ほんの数ミリ普通だったら   作:ぞんぞりもす

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ミネ団長とやり合ったおバカ

 聖夜らしく賑やかな、しかしキヴォトス基準では穏やかな祝いだった。

 

 イチカは食事を楽しみながら、カアナとのツーショットを見返す。

 吹き抜けとなっている二階の手すりに二人して寄りかかって、白いクロスに様々な料理の乗った円卓と正義実現委員会を背景にした写真だ。あとで猫耳でも足してみようか。

 

 見ていると顔がにやけてしまいそうになる。どこまでも高い天井に届きそうなほど心が弾んでいた。降り注ぐシャンデリアの光が、心に灯った温度にそっと寄り添ってくれる。

 

「初詣行かない?」

 

 不意に他の正義実現委員から話しかけられ、イチカは表情をきゅっと引き締めた。

 安い紙皿に乗っけたカラアゲを、もっと安い元禄箸(げんろくばし)で頬張りながら、考える素振りを見せる。

 

「その日はもう先約があるんで、申しわけないっすけど行けないっす。二人で行くって約束してるし店も予約しちゃってて。すみません」

「そうなんですか……」

 

 しゅんと俯いたせいで、その子の前髪が目にかかって見えなくなる。

 先約があるのは本当だけれど、それ以外はかなり拡大解釈をした言葉。でも、イチカはカアナと二人で行きたかった。カアナだってわざわざ人を増やしたくないだろう。

 

「そういうわけなんで」と立ち去ろうとすると「あ、あの!」と見上げられた。

 

「あの人、ですか……?」

「あの人って言うとあれっすけど、カアナっすね」

 

 イチカの言葉に切りつけられたように悲しげな雰囲気を漂わせる生徒に、イチカは立ち去ってもいいものかと思案する。

 適当に雑談をしてカアナのヘイトが高くならないよう調整しなければならないかもしれない。カアナへの陰湿な嫌がらせはなくなったけれど、いまだに彼女は危うい位置にいる。

 

 

 そうしてしばらく話していた矢先、「イチカはどこにいますか」とハスミの慌てた声が聞こえた。

 黒檀の扉を開けたハスミが肩で息をしているのが遠目から見える。そして目が合った。「ちょっとすみません」とイチカは話をぶつ切りにした。

 

「カアナが怪我をしました」

 

 今度は何をやったんだ、というのがイチカの正直な感想だった。目で続きを促しながら、スマホでカアナに連絡を入れる。

 ハスミは荒い息のまま続けた。

 

「ミネと交戦したようです。幸いツルギが間に入ったので大怪我はしていませんが……」

「何やってんすか」

 

 あのアホ! という罵倒をどうにか飲みこむ。ミネもミネだが、カアナもカアナだ。どうせミネが何かを誤解して、カアナが売られた喧嘩を買ったのだろう。

 ため息が重なった。ハスミとイチカは苦労人の表情で頷き合う。

 

「先に帰るって話は聞いてたんすけど、本当に何やってるんすかね……」

「あまり責めないであげてください。正義実現委員として褒められるべき行動理由でしたから……ミネには、上に立つものとしてもう少し落ち着いてほしいのですが」

 

 ツルギもそうだが、二年が委員長になってからそう長くは経っていない。だから青い部分もあるのだろう。と二人は確認した。

 

「それで、カアナは?」

「カアナはまだ戦闘が発生した場所にいます。幸い動きに支障はないようですが、疲弊しているように見受けられました。救護騎士団のベッドで休ませようとしたのですが、イチカを待ちますと答えられてしまって……」

「あのアホ!」

 

 目を丸くするハスミの脇を通り抜けようとすると、ぐっと手を引かれた。ハスミだろうか、と思って振り返ると、先ほどまで話していた生徒だった。

 その手を乱暴に振りほどいて、事情の説明もおざなりに、イチカは重い扉を弾き飛ばすようにして開けた。

 

 明確に優先順位みたいなものが生まれていて、引き止められたときに、鬱陶しいとすら思ってしまって。よくないことだと思っても抑えられなかった。

 

 

「このスカポンタン!」

 

 慌ただしく動き回る救護騎士団や正義実現委員会の輪から外れたベンチにカアナは座っていた。周囲を見たところ、人よりも物の損傷が激しいらしく、カアナに外傷はない。

 長袖長ズボンの下がどうなっているのかは分からないけれど、とイチカは心中でため息をついた。ミネとやり合ったのならば相応の怪我を服の下に隠しているだろう。

 

 足をぷらぷらしていたのを止めて、首だけで彼女は振り返った。

 

「待ってました」

 

 厚い雲の向こう側にある輝きを彼女は放っていた。ほほえんで立ち上がろうとするのに気づいて、イチカは慌てて駆け寄った。「動いていいんすか」と言いながら体を支える。

「そこまでひどくありませんよ」と言うわりにカアナの息は浅かった。

 

