ホワイトハウス ワシントンD.C
一九九四年七月二七日 午後四時二〇分(合衆国東部標準時)
大統領はくつろいだ表情で眼前の光景を眺めていた。ここはホワイトハウスの地下、全合衆国軍の長である大統領が軍事的事態を的確につかむために設けられた施設である。
最大の役割は、今は亡きソヴィエト連邦との全面戦争──反応兵器を用いた最終戦争──の際に、世界を道連れにするための断頭台として機能するのだ。が、今現在合衆国を脅かす敵は存在しない、少なくとも大統領とそのスタッフはそう考えていた。
正面のプロジェクターには太平洋戦域が投影されており、日本列島の最北端に焦点があてられている。
そこには第二次世界大戦後成立した共産主義日本人政権が存在しており、つい先ほど、その国の首相が死去したとの報告が届いていた。
あらかじめ事態を予測していた彼らは、成立するであろう首相の後継者の新政権に脅しをかけるため、合衆国の力の象徴たる空母戦闘群を樺太に接近させていた。
脅しを確実なものにするため、四個空母戦闘群を展開させた他、戦艦〈ウィスコンシン〉を中心とする水上戦闘群もやや離れた北方領土の南東に配置し、後詰としていた。
圧倒的な戦力に満足していた大統領は、ふと思い出したように尋ねた。
「日本人の動きはどうなっている?無論我々の側の」
大統領補佐官が、おもねるように応えた。
「JMSDFは出師準備を終えた部隊から出撃させています。恐らくは既に全部隊がオンステージかと。JGSDFもJASDFも臨戦態勢を整えており、まるで全面戦争を起こしそうな勢いです」
「ほう? 赤い日本が政変を起こしたのだから当然なのかもしれないが、彼らは少し大げさ過ぎやしないかね?」
補佐官は書類に目線を落としつつ応えた。
「えぇ、数日前に届いた話ですが、彼らは赤い日本人が即座に反応兵器を使うのではないかと考えているようです、大統領閣下。更にそれを我々に使用する可能性が高いと……」
「あぁ、それは私も聞いたよ。しかしそんなことをすれば、我が軍が報復攻撃をするのを赤い連中も知っているだろう。そのような事をさせないために……」
突如制御卓にアラームが鳴り、管制員達の動きが慌ただしくなった。大統領と共に詰めていたジョン・シャリカシュヴィリ統合参謀本部議長が声をあらげる。
「何が起きた? 状況を知らせ!」
「レッドジャップの攻撃です!」
「何!?」
プロジェクターの表示が変わり、オホーツク海とその周辺に地図をズームさせた。
樺太南岸・亜庭湾に展開する四個空母戦闘群の表示が見える。そのすぐ北、亜庭湾沿岸の表示が動いていた。赤い矢印が次々と戦闘群に伸びる。
「レッドジャップが一斉にミサイルを発射した模様、艦隊はただちに迎撃を始めました」
「なんと愚かな連中だ」
〝これで奴らを叩き潰す名分が立ったな〟大統領は嘲るようにつぶやいた。
だが、本当に愚かなのは誰なのかをすぐに思い知ることとなる。
「オホーツク海にも動きがある模様、レッドジャップの潜水艦による攻撃のようです」
陸上に加えて水中からも赤い矢が延びていた。このような光景を見るのは湾岸戦争以来である。典型的な対艦ミサイル飽和攻撃だった。
蒼ざめた表情のジェレミー・ボーダ海軍作戦総長が口を開いた。
「護衛艦艇に多少の被害が出ているようですが、空母は傷つけられてはおりません」
それを聞いた大統領が安堵するつかの間、管制員から楽観論を覆す報告が入る。
「第二派のミサイル発射を探知しました」
ボーダは内心〝イージス艦の能力があれば多少の被害でしのげるはずだ〟と思いこもうとしていた。そう、通常のミサイルだけなら彼の推測はあたっていたかもしれない……だが破局は唐突に訪れた。
「敵のミサイル第二波が戦闘群に到達した模様……なんて事だ……」
誰かが怒鳴りつける。
「はっきりと報告しろ!」
管制員は油汗を流しながら報告をした。
「敵は……反応兵器を使用しています!」
普段の紳士的な物腰を忘れ、思わず大統領は椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がる。
