ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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トリニティモンハン同好会

「こら、ミズタキ! ルイも駄目!」

 

 喧嘩を始めた白猫とロボットに向かってカアナは鋭く叫ぶ。

 東の空に夜が昇り始めた、夕食時のことだった。

 

 かちゃんとスプーンが音を立てる。席を立ったカアナは向かい合う両者の間にチョップを入れて仲裁した。

 

 カアナはルイのことを、家事を手伝ってくれるロボットだと説明した。9mmパラベラム弾をグレーにしてキャタピラをつけたような、カアナの腰ほどのロボットだった。キャタピラは変形するらしく、今はケーブルみたいに細い足で立って洗い物を再開した。

 

 カアナはしゃがんで、新雪みたいな毛を逆立てるミズタキと視線を合わせる。

 

「も~さっきおやつ食べたでしょ? ご飯少ないからってルイに当たらないの! いい? 太っちゃうよ?」

 

「ね?」という優しい声には、カアナがときおり見せる頑固さが滲み出ていて、それを察したらしいミズタキはしばらくカアナを見たあと、ついと反転した。

 

「母さんの部屋? 分かった、わかったから」

 

 白猫に先導されて黒い靴下がフローリングを踏む。規則的で静かな足音だった。

 

 カアナの家は、玄関で靴を脱いですぐリビングが広がっていて、扉などの仕切りがなしでキッチンやダイニングと繋がっていた。

 

 そしてイチカは午後からカアナの家にいたけれど、それだけでも四回は両者の喧嘩を見ていた。カアナいわく今日は多いらしい。彼女はその度に仲裁をした。

 

「適当なところで開けるから、出てきてね?」

 

 いちいち下を見ながら話しかけ、カアナは母親の寝室を開けた。ミズタキが父親の寝室前に立ったときでさえ、母親の寝室を開けた。

 規則的な足音が今度はルイの背中で止まる。

 

「ルイもいい? 餌を少なくしすぎちゃうと私がまたおやつあげちゃうから、もうちょっと分量を調節して。私に聞くとかでもいいから」

 

『かしこまりました』という気のない満足気に頷き、カアナは椅子に戻る。

 

「それで弾薬の話なんですけど」

 

 セイア襲撃で使われた弾薬を調べてくれとイチカは頼まれていた。

 襲撃から二日しか経っておらず、ほとんど現場検証がされていないが、続きの情報が出てくるとは思えない。二枚目の途中でインクは止まっていた。

 

 スプーンを動かしながら、カアナは真剣に紙を見つめる。

 

「NATO弾っていうの、本当だと思います?」

「おそらくまじっすよ。委員長に頼みこんで借りたものなんで。ティーパーティーも目にしてるでしょうし、嘘が入りこむ余地はないっす」

「じゃあ強装弾だったとか、ハンドロードで装薬の量が異常だったとか」

「銃への負担が大きいので考えづらいっすね。それに飛び散る火薬の量とかも変わってくるんじゃないすか?」

「むむぅ……」

 

 セイアを襲った犯人はNATO弾を使用して、カアナや数名の正義実現委員会を襲った犯人はおそらくタングステン弾を使用している。

 

 犯人は別人か。

 

 別人だとして、誰に襲われたのか両方とも分からないままだ。カアナの他に負傷した生徒はいないので、後者の使用した弾薬についても謎のまま。弾頭はきれいに片付けられて見当たらなかった。

 そして今はセイア襲撃の調査を優先しなければならない。

 

 しばらく唸り続けたカアナは「無理ですよぉ」と、そっと紙を伏せた。

 

 カアナなら何か分かるかもしれないと進展を期待したイチカは、徒労に終わってしまいため息をつく。スプーンに乗ったあたたかなカレーのにおいが息に運ばれた。

 

「リスキーなんすよ。秘匿されるであろう書類を借りるのって」

「それは分かってますよ。ありがとうございます。事件を紐解くキーになればいいと思って。……イチカってほら、普段は開いてないところの鍵を取ってくるの得意ですから大丈夫ですよ」

「話そらすな!」

 

 何が大丈夫なのか不明だけれど、カアナの気分が晴れたのならいいか、とイチカは思い直す。

 カアナは襲撃を受けてから難しい顔で何かを考えることが増えたし、今日出かけたときだって気も漫ろで、いろいろな生徒を眺めているように見えた。

 イチカは自分に何もできないことをもどかしく思いながら心配していた。

 

「ひとまず保留ですかねー」と間延びした声でカアナは言う。

 

 イチカは報告書ついでに思い出したことを口にした。

 

「私からの報告書は出したんで、あとはうまく口裏合わせてください」

「怪我のやつですか?」

「そうっす。あとからカアナも何か聞かれるかもしれないんで」

 

 ご飯を食べながら報告書の内容を確認する。

 

