ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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悪口と約束

 カアナは突出した射撃能力を有している反面、それを評価する機会に恵まれていない。加えて陰険な悪に対抗するすべを持たないので、標的になりやすかった。

 

 前に長く伸びた影を追うようにしてトリニティへの道を歩いている途中で、一緒だった子が不意に口を開いた。

 

「そういえばあのかわいそうな子、今度は鍵いかれたらしいよ」

「先輩に目つけられちゃったらね~」

「間違えて撃っちゃった~、だって」

「えーなにそれ~」

 

 かわいそうな子、目をつけられた子、いじめていい子。

 姫崎(きさき)カアナという名前を、イチカは他人の口から聞く機会が少ない。その虚しさを補うみたいにして自分が言っても、周囲は変わらなかった。

 

「じゃらじゃらじゃらじゃらって、うるさいよねあれ」

「もっと他にあるのにね~」

「学校に来ないとか?」

 

 夕暮れにぴったりの無邪気な笑い声が、イチカの鼓膜を叩いた。三人並んで歩いているのに心だけが遠くに離れた気がした。きっと地上から見る星みたいな距離で歩いている。

 

 他人事なのだろう。空を飛んでいる飛行機を指さして、飛行機だ、とこぼすのと何も変わらない。何も変わらないのに、イチカの腹には黒い淀みが生まれた。

 

 コンビニで買った棒アイスの冷たさと脳へ昇る血液が拮抗して、かろうじて平静を保っている。銃のグリップを握りしめる力を抜き、イチカは深呼吸を繰り返した。

 午後の熱を残した初夏の風がまとわりついてくる。イチカは汚れでも払うみたいに服を払った。

 

「昨日は何もなかったんだよね?」

「まぁもう私たちの目にほとんど映らなくなったしね~」

「どこ行ってるんだろうね、いつも」

「さぁ? でも見つかったら終わりそ~」

 

 デイリーミッションみたいなお気楽な報告を聞いて、何回歯を食いしばったか分からない。

 しかし自分が声を荒らげて正実から孤立すればカアナが気に病むだろう。助けるふりをして攻撃するようなまねはしたくない。

 

 だからこそ、救えない。他人もカアナも傷つけて、それでも助けたいのだと叫ぶ勇気が、イチカにはない。わがままになるには、少し世間に慣れすぎた。

 イチカを女子高生にしてくれている後天的な技術の数々が、重い鎧となって身動きを封じている。

 

 ゆっくり食べ進めたせいで溶けてしまったアイスが棒を伝って手に触れた。手を滑り落ちて、滴って、ローファーで跳ねる。アイスのべとべとは洗えば取れるけれど、世の中には洗ったって消えない傷もあるのになと詮ないことを考えた。

 

 

 トリニティ総合学園の正門をくぐって、正義実現委員会の一団と合流する。カアナはどの端にいるだろうときょろきょろするのがすっかり日課となっていた。

 カアナはスマホのライトもつけずにしゃがんで、工具でライフルケースを叩いているように見えた。

 

 まさか、ライフルケースもいかれたのか。

 

 かん、かん、かんと音を立てていることを謝罪するような小さな打撃音が近づくに連れて大きくなる。怒りと焦燥に飲まれて駆け寄っても、カアナは顔を上げない。

 

「何やってるんすか」と声をかけてやっと目が合った。カアナの瞳は満月が二つ並んでいるみたいにきれいだ。それがついと横に流れる。

 

「ちょっと鍵をなくしてしまいまして……ライフルケース開かなくなっちゃったんですよ。それで南京錠を壊す必要があって。どこかに置いたんですかね、私」

 

 あぁ、嘘なんてつかなくてもいいのに。

 胸が締めつけられた。でも触れてほしくなさそうだったから、「今度からは全部に名前書いたらどうすか?」と茶化した。

 

「私開けるんでいいっすよ」

 

 イチカは銃を構える。チャックまで壊さないように慎重に南京錠を狙っていると、スマホのライトが注がれた。

 

 人に向けて撃つとき、痛みを想像することがある。無機物に撃ったはずの今日のほうが心臓が痛んだ。発砲音はしばらく経っても耳に残っていた。

 

