「ーーーまぁ、これが私が走る前の出来事ですね」
「…」
カイソウが墓跡の前で線香に火を付け、ユラユラと細い煙が昇りながら合掌をした後に語った。
その話を横で聞いていたシンボリルドルフは思わず喉を鳴らしてしまう。
『ルドルフ…日本で一番強いウマ娘は誰だと思う?』
かつて引退前に自分を教えていたトレーナーが聞いてきた事だった。その問いに、真っ先に私はセントライトやシンザンの名前を上げた。
当時、生徒会長をしていたシンザン。URAの会長を務めていたセントライト。どちらも歴史に名を残す実力者であるからだ。
しかし、そんな答えにトレーナーは軽く頷きながら笑った。
『そうだな…だがなルドルフ。俺が思うに…一番強いウマ娘はクリフジだ!』
そう言ったトレーナーは母のスピードシンボリが海外に赴いた時、直接彼女のサポートをした人物であった。
彼は真っ先にクリフジの名を出しており、そのウマ娘が気になって調べて。結果を見て私は唖然となった。
二馬身も出遅れを起こしながら最終的に六馬身差を付けての勝利。
少なとも私だったら緊急で作戦を変える必要のある非常にまずい状況だ。
映像に残っていたその時のダービーの映像を見た。
当時、まだレースが競馬と呼ばれ、私たちが馬娘と呼ばれていた時代のダービー。
モノクロの映像が動いて出馬した彼女達を追いかける。
そして大きな出遅れにも関わらず、彼女は勝った。それもレコードで。
「…すごいです」
そんな今の時代でも圧倒される走りを見せたあの試合を、カイソウは直で見ていたのだ。
まさに日本の競馬の歴史が変わる瞬間を直接見ていたのだ。
「もう遠い昔の話ですが…クリフジ先輩とは何度も並走をさせてもらいました」
「…」
そんな歴史に残る最強の馬娘と称えられる人と彼女は並走をしていた。
先輩には日本初の三冠馬であるセントライトや、栗毛の貴公子と呼ばれたクモハタ。
部屋の同室には、後に桜花賞馬となるヤマイワイ。
まるで競馬の歴史書を見ているような話だ。
戦前の日本競馬を牽引してきた人物がズラリズラリと挙げられていく様は、もはや蒙昧しそうであった。
そしてクリフジによるクラシック級の旋風が巻き起こった翌年、彼女はダービー馬となる。
ーー日本競馬史上、最も不幸なダービー馬として。
「クリフジ氏と…ですか」
「はい。クリフジ先輩とセントライト生徒会長には、色々とご苦労をおかけした身ですから」
カイソウはそう言って墓石の香上げを終えると、そのまま同じように線香を上げたシンボリルドルフを見る。
「ごめんなさいね。歳をとるとどうしても話が長くなっちゃって…」
「いえ、とても貴重なお話で、私にとっては感無量です」
母やメジロアサマなどと言った戦後の日本競馬の礎を築き、敗戦となった後もその歴史を脈々と紡いできた彼女達の活躍を直に見てきた彼女の回想は、自分は聞かなければならないと思った。
たづなさんやシンザン会長も聞いたと言うこの話。
今の日本ウマ娘トレーニングセンター学園の生徒会長として、彼女から何か得られるものがあるかもしれない。
彼女は、この話をしている時。とても懐かしそうにしていた。
たとえ戦時下であっても、彼女達は走ることに希望を見出し、数多の努力を積み重ねてきたに違いない。
特に戦前、優れた軍馬を見出すことから始まった日本競馬の歴史。
そのような創設経緯から彼女達は軍から切っても切り離せない存在であり、今も紛争地帯に住むウマ娘は子供が機関銃を背中に背負って戦う姿が社会問題になっている。
「あの時、成績が振るわない。若しくは不合格通知を受け取った子達は、全員徴兵検査を受ける必要がありました」
「…」
今の自衛隊もウマ娘と言う重たい装備を難なく運べる人材は重宝し、完全に軍との関係が切れた訳では無い。
人ほどの身長しかないにも関わらず、機関銃や迫撃砲を背中に背負って狭い山道を歩き、荷車を用意すればトラックほどの荷物を運ぶことができてしまう私たちは常に目をつけられている。
今も騎兵師団は世界各国にあり、怪我をして引退したウマ娘や競走馬になれなかったウマ娘の就職先ともなってしまっている。
「あの時、優れた軍馬を見出すための競馬学校は、私たちにとっては長生きするための唯一に選択肢でした」
「…悲惨ですね」
シンボリルドルフはカイソウに言うと、彼女はその時の事を振り返って軽く鼻で笑った。
「いえいえ、むしろ私達は皮肉だと思っていました。軍馬を見出すために作られた学校が、私たちにとってみれば長生きできる唯一の道だったのですから」
「それは…」
元々、軍馬を見出すための組織である日本競馬会や競馬学校。レースで結果を残し、優れた能力を有した馬娘は後に子を残す為に重宝され、成績を残せなかった者は
「…皮肉ですね」
「そうでしょう?私が京都に編入した時なんて徴兵検査はほぼ形ばかりのものでしたからね」
カイソウはそう言い、半分お嬢様学校となっていた当時の競馬学校を振り返る。
「でも、私たちにとってみればそれが日常であり、青春でした」
「…」
彼女の世代は、子供の頃から戦時下が日常であった。
満州事変から始まり、盧溝橋事件、日中戦争、真珠湾攻撃、太平洋戦争、そして終戦。
彼女が尋常小学校に通っていた時から、戦争は始まっていた。
「当時、私たちは軍事特需で国内は好景気に恵まれていました。満州事変や日中戦争で政府が大量に武器の発注を行ったからです」