 イチカが先に食べ終わり、ルイに皿を手渡した。立ったついでにカアナに近づき、カットソーの肩、自分が手当てした場所に手を当てた。

 カアナは首をさらけ出したあと、ためらうように視線をさまよわせ、最終的に服を寄せて鎖骨まで見せた。

 

「……大丈夫そうっすね」

「おかげさまで。なんともありません」

 

 イチカは口を開きかけ、閉じる。心のもやもやが小さなため息としてもれた。

 種々雑多な猫用品にあふれるこの空間は穏やかな色調でまとまっていた。観葉植物が置かれていてもおかしくはない部屋だ。

 

 あてもなく周囲を見回したイチカは観念してもう一度息を吐いて、先ほどまで自分が座っていたカアナの対面に戻る。

 

「襲われた当時の状況を聞いてもいいっすか? 報告書のほうはごまかすでもいいんで」

「逃げたんですよ。それでまずは腿裏を」

 

 イチカはカアナの視線の動きを注視した。

 彼女は不思議そうに首を傾げたあと、一瞬だけ視線をルイに向ける。さながらロボットが発する音に気を払うように。水を流し続ける灰色の後ろ姿は、光を鈍く反射した。

 

「それで、袋小路に行っちゃって。戦わないとなって思ったんですけど、震えて鍵穴にうまく鍵が刺さらなくて一発もらいました」

「そのあとはどうしたんすか?」

「……、一発当てたんですけど見失いました。何か通信が入ったみたいで、相手が引き返したんです」

 

 カアナはいやにゆっくりと食事を再開した。イチカからはその様子が、今しがたの自分の話を吟味しているようにも、食事中だから話はあとにしてくれと言っているようにも見えた。

 

「そうっすか」と返答して、イチカは勉強道具を広げる。

 Switchやモニターを買ってイチカのマンションで配線を整えたあと、昼食を取り、そして提出期限の迫った課題をするためにカアナ宅に来たのだった。

 

 シャーペンを走らせる音とスプーンが皿に当たる音がまじった。

 イチカには嘘をついていることまでは分かっても、その先が分からない。課題を真剣に考えるように見せかけて、脳内は真実を考え続けた。

 

 白紙が埋まっていくプリントとは対照的に、カアナの魂胆は読み取れず、黒い塊が渦を巻いて思考を乱す。

 

 イチカは不意に手を止めて「カアナ」と呼んだ。いつの間にか課題を進めていた彼女と目が合う。

 

「ひとまず最初は、狙撃ポイントに移動中、所属不明の敵と遭遇。射程管理のために逃走とかって書いたほうがいいっす。いきなり逃げて撃たれたはあれなんで。作り話は真実を程々にまぜるのが肝っすから。私も手伝うんで今日中にやっちゃいましょう」

 

 イチカの声は暗かった。カアナは不器用に笑って「ごめんなさい」と謝った。本当に悪いことをした自覚があるような声で、じゃあなんでそれでも嘘をつき続けるのだ、とイチカの腹にいらだちが溜まった。心にべっとりと付着した汚れを洗い流したかった。

 蛇口から流れ続ける水の音と、スポンジと洗い物がこすれるやわらかな音がリビングに響く。

 

 これ以上は問いただせない。人の心を根本まで知ろうとすることは、一緒に並んで歩いているのを突き飛ばす行為だから。

 

 毛羽立った翼を見たカアナが息を呑んだ。今度はイチカが謝る番になった。

 

 

 やることをすべて終えると、八時だった。墨に金平糖を浮かべたような空が窓の向こうに広がっていた。

 二人で一緒に家の窓を閉めて回って、ダイニングに戻る。

 

「せっかくですし、少しお話しましょうよ」

 

 イチカはソファに胡座をかいた。

「いいですけど、何話すんです?」カアナは意外そうに目を丸めて、イチカの膝頭にぶつからないくらいのとなりに座る。

 

「その前にここ座ってほしいっす」

 

 イチカは胡座の隙間に手をぽんと置いた。

「え」と言ってカアナは顔を引きつらせ、固まった。

 

 

 二人は夕食前、ローテーブルで勉強していた。カアナがラグの上に躊躇せず胡座をかいたことを、イチカはとても意外に思った。するとイチカが座る前にミズタキがやってきて、カアナの足に収まった。日常の自然さと速度感だった。

 自分も味わってみたい、という思いが芽を出して、しかしそれは、カアナに「勉強やらないんですか?」と声をかけられたせいで成長し切ることはなかった。

 それが今やっと花を咲かせたのだ。どんな色をしているのかは、意図的に目を背けて見ないふりした。

 

 

 ぎゅうっと抱きしめると、春らしい陽だまりのようなあたたかさの中に獣臭がまじっていることに気づく。

 イチカに抱きしめられたカアナは背筋を伸ばして身動ぎする。しかし体の前でイチカの腕が結ばれているのでどうにも動くことができない。とどめとばかりにミズタキがカアナの太ももに乗ったので、カアナは抵抗を諦めた。

