ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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つけ狙うもの

「あなたですか? さっきから私を狙ってるの」

 

 愛らしい声は暗闇から聞こえた。

 足音一つ立てなかったのになぜ、とシーンは歯噛みする。アサルトライフルのグリップを握る手に力がこもった。意識を研ぎ澄ませると、わずかだが金属のぶつかる音が聞こえる気がした。

 

 やがて姫崎(きさき)カアナは物陰からひょこっと顔を出した。そのまま緩慢な歩調でシーンの前まで歩いてくる。

 

「もう、よくありませんよ。そういうの!」

 

 愛らしい声だ。カアナはぷんぷんと腰に両拳を当てて仁王立ちした。

 かと思えば口もとに手をやって固まる。

 

「あ、その制服……」

 

 カアナの身長ほどもあるライフルケースの黒の奥に、さらなる墨が広がっている。

 かわいらしい仕草と顔立ち、雰囲気が夜から隔絶していた。しかし服装は憎きトリニティの正義実現委員会のものであり、短く切られた髪は黒色で、満月が浮いているような両目が夜を彷彿とさせる。

 

 ミスマッチさがシーンの恐怖を煽った。

 まったく、今日はついていない。こんなに強そうなやつだなんて聞いていない。あぁ、最悪だ――胸の中でぼやいて空を仰ぐ。狭い視界には満天の星空が映っている。顔を戻すとカアナはきょとんとしていた。

 

「え、無視ですか? それとも聞こえてない? おーい!」

 

 ガスマスク越しの視界いっぱいを、まるで振り子を上下逆さまにしたみたいに、カアナは左右に揺れ動いた。

 

「――ッ」

 

 シーンが銃口をほんの少し動かしただけで、カアナは表情を険しくした。腰を落とし、いつでも走れるように構えている。

 シーンが銃口を下ろすと険しさは一瞬にして霧散した。和やかな雰囲気が、逆に怖い。

 

 この少女を手にかけなければ、自分は罰を受けてしまう。そして自分と異なり魔の手を逃れた羊を許すつもりはない。羊が焼かれる声は聞いていて心地がいい。

 欲望と私怨がまざりあった。いずれにせよ仕留めなければ。

 

 シーンはグリップを握り直した。だが、できれば一対一で戦いたくはない。返り討ちにあう可能性もあるからだ。

 

「本当に聞こえてないんですか? そうだ、香水つけて踊ってあげましょうか? そうすれば耳か目か鼻かのいずれかで私を感じ取れるはずです!」

 

 シーンは上着のポケットをまさぐってスマホを取り出した。援軍は期待できないが、人違いの可能性もある。

 保存された写真と照合し、シーンは一人頷く。最悪だ、と心の内側で叫びながら。

 

「分かりました、じゃあ香水取ってきますね――っていやいやいやいや! 頷いてるなら見えてるじゃないですか!」

 

 通話先から聞こえてきたら嬉しくなってしまうほど愉快な声だった。

 シーンはガスマスクの位置を調整し、視界を保つ。フードを被っているせいで変に音がくぐもって聞こえるが、過酷な訓練のせいで慣れてしまった。

 私だって実力者だ――ふうと深呼吸をしたシーンは一瞬で銃口を標的に向けた。マズルフラッシュが夜を彩った。

 

「――いッ! なんで!?」

 

 銃撃されたと同時、カアナは身を翻して物陰に退避した。先手を打った分だけ戦局はシーンに傾いた。

 腿裏に何発か被弾したカアナは、スナイパーライフルの射程まで振り切ることが難しくなったのだ。シーンはほくそ笑んだ。

 

 警戒の鈴のようにけたたましい金属音が、徐々に遠ざかっていく。

 

 自分だけ見逃されるとは思うなよ。魔の手を逃れた人間には天罰がくだされるのだ。我々が代理としてくだすのだ。

 ガスマスクの裏で獰猛な笑みが浮かぶ。余裕のせいで遅れた走り出しは、積もり積もった怨嗟でギアを上げていく。

 

 

 シーンはカアナに追いつけずにいた。標的がどでかいライフルケースを担いでいるとは思えないほど、足を怪我しているとは思えないほど、速いのだ。

 徐々に荒くなる息が腹立たしい。先読みしてもことごとく外れる。時間がないというのに、戦果を上げられないまま時間だけが過ぎ去っていく。

 

「くそっ……!」

 

 直線はカアナが速い。曲がり角を曲がるときはシーンが速い。足の怪我のせいでカアナは思うように止まれないらしかった。

 どうして余裕ぶって最初に歩いたんだ、とシーンは自分を怒鳴りたかった。

 

 身体能力は折り紙つきと聞いていたが、調査は間違っていたらしい。折り紙つきなんてものじゃない。

 いつだってシーンの運は悪い。だが運が悪いながらも、優秀な生徒として育てられてきた。戦果を上げてきた。

 その自分が、追いつけない。

 

