六月五日
山本五十六大将の国葬が日比谷公園で執り行われる。
六月六日
その日、東京競馬場には多くの人々が詰めかけていた。
その熱気と言えばさもありなん、とてつもない物であった。
「うわぁ…」
立見所に詰めかける群衆を前にカイソウは呆然と立っていた。
「流石は天下の東京優駿だな」
そう言い、窪田もその熱気に少し驚いていた。
今日は待ちに待った東京優駿の行われる日。
観客の手元には入場券に付いている馬券が握られ、単勝、複勝とそれぞれ賭ける事ができていた。
「悪いな、今日は付いてきてもらって」
窪田はそう言ってカイソウの横で静かに立っていたミネタカに話しかけると、彼女はそっと目を閉じて言った。
「いえ…」
彼女は少し耳を絞りながらもそう返すと、彼女は逆に聞いた。
「それよりも窪田調教師、貴方の財布は大丈夫なんですか?」
そう言い、二人の馬娘に為に京都から急行に乗って昨日の夜に東京に到着した窪田に聞くと、彼は軽く笑って言う。
「大丈夫さ!急行の費用は申請しているから心配しなくて良い!」
彼はそう言い、今日の東京優駿を見るために節約をしていた。
「…」
そんな彼にミネタカは少々訝しむ目を向けながら眼鏡を取って拭き直す。
元より、競馬では三冠よりも人気な東京優駿競走。特に今年は過去最大の二五頭が出走予定であり、その中にはクリフジも居た。
「まさかクリフジ氏から招待状を貰えるとは…」
「あぁ、カイソウのおかげだな」
そう言い窪田はクリフジから受け取った東京優駿の入場券を片手にカイソウを見る。
彼女は彼女で憧れのクリフジが走る事を楽しみにしており、尻尾もそれに合わせて大きく振られていた。
「…」
そんな彼女にミネタカは目元を相変わらず暗くして見ており、彼女の顔を一度も見ることは無かった。
「…ミネタカ」
「はい?」
そんな彼女に窪田は言う。
「今度、俺から何か奢らせてくれないか?」
「いきなり何を言うんですか…」
彼女からは拒絶の反応をいただくと、窪田は言う。
「頼むよ。普段から君の妹に世話になっちゃっているからさ」
「…飛んだ屑男ですね」
「面目無いです…」
ミネタカはそこで窪田が、カイソウから実家から送られてくる食べ物を分けてもらっていると言うのを感じ取って貶した目を向けていた。
「そんな食費を削ってまで私を連れてくる意味はありますか?」
ミネタカは自傷するように言うと、窪田は言う。
「あるさ」
「は…?」
その時の窪田の表情は至って真剣な物であり、ミネタカが見ていた飄々とした雰囲気からはかけ離れていた。
「どんな時代でも、
そう言い彼はこれから始まる東京優駿を前に集った観客たちを見上げる。
「お前さんならよ〜く理解できるはずだ。そうだろ?」
「…」
ミネタカはそう言われ、少し表情が固まった。
自分も嘗て、あの馬場の走った事があった。
「私は…」
「十著。十四頭立ての晴の良馬場だろ?」
「…知っているんですね」
そこでミネタカは軽く鼻で笑った。
「ティアラ路線で東京優駿に出たんだ。俺も記憶しているよ」
そう言い窪田は教え子の姉の成績を脳裏に思い返す。
「まさかこんな出来損ないの成績まで覚えててくれるとは…」
「出来損ない…ねぇ」
窪田はそこでミネタカに言う。
「君は一つ勘違いをしているな」
「…?」
言われて首を傾げるミネタカに、窪田は言う。
「君も、跳梁跋扈するこの世界に生きている一人だと言う自覚が足りてねぇみたいだな」
「何を言っているんですか?」
ミネタカは窪田にやや睨み返して言うと、彼は言う。
「君の悪い癖は、上を見すぎる事だろうな」
「…新米の調教師に何が分かりますか」
ミネタカは窪田に言うと、彼はミネタカに言う。
「いやぁ、偶には妹と腹を割って話でもしないと後々後悔すると思っただけさ」
「…する必要ありませんよ」
彼女はそう言うと、体を反転させて立見所を離れる。
「あれ?お姉ちゃんどこに行くの?」
「…」
何も答えない彼女はそのまま立見所を後にしていた。
その時、改めて自分の靴の紐を縛り直す。
「ふぅ…」
今回、初めてこれを着て馬場を走る。
何気に初めての五大競走で着る勝負服。
「よし…」
彼女は足に革製の婦人靴を履き、紺色の馬乗袴にワインレッドの上布。腰には脇差が下げられ、頭には藤の花と栗の葉を差したワインレッドのリボンの巻かれた紺色のベルハットを被る。
「行きましょう」
そして休憩室で息を整え、席を立つ彼女はそこで部屋の外で静かに待っていた
「すみません。待たせました」
「何、大丈夫さ。時間はまだある」
いつも通り、若くてやる気の溢れる前山はクリフジに言うと彼女に聞く。
「さぁ、思い切りかっ飛ばして来い」
「えぇ、後輩に招待状を送った手前。誠心誠意努力させてもらいます」
クリフジもいつに無く不敵な笑みを浮かべると、そのまま下見所に向かう。
「っーーー!!」
その瞬間、誰もが息を呑んだ。
「おいおい…」
その雰囲気に思わず見ていた窪田達も驚く。
「何て仕上がりだよ…」
そこで立つ一人の馬娘に誰もが沈黙する。
まるで我がここの王と言わんばかりに仁王立ちして、非常に落ち着いた様子で見せるクリフジ。
