「李信将軍から見て、この案はどう思うか」
長官から意見を求められたのは、文官ではなかった。
南陽城の一室には、文官達が集う会議室がある。議題となっているのは、秦国の法を占領した住民へどう受け入れさせるか、というものだった。
本来武の側の人間である李信将軍が立ち入るべき場所ではない。しかし、騰将軍の意向もあり李信将軍は参列が許された。今の南陽には秦国が誇る武と、秦国が誇る知が一堂に会していた。
「……発言を許可して頂き感謝する、長官。個人的な私見に基づくものだが……」
「はっきり言って法が多すぎる。これじゃあ下層の住民にゃあ理解できねえよ。伝えるなら、簡単な法律からにすべきだぜ。『人を殺したらうち首』とかよ」
「何を馬鹿な!それを周知徹底させるために会議していたのではないか!」
これだから下民上がりの軍人は、と文官達は侮蔑の眼を李信将軍へと向けた。
秦国の拡大を支えてきたのは、戦争によって城を落とし敵国の軍人達を屠ってきた李信将軍のような武人達の働きによるものである。
戦乱がやまぬ春秋戦国時代において、高い戦果をもたらす武将に対する評価は高い。趙の廉頗将軍などの武将は王にその武力と態度を危険視され、追放されるといった憂き目に逢うこともある。
一方で、戦乱やまぬ時代であるからこそ学問を身につけた知識人に対する評価もまた、高い。
が、この時代文官と武官とでは深い溝が存在した。
王や地方の城主に仕え、城内の統治や行政に携わる文官は発言力も高く、王からの信頼を得やすい。一方で、王から褒美として得た領地を経営しつつ、要請があれば王から貸し出された兵と領民を率いる武官は、王や文官にしてみれば疑心暗鬼の種になりうる。
武官の立場で考えてみても、戦場で血を流し汚れ仕事も厭わず、部下を死地に赴かせながら椅子に座り続ける文官達によい思いはない。趙国を例に挙げれば、廉頗将軍と藺相如の間にも深い対立と不和が存在したのである。
六国の中で最大の勢力を誇る大国、秦においても文官達の視線は冷たい。が、李信将軍にとってそんな視線は何の痛みでもなかった。李信将軍は俺の体験を踏まえた上での発言だ、と前置きした上で話す。
「俺が秦の法を理解したのは、百人将になってからだった」
「……何……?」
李信将軍の発言に、文官達は衝撃を受けたように固まった。
「俺は奴隷の生まれでな。文字なんてもんは武功を立てるまでは習ったことはねえ。理解していたのは、村の里典から習った常識だけだ。下層の民ってのはない、自分の身の回りのことだけ知ってりゃそれでいいんだ。複雑な法を教わったって全部は覚えきらねぇし、すぐに忘れちまう」
「ここに居る方々は、生まれてすぐに筆をとって『文字』を覚えた賢人達だ。俺が詠めねえ『詩』ってやつを謳い、秦の法を韓の文字に翻訳することも出来るだろう」
「当たり前だっ。それが我々の使命であり職責なのだ!」
「だがよ。世の中には文字なんて読めねえ書けねえって連中の方が圧倒的に多いんだぜ。城下町の連中でも、自分の字が書けりゃあ上等ってのが大半だろう」
李信将軍の言葉に、剛京長官の瞳は少しだけ輝いた。一方で、文官達はまさか、そんなとざわめき出す。
「……そんな状況で秦の五人一組の連座制ってやつを周知させるには、韓の役人達の働きが不可欠だ。どんな法も、末端まで伝えるには口頭しかねぇんだからな」
李信将軍の指摘に文官達は視線を交わしあった。
(韓の役人達……)(理屈はわかる。だが……)(しかし我らだけで住民の全てに意思を伝えるなど不可能だぞ)
李信将軍の言葉はもっともであった。
識字率が低い時代において、意思を伝達するためには口頭で伝えるしか手はない。が、口頭での伝達には不便な点がある。
伝える法の種類が多ければ多いほど、内容を伝えるのに時間と手間がかかるということだ。
秦の発展の裏には、法によって民達を五人一組として扱い、連座制にして相互監視の体制を作り上げたところにある。
人一人で賄える税には限りがあり、人間の能力は平等ではない。が、五人一組の連帯責任で一定の税を納めるのであれば、民の能力差によらず国家側は一定の税を得ることができる。
誰も自分が連座制で罪に問われたくはないからだ。
しかし、この法を韓でそのまま適応することにはいささか問題がある。
韓の住民はそもそも秦の法を知らない。秦とは文字も異なれば、文化も違う。そんな状態で上から指示を出したところで従う人間は居ない、と李信将軍は現実を突きつけたのである。
「……あい分かった」
実務を取るか、それとも、現実を優先するか。
文官達が判断に揺れる中で、責任者として採決を下したのは武将と見まがうほどの威圧感を持つ長官、剛京だった。
「城下の民達に秦国の法を周知するためにも、南陽の有力者には話を通さねばならぬ。早急に有力者を集めるのだ。よいな!」
「は、ははあっ!」
剛京の下知に対して、文官達は一も二もなく従った。李信将軍もまた、剛京に一礼した。
