少女は異常者だった。
人の血を、肉を、死を見るのが好きだった。
しかし、その異常性のままに見境のない殺戮を行うようなことはしない真っ当な倫理観は持っていた。故に、自分が間違った人間であることを自覚していた。
何故自分のような異常者が生まれてきたか、と考えることが多かった。しかし、答えは出る筈もない。だから、少女は勝手にその答えを作ることにした。
自身は『リース』という神の手で生まれた異常者であり、己が持つ殺人衝動はリースに命を捧げるという祭祀を行う為に最適な性格として形成された、と。
ならば、自分はリースに仕える修道女、格好もそういうものにしよう、言葉遣いもできるだけ丁寧に心がけよう、気品というものを身に付けよう…………まるでままごとの様に、少女は自身の"設定"を作り、その設定に沿った生き方をするようになった。
少女が十六になった頃、戦争時代が激化した。少女にとっては我が世の春だった。故郷を守るという名目で、己の欲を満たす為に戦場に立ち、殺して、殺して、殺し続けた。自分のような間違った人間は、戦場で死ぬべきだと思い、戦場に立ち続け戦い続けた。
幸か不幸か、少女には戦闘の才があり、過酷な戦場に身を置きながらも生き残り続け、その才を磨き上げていった。たった一人で軍の一小隊を退けることも容易いほどに。その内、少女の故郷のあった地帯は『殺戮の魔女の棲家』と呼ばれ、恐れられるようになった。
『魔女討伐と聞いたけれど、魔女の呼び名にそぐわない可憐なお嬢さんじゃないか』
その四年後、少女が二十歳の女性になった時、軍の大部隊ではなくたった二人の傭兵に敗れた。自分と同じかそれ以上に強い実力者の二人だったのだ。
一人は剣を携えた無愛想な男で、もう一人は武器を持たない飄々とした男だった。
『さて、トドメを刺すか』
『う〜ん……ちょっと待って欲しいんだけどさ』
『何を悩んでんだ?』
『僕たちとにかく人手不足だろう? ジークさんが仲間になってから少し負担は減ったけど、まだまだ人手は全然足りないから実力者は一人でも欲しいんだよね』
『雇うのか? このとんでもない殺意のバケモンを』
『バケモンというなら僕たちも同じさ』
『それは確かに』
満身創痍ながらも苛烈な殺意を放ち続ける女性を前に、二人の傭兵は呑気に話し合っていた。
『……殺して、ください』
すると、女性が口を開く。
『わたくしの故郷は……数年前に滅びました。わたくしは既に大義を失い、ただ己の殺人衝動のままに暴れている魔物のようなものです。人殺しが好きなくせに、自死する度胸のない臆病な半端者でもありますね』
その自嘲の言葉を聞き、二人の傭兵の片方、飄々としている方が口を開いた。
『君は、戦争時代は好きかい?』
『大好きですわ。だからこそ、間違った時代です』
『ほぅ? それは何故?』
『人殺しが大好きなわたくしが幸せに生きていける世界ですよ? 間違っているに決まっています』
『はは、違いないね』
女性の言葉に、飄々とした男は、そしてその後ろで黙っていた無愛想な男も、感心する様子を見せた。
己の食い扶持の為に戦争時代を肯定する人間は珍しくない。実力がある傭兵となれば尚更である。
しかし、目の前の女性は、ハッキリと戦争時代を否定したからだ。
『君は自分を臆病な半端者だと言ったね。どうせ死ぬなら、半端者を超えてからにしないかい?』
『それは、どういう……?』
『僕は、戦争時代を終わらせたいんだ』
そんな意思を持つ女性を、飄々とした男は仲間に引き込みたかった。
『僕たち傭兵ギルドに来ないかい? 戦争を終わらせる為に戦争時代を利用するビジネスなんだけど、矛盾しているように聞こえるだろう? それでいいのさ。僕たちの夢が叶うのは、僕たちが廃業する時だ』
飄々とした男──傭兵ギルド代表ラルフ(当時二十二歳)は、女性に己の野望を語る。
『その強さを、殺人衝動を、僕たちのために使ってくれ。君の殺しに僕が大義を与えよう。そうすれば、君は半端者なんかじゃない』
『……一つ、お願いがあります』
『聞こう』
『もし戦争時代が終わったとして、その時わたくしが死に損なっていましたら、あなたか、または後ろの殿方が、わたくしのことを殺していただけますか?』
後ろで、無愛想な男──当時十九歳のアレンが心底嫌そうな顔で手を横に振り拒否のジェスチャーをとっていたが、ラルフは無視して話を続ける。