 

「なんか今日、一日中ずっと一緒にいたのにちゃんと話したのは今、みたいな気がするっす」

「買い物のときは店員さんを挟んで話してましたし、そのあとは勉強とか業務用の会話ばっかりでしたもんね」

「そうっす! 寂しかったんすよ!」

「えぇ……? そんなに求められても、困っちゃいますよ、私」

 

 やけに実感のこもった声に、心の空っぽが煽られた気がした。ふわふわ漂うシャボン玉を潰さないよう手で包みこむみたいにして、細い体を抱きしめた。

 火の揺らめきが伝わってくる。自分の心までぽかぽかしてくる。目をつむると眠ってしまいそうだ。

 

 イチカはカアナの怪我してないほうの肩に頭を預けた。とん、とん、と静かにカアナを叩く。

 

「収まったっすか? あれから」

「収まった?」

「ほら。あれ」

「あぁ、あれですか」

 

 喉の奥で鳴くような「ん~」が空気を震わせる。

 

「減った……と思いますよ? その代わり、なんだか今までと違う感じで指さされることがありますけど」

「ならよかったっす」

「一体何を流したんですか?」

「ん~? 聞きたいっすか?」

 

 イチカはにんまり笑った。ぎゅ、と一瞬だけカアナを抱く力を強める。それから溜めを作って「秘密っす」と言った。

「隠されるだろうとは思っていましたよもー」と呆れたような、親愛がこもっているような、ちょっぴりだけぶっきらぼうな声が心地いい。

 

 秒針が止まったこの時間が永遠に続けばいいと思ったけれど、デジタルのあふれたダイニングは秒針が止まっているくせに、永遠が訪れてくれない。

 

 別れを惜しむ気持ちがどんどん大きくなっていって、もうこれ以上一緒にいたら帰れなくなっちゃうな、というときにカアナが口を開いた。

 離れないでと言うように、カアナはイチカの腕を掴んでいた。

 

「人に抱きしめられるのって、こんなに安心するんですね」

 

「うん」と頷くと、ぐすっと一度水の音がした。

 

「私の父さんと母さん、どこかに行っちゃって。叔父さんも私のことを気味悪がって。どうして家族がいなくなったのにそんな能天気なんだ、って言って、ルイを残して外に行っちゃったんです。外の技術者だから、忙しいのもあったんだろうなぁ」

 

 想いの雫をわざわざ覗きこみたいとは思えなくて、イチカはふいと目を移す。

 

 Switchのドッグに繋がれた大型テレビの近くに、小さなぬいぐるみが置かれていた。二頭身ほどのデフォルメされた人形だ。

 おそらく女の人が二人と、男の人が一人。複数の色が使い分けられていて精巧な刺繍が施されている。三人を挟むように、白いもじゃもじゃとグレーのもじゃもじゃが置かれていた。

 

 あぁ、そういうことか、とイチカは思った。言葉よりも、涙よりも、胸が深く切り裂かれて、鮮烈な赤が飛び散る。

 カアナもまた、赤く色づいていた。

 

「何も言わずにいなくなったから、そのうち何も言わずに帰ってくるんじゃないかなって……分かってるんですけどね」

 

 そうだろう。きっと、分かっているのだろう。どっちかなんて。

 腕に力が入った。そよ風にすら消えてしまいそうな灯火を守りたかった。翼で包みこむようにして、彼女を害する光すらも届かない暗闇を作ってあげたくなった。

 カアナは首を傾げた。満月がイチカを捉えようと頑張って振り返ろうとする。

 

「どうしたんですか?」

「……ううん。なんでもないっすよ」

 

 ぱっと世界に色が戻った。開けた視界は心に穴があくほど鋭く鮮明だ。

 穏やかな光なのに、心の黒が大きいせいで、ちょっとの明かりでも痛く感じる。

 

 ミズタキが優しく鳴いた。そろそろ帰らなきゃ、と訳もなくイチカは思った。

 

 荷物をまとめて玄関に向かった。

「ついたら連絡するっす」と言ったイチカに、カアナは「私も初めからやるのでキャラメイクから楽しみましょう!」と言った。ふんす、といった感じでガッツポーズまでしている。

 

 プレゼントを開ける前みたいにどきどきしていた。一人きりの夜が減ればいいと願って、そっとプレゼントの箱を開ける。

 

「今日の夜は徹夜っすね」

「おぉ! 悪い子みたいですね!」

 

 カアナは目をきらきらさせた。満天の星空に浮かんでいても違和感のない、澄み通った黄色の瞳だった。

 もう一つ、イチカの視界の下の、ほとんど外で、彼女を品定めするような満月があった。イチカはミズタキにも笑顔を向けて、カアナの家をあとにした。

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