「――姫崎ハルヒトって知っていますか?」
闇に紛れて、私の声がアズサを捕まえる。月光のみが差す一室はひどく暗い。
先生への頼み事は、白洲アズサとの密会をセッティングしてもらうことだった。
「なぜ教官の名前を……」
アズサは途中で足を止めた。冴え冴えとした月光が窓から入る。彼女の足もとを照らした。
私は窓近くの壁に体を預けていた。
「あぁ、やっぱり。そうだったんですね」
私は四角く切り取られた月明かりに近づく。
今日はアリウス分校という組織の殲滅作戦の日だった。だからトリニティ総合学園は、夜にふさわしい上品な静けさに包まれている。
私は謹慎中なことと怪我が治っていないことを理由に、作戦行動から外された。
どのみち参加したところで撃たないと伝えると、ハスミさんはこめかみを押さえ、イチカは私の頭に手をやって即座に頭を下げさせた。
今日は相手が激昂しているわけではないし、ミカ様のように内情をどこまで知っているか迷う必要もない。アズサはアリウス分校に通っていたのだから、私の質問には確実に答えてもらえるだろう。打算のもと私はアズサに接触したのだ。
アズサはいまだ驚きから戻ってこない。
「その人、私の父親です。母さんもそちらにいましたか?」
「……、……リリさん」
「そうですか。それが聞きたかっただけです。もう帰っていいですよ」
私は手を掲げて退室を促した。
こんなことを確認して何になるのだろう。テストが終わったあと答えの確認をして、返却されたテストの正解と間違いがすべて予想通りだったときみたいに、心にはえも言われぬ空っぽが生まれた。
ずっと両親を探していた。しかし居場所を教えてもらったところで殲滅作戦はすでに始まっている。手遅れだし、会って話すこともない。
会いたかった。そう思っていたはずなのに。大切な人ができて、大切な人から感情を傾けてもらえる痛みを知って、両親からも傾けられるのかもしれないと思って、怖さゆえに会いたくなくなっていった。
でも、どこにいるのか知りたかった。
「待て! なぜ知っている!?」
アズサが鋭い声を出す。彼女は全身をこわばらせ、銃を握る手に力を込めた。
「なぜ知っている……両親の名前を知っていては変でしょうか?」
「違う! 私は、なぜ両親がアリウス分校で教官をしていることを知っているのかと聞いている! まさか……!」
「スパイだ――と?」
小首を傾げる私に銃口が向いた。
「落ち着いてください。父の研究資料が残っていただけです」
父は元々、銃器の研究者だった。安価で高性能な銃器を開発するためのプロジェクトを会社で進めていたらしく、その写真にアリウス分校の人と写っていた。だから私は、失踪した両親がその学校に行ったものだと考えていた。
「……なぜいなくなったんでしょうね」
「さらわれたんだ。ベアトリーチェの政策の一環で」
「知っているんですか?」
アズサは静かに頷いた。
「結局は頓挫した計画だったけど、銃器開発の研究者や軍事関係者を脅して教官にしたと聞いたことがある。おそらくその脅しが、自分に従わないと子どもをアリウスに連れ去る、という内容だったんだろう」
私も愛されたかったんだ――調印式の日、私にそう言った子の悲痛な顔と声を思い出す。あの子は捨てられて、私は愛されたというのか。
心臓がきゅぅっと圧迫されて痛くなる。愛されたことへの痛みか、出ていかれたことへの怒りか分からない。
「集められた中途半端な数の教官候補者は、私たちに訓練を強いた。訓練させなければ、自分たちの子どもが危なくなるかもしれないから。すでにアリウスはベアトリーチェの独裁政治で、誰も強く出られなかったんだ」
「そうですか」
「でもハルヒトさんもリリさんも優しい人だった。私はほとんど接点がなかったけど、それでもたまにアメをくれたりしたんだ」
記憶の中の両親は、私に何もくれなかったんだよ、アズサ。母の部屋には料理本と裁縫の諸々が、父の部屋には本と研究資料が残されて。テレビの下にあるぬいぐるみが唯一の形ある思い出だろう。
もうこれ以上は聞きたくなかった。両親の愛をもらいたくないくせに、両親が他の人に振りまく優しさを聞きたくない。私は自分勝手だった。嫌気が差した。月明かりに照らされたら、私の影だけがしみみたいに異様に濃く見える気がした。
近づいてくるアズサから同じだけ距離を取る。アズサは迷いなく月光に照らされ、私は暗闇を選び続ける。
「ついでですから聞きたいことがあったんでした。両親の下についていた部隊で、タングステンを使用する部隊についてです。私はひどく恨まれているようでした。何か心当たりはありませんか?」
劣化したものとはいえ、アリウス分校の一般生徒もファクトリーロードの弾薬を使っている。タングステンを使用するのは特殊部隊である可能性が高い。私が恨まれている理由は愛されていたからだろうけれど、推測の域を出なかった。
足を止めたアズサは考えこんでから答える。
「私怨派、と呼ばれる集団だと思う」
「しえんは」
繰り返す私に、アズサは「私も詳しくは知らないけど」と前置きした。
「まず、タングステンを使用する弾頭の研究は頓挫したんだ。代替品として弾頭に劣化ウランを使用する案もあったんだけど、被爆の可能性があるとして却下された。そのあと、ハルヒトさんたちはタングステン弾の在庫を大量に抱えたんだ。それをもらおうと集まった一派が、教官派」
「それで私怨派というのは?」
「教官派の一つと考えてもらっていいと思う。もう一つ信奉派というのもあって、この違いは名前のとおりなんだ」
信奉派は教官を信奉する者たちだ。