『良いだろう。その時は、君に最高の死に場所を用意しよう。そしてたった今から、君は傭兵ギルドの一員だ。僕は傭兵ギルド代表のラルフ、後ろの男はアレン。君は?』
『わたくしの名は────』
女性が名乗る直前、世界が白い光に包まれ───
「────『ルキナ』さん!」
再び目を開くと、ファリスがルキナを呼びながら顔を覗き込んでいた。
「……はぇ?」
「もう朝ですよ? 作戦開始までそこそこ時間はありますけど、そろそろ起きといた方がいいと思います」
「あ、はいぃ……申し訳ありませんねぇ……起こしていただいて……ふわぁ……」
「……お疲れですか?」
「いいえぇ……少し、昔のことを夢に見ていたみたいで……浸ってしまっていたのでしょうかぁ……? 今起きますぅ」
起床した二人は、質素な朝食を済ませ、身支度を整えて真教軍隊と合流し、作戦前の最後の打ち合わせをする。
「皆も知っているだろうが、かの傭兵ギルドから凄腕の傭兵が派遣された。先日の作戦会議で決めたことだが、この『狂信』殿を前線に置き、進軍を開始する。狂信殿も宜しいか?」
「はい。敵の守備隊はわたくしが皆殺しにします。皆さんはわたくしが殺せなかった方々を処理してください。それで大体、片が付くでしょう」
「ルキナさん、私は……?」
「ファリスちゃんには特に指示も要求もありません。とにかく自分の命が第一、次に真教軍隊の皆様、わたくしの優先順位は最後の方で構いません。真教軍隊の皆様も、わたくしに援護は不要です」
ファリスも真教軍隊の兵士たちも、ルキナに対してそれ以上何も言えなかった。
穏やかな口調ではあるが、ルキナの周囲には尋常じゃない殺気が漂っていたからだ。下手に近づけば敵に巻き込まれて自分まで殺されてしまうのではないか、そう思えるほどのギラついた殺意が。
「……遂に決戦の時が来た! かの不届者たち、『ゼエル正教』を名乗る破門者共に聖地を侵略されて以来! 我々は屈辱の日々を過ごしてきた! しかし、その耐え難き日々はこの日を以て終わる!」
真教軍隊の兵長の号令と共に、一同は進軍を開始する。
「再び聖地を我らの手に取り戻し、我らこそがゼエルの神託の体現者であることを証明する! 全軍、進めーッ!」
雄叫びを上げながら進軍する真教軍隊だが、それよりも疾くルキナは前線に赴く。
走るどころか、飛んでいるかのような速度だった。
「速っ⁉︎」
「嘘だろ……? なんで修道服であんなに速く動けるんだよ……」
その様子に、後方の兵士たちに畏怖が波及していく。
「……うふふ」
聖地『ゼエルパレス』の周囲に広がるガラツィア平原、ゼエル宗教戦争の長い歴史の中で幾度となく戦場になったその地を、仲間を置き去りしながら駆けるルキナ。
その顔は紅潮し、口元は緩み、笑い声が漏れる。
「うふふ、ふふふふふっ! さぁ、わたくしの愛する戦場ですッ!」
ゼエル真教軍隊の進軍は、国際法に則りゼエル真国から正国に宣戦布告をした上で行われている。
「敵襲! 敵襲ー!」
「……速すぎないか? こんなにすぐ真教軍隊の奴らが来れるわけないだろう」
「それが、来てるらしい」
勿論、ゼエル正国は正教軍隊でゼエルパレスの防衛を行なっており、その防衛ラインには正教軍隊の兵士がびっしりと立ち塞がっていた。
「一人……? 女……?」
「修道服? 真教の
「……終わりだ、私たちは」
「え?」
修道服を身に纏った麗人、戦場に相応しくないその風体に、多くの兵士は困惑していた。しかし、その中には既に絶望して打ちひしがれている者がいた。おそらくその者は、狂信のルキナを知っていたのだろう。
「おぉ神よ……!」
「おい! 祈るにはまだ速────」
次の瞬間、最前線の防衛兵たちの身体は上半身と下半身に両断されていた。
ルキナの手には大鎌が握られており、その刃には血と肉が付着していた。
「神よ……ゼエル様よ……」
全てを諦めただ祈っていた一人の防衛兵が、平伏していたことでルキナの大鎌の斬撃を受けず一命を取り留めていた。
「……」
ルキナはその防衛兵にゆっくりと近づいていく。
防衛兵は抵抗する素振りすら見せず、ブツブツと辞世の詩を唱えていた。
「……降伏ならば、その意を後続の真教軍隊に示してください。おそらく、命までは奪われないでしょう」
「ぁ……ぇ……?」