 積み上げた自信が揺らぐ。嘘であってほしいと心が叫ぶ。自分で自分の能力を疑ってしまい、それが苛立ちに変わる。周囲の暗闇を心に取りこんだような心地がした。

 金属の音が聞こえるおかげで標的を見失わずにいられることだけが救いだった。

 

『こちらクランク。進捗は?』

「見て……の、通りだよ! くそ、今追ってる!」

 

 リーダーからの通信にシーンは息を弾ませながら答えた。クランクは『そうか』と言っただけだった。長い付き合いだ。これだけで状況を察しているのだろう。

 

『いつものことだな』

「今日は運の悪さじゃない!」

『ほう? では自己責任だな。成果を頼むぞ』

 

 条件反射でぶつけた苛立ちが倍の威力で返ってくる。一方的に通信が切られ、シーンは力任せに近くの壁を叩いた。足が止まり、思考も回転を落とした。

 

 見失っていないおかげでいずれは殺害か拉致をできるだろうが、タイムリミットが迫っている。別部隊が百合園セイアの襲撃を終えるまでに、自分たちはアリウスに戻らなければならない。

 もしもベアトリーチェや教官から身勝手を観測されれば懲罰は免れないだろう。

 

 明日へと続く道は任務の成功しかないのだ。

 

 シーンは周辺一帯の地理を覚えていた。だからもう一度、カアナの行き先を読んで先回りすることを決めた。シーンは運が悪いが、今日も夜にトランプの約束をしていた。

 

 

「――わっ!」

 

 誰かが曲がり角から急に飛び出してきて、シーンとぶつかった。走る勢いを殺しきれず、また視界の悪さも相まって、シーンは体勢を崩してアスファルトに転がった。

 体に走った衝撃が熱に変わる。心に呼応してかっと燃え広がった。

 

「気をつけてくれ!」

「うわわ、申しわけないっす。大丈夫すか?」

 

 思いのほか穏やかな声だった。澄んだ夜空からこだましてきそうな声だ。クランクのように自然な動作で手を差し出され、シーンは思わずその手を取っていた。

 

「よっ」と軽い掛け声に合わせて体が一気に軽くなる。自分だけが一方的に当たり散らかしたあげく手を貸してもらう居心地の悪さに、シーンは礼を言う契機を失った。俯いたまま銃に破損がないかを点検する。

 

「すみません、私のほうもちょっと立て込んでて気づかなかったっす。怪我はないっすか?」

「あぁ、まぁ……」

 

 顔を上げて視界に入ったのは仇の色。表情も感情も消え失せた。

 

 いいやつだと思ったのに、ついてない。

 当の相手は「それならよかったっす!」と笑顔で言っている。その笑顔の裏にどれだけの屍が重なっているのか理解できていないような、脳天気な笑顔だ。ぐちゃぐちゃにしてやりたくなった。

 

 一瞬の幸福が積年の憎悪に勝るなどありえない。

 

「ちゃらんちゃらんって金属の音がどこかから聞こえてたと思うんすけど、どっち行ったかとか、心当たりはないっすか? ちょっと人探ししてて」

 

 羊を手に掛けるときですらベアトリーチェに見つかる危険がある。余計な煙は立たせたくない。

 だが、銃創程度であれば、警備しているときの負傷と判断されるだろうか。ちょうど戦闘が発生しそうな場所もあることだし。

 

「さっきから連絡が取れなくて――おっ、やるっすか?」

 

 シーンがカアナを追っている以上、このトリニティ生がどちらの味方をするかは明らかだ。

 揺らいだ自信が軽率な判断を助長させた。まっすぐにカアナを追えばいいところを、余計な敵を作ったのだ。そしてその敵は、またしてもシーンの変化を見逃さない強さをしていた。

 

 

「はは、思ったよりも……って感じっすね」

 

 勝負とは名ばかりの蹂躙だった。一度攻撃を食らったことでバランスを崩したシーンは立て続けに銃撃され、立つこともままならなくなった。

 眠りについた街は邪魔者がいないけれど、同時に応援も望めない。

 

 どうにか屋内に逃げ込んだはいいものの、あっという間に追いつかれる。銃を壁際に蹴られ、シーンはなんの得物も持たずに、瓦礫を背に肩で息をしていた。尻をつけた地面がいやに冷たい。

 

「それで」

 

 屈んだイチカと目が合った。宝石よりもきれいな瞳は、昆虫みたいに無感動だった。

 

「おそらくですけど、何か知ってるからこんなことしたんすよね? まぁただ喧嘩売ってきただけでもなんでもいいっすけど。情報吐いてもらってもいいすか? 急いでるんで」

 

