ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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ミズタキのおやつ

「ミズタキのおやつぅ……ミズタキのおやつぅ……ミズタキのおやつぅ~!」

『呪詛聞こえるんすけど』

 

 ライフル弾を撃つたびにもれる嘆きは、天にも届きそうなほど高所までこだました。私が屋上にいたという理由が大きかった。哀歌は長い影とともに、地上にいる人たちへ暗い色を落とす。

 

 銃弾を受けたスケバンが一人、また一人とアスファルトに伸びていった。黒マスクが浮くほど生き残りが叫んでいるけれど、内容は聞こえない。スコープ越しに激しい剣幕が見えるのみだ。

 開けた場所で私を敵に回した時点ですでに標的は詰んでいた。散り散りに逃げ惑い、各個撃破されている。

 

「お前たちがおやつぅ~!」

『……私のインカムだけ壊れてないっすか?』

 

 通信越しに呆れたような声がした。かと思えば風を切る雑音が鼓膜を揺らす。

 連射音が響くと同時、マズルフラッシュを遠くの窓に目視できた。私は大まかな狙いをつけてからスコープを覗きこむ。

 

 スケバンは雑居ビルに逃げこんだらしい。しかしビルを閉鎖する前に正義実現委員会に突入されたらしく、奥へ奥へと追いやられていく。乱戦気味だ。

 

 窓の前に立った一人を素早く撃ち抜き、リロードの隙に口を開いた。緊張のせいで声はひどく乾いていた。

 

「ミズタキって肉食性なんです。だからしょっぴくときは何人か残しといてください」

『人食べるんすか』

「何回か丸呑みにされたことがあります」

『集中できないんすけど!』

 

 前中衛として様々なポジションに切りこんでいくイチカは息一つ切れていない。目立った外傷も見当たらない。

 後ろから撃っているだけの私の心臓は飛び出そうなほど早鐘を打っているのに、イチカは飄々と前線を押し上げた。マズルフラッシュが、洗練された動きが、遠くから見上げる花火みたいに心に響いた。

 

 やがて私のぼやきを遮るようにして、ため息混じりの『終わったっす』が聞こえた。夜空と草原がよく似合う、どこか気だるげで、しかし澄んだ声色だった。

 

 

 少し前、何事もなく警備を終えた私は、正門の近くでイチカと鉢合わせた。そして大通りで戦闘発生との知らせを受け取った。「用事があるので」と裏門に引き返した私の肩にがっしりと手を当て、イチカはレッドウィンターの人たちに雪さえ売りつけられそうな笑顔で同行を求めたのだった。

 鎮圧はやっと終わったらしい。

 

 

「ミズタキって誰なんすか」

 

 補給地点でライフルをしまおうと格闘する私に影が差す。

 あたりはすっかり暗くなり、影が遠近によって濃淡を変えていた。街灯のあたたかな光と街路樹に囲まれた広場は、テラリウムに閉じこめた祭りのように淑やかな活気にあふれており、早くなった呼吸が落ち着いていくのが分かった。

 

 片手で持ったスマホがあっちを照らしたりこっちを照らしたりして、見かねたらしいイチカが手を出した。

 

「スマホ持つっすよ」

 

 ひょいと手からスマホが抜かれ、白光が遠ざかり、一定の距離で黒のライフルケースが照らされる。クロアメを収めてから顔を上げた。

 

「えへへ……ありがとうございます。ちょっと手こずっちゃって」

「見えないなら誰かに頼んだらどうすか? きっと持ってくれるっすよ」

 

「そうですね~」なんて気安い調子で言いながら、改めて礼を言いつつスマホを受け取る。

 鮮明だった周囲の輪郭がライトをオフにした途端に朧気になる。顔や仕草を見られたくなかったから、闇に溶けられるのはありがたい。

 

 手探りでケースを背負った。布地と制服がこすれる感触があって、勢いのあまり左手首から金属音がした。

 

「誰よそのミズタキって女! って話でしたっけ?」

「今までのカアナの情報を整理すると、ミズタキはおやつを与えられる身分で、肉食で、人を丸呑みにして、女の人……ってことになるっすけどいいすか?」

「貞子と青鬼の血を引いた子どもみたいですね」

「どちらかというと化け物じゃないすかね……」

「ミズタキはそんな危険なものじゃありませんよ」

 

 私の声には暮れ合いの水気をすべて吸いこんだような切実な響きがあった。イチカに笑いかけ、表情が見えなくとも気持ちが伝わるように、大げさに首を傾げて髪を揺らす。

 

「飼い猫です。白くて気品にあふれる猫なんですよ」

 

 右手を差し出して甲を撫でた。ざらざらした数条は昨日つけられたばかりの愛の証だ。気がつくと頬が緩んでいて、私は首をぶんぶん振って取り繕った。暗くて見えづらいとは言え、周囲の人に今のような顔を見られたら一気に険悪になる気がした。

