小説 ミノタウロスの皿   作:市民エックス

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第9話

 太陽の光を瞼の向こう側に感じながら、僕は目を覚ましました。

 あけ放たれた窓の外から、朝の光が、室内を照らしています。それは暖かくもあり、優しくもある、地球で目が覚める時もいつも感じたいていた太陽の光と、同じものでした。あの星、イノックスは、あまりにも多くのものが、地球と似ていたのです。それは悲しむべきことでした。もしもあの星に生きる者たちが、僕にとってなじみ深い地球の生物たちと全く似ていない、グロテスクで奇怪なものであったならば、ミノアと出会い、失う悲しみを、僕は味合わなくてよかったのですから。それはまた、喜ぶべきことでもありました。あの星に生きる者たちが、地球と似ていたからこそ、僕はミノアと、出会うことができたのですから。

 僕は、全裸で、ベッドの上に寝ていました。

 耳には、鳥がさえずる音や、風に葉が揺れる音しか、聞こえてきません。人が動く音や、話し声は、全く聞こえてきません。この家に住むウスたちは、既に僕を残して、出て行ってしまったのでしょう。何故なら今日は、ミノタウロスの大祭の日なのですから。

 僕は、ベッドの上で体を起こし、傍らを、見下ろしました。昨夜、僕と共にこのベッドに入り、共に眠りについたミノアの姿は、そこにはありませんでした。大祭の主役なのですから、当たり前です。

 昨夜、僕はミノアと、交わりました。彼女の肉体の中に射精した時の感覚は、眠りから覚めた僕の中にも、ありありと残っていました。

 今日の大祭の朝を迎えるまでの日々を、僕はずっと、ミノアを説得することに、費やしてきました。彼女の命を救う方法は簡単だったのです。彼女がたった一言「死にたくない」と言ってくれるだけでいいのです。王は、彼女自身が死を望まず、僕と共に旅立つことを望むのであれば、それを許すと、僕の前で、臣下たちの前で言いました。だから僕は、必死になって、彼女に向かって説きました。

 命の尊さを。

 僕が彼女を連れて行く、地球という星のすばらしさを。

 誰かの犠牲になるための死を目的としたせいではなく、自由に、自分自身のために生きることが幸せであることを。

 僕はこれまでの人生の中で、一人の人間に対して、あれほど言葉を伝えたことは、ありませんでした。しかし、ミノアを翻意させることは、出来ませんでした。

 死は怖いと、彼女は確かに言ってくれました。でも続けて「大祭の栄誉を失うことの方がはるかに怖い」と、彼女は言うのです。私の幸せとは、誰かに食べられてその下を楽しませること以外にはないのだと、ミノアは何度も言いました。そう口にするミノアの表情は、とても悲しそうでした。僕は、彼女の価値観を、いつまでも認めようとしないことが、悲しかったのでしょう。

 いつの間にか、僕が彼女に対して伝える言葉の種類は、変わってきました。一般論ではなく、僕だけの個別論を、僕はミノアに語っていたのです。

「僕は君を、愛しているんだ。ミノア」

 僕は、何百回も、彼女に対して言いました。

「僕は君に、死んでほしくない、君と一緒に、地球に帰りたい。そしたら僕は、二度と宇宙に旅立つことはないだろう。君と一緒に、地球で生き続けたいんだ。だからお願いだから、たった一言でいいから、言ってくれ、ミノア。死にたくないと言ってくれ」

 その言葉を聞いた時、ミノアは、目から涙を流し、頷いてくれました。しかしすぐに、首を振るのです。それは、どんな拒絶の言葉よりも、僕にとって残酷な仕草でした。

「私もあなたが好きよ。21エモン」

 彼女は一度、そう言ってくれました。

「でも私は、あなたの望みに答えることはできない」

「どうして?」

 僕は、その問いを、彼女に対して向けたのか、それとも、この宇宙の定めに対して向けたのか、今でもよくわかりません。

「どうして君が、食べられなくてはならないんだ。どうして君が、誰かの腹を満たすために、犠牲にならなくては、ならないんだ」

「この世の、定めだからよ。21エモン」

 ミノアは、窓の外の空に広がる、星々を見つめて言いました。

「この世の誰もが、他の誰かを食べることで生き、他の誰かに食べられることで死ぬ。この世に生きる全ての者たちは、食べあうことで、お互いが犠牲になることで、繋がっているのよ。私は食べられて命を失う。でも私の体はばらばらの肉となっても、誰かの体の一部になって生き続ける。その誰かの命が終わりを迎え、土に埋められば、そこから草が生える。命が育つ。それをまた誰かが食べる。私たちは誰一人として、自然の循環の中を、神の定められた美しき調和の中を、回り続けているの。そこには、本当の意味での死なんて、ないのよ。私たちは、永遠なの。食べられることで、私は、永遠の存在となるのよ」

 僕はもう、何も言うことが、出来ませんでした。僕は彼女と共に、夜空を見上げました。空の星々は、どこまでも美しく、そしてどこまでも、恐ろしいものに見えました。あの無数の星々の中にも、命を育む星が、きっとあるでしょう。しかしそこでは、このイノックス星で今起きていることと、同じことが無数に起きているかもしれないのです。命がお互いを食らい合う循環は、僕の目には美しい調和ではなく、始まりも終わりもないウロボロスの蛇の輪のような、グロテスクな地獄のようなものとしか思えませんでした。

 僕はもはや、僕が正しいと信じてきたどんな言葉も、口にすることが、出来ませんでした。代わりに、僕の口から出てきたのは、僕の本音、浅ましいと僕ですら軽蔑したくなる、欲望の表明でしかありませんでした。

「ミノア。僕は、君が欲しい。……君を愛することを、許してくれるかい」

 その言葉の意味は、明白でした。

 ミノアは、少し驚いた様子で、しかし嬉しそうな顔で、こくりと、頷いてくれました。

 気づいた時、僕の唇は、彼女の唇を、ふさいでいました。

 お互いが、お互いをむさぼるように、僕たちは、ベッドに倒れこみました。僕はその夜、初めて、ミノアの裸身を、目にしました。

 激しく求めあう交わりの果てに、僕は眠りへと落ちました。

 

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