……今回は、合衆国海軍のなかで第二次世界大戦後、最も苦難であっただろう時期を、諸外国の動きも視野に入れながら論じてみようと思う。
合衆国は、第一次世界大戦の勝利以来、常に大西洋と太平洋で戦える海軍力の保持を目指してきた。
それは第二次世界大戦で確実なものとなり、最大の仮想敵たる日本帝国海軍を打ち破ることで決定的になったものの、新たな火種を残すこととなった。
日本帝国は、ソヴィエト連邦主導の共産主義国家「日本民主主義人民共和国」(通称:北日本)と、アメリカ主導の資本主義国家である「日本国」(通称:南日本)に分裂し、以後冷戦の最前線として対峙することになる。
以来半世紀。合衆国は、同盟国と共に共産主義国家群……ことにソヴィエト連邦を主敵として海軍力を維持・整備・発展させてきた。
艦隊拡張が最高潮を迎えたのは、ロバート・F・ケネディ政権時代の六〇〇隻艦隊計画が完成した一九八〇年代末である。
その直後、ソヴィエト連邦は、国家維持の諸要素が破断界に達し崩壊した。連邦を構成していた国家は独立し、共産主義を捨てて新たな道を歩みだした。欧州の共産主義国家群も、紆余曲折のすえ同じ道を選んだ。
残る仮想敵は、国家建設の途上である中華人民共和国(以後、中国と略)と、合衆国が同盟を結ぶ南日本の主敵・北日本だった。
一九九〇年代初頭の中国人民解放軍海軍は、大きな作戦行動をおこせる戦力を保有してはいなかった。しかし北日本赤衛艦隊はソヴィエト連邦の援助を受け、戦艦・空母を含んだそれなりの作戦行動を実施できる規模に成長していた。
赤衛艦隊に対しては、国後に駐留していた第七艦隊と、南日本の海上自衛隊が独自の運用戦略に基づく艦隊の育成に努めていたので、大きな問題はないと捉えていた。
それが間違いだと思い知るのは、南北日本が全面武力衝突をした統一戦争においてであった。
オホーツク沖に展開していた合衆国海軍の四個空母戦闘群は、開戦劈頭に北日本三軍の戦術反応兵器を含む「統制対艦飽和攻撃」と名づけられた攻撃にさらされ、ほぼ全滅状態となった。
被害の規模は、後に「オホーツクの悲劇」と呼ばれるほどすさまじく、当時合衆国海軍が保有していた空母戦闘群の三分の一近くを瞬時に喪うこととなった。この被害は、真珠湾攻撃以来、いや、その時の戦艦群が後に復帰できたことを思えばそれ以上の被害だったのかもしれない。
統一戦争は、南日本による北日本の併合による統一国家の成立で終結を迎えた(以後、統一された南北日本を「日本」と表記)。だが、その戦争が合衆国に与えた影響は大きなものであった。
合衆国海軍は、冷戦終結によって縮小される海軍力を効率的に陸上へ投射をする、「フロム・ザ・シー」として知られはじめていた戦略に傾きかけていた。しかし、後述する湾岸戦争での損害に続き、攻撃対象の陸上拠点からも含めた「統制対艦飽和攻撃」に対する脆弱性が明らかになり、大幅な戦略の見直しを図らざるを得なくなったのである。
彼らは、はじめに予備役に回していたフォレスタル級空母を現役へ復帰させ、空母戦闘群の再建をはじめた。
── カール・リンケ・クラインキーファー
京都大学政経学教授 ──