手に握る大鎌と身に纏う修道服が返り血に塗れたまるで悪魔のような風貌の敵が、まさか慈悲の言葉をかけてくるとは思わず、防衛兵は呆気に取られていた。
「では、ごきげんよう」
そして、悪魔のような敵は、天使のような笑顔で手を振ると、再び進撃を開始した。
数分後、後続の真教軍隊が前線に辿り着くと、屍の山が築き上げられていた。
「……うわっ」
一人の真教軍隊の兵士が、その凄惨な現場に愕然とし、つい声を漏らしてしまった。
全ての遺体が身体を両断以上に斬り裂かれていたのだ。遺体は著しく損傷しているわけではない。だが、そのあまりにも綺麗な斬り跡による断面図から体内が見えるような死体の数々は、命のやり取りを生業とする兵士たちですら目を逸らさざるを得ない惨さであった。
「ひぃ……嫌だぁ……」
「許してくれ……許して……」
屍の山の麓に、既に戦意を喪失していた正教軍隊の兵士たちが、ガタガタと震えながら蹲っていた。
「彼らを……丁重に保護してやれ」
「……はい」
既に、今回のゼエル宗教戦争はゼエル真教軍の勝利が決まったようなものだった。
真教軍隊の隊長は、正教軍隊の兵たちに同情さえしていた。
「これだけの死体の山を築きながらも、戦意を失った相手は殺さない、か。その徹底的な分別が、逆に恐ろしいな」
前方で最早虐殺とも言えるようなルキナの苛烈な戦闘を、真教軍隊はただ見ていることしかできなかった。
「無理だっ、あんなのっ!」
「殺される……みんな殺される……!」
既に正教軍隊の防衛戦は崩壊していた。
ルキナに立ち向かっていた兵たちの悉くが肉体を両断されて殺される様を見たこと、だがそれ以上に降伏したり逃亡する者たちは見逃してもらえることを目の当たりにしてしまった正教軍隊の兵士たちは、次々と降伏と逃亡を始めたのだ。そうなれば、必然的に戦線は維持できなくなる。
(わたくしとしては、降伏する者も逃げる者も全て命を奪ってあげたいのですが、代表の言いつけがありますからね)
殺人衝動の塊であったルキナが、傭兵ギルドの一員として活動するにあたり、ラルフが言い渡したことは二つある。
一つ目は、敵意のない相手の命は奪わないこと。
二つ目は、敵意のある相手はなるべく他に恐怖を与えるように殺すこと。
『君の力が欲しいとは言ったが、僕の理念からは過度な虐殺は肯定できない。あまりアレコレ命令したくないけど、そこだけは従って欲しいかな』
『かしこまりました。しかし、他に恐怖を与えるように殺す理由とは……?』
『簡単さ。君に立ち向かえば惨く死ぬ、けど降参すれば死なない。そう示せば無駄な犠牲は減るだろう?』
『……なるほど。では、そうさせていただきますわ』
その言いつけを、ルキナは少し不本意ながらも厳重に守り続けていた。
「ダメだっ! 聖地を放棄するしかないっ!」
「ゼエル様っ! 申し訳ありませんッ!」
死を覚悟してでも聖地ゼエルパレスを守ろうとするような兵は、既にルキナに皆殺しにされた。
残った兵は、自身の命を惜しんで撤退を開始していく。
「あらあら、およそ半数も撤退ですか。殺し足りませんわね……」
ルキナは逃げていく正教軍隊を追うことはせず、退屈そうにその背中を見送った。
「……あら?」
その逃げていく群衆の中に一つだけ、此方に向かって歩いて来る人影が見えた。
距離が近づくと、ルキナはその人物が仮面をつけた
その男は、ルキナに恐れる様子は一切なく、まるで散歩でもしているかのように陽気な様子でのんびりと歩く。
ルキナは、その男が明らかにゼエル正教の者ではないことを確信した。風貌から同業者のように感じたこともあるが、その男は地面に落ちていた正教軍隊のエンブレムを踏んだのだ。たとえ撤退の混乱の中でも、信仰する神の名が刻まれた物を足蹴にするなど信者としてあり得ない行動だ。
「あなた、何者ですか?」
仮面の男が声の届く距離に来たところで、ルキナが問う。
「何者、か。君たちと敵対する組織、と言うべきだろうな」
仮面の男が口を開いた。
仮面の影響か無機質な声だった。おそらく、声質で人物を特定できないような処置をしているのだろう。
「……『戦争屋』の方、ですね」
「ふむ、我々はそう呼ばれているのか。『戦争屋』か。丁度良い。組織の名が無かったのだ。今後我々はそう名乗るとしよう」
ラルフの予想通り、戦争屋が傭兵ギルドに接触してきたのだった。