いものにする。すべてが鮮明な世界で、弱点を――頭を、銃口が捉える。

 

「――お願いだから、まず暴力はやめてほしい」

 

 

 すんでのところで指を止めたおかげで、爆弾は不発に終わった。

 勢いを削がれ、ぞろぞろと一斉にいなくなっていくティーパーティーのあとを追って私も退出する。

 黒檀の大きな扉をくぐる寸前に背後から声を投げられた。

 

「ありがとう、カアナ」

「私は何もしていません。信念に従ったまでです。……外で待ってます」

 

 扉を閉める前に先生に一瞥を向けた。あえてかわいらしい声を作る。

 

「そうだ、先生。お礼と言ってはなんですが、後で私の頼み事を一つ聞いてくれませんか?」

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