「ミノア。逃げよう」
僕は、彼女に言いました。
「逃げる?」
ミノアは、首を傾げました。
「そうだ。僕を助けに宇宙船がやってくるまで、森の中に隠れるんだ。ミノタウロスの大祭が終わるまで、僕がなんとか、匿い続けるから」
宇宙船を見た医師の言葉が、僕の脳裏にリピートされる。
「素晴らしい!」
彼は、興奮していた。
「宇宙にこの星のように、生命と文明を発展させた世界がある可能性は、学者によって予測はされていた! しかしまさか、私が生きているうちに、このようなものをこの目で見ることが叶うとは! 神よ、感謝します! この素晴らしき時代に、私を地上に産んでくださったことを、感謝します!君!」
突然、僕の手を握り、ぶんぶんと、振りました。
「ようこそ来てくれた! 異星からの客人よ! 君は我が星の歴史上、最も重要な人物だ! 君のことは、すぐに陛下に報告しよう! 家畜のための小屋に、住み続ける必要などない! 陛下は必ずや、君を国賓として扱うだろうからね! そして、是非『ミノタウロスの大祭』にも出席してくれ! 君の故郷の世界と我々の生きるこの星の文明との友好の歴史を、ミノアを食しながら、盛大に始めようではないか!」
陛下。
国賓。
ミノタウロスの大祭。
それらの単語を聞くうちに、僕の中で出来上がった一つのアイデアを、今、ミノアに話しています。
「君を隠している間に、僕はこの星の王様とやらを、ズン類の偉い人を、説得して見せる。ミノタウロスの大祭とやらも、君たちウスを食べる残虐な習慣も、説得して止めさせてみせる。説得できなかったら、君を地球に連れて帰るよ。一人くらい同行者が増えたって、救助船のキャパシティは平気だよ。一緒に、逃げよう」
「どうして、逃げなきゃいけないのよ。大祭に出席できなくなるわ」
僕は、言葉に詰まり、ミノアを見つめました。
「ミノア、君は、ミノタウロスの大祭で、食べられるんだよ?」
「知っているわ。そのために、努力してきたのですもの」
「食べられたら、死ぬんだよ。君は」
自分で言っていて、辛くなりました。
「当たり前じゃない。おかしな人ね」
「君は、食べられて死ぬのが、嬉しいのか!」
「嬉しいわ」
僕はもう、言葉を口から出すことが、出来なくなってしまいました。
「私たち、食用種のウスにとってはね、ミノタウロスの大祭の主食として供されることは、最高の栄誉なのよ」
ミノアは、まるで子どもをさとすような口調で、語り始めました。
「競争がすごいのよ。みんな、小さい時から努力するの。少しでも肌をきれいにして、美味しく見えるように、食べるものを厳しく制限して、実際に口にした時に、美味しい肉に仕上げるように……。病気にかかるのも駄目。風邪を一度引いただけでさえ、選ばれる資格を失うのよ。かすり傷一つでも折ったらダメ。今日の騒ぎを、あなたも見たでしょう。私が大祭の主役に選ばれたことは、一族の誇りでもあるのよ」
ミノアは、遠い目をしました。
「発育の悪いウスの肉は、そりゃあみじめな扱いを受けるわ。普通の家庭で、料理に使っていただくこともできずに、畑の肥料にされてしまうのよ! ハムやソーセージに使われてしまうのも、不名誉なことね。少しでも高級な肉になって、高貴な方々の食卓に供せられることが、私たち食用種のウスが目指している、幸せなのよ。私は、その幸せを血のにじむ末に手に入れた。これを手放すつもりなんて、ないわ」
「そんなものは、幸せじゃない」
僕は、つぶやいていました。
「命は、誰かに食べられるために、生まれてくるんじゃない」
「じゃあ、地球では、誰も、食べられたりしないの?」
「当たり前だ」
「かわいそう……」
ミノアの目は、本当に僕を、僕たち地球人を、憐れんでいるようでした。
「誰かを幸せにすることができないなんて……そんなの、何のために生まれ来たのか、わからないじゃないの」
その夜、ベッドで眠りにつこうとしながら、どうしても眠れずに、僕は、ミノアの言った言葉について、必死に考えを巡らせて行きました。何度考えても、僕は、小さくつぶやかずにはいられませんでした。
「狂っている」と。