「…」
「世界恐慌での不況に立たされ、経済が疲弊していた私たちの生活は、戦争によって豊かになりました」
墓参りを終え、家に戻る石階段の途中で彼女はその時の事を話す。
「明治維新以降、私たちの国は戦争以外で好景気になる方法を知らなかったと言うべきでしょう」
「…」
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、いずれも日本は勝った。
前者は獲得した莫大な賠償金を国内に投資し、日露戦争では賠償金が得られなかったと憤慨した国民が日比谷焼き討ち事件を引き起こした。
そして第一次世界大戦では後方支援に徹し、協商国に大量の輸出を行ったことで好景気となった。
その後の戦後恐慌と関東大震災は、国内を再起不能にさせかけたほどの被害を出していた。
「あの時代は戦争の時代。他の国でも戦争以外で好景気になる方法を知らなかったと言うべきでもあるでしょう」
「それは…」
第一次世界大戦はかつて『すべての戦争を終わらせる戦争』と言われていた。
だが皮肉にも、その世界初の世界大戦はその後の二回目の世界大戦に繋がる引き金にもなった。
「戦争以外で好景気を得られる事を日本人が知ったのは戦後の事です」
時代で言えば、シンザンが現役だった頃の時代だ。あの頃、日本はかつてない繁栄を見せていた。
「戦前の競馬…その時はもうレースに改名されていましたか。当時はクラシック三冠よりも、東京優駿で勝った馬の方が話題になった者です」
「そうなのですか…?!」
カイソウの話を知って、若干シンボリルドルフは驚いた。優駿に勝つことよりも圧倒的に難しいであろうその快挙よりも、ダービー馬になることの方がウケが良い時代があったとは。
「ふふふっ、シンザンも同じ反応でした…ただまぁ、あの時はまだクラシック三冠の名前は広く知れ渡っていませんでしたからね。少々仕方のない部分もありました」
そこで二人は家に戻ってくると、そこで居間に上がってカイソウがお茶を淹れる。
「すみません」
「良いのよ。老馬の話に付き合ってくれるんですもの」
そう言い、彼女は時計を見て軽く驚いたそぶりを見せた。
「あらいけない。もうこんな時間になっちゃった」
「あっ…」
時計の針は午後四時を過ぎていた。これ以上遅くなると、府中のトレセン学園に帰るのが夜になってしまう。
「すみませんカイソウさん。今日は貴重なお話をありがとうございます」
シンボリルドルフはそこで席を立ち上がろうとした時、
「あら、泊まって行かないのかしら?」
カイソウは若干首を傾げて彼女に聞いた。その反応に、シンボリルドルフも首を傾げてしまう。
「泊まる…ですか?」
「あら、たづなちゃんから聞いていなかった?」
泊まっていくのが当たり前と言うような雰囲気のカイソウにシンボリルドルフはこの仕事を受けた時からの記憶を思い返すが、思い当たる節がなかった。
「すみません、そう言う話は…」
「あらそうなの…」
カイソウに事情を聞くと、どうやら今までこの話を聞く時に必ず彼女の家に泊まっていくと言う風習があるそうだ。
「せっかく色々と準備していたのだけれど…」
「お気持ちだけ受け取っておきます。今日は外泊許可を申請しておりませんので…」
「あら、外泊許可なんてここでとって仕舞えば良いのよ」
カイソウがさらりと言ったその一言に、シンボリルドルフは驚いてしまう。
「私から言えば外泊許可なんてすぐに出してあげるわ」
「し、しかし…」
「大丈夫よ。うちの電話ならやよいちゃん、すぐに電話に出るから」
まさかの理事長をちゃん呼ばわりするカイソウだが、彼女のフットワークの軽さが滲み出ているような雰囲気だった。
「それにどう?私たちが戦時中という環境でどんな風に走っていたのか…貴女は気にならない?」
「…」
そう言われ、彼女は一瞬喉を鳴らす。
すでに貴重な実体験を聞いたシンボリルドルフ。
しかしこれはまだ前日譚。彼女の壮絶な経験を本人の口から聞くと言う機会は、彼女の年齢を考えてもおそらく私が最後になるだろう。
多分、秋川理事長なら聞いていくべきだと言うに違いない。シンザン会長も…おそらく同じ事を言うだろう。
前日譚だけでこれだけ濃い話だ。きっと彼女の現役というのはもっとすごいのだろう。
「…すみません、電話をお借りしても?」
そして何より、自分はクリフジの話を聞いてその興奮で心臓からドクドクと音が響いていた。
話で聞いただけなはずなのに、自分の耳にはその時の歓声や蹄鉄の音が聞こえてくる。
クリフジと言う圧倒的な強者の息遣いまでもが聞こえてくるような彼女の話に、自分が取り込まれてくような気分だった。
「勿論。番号はわかるかしら?」
「大丈夫です」
そこで彼女は、カイソウの家に置かれていた黒電話を前に困惑し、カイソウに笑われながら使い方を教えてもらった後に電話をかけると、すぐに秋川理事長がワンコールもしないうちに出た。
そして事情を説明して外泊許可の申請を行うと、
『承知ッ!彼女の話は、ウマ娘であるならば是非と一回は聞いておくべきである!』
その声にどこか確信めいた様子を交えながら彼女は了承したことで、シンボリルドルフはカイソウの家で一泊する事となった。
お気に入り登録、高評価をよろしくお願いします。
IFストーリーは入りますか?(主にカイソウが三冠目指した世界線とか)
-
いる!
-
いらない!