一方で私怨派は、教官の子どもを憎む者たちだ。教官から自分の子どもの話を聞いて、隙を見て
アズサは私の反応を見ながらそう説明した。
「内戦が続いていたこともあって、アリウスも一筋縄じゃない。情報だって錯綜している」
だからこのくらいしか話せない。
アズサは頭を下げた。コハルといい、アズサといい、今年の一年生はちょっと違うかもしれない。自分たちが卒業したあと、トリニティがこういう子たちであふれるようになったらどれだけいいだろう。
私はアズサを問いただしたような気分になった。
「話してくれてありがとうございます。おかげで知りたいことが知れました」
「礼なら先生に言ってほしい。私は先生から頼まれただけだから」
「もう……それなら先生にもアズサにも礼を言いますよ。ありがとうございます」
アズサは照れくさそうに目をそらし、頬を掻いた。桜色になった頬が夜の闇に浮かび上がる。
なんだかとてもほほえましくて、ついつい表情が緩んでしまう。
私をちらっと見たアズサは「そ、それより」と言って咳払いをした。
「これからカアナはどうするんだ? 両親に会いたいのなら、できる限り協力する」
今さら会ったところで――。種は間違いなく目の前に埋まっているけれど、どんな色形の花を咲かせるのか、私は観察を拒んだ。でも、アズサに伝えたら面倒なことになりそうだ。
――窓の外には澄み渡った夜が広がっていて、秋の冷気が入りこんでくる気がした。
「考え中です。何かあったら先生づてに連絡しますよ」
私の態度に何も感じるところがないのか、アズサは短く頷いた。
○
知りたくなかったことを知ってしまったようで、とても体が重い。半ば足を引きずるようにしてアズサと部屋を出た。
「夜も遅いですから、気をつけて帰ってくださいね」
「それはカアナもだ。まだ怪我が完治していないんだろう? 少しなら送れるけど」
「こらこら、先輩に気を遣うものじゃありませんよ。私は大丈夫です。こう見えてけっこう強いですから」
両拳を腰骨に当ててぷりぷり怒った様子を見せた。アズサは力を抜いたように表情を崩す。
そうして足音が遠ざかっていくのを感じながら廊下を歩いていると、曲がり角の先からイチカが飛び出した。
私とイチカは足を止めて見つめ合う。イチカは激しく肩を上下させていた。ヘアピンの位置を直して、髪を耳にかけ直す様子は、密会前に身だしなみを整えるお姫様みたいだった。
ぎゅっと眉根を寄せたイチカは足音を聞き取ったのか、私の背後を見やる。
「誰と会ってたんすか?」
「……今は作戦行動の途中だと思ったんですけど」
「先生から、早めに切り上げてこの部屋に向かってほしいって頼まれたっす」
「えへへ……気を遣われちゃいましたね。誰にも見つからないと思っていました」
「誰と会ってたんすか」
「どうして知りたいんですか」
イチカは少し、秘密を知りたがりすぎる傾向にある。生きていれば秘密の一つや二つ、嘘の一つや二つあるだろうに、どうしてカーテン越しの景色に満足できないのだろう。
大切だから?
でも私は別に部屋の中に入りたいだなんて思わない。
ただ、今、一人でいるのが不安だからイチカにくっつきたいとは思っていた。
そこまで思って、ふと気づく。イチカに甘えることは、裏を返せばイチカに注がれることなのではないか。欲望と痛みの境界線が曖昧になって、ぐちゃぐちゃになって、心が塩酸に浸されたみたいにしゅわしゅわぱちぱちと溶け出る。
さんざん甘えて、今さら甘えることを躊躇して、私は何がしたいの?
胃が捩れて、私は急にえずいた。立っていることが困難だった。その場に座りこんだ。イチカとの甘い日々が重くのしかかってくる気がした。
ローファーの低い音が空っぽの心と胃に反響する。
「ちょっと! 大丈夫すか!」
気づきたくなかった。甘えることが注がれることだなんて。
肩をがっしり掴まれる。目の前には夜明け前の空が広がっていた。なんてきれいなんだろう。イチカの空のお月さまみたいになりたかったのに、月は地面に落っこちて大怪我をした。
「最近のカアナちょっと変っすよ!? いったいどうしちゃったんすか……? さっきのやつっすか! さっきのやつに何かされたんすね!?」
違う、違う。私が一人で無様に踊っているだけ。
駆け出そうとするイチカの手首をかろうじて掴んで、首を横に振る。
「違う……違います」
「じゃあなんすか! 何があったんすか! 私の知らないところで!」
前は質問されることを、重いと感じながらもどこか嬉しく思えていたのに、どうして今は鬱陶しささえ覚えてしまっているのだろう。
両親の話を聞いたせいで心が乱れたせいだと思いたい。私はイチカを嫌いになりたくない。
アズサが歩いていったほうをしきりに気にするイチカの片足に私は抱きついた。額を当てた太腿はとてもすべすべしている。安心するのに、その安心が不安を煽り立てる。
「お願いします。今は一緒にいてください」
また、今日も私は甘える。
甘えることでイチカの心を満たしたいなんて思いながら。
甘えることで愛情を注げるなんて欺瞞に目を背けながら。
そうやって心の空っぽに銀を詰めこんで。世間からすれば泥かもしれないけれど、私は銀に縋りたかった。
痛みに耐えて、痛みに耐えて、とうとう限界が訪れたのかもしれない。何かが決壊するとき、最初から液体がものすごい勢いで流れ出るわけではない。亀裂が入り、外壁の石材がぽろりと転がり落ちるだけだ。その一欠片みたいな言葉が滑り落ちた。
「好き。好きですイチカ。だから今は一緒にいてください」
あーあ。私は何か取り返しのつかないことをしちゃったのかもしれない。