 

 カアナは工具と壊れた南京錠を手にして「これを返して、これは燃えないゴミに捨ててきますね」と交互に手を掲げる。当たり前のようにライフルケースを担いで行ったから、自分はまだ信用されていないのか、とイチカは取り残されたような気分になった。

 

「備品の銃を使えばよかったのに、何やってるんすかね」

 

 心の声がもれてしまい、イチカは慌てて周囲を見た。影の色が濃くなったトリニティの噴水前には、話に花を咲かせる人たちしかいない。カアナだけが一人だったようだ。

 

 イチカは思わずため息をついた。なぜ誰も声をかけないのか、なぜカアナは助けを求めないのか。

 握りしめた拳が行き場を失う。力をどうにかして影に逃がした。

 

 カアナはすべてを自分で解決しようとする。

 頼られない悔しさ、信用を得られない情けなさ、頑固者へのわずかな怒り。

 怪獣みたいに大きな影は感情を映したようだった。

 

 手入れの施されたレッドドラゴンが、夕陽を照り返して光っていた。

 

 

 戻ってきたカアナのリュックにはいまだにたくさんの南京錠がついていた。イチカはリュックを顎でしゃくる。

 

「それもついでなんで壊すっすよ」

「えっいやいいですよ。おかげでライフル使えるようになりましたし、あとから家でやります」

「二人でやったほうが早いっすよ? カアナのそれ、ボルトアクションじゃないすか。いちいち手間っす」

 

 カアナは視線をさまよわせたあと、ぺこりと頭を下げた。

 受け取った小さなリュックを丁寧に石畳において、イチカは銃を下に向ける。そこで気づいた。

 

「あの、カアナ。つかぬことを聞くっすけど、あなたこれ、どうやって撃とうとしてたんすか……?」

 

 カアナのライフルは全長一メートル三○センチほどある。リコイルの制御や姿勢の都合で、下に構えて撃つことは難しいだろう。

 カアナは固まって考えたあと、はっとした様子を見せた。

 

「あ、あれですよ! ハンマーとかで叩き壊したりしようかなって!」

 

 結局イチカが全てを撃った。カアナは落ち着かな気に立ったりしゃがんだり、いそいそとライフルを取り出してイチカに止められたりした。最終的にリュックを押さえる職に就いた。

 戦闘と比べて消費したものは少ないのに、イチカは消耗が大きかった気がした。

 

 

 なんとなくカアナの声が聞きたくて、その日の晩、イチカはいきなり通話をかけた。

 遠くから自分の名前を元気に呼んでくれそうな田舎の妹分みたいな声が恋しい。頭の中の彼女はぶんぶんと手を振ってくれていた。

 

 リビングに響くコール音を聞いて無性に気恥ずかしくなり、寝室からクッションをひったくって抱きかかえる。ソファの上で三角座りをしてクッションごと膝を抱きかかえるなんてまるで乙女だ。イチカは自分に呆れてしまった。

 

『はいはーい。どうしたんですか?』

「いえ、あ~……その、なんて言えばいいんすかね。声が聞きたくなったというか」

 

 最初は変にくぐもった声になってしまった。

 いつも求められてばかりだったから、自分の欲求に従うのが難しい。勢いよく行動してあとから恥ずかしくなる感じのやつが今まさに起こっている。

 いきなり通話をかけてしまうなんて。のぼせたみたいに頬から熱が出ていた。

 

 たとえば人が足りないからとか、敵の増援が来たからとか。理由があっての頼み事はできるけれど、話したいから話したいと伝えるのが難しくて。いつも誰かから来てくれる分、こうして自分から行くことのハードルがどんどん上がっていた。

 

 しどろもどろな挨拶を聞いたカアナは『なんですかそれー』と楽しそうな声を上げる。

 

『用事とかではないんですか?』

「……まぁ、はい。忙しかったっすか……?」

 

 声が尻すぼみになる。物音のない部屋だからこそイチカは自分の声が聞こえたが、通話先からは何やらかちゃかちゃと音が聞こえている。もしかしたら最後のあたりは聞こえていないかもしれない。