「そんな莫迦な……」
別の管制員からも報告が届いた。
「クナシリ基地との連絡が途絶しました。どうやらこちらにも反応兵器が使用された模様です」
次々と悲報が届けられた。
「ニミッツ被弾……あぁ、ビッグEも……」
「インディとリンカーンからの連絡も途絶しました」
管制員からうめき声と共に次々と報告が入る。
「何故一斉に連絡が途絶する?幾らなんでも艦隊が全滅するはずないだろう」
大統領は顔面蒼白になりながらも尋ねた。メリル・マクピーク空軍参謀総長が応える。
「恐らく電磁パルスの影響ではないかと思われます。これを食らってしまうと船体自体に被害がなくても電子機器が死んでしまい、電子的な通信の手段が断たれてしまいます」
茫然としている大統領に代わり、シャリカシュヴィリがボーダに尋ねた。
「どれほどの被害が出ていると思う?」
「おそらく全空母戦闘群が壊滅しただろう。クナシリ基地も同様の被害だろうな」
彼の妙に平板な口調に、シャリカシュヴィリは少し怒りを覚えたが〝こういう時こそ平静でいなければ〟と考え直して管制員に尋ねた。
「はっきりとした情報が欲しい。近くを通過する偵察衛星はいないか?」
「イエス、パパ。軌道を変更させたのが一基、まもなく通過します。少し時間をください」
全てが破壊されたに等しいオホーツク海周辺の合衆国軍だが、ようやく水上戦闘群から通信が届いた。
「ウィスコンシンからです。『我、被害皆無ナレドモ友軍トノ通信が成立セズ。一時戦場カラ退避ス。以後ノ指示ヲ承リシ』です」
先ほどの会話から少しして、ようやく衛星解析班からの第一報が届いた。四個空母戦闘群が居た海域は黒煙にまみれており、クナシリ基地もクレーターが見えるだけであった。
石像のようになった大統領の机の電話が鳴った。通信員の声が聞こえる。日本国首相からのホットラインとの事だった。大統領は立ち上がったまま受話器を取った。
彼は首相と二・三言会話を交わすとガチャリと受話器を置いた。
シャリカシュヴィリが尋ねる。
「彼らはなんと言ってきたのですか?」
よろよろと椅子に崩れこんだ大統領は無表情のまま応えた。
「要約すれば一言だ。『後は我々が片付ける』……と」
相次ぐ悲惨な報告に精神を痛めつけられていたボーダが、絞り出すように報告する。
「水上戦闘群をJMSDFの支援に向かわせます」
大統領は半ば投げやりな口調で応えた。
「好きにしてくれ」
再びシャリカシュヴィリが尋ねる。
「ただちに反応兵器による報復攻撃をいたしますか?」
とたんに大統領は怒りの形相で顔を真っ赤にした。シャリカシュヴィリはいささか肝を冷やしたが、数瞬の沈黙の後で出てきた大統領の口調は冷静だった。
「……今はまだ使用する事は許可できない……日本本土に反応兵器が投下されない限りは」
誰かがうめいた。
「クソッたれのジャップども、艦隊ばかり狙いやがって。〈ミッドウェイ〉だけでは足りないのか」
うめいた本人には全くあずかり知らぬ話だが、〈ミッドウェイ〉を沈めた者と、今回の悲劇を作りだした者は同一人物であった。
一人冷静なシャリカシュヴィリが応える。
「……かしこまりました。大統領閣下」
シャリカシュヴィリが指示を出すのを眺めながら大統領は思った。
〝仮に神が赦しても、納税者は私を赦さないだろうな〟
〝いや誰より赦さないのはあの小うるさい妻かもしれない……〟
〝あぁ、モニカ……。 もはや君の『おもてなし』だけが心の慰めだ……〟
事態を半ば放り出した大統領の内心は、すでに閉回路となっていた。シャリカシュヴィリはそんな彼を横目で見ながら、
〝ここまで被害を受けたら、元の世界最強の座に戻るのに何年かかるのだろう。しばらくの間は、あの子憎たらしい日本人に第七艦隊エリアを任せるしかないかもしれん〟
規則をおおっぴらに無視して煙草を取り出した彼は、投げやりな態度でつぶやいた。
〝まぁ、それは奴らが戦争に勝ってからの話だがな……〟
……こうして合衆国海軍再建に向けての、苦難の道のりが始まった。