***
「……途中はどうなることかと思ったけど、よくやった、信。お前よくキレてぶん殴らなかったな」
「貂。俺だっていつまでもガキのままじゃあ居られねぇんだよ。」
李信将軍の側には女性の軍師が控えていた。身の丈は秦の平均的な成人女性より低く、民族衣装だという筵のような服を着ている軍師の名は河了貂。李信将軍の躍進を支えてきた飛信隊の頭脳である。
「今回の会議は文官達に『秦と韓の理想郷』を作ることを理解させるためのものだ。反発もあるかと思ったけど信のお陰で話が早く進んだよ」
「腹の中じゃあ納得できてねえ連中も居るだろうさ」
李信将軍と河了貂は十年来の親友のように語らいあいながら話す。周囲とは一線を画すような大男と妙齢の女性が対等に語らう姿は異様であり、奇異に映った。
「だが、剛京長官はたいしたもんだぜ。文官達が判断を決めかねて居るときに、あの長官の言葉一つで腹が決まった。ああいう官吏とは仲良くしとくにこしたことねぇな」
李信将軍はかか、と屈託無く笑った。自身の出自に対する劣等感や鬱憤を昇華し、ひとかどの将としての自覚と覚悟を持った人間の姿であった。
河了貂はしみじみと言う。李信将軍に随行する副将の楚水は一言も発さないが、穏やかな気持ちで二人のやり取りを見守っていた。
「やっぱり、法を運用するのは人ってことなんだな。あの長官もそれはちゃんと理解してたのか……」
「当たり前だろ。『アイツの言葉なら従う』『貂が言うなら従う』っつーのが普通の感覚だ。剛京長官はそれを理解してたからこそ、騰のおっさ……将軍にも真っ先に反論したんだ。ただの頭でっかちに長官が勤まるかよ」
信の言葉は戦場を駆け回る武将や、下層階級、ひいてはこの時代の大多数の民達の意思を代弁していた。
先行きの見えない時代において、人が人に従うには何らかの価値を示さねばならない。
それは夢というような曖昧模糊なものだけでは不充分なのだ。目の前の一日を安心して過ごせるという安堵であり、目の前に存在する大きな壁を乗り越えるための知恵である。そうやって下の人間に安堵と安心を示すことができる人間に、人は従う。
剛京長官の対応は、法を是とする秦においては柔軟な対応であった。
春秋戦国時代、秦以外六国は覇権を争いながらも絶対的な君臨者はおらず、誰もがこの長い争いの輪は終わらないのだと諦めていた。それを変えたのが魏国から最後の七国目、秦に渡った商君鞅であり、国力の増大をもたらした秦国が誇る官吏、文官達であり、増大した国力を適切に運用した白起達かつての六大将軍達であった。
その流れを汲むのが現在の六大将軍である騰将軍であり、武功を上げてきた李信将軍である。将軍達には、戦場という非日常的な環境に適応する高い柔軟性と、大勢の部下達を惹き付ける人間的魅力があった。
そして剛京のような文官達にとって、将軍の持つ魅力や人間的存在感は目障りであり、劣等感を刺激するものに他ならなかった。
なぜならば、将軍の持つ存在感とは歴史に名を残せるかもしれないほどの才覚であり、常人が持つ覇気ではない。言い換えれば一握りの天才しか持ち得ないものである。人がその個人の魅力のみで人を従える存在というのは、法による社会統治を掲げる秦の文官達にとって目障りであり、唾棄すべきものでもあった。
が、剛京長官は与えられた使命を第一としながらも騰将軍らの意見を一考し、判断を王に委ねるという対応を取った。杓子定規な文官というだけでは出来ない判断であり、南陽の統治ひいては韓の制圧という使命に対する真摯さの現れと言えた。
李信将軍もまた、並の軍人ではなかった。文官達が抱える感情の全てを理解できたわけではないが、彼らから快く思われていないことを理解した上で歩み寄って貰えたことに感謝していた。李信将軍には学はないが、頭は良かったのだ。
剛京長官の文官達に対する対応として称賛すべきことは、問題を問題として認識させることであった。
文官達は難関試験を突破してきた秦の誇る天才達であり、法や行政に関する知識を手に納めた賢人である。しかし、それがゆえにある種の傲慢さや驕りを持つ者も居るのだ。
それでは、南陽の統治や秦への属国化は叶わないと問題が起きる前に部下に理解させる。そのために会議を仕組んだ長官を、李信は称賛した。
(……信のやつ、いつの間にかでかくなっていたんだな……)
河了貂は寂しさを噛み締めるように李信を見た。はじめて会った時とは比べ物にならないほど大きな幼馴染みの背中には、無数の傷跡が刻まれていた。
しかし、李信は河了貂を振り返るとにこりと笑った。
「貂。南陽の猪肉はうめえって録嗚未が言ってたぜ。狩りに行ってみるか?」
「ったく。……ま、部下達の訓練には丁度いいか。楚水さん、空いている面子を駆り出せますか?」
「勿論です、軍師どの」
河了貂は満更でもなさそうな顔で指示を飛ばす。飛信隊という韓攻略の要は、南陽において英気を養っていた。飛信隊の武と知もまた、相反せず穏やかにその力を蓄えていた。