宇宙船が不時着した場所まで医師を案内することは、僕にとって困難でしたので、必然的に、ミノアに同行してもらうことになりました。回りの人たちは、彼女がまた外出することにさえ反対しましたが、医師が「私が責任をもって守る」と言うと、しぶしぶ納得しました。僕、医師、ミノアが、彼女に先導されながら歩く間、僕は医師に対して、質問したいことが山ほどありました。何しろ彼は他と違って明らかに「宇宙」「惑星」といった概念を理解しており、僕が今いる星について、僕が疑問に感じていることに、多くの答えを与えてくれるように思えるほど、知的に見えたからです。僕はまず、最も気になっていたことを聞きました。
「あなたはどうして、仮面を取らないのですか?」
「仮面?」
彼は、自身の顔を触り、ああ、とつぶやいてから、
「私は、仮面など被ってはいない。おそらく、君が仮面だと誤解したものは、私の皮膚の一部が変化したもので、私の顔の一部だ。これも推測だが、君は、私が、ミノアたちと同じ生物だと誤解しているのではないかね?」
僕は、驚きました。彼の洞察力の予想以上の高さと、その言い方からして、彼とミノアが別の生物である、という事実にです。
「違うのですか? あなたと、ミノアは?」
「違う。私たちはズン類。ミノアたちはウスだ。私たちズン類は、成長の過程で顔面がこのような形状に変化する、という点で、ウスとは外形的な特徴が異なっている」
僕は、この星には、「ズン類」と「ウス」という、二つの知的生物がいるという事実を知りました。
「ズン類とウスの違いは、顔面の形状だけですか?」
「いや、もっと根本的な違いがある。私たちズン類は、この星を支配し、文明を維持する知的生物であり、ウスは、家畜だ」
最初、僕は、自分の耳が、おかしくなったのかと思いました。
家畜?
あんなにも美しく、愛らしいミノアが……家畜?
きっと、その時の私は、提示された現実を理解できず、混乱の極みにいるように見えたのでしょう。医師は、私を興味深そうに見つめました。
「君のいた世界には、家畜という存在は、いなかったのかね? 我々ズン類は、ウスたちの生活を保障する。食料を供給し、住居を用意し、外敵から彼らの命を守り、彼らの繁殖をサポートする。その代わりに彼らウスは、労働種や愛玩種、食用種として、我々の生活に奉仕する。このような関係性を有するほかの生物のことを、我々は家畜と呼んでいる」
「ええ……いや、僕たちの星にも、家畜はいました。でもそれは」
僕は、つっかえつっかえながら、言葉を続けました。思考が混乱していました。
「豚や鳥や、それから牛……。広い意味では犬や猫もそうかもしれませんが、とにかく共通しているのは、僕たちと比較して知能が低く、言語的なコミュニケーションもほぼ不可能な生物ばかりだということです。ミノアは……、ウスたちは、文明のレベルはいまだ低いけれど、会話ができる存在ではないですか」
「興味深い価値観だな」
医師は、僕を覗き込むように見てきました。
「つまり君たちは、家畜と自分たちを隔てるものを、知能の高さやコミュニケーション能力だと定義しているわけだ。とすると、知能が高く、コミュニケーション可能な生物を、家畜化してはいけない、という規範が、君たちの文化にはあるのかね」
「当たり前じゃないですか、そんなこと……」
そう言いかけて、僕は昔受けた、歴史の授業を思い出しました。かつての地球では、コーカソイド系の人種が、アフリカ大陸の住民たちを「奴隷」と呼ばれる状態に置き、人権の無い「商品」
として扱っていたという歴史です。はたして彼らは「家畜のような扱いを受けていたわけではない」などと断言できるのか、僕は自信がありませんでした。
「いえ、昔は私たちの星にも、知能が高く、コミュニケーション可能であるにもかかわらず、まるで家畜のように扱われていた存在が、いました。でも僕たちは、それを悪いこと、してはいけないことだと理解して、彼らのことも僕たちと対等な存在として、同じ生物として扱う様になりましたし、そうでないように扱うことは、悪であると教えるようになったのです」
「そして、知能が低く、コミュニケーション能力が低い生物は、今でも家畜として扱っているわけか。だが、その文化には、いささか倫理的な疑問がわくな」
「倫理的な疑問……」
「だってそうだろう? 知能が低いということは、つまり君たちが家畜としている生物は、自分たち自身が家畜という状況に置かれていることを、理解していない可能性が高いし、コミュニケーションがほぼ不可能ということは、君たちと君たちの家畜の間には、同意が成立していないということじゃないか。私たちの文明社会においては、知的能力が低く、同意を示すことが不可能な存在との契約は、全て無条件に無効となるべき契約だ。わかりやすく言えば、君たちが家畜としている生物は、家畜として生きることに同意していない。にも関わらず、彼らを家畜として扱うことは、ただの暴力じゃないか? およそ、知的生物の振る舞いとは思えん」
医師は、首を振った。嘆かわしいとでも言わんばかりに。
「神の定めた掟に、反している」
「で…では、あなたたちとズン類の間には、同意が、成立していると、言うのですか?」
「当たり前じゃないか!」
医師は、叫んだ。
「ウスたちは、自分たちが家畜として、私たちの庇護下に入ることで、生物としての繁栄を享受するという契約に同意しているし、我々の生活に多大な貢献をすることに、誇りさえ抱いているよ! これは、対等な知性を有する生物同士の、公正な関係性だ。君たちがしているような、野蛮で暴力的なものではない!」
「はあ……」
僕は、自分の今までたってきた地面が、根底から崩壊していくような、心細い感覚に、襲われました。
と同時に、僕が、この星に来てから抱いてきた多くの違和感の、答え合わせがされて行き、納得しました。言うまでもないかもしれませんが、ミノアたちが料理のことを「エサ」と呼んだり、僕に対して「どこの厩舎からきたのか?」と聞いてきたことです。
と同時に、僕の背中を、何か得体のしれない、冷たいものが、走った気がしました。先ほど、医師が口にした単語が、妙に引っかかったのです。
労働種や愛玩種、食用種として、我々の生活に奉仕する。
僕は、ミノアに対する周りのウスたちの態度と、彼女自身の振る舞いを思い出しました。何故彼女が、小さな傷を一つつけただけで、彼女自身も周囲も、あんなにも大騒ぎしたのか?
その理由を、僕は、考え始めてしまいました。考えてはいけないと、僕の心の中の一部が、叫んでいるにも関わらず。
「ミノアは、何の家畜なのですか?」
僕の口から出たその言葉が、僕の耳には、まるで、遠い場所で他人の口から出た言葉のように聞こえました。
医師は、答えました。その口調には、愛娘を自慢するような、誇らしげなものがありました。
「彼女は、食用種だよ。それも、これから行われるミノタウロスの大祭で、高貴な方々に食される栄誉に預かった、特別な存在だ」
僕は、自分を取り巻くすべてが、闇に包まれてしまったかのような、錯覚に襲われました。
それから僕は、一言も、話さなくなりました。僕の乗ってきた宇宙船に、僕たち三人が到着するまで。
宇宙船を見た医師は、とても興奮しているようでしたが、僕にとっては、もはや彼の存在でさえ、どうでもいいものでした。