 拒否など許されない。耳をくすぐる穏やかな声に、シーンは身が竦む思いをした。

 怖い。だが、怖いだけだ。シーンの心の火はまだ燃えていた。

 

 ガスマスクを無理やり外される。イチカは興味なげに表裏を確認し、床にそっと置いた。

 

 奥歯を噛んで、力の限りイチカを睨んだ。

 イチカはため息をついて視線を流した。

 

「これ以上――痛い思いはしたくないっすよね?」

 

 痛いことには慣れているけれど、嫌いだ。

 シーンが一瞬だけ怯んだのをイチカは見逃さなかった。

 すべて見透かされていることが悔しさを余計に煽った。

 

 片足と脇腹の傷がひどく、走っての逃走は困難。スモークグレネードを持っているとはいえ、そんな行動を許してくれる相手には見えない。距離を取っての仕切り直しも不可能だろう。

 周囲を探っても、手の届く範囲には使えるものがない。

 

「抵抗するんすか? こっちはもうちょっとやってもいいっすけど」

 

 視線の動きに勘づかれ、銃口を向けられた。精いっぱい睨み返したって、なんにもどうにもなりっこない。

 息をするだけ肺が淀んでいきそうな重たい沈黙が続いた。

 

 

 陽気なメロディーが沈黙を破った。アリウスでは絶対に許されないであろうメロディだ。生きている道の差を、シーンは痛烈に叩きつけられた気がした。グリップをしっかり握ろうとして、シーンの手は拳を作った。銃は遠い。

 

 イチカは銃口をシーンに向けたまま、機嫌のよさそうな声で応じる。イチカの隙をつこうと身じろぎするだけで銃口が近づいたので、シーンは諦めて座り続けた。

 

 スマホを耳から離したイチカはそのままスマホの操作を続ける。人工的な青白い光が、硬質な屋内を照らし出す。

 

「運がよかったっすね。私ちょっと呼び出し食らったんで」

 

 スマホの明かりが消えた瞬間、頼りない月光のみが光源となった。

 どこがだ、と天井を見ると、後頭部を瓦礫にごちんとぶつけた。遠ざかるローファーの音が聞こえなくなるまで、シーンは動くことができなかった。

 

 

「何か銃の音が聞こえたなーと思ったんですけど、やっぱりあなたでしたか。怪我してるんですか?」

 

 足音を忍ばせて、カアナが通路の先からひょこりと顔を覗かせる。イチカが去って少ししてからのことだった。

 

「――!」

 

 シーンの全身がこわばる。瓦礫に預けていた上体を起こし、四つん這いで銃のもとへ向かう。

 

 カアナは邪魔せず黙っていた。

 シーンはアサルトライフルを手に取り、照準を合わせた。

 

「私に敵意はありませんって」

 

 確かについている。こんなについている日は生まれて初めてだ。シーンの顔に歪んだ笑みが浮かぶ。

 指先に力を込め、引き金をひいた。

 

 しかし、弾丸は出ない。マガジンが空だったようだ。おぼつかない手つきでボックスマガジンを交換する様子を、カアナは呆れたような、憐れんだような目で眺めた。

 

「怪我してるんでしょう? 病院まで連れていきますって」

「……いらない」

「正規の病院が使えないのなら、闇医者でもなんでも探しますよ。わけありなんでしょ? 救護騎士団の厄介にもなれない出自なんですよね?」

 

 カアナの親切そうな様子が余計にシーンの神経を逆なでした。

 許せない。自分が与える側だと思っているところが特に気に食わない。何も違わないのに、過去も今も未来もお金も幸せも違う。何もかも違う。確約された幸福と未来を踏みにじってやりたかった。かつて自分がそうされたように。

 

 シーンは血走った目でカアナを見上げた。奥歯を噛んで砕いてしまいたかった。正しい銃の構え方など関係なく、片手でアサルトライフルを持つ。

 

「私はあんたたちと同じ出自だ。ふざけるな。羊が何を言う……!」

「いきなり羊とか言われても困っちゃいますって。それ何番目の人格ですか――えっちょっ」

 

 シーンが発砲する。カアナは弾丸が体に着弾した衝撃を活かして身を翻し、すぐさま物陰に隠れた。

 頭を狙ったもののリコイルの制御がうまくいかず、至近距離だというのに外れてしまう。弾丸はカアナの肩に当たっていた。

 

『何をしている! 時間だ! すぐに戻れ!』

「標的が目の前にいる!」

『庇いきれなくなる! いいからさっさと戻れ!』

 

 クランクから鋭い命令が届く。

 シーンは迷惑をかけたくなかった。射線を遮ったままのカアナを目と銃口で牽制し続け、ガスマスクを回収し、屋内から出る。シーンはクランクと合流するまで、カアナのいたほうを何度も振り返って歯を食いしばった。

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