その様子に誰もが唖然となり、怯えていた。
「凄い…」
思わず横にいたカイソウもその仕上がりと、気配に息を呑んだ。そして嫌に冷たい汗が一筋流れた。
「アレが…先輩…?」
そこでカイソウは自分の知っているクリフジとは違う、鬼にも迫る気配を彼女から感じていた。
「おいおい…」
その様子を上から見ていたセントライトは苦笑気味に言う。
「初っ端から飛ばしたな…クリフジ」
椅子に座って頬杖をする彼女は下で万全な仕上がりを見せるクリフジと、それに動揺している観客と他に出走する馬娘を見る。
「見ろ、他の出走馬が半分怯えているぞ」
「気合の入りすぎで失敗しなければ良いが…」
セントライトの横で、そんな彼女に平然とした様子で紅茶を傾けるクモハタが言う。
「さぁな、お気に入りの後輩に招待状を送ったが…」
「その気合いが空回りしている雰囲気が少しあるな」
招待を受けた側と招待をした側がそんな話をしている中、
「ねぇ、アレで本当に引退したの?」
「そうとは思えない迫力ですわね…」
「さすがは最初の三冠馬と栗毛の貴公子…ですか」
「まだまだ現役ではありませんの?」
他に招待された他の競馬学校の生徒会長達がヒソヒソと小声で話をしていた。
その後、下見を終え。本格的に馬場に出走馬が集まり、刻一刻と東京優駿が始まる時間が近づく。
「…」
出走する二五頭の馬娘が出走準備に入り、各々軽く体操をする中。クリフジは一人、丁寧に観客席を眺めている。
「…」
彼女は満席状態の観客席から溢れる熱気をモノともせずにある人物を探す。
「…(居た)」
そこで観客席の一角、半分興奮気味に自分を見ている一人の馬娘と調教師、カイソウと窪田だ。
二人を見つけたクリフジは、そこでジッと彼女の事を見つめながら内心呟く。
「(見ておきなさい。来年は貴方がここに立つのですから)」
未来の優駿馬を見ながら言うと、テープの前に続々と馬娘が集合するが、
「むっ…」
そこでやけに自分に集まってくる他の馬娘を見た。
「(なるほど…)」
そこで彼女は周囲の馬娘の思惑に瞬時に気がついた。
「(早速潰しますか…)」
有名人とは辛いと思いながら彼女は意識を持っていく。
本当の競走が始まる前から、すでに戦いは始まっているのだ、と実感させられる場面だ。
この時代、まだゲート式の発馬機が無いので、競走前に出走する馬娘に何かしらの妨害行為を行う事は可能であった。
あからさまな行為でなければ罰も与えられる事はない上に、少し接触した程度では妨害行為とも見做されなかった。
「(ならば…)」
彼女はそこで地面に軽く触れる。
今の馬場は事前に八本の競走を終えた後で全体的に凸凹としており、一部芝も禿げていた。
戦後に行われた制度の再整備が行われた後では不良馬場とも判断される状態であるが、掲示板には良馬場と明記されている。
「…」
出走準備が整い、誰しもがこの一線を見ようと興奮の声が止まらない中。
ガコンッ
馬娘達の前を押さえていたバリヤーが上がり、一斉に二五頭は駆け出した。
「ちっ…!!」
そこでクリフジは思わず舌打ちをしてしまう。
『発馬。本日の人気馬、クリフジ、トシトモ。惜しくも出遅れました』
そこで多数の馬娘に囲まれてクリフジは大きく出遅れてしまった。その差は二馬身ほど。
『『『『っーーーーー!!』』』』
この序盤の展開に観客達からは思わず声が上がる。
「あぁっ…!!」
「出遅れたか…」
それを見ていたカイソウは絶望した顔をし、窪田は静かにそれを眺めていた。
『テツマサキ、トルソオウ先頭』
実況もラジオでん淡々と状況を伝える。
『外枠にトキノココロ、シラハヤ、ミスセフト、シユクセツ、フジハヤ、イチシウスイの順』
そこで馬群は第一コーナーを曲がっていく。
『人気馬イサオーバルは内枠に包まれております』
そして走っていく馬群の中、クリフジは後ろから静かに馬群を見ていた。
「(最後まで待つ…でしたね)」
前半は抑えていくのが前山から言われた作戦だった。
クリフジは彼を信用して今回の妨害も考慮した作戦を練っていた。
「そうだ、前半は抑えるんだ」
それを見ていた前山も頷き、クリフジを見つめている。
調整が間に合わず、横浜農林省賞典を逃した彼女は前二戦で勝利を収め、片方は圧倒的な大差をつけていた。
「(クリフジは潰せた…)」
「(このまま抑え込んでやる…!!)」
前を走る馬娘達は後ろに追いやったクリフジをマークしており、第二コーナーを曲がっていく。
今回の人気はクリフジ、イサオーバル、フジハヤの順番であった。
『第二角を過ぎ、トキノココロ、テツマサキ、シラハヤ、イチシウスイ、フジハヤの順で進んでいます』
第二コーナーを過ぎた時。馬群はどんどん縦に伸びており、後方集団まで二〇馬身ほど離れていた。
「(まだ…)」
ハロン棒を見ながらクリフジは虎視眈々と獲物を狙うように先頭をしっかりと捉えていた。
クリフジの勝負服はライスシャワーを参考にしました。
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