 祭りの後片付けを進めているような心地よい倦怠感に包まれた広場を、そんな雰囲気にしたくない。

 

「ところでなんですけど。イチカってさっきの戦闘でインカムを誰と繋げてたんですか?」

「……誰ってそりゃ、あなたとですけど」

 

 こいつは何を言っているのだろう。そんな不審を隠そうともしない声音だった。

 聞き方が悪かったと反省したあと、猫の話を掘り返される前にすぐに言葉を返す。

 

「なーんだ。てっきり一人の大絶叫を正実のみんなにも聞かせているのかと」

「やるわけないじゃないすか。ところでミズタキの写真とかって――」

「でもあれですよ。戦闘中に叫んだら位置バレしちゃう可能性が高くなりますし、他の人と通信を繋げていなくても声を聞かれて不審に思われちゃうかもしれないので、よくないですよ」

 

 人さし指をぴんと立てて、真面目くさった顔でイチカを見上げる。イチカは頬を掻いた。

 

「なんで私注意受けてんすかね……」

 

 私は口もとに手を当ててひとしきり笑ったあと、行きつけの大型ショッピングモールがある方角をちらりと見た。

 調べた感じだとこのあたりにもペットショップやドラッグストアがあるけれど、行きつけのほうが信頼できる。

 

 ミズタキのおやつを買おうとしたのに、なんでか知らないが戦闘に巻きこまれてしまった。

 

 急にあたりがしんと静まり返って、微妙な沈黙の幕が下りた。今が引き際だ。でも足が何かに縫い留められて、モンハンライズで鉄蟲糸(てっちゅうし)に結びつけられた飛竜種が飛んだあとなんとか着陸するように、振り上げた足が寸分違わぬ場所に落ちる。

 イチカは足もとに一瞥を向けた。

 

「そろそろ行くっすか? すみません、無理に引き止めるみたいにしちゃって」

「……そうします。ミズタキに怒られちゃいますし、もう一人、私にちゃんと帰ってこいって言う人がいるんですよ。まったく困っちゃいますね」

 

 照れ笑いを浮かべた直後、前から肩を食い破るような衝撃が走った。薄暗がりを切り裂いた発砲音で事実を確認する。狙撃銃の威力だ。

 後方に吹き飛ばされながらも、目まぐるしい速度で頭が回転した。

 

 ライフルケースを庇わなきゃ、鍵がアスファルトに当たったら絶対に変形する、などと思って、吹き飛ばされながら左半身を軸に半回転する。手もつかずに頬と胸とを強打した。遅れて腹を撃った。勢いを殺しきれずに少し擦った。

 重力に引かれた一五キロが降ってきて、肺の空気が全部抜けた。

 

 でも、なんとか全部守れた。情けなかったけれど不思議と頬が緩んだ。

 

「ちょっと! 大丈夫すか!」

 

 ローファーが低音を響かせてやってくる。

 声を出すことすらままならなくて、私は抜けた空気を取り戻すために浅い呼吸を繰り返した。手をついて立ち上がろうとするけれど力が入らなくて、再び前面を打つ。拳を握ることはできたのに、体を持ち上げることができない。

 

「だいじょうぶ……ですよ」

 

 擦った頬じゃなくて目頭が熱かった。肩じゃなくて心が痛かった。

 

 周囲のトリニティ生が反応しないことから、何が起こったのかは明白で。嘲笑が遠くから聞こえた気がした。

エスカレートするなら人目につかないところのほうがいいのに、お上品なトリニティの方々はそれすら考えつかないらしい。

 

 白くてかわいらしい膝頭がアスファルトについた。イチカを見上げ、なんとか笑う。

 

「笑ってる場合じゃないすから! ああもう、ほら、擦りむいてるじゃないすか……」

 

 頬を拭ってくれる優しい親指は、どの熱よりも心にじんと沁みた。「えへへ」と言ったら、イチカは「だから……」と眉をひそめる。

 

 そこでふと気づく。

 

 イチカの片手にはアサルトライフルがあった。イチカは一瞬だけ私から視線を外し、銃弾が飛んできたほうを見やる。

 

「ツルギ先輩やハスミ先輩がいないからって……」

 

 街灯の近くまで飛ばされたから、昆虫が獲物の隙を見定めるような無感動の瞳がよく分かった。

 イチカの瞳は、夜明け前の孤独に襲われる朝の、どこまでも澄んだ空の色だ。太陽が昇る前の太陽だ。

 

 だから、巻きこんじゃいけない、と思った。

 

 これ以上はトリニティ生が許している一線をきっと越えてしまう。

 助けちゃ駄目と言おうとして、でも胸が痛くて、心が弾んで、言えなかった。

 

「ミズタキのおやつ、買いに行かなきゃなので……えへへ」

 

 なんとか立ち上がってそう言うことができた。伸びてくるイチカの手を押しやって、自分の服をはたいた。

 まったくもう、ちゃんと話したのは今日が初めてだというのに、イチカはとても変な人だ。

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