「聴取は?」

「受けましたよ。イチカにも説明したほうがいいですか?」

「ミネ先輩が勘違いして、カアナが喧嘩を買っただけでしょ? おおよそは予想ついてるっす」

「そのおおよそで大体合ってますね……」

 

 カアナは苦笑して「でも一応はお話しておきます」とベンチに視線を向ける。

 三人座れそうなベンチに、なんとなく並んで座った。ミニスカートよりも下の腿裏がベンチに当たって冷たかった。

 こんなときスラックスは羨ましいな、とイチカは知らず知らずのうちにカアナの足を見た。ちょこんと重ねられた手が寒々しい。

 

「スケバンがケーキの売り子に喧嘩売ってたんですよ。安くしろって。それの仲裁に入ったのはいいんですけど、私とスケバンが言い争っているうちにその売り子は店に戻っちゃったんです。それで今度は、運悪く居合わせたミネさんが、正義実現委員会たる人物がなぜ市民を脅しているのですか! って憤っちゃって。事情が説明できるの、スケバンしかそこにいませんでしたし」

「それで戦闘が発生したと」

 

「はい……」とカアナは頷く要領でうなだれた。彼女はベンチに立てかけた黒いケースに手を添える。

 

「私がクロアメを取り出してたのも問題だったみたいなんですよね」

「……スケバンはどうなったんすか」

「お察しの通り、取り逃がしました……」

「なんていうか本当にあれっすね、全部予想通りでしたね」

 

「すごい」と甘く澄んだ声で叫びながら、カアナは胸の前で手を合わせた。

 

「イチカはエスパーになれます! 誰にでもできることじゃないですよ!」

「誰にでもできるわ! このアホ!」

 

 

 ぎょっとする周囲の目もはばからず、イチカはそのままカアナを家に連れこみ、怪我の程度を確認すると言って服を脱がせた。今までの付き合いからもはや恒例行事のようになっていた。

 

「で! なんで! 青痣だらけなのを隠したんすか!」

 

 下着に剥いたカアナに対しての一言だった。ミズタキがいればびくっと体を震わせるほどの剣幕と声量で、イチカはカアナに迫る。

 三回にわたって指さされたカアナは、胸の前で腕を交差させて身を縮こまらせた。痣がいくつか見て取れる。出血はないが、痛々しい。

 

「『大丈夫?』って聞かれたから大丈夫ですって言ったんですよ……」

「大丈夫じゃない! ミネ先輩と近距離戦して大丈夫な訳がない!」

「確かに『本当に平気なの?』って聞かれましたけど……動けましたし」

「基準がずれてる……!」

 

 イチカは拳を額に当てて天井を仰いだ。シーリングライトの穏やかな光でめまいを起こしてしまいそうだった。

 カアナは気にも留めていないような口調で「弾丸よりも痛い拳は初めてでした。怖かったです」と続けた。イチカの中で怒りが呆れに変わり、さらに呆れを通り越して冷静になった。

 

「まず、風呂に入ってください。服見た感じ蹴り飛ばされたか何かでそのへん転がってますよね?」

 

 黒だからあまり目立たないが、服には床を転がったときにつく汚れや細い線がいくつもついている。擦ったのだろう。

 救護騎士団が気づきそうなものだが、暗くて見落としたのだろうか。それともカアナが抵抗したのだろうか。

 カアナは後方支援という役職上、手当てを受けることが極めて少ない。だからなのか、人前で服を脱ぐことに抵抗があるらしかった。体育の着替えもいつの間にかしれっと終わらせていることをイチカは知っている。

 

 イチカは渋るカアナを風呂に連れこんだ。「入らないなら一緒に入る」とよく分からない脅しを発動させて、やっと、カアナはブラジャーのホックに手をかけた。俯いた顔は色づいていた。

 

 

 風呂に入る前と同じくらい、入ったあとのカアナの頬は上気していた。彼女はリビングに入ってすぐ「ありがとうございます」と頭を下げた。

「いいっすよ」と答えながら、イチカはハスミとのモモトークを続ける。

 カアナはイチカのとなりにそっと腰を下ろした。

 

「ハスミ先輩、心配してますよ」スマホから目を離した。視界に入ったカアナは、身長の都合で萌え袖になってしまった両手を顔に当てていた。ほんの一瞥を向けるつもりだったけれど、一瞬で見とれてしまう。

 目が合ったカアナは小首を傾げたあと、両手を離した。

 

「えへへ……イチカに包まれてるみたいです。安心しますね、この香り。イチカのにおいです」

 

 カアナはくすぐったそうに身を捩らせた。

 

 前にも体操着を貸したことはあったけれど、そのときよりもずっとずっと心を許されている気がして、彼女がさらしてくれる無防備が大事な場所にぶつかってくる。

 スマホをローテーブルに投げ出して抱きしめた。

 

 ショーツと体操着しか身に着けていないカアナの肌はあたたかく、やわらかい。ぎゅっと抱き寄せて、そのままイチカはラグの上に仰向けに倒れこんだ。

 華奢な体躯が、軽い重みが、慎むようにイチカにのしかかる。控えめに抱きしめ返される。

 