 そんなイチカの希望は『暇でしたよ~』という間延びした声に蹴っ飛ばされた。

 

『最近課題少ないじゃないですか。だからその分だけ遊ぶ時間があってですね……あーもーどうしたのミズタキ。ねぇどうしたの? いま私ゲームしてるから、撫でるならあとでね? ねーちょっとテオだから! テオだから! お願い腕に乗んないで! 死んじゃう! 死んじゃうぅ!』

 

 そのあとも『ねぇ、ねー、ねえ!』と叫び続けたカアナは断末魔を最後に、しゅんとした声で『乙りました』と言った。そしてかちゃかちゃ音がやんだ。

 

『も~、ミズタキのせいだよ? なぁに、撫でてほしいの? 抱きしめてあげよっか? ほらぎゅ~って、ね?』

 

 親愛のこもった声だった。本来喜ぶべきところなのだろう、とイチカは思う。親愛のこもった声を聞かせてもらえるのは、それだけ近い場所にいることの証だから。

 でも、どうしても、羨ましいという気持ちが先行してしまった。擦りむいた場所に優しく絆創膏を貼るように、そっとクッションを抱く。

 

 歪な形に凹んだクッションが心そのものだった。

 

 猫に何を――とも思う。一方で、自分の好きな人が、穏やかな声と顔で好きな相手のことを話していたら胸が締めつけられるだろう、とも思う。

 いや、好きな人と決まったわけではないけど。気にかかっている人なのは間違いないけど!

 

『えへへ……すみません。ちょっとミズタキが『だぁれその人?』って言ってて。ね~?』

「あの、その声で私のことも呼んでくださいよ」

 

 思考のぐるぐるバットが行き着いた先はとんでもない発言だった。イチカは取り返しのつかないことをしたとばかりに大口を開けてスマホを見つめる。

 スマホは無音を返した。

 

 やがて探るような声が静寂を割った。

 

『……今日のイチカ、ちょっと変ですか?』

 

 今さら引いたところで隠しきれない。諦めて、後悔して、期待した。ヤケクソだった。

 

「それならいつも通りじゃないお願いも許してもらえるっすか?」

『ふふ。今日のところは私の負けかもしれません』

 

 カアナは何度か咳払いをして喉の調子を整え、恥ずかしさを紛らわせるみたいにして『あ~』と口を開く。

『よし』と通話越しにほほえんでくれたのが雰囲気で分かった。

 

『もう、どうしたんですか、イチカ』

 

 春の木漏れ日みたいな、触れただけでほんの少しだけ上を向くことを許してもらえそうな声だ。イチカは耳をくすぐられたような気がして、肩で耳をこすった。

 

『何か嫌なことでもありました?』

「へへ……そんな感じっす」

『そんな日もありますよね』

「あるっす。でももう元気になったっす」

『えっ、はや』

 

 素のエッジが聞こえた。イチカは口に手を当ててくすくす笑った。

 

「優しい声を聞けたっすから」

『これでイチカが元気になってくれるならお安い御用ですよ。なんなら頭も撫でてあげましょうか?』

「お、言ったっすね?」

『はいバリア~。ききませーん』

「そこは言ってませーんって言いましょうよ……」

『あれ私言う相手いなかったので一人でやってたんですよね』

「しれっと悲しすぎる暴露話!」

 

 カアナはときおりミズタキに甘い声を上げたが、大体はイチカとのんびり話していた。雑談を続けているうちに話題がなくなって、イチカはふと気になったことを尋ねた。

 

「そういえば通話の最初何やってたんすか? てお、とか言ってましたけど」

『あぁ、あれはですね――』

 

 穏やかな夜だった。あの星はベガ、あの星はアルタイル、みたいに指さしをするみたいに、星空を見上げながら二人きりでいるみたいに、イチカの心の中に、二人だけしか入られない不思議な空間が生まれていた。

 小さな指の約束とお休みの挨拶を交わしてイチカは眠りについた。プレゼントを開ける前のような気分でも、ちゃんと寝付くことができた。

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