僕は、自分の目が、信じられませんでした。
今、僕の目の前には、ミノアがいます。一糸まとわぬ姿で、目を閉じ、手を胸の上に組んだ姿で、僕の前に置かれた台の上に、仰向けに横たわっているのです。その顔は、とても安らかそうに見えました。
「ミノア」
僕は、つぶやきながら、思わず、彼女の顔に触れました。そして、その冷たさに驚きました。
「彼女は、毒によって命を絶たれた」
王の声が、広間の中に、響きました。以前会見した日と同じく、彼はその巨体を玉座の上に置いています。広間の中央に置かれたミノアと、それを見下ろす僕に向かって、王は淡々と、言葉を紡ぎました。
「それが、彼女の望みだったのだ。死して後、まだ何の傷もつけられていない肉体を、君の前に見せることを、彼女は願った。これから彼女の体は、食肉として加工される。毒を含んだ血も、全て除去されるが、今君が見ている姿とは、全く似ていない、肉片の集まりと化すだろう。今のうちに、彼女の美しい姿を、しかと心に刻み付けることだ」
「一体、どういうことなのですか……?」
「ミノアは、ミノタウロスに捧げられることを、拒んだ」
王は立ち上がり、ゆっくりと、僕に近づいてきました。
「代わりに彼女は、己の体の全てを、君に食べてもらうことを、願ったのだ」
僕は、茫然と、ミノアの遺体を、見つめました。
「なぜ……?」
「君を、愛しているからだと、彼女は語った」
僕は、沈黙しました。
「前も述べたが、我々は、ウスの意思を尊重する。彼女の肉は、我々と地球との友好の始まりを祝うものとして、君に捧げられる。言うまでもないが、受け取るかどうかも、君の意思が決めることだ」
王の影は、僕とミノアに、覆いかぶさっていました。いつの間にか、床に座り込んで、ミノアの顔に縋り付きながら、静かに涙を流し続ける僕を見下ろす彼の姿は、まるで僕を裁こうとする冥王のように思えました
……この話を、地球に来てから、誰かに語ることは、今が初めてです。記者さん、きっと貴方は、驚かれていらっしゃいますね。
今、地球に広く流布している物語の多くでは、僕はミノタウロスの大祭の会場に、レーザーガンをもって勇ましく乗り込んで、巨大な車に乗せられて運ばれていくミノアを必死に追いかけるも、ついに彼女の命を救えず、失意の中で崩れ落ちる、というものが多いと思います。それは、地球に帰還してから、これまで僕が語ってきた物語です。僕は、僕自身を、美化してきたのです。愛する人が殺されようとしているのをわかっていながら、ただベットの上で情けなくも固まって一歩も動かずにいた、僕自身をごまかすために。
そして、僕がミノアの肉を食べたという事実を、隠すために。
僕を救助するための宇宙船が、イノックス星に降り立ったのは、間もなくのことでした。僕は、食肉として加工され、もはや美しい少女であったことなど想像もつかなくなったミノアと共に、船に、乗り込んだのです。他の地球人たちには、その肉が何なのか、一言も説明しませんでした。
地球までの、長い期間の旅路の間、僕は毎日、ミノアの肉を食べ続けました。僕を喜ばせるために、宇宙船には、地球の牛の肉が積み込まれていたけれど、僕はそれらを口にしませんでした。あれ以来、僕は、どんな生物の肉も、食べていません。ミノアの肉が、僕がこれまでの生涯で、最後に食べた肉となったのです。ミノアの肉を口に運び、噛むたびに、僕の目からは、一筋の涙が流れました。他の地球人たちは、そんな僕を見て、不思議そうに「なぜ泣いているのか」と聞いてきました。僕はただ「この肉の元となった牛を想うと、悲しくなるのだ」と答えました。どうやら彼らは、僕を過酷な体験によっておかしくなった、繊細で哀れな人間だと思ったようでした。
ミノアをすべて食べ終えた頃に、僕を乗せた宇宙船は、地球へとたどり着きました。それが、僕が生涯で経験した、最後の宇宙の旅となりました。久しぶりに、地球の大地を踏みしめた僕が、一番最初に向かった場所は、実家である「つづれ屋」でした。イノックス星にいた頃に想像したとおり、母は泣いて、僕を迎えてくれました。モンガーは、「モンガー!」と叫びながら、僕に抱き着いてきました。芋ほりロボットのゴンスケは、「宇宙にある珍しい芋を、お土産に持ってかなかっただか? 気が利かねえなあ」と、ぼやきました。ただ一人、黙って僕を迎えた父に、僕は頭を下げ、宇宙へ出たことを詫び、これからは父の望み通り、つづれ屋を継ぐつもりであることを告げました。父は驚いた様子でした。黙って僕をまじまじと見つめながら、何かに気づいたかのようでした。僕は、地球を旅立つ前とは、全く別の人間へと変わってしまうような、強烈な経験をしたことに、気づいたかのようでした。
(ここが、地球だよ。ミノア)
と、僕は、心中でつぶやきました。僕は、僕自身の肉と一つとなったミノアと共に、地球に帰ってきたのです。
それからのことは、既に、記者さんもご存じのことばかりでしょうから、あえて語る必要も、ないでしょう。
前も言いましたが、あれから、長い時が流れました。あの日、宇宙からかえってきた僕を迎えてくれた父も母も、モンガーでさえ、既に世を去りました。ゴンスケは今も、芋を掘り続けています。イノックス星で、僕と共に短い時間を過ごしたあの優しいウスたちも、ズン類たちも、きっと生きているのは少数だと思います。つづれやも今や、22エモンの代となっています。今、誰よりも僕の近くにいてくれる存在は、きっとミノアだけでしょう。
彼女はあの星で、僕に言いました。彼女の肉を誰かが食べることで、彼女はその誰かの一部となる。死は所詮幻想にすぎず、私たちは永遠の循環の中に生きているのだと。そうであるならば、ミノアはずっと、僕の中で、僕の一部となって、生き続けていたのです。
僕は最近、遺言を書き記しました。僕が死んだら、その体を、地球のどこでもいいから、土に埋めてくれと書きました。そこには、墓標を立てる必要はないとも書きました。ミノアは、彼女を食べた存在が土へと帰り、そこから新たな命が育まれてゆくことを望みました。その望みを、僕は叶えたいのです。僕が埋められた土からは、やがて植物が育つでしょう。花だって、咲くかもしれません。ミノアが笑った時のような、美しい花が。そうしてミノアは、そして僕は、この宇宙の循環の中に、永遠の輪の中に、生き続けるのです。
しかし例え、永遠に近い時が流れたとしても、僕の心の中のミノアが、あの恐ろしくも美しい星で出会った、少女の姿のままであることに、変わりはないのです。(了)