「いいボディソープとシャンプーだったので使うのためらっちゃいました。いつも行ってるーって話してた美容室の方が勧めてたブランドですよね、あれ。私も使おうかな」

「同じにおいすか」

「それはそれでなんだか照れくさいですけどね……」

 

 カアナはイチカの鎖骨にそっと顔を当てる。

 

「なーんか、安物で済ませようっていうのが、染みつくとなかなか変わらなくて」

「……でも、減ったんですよね?」

「減ったっていうか、もうありませんよ。おかげさまで。魔法(マジック)みたいです」

「種も仕掛けもないっすよ」

「そっちの手品(マジック)じゃありませんー」

 

 カアナはいまだに噂を知らないようだった。交友の狭さと、聞かれてもはぐらかすイチカのせいだった。

 

「せっかくですし戻したらどうすか。いろいろ」

「それもいいかもしれませんねー」

 

 カアナは「でも」と言葉を区切り、イチカの薄い部屋着に顔を押しつけて深呼吸する。

 

「このにおいがいいです」

 

 二人はそのまましばらくの間くっついていた。

「どうしようかなー」と呟くカアナは、いい商品を選ぶか、イチカと同じ商品を選ぶかで揺れているのだろう。できれば後者を選んでほしかったが、イチカは口を閉ざし続けた。

 

 

 イチカの上でうつらうつらしていたカアナが、不意に勢いよく顔を上げた。表情には焦りが滲んでいる。

 

「服、どうしたんですか?」

「服? カアナの制服ですか? 洗濯機に入れましたよ? あれ、確認しましたよね?」

 

 カアナが風呂に入っている最中に洗ってもいいか確認したところ「大丈夫ですー」と間延びした言葉が返ってきたので、ハスミにモモトークを送る前にささっと済ませていた。

 カアナが脱衣所を振り返ったあと、イチカに視線を向ける。顔が引きつっていた。

 

「じゃあ……その、下着類は。あれも洗濯機ですよね?」

「え、手洗いしましたけど」

「……手洗い? 私のを……?」

 

 あぁ、そういえばタオルで水気を切ったあと浴室で干そうとしていたのを忘れていたな、とイチカは思った。

 ちょっとどいてもらおうとしてカアナに目を向ける。彼女は絶望としか形容できないような表情をしていた。ハイライトの消えたカアナの瞳は、それでも夜長の満月のように美しく澄んでいた。

 

 石化してもカアナは軽い。ひょいとどかしてイチカは立ち上がる。

 

 すると他の住人の迷惑を顧みない速度でカアナが脱衣所に駆けこんだ。かと思えば一瞬でリビングに戻ってきてイチカの前に立つ。

 

「なんで本当に洗ってるんですか……!」

「だって洗っていいって」

「それにしたってあるでしょうが……!」

 

 薄桃色の下着よりも赤くなった顔には涙が幻視できた。

 

「もう! もうっ! もー! もーッ!」

 

 カアナは叫んだあと、床にぺたんと座りこんだ。

 悲愴さがありありと伝わってくる仕草がイチカの心に刺さる。しかし、イチカは自分が悪いことをしたとは思えない。

 

 カアナは責めたいわけではないのだろうけれど、イチカは向けられた感情をどうやって流せばいいのか分からず、やりきれない感情が溜まっていく。

 

 カアナがイチカを見上げて放った一言で、イチカの感情も爆発した。

 

「イチカは誰彼構わず下着を手洗いする女なんですね!」

「なっ……! 私だって相手くらい選びますよ! 尻軽みたいに言わないで! それに洗うって言ったら返事したじゃないすか!」

「洗濯機に放りこんだと思ったんですよ!」

「はぁ!? ブラとショーツは基本的に手洗い! いい!?」

「ダメダメダメダメ! なんで手洗いなんですか! 私がやる!」

「もうしてるんですよ!」

「なんで!」

「だーかーらー!」

 

 イチカは、しょうもない言い合いをしたことがなかった。いや、洗われた当人からすればしょうもなくはないのかもしれないけれど――とにかくイチカは誰かと激しい言い合いをしないように気をつけていた。小さなころは手を出してしまいがちだったし、それがいけないと気づいてからはすべてを飲みこむようにしてきた。

 だから、頭に昇った血の温度が、握った拳の痛いほどの熱が、顔に差す鮮やかな赤色が、どうしようもなく大切なものに思えた。

 

「後で教えるから、明日からは毎日手洗いすること! どうせルイに任せっぱなしなんでしょ!?」

「でも今日はもう洗ったんでしょ!? お嫁に行けませんよ!」

「婿になればいいでしょ!」

「性転換しろって言うんですか! タツノオトシゴかなんかじゃないんですよ!」

 

 やり取りはドアが叩かれるまで続いた。

 沈黙が生まれて、二人でおかしくなって、またドアが叩かれるまでけらけら笑った。生まれた涙は結晶みたいにきらめいた。

 

 年越しも一緒にゲームする約束をして、二人のクリスマスはお開きになった。

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