少年中毒   作:笑う豆の木

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眠り姫

 

 

 

 

 

 ボクは最近、歩くのが早くなった。

 自分の部屋以外の場所で寝てしまうことがとても減った。

 もちろん、ジェイルの探索中とか、仲間に歩幅を合わせなくてはいけないときは頑張って追従するようにしている。

 でも、黎明の本部なんかの安全地帯では、ついつい牛歩のようなスピードになってしまう。

 急ぐ必要がないと、とことんゆっくりとした動作しかできない。

 

 つい最近、までは。

 

 ボクは今日も、自分の中では走っているような速さで自室に向かった。

 周りからは、多分早歩きくらいにしか見えてないだろうけど。

 探索と戦いを終えて疲れている。

 そんな身体にムチ打って、まるで突き動かされているみたいに足を動かしている。

 自分の部屋が遠く感じる。

 一秒でも一瞬でも早く、オアシスに行きたい。

 

 扉を閉め、鍵をかけたことを確認する。

 誰もいないとは分かりきってるけど、慎重に部屋を見渡す。

 でも途中でやめた。逸る思いは抑えられない。

 上着を椅子にかけたら、ベッドによじ登って大きな枕をひっくり返す。

 何の変哲もない一枚布。

 実際にはただの布ではない。

 それを手にとって、躊躇うことなく思い切り顔を埋める。

 

「っ…………っ………………つ!」

 

 胸いっぱいに、鼻から通った空気を押し込むと指先が細かく痙攣するような感覚に襲われる。

 脳がバチバチと短いりずむで破裂すると、無意識に情けない声を出して悶てしまう。

 

「はぁ…………ふぅ……」

 

 名残惜しさに苛まれながら思いっきり息を吐く。

 うっとりとした顔で布を抱きしめて、一度暴れ散らかした脳と呼吸を整えることに集中する。

 

「ジャック……」

 

 愛しいその名を悩ましく呟きながら。

 

 この布。タオルは元は彼のもの。

 先日外で運動をしていた彼を見て、ふと脳裏を過ぎった歪んだ閃き。

 使っていたタオルを黎明の生活部署に届ける代わりに、自分の部屋に隠した。

 バレたりはしないはず。タオルは基本的に共用品で、一枚無くなったくらいでは誰も気にしない。

 

 彼に嘘をついたり、備品をくすねたり、こんな変態行為に及んでしまうことに罪悪感がないわけではない。

 でも、時に良心にすら勝ってしまうくらい、ボクはジャックの匂いが大好き。

 厳密には匂いとそのフェロモンが好きなのかも。

 以前、廊下で寝てしまったボクを見かねたジャックが、彼のベッドに運んでくれた時。

 その時、とても幸せな気分になった。

 身体を包む、ジャックの、大好きな男の人の匂い。

 本能がその幸福を覚えてしまって、ハマってしまった。

 洗剤は皆同じものを使っている。だから、花のような優しい甘い香りがする。

 それと同じくらい主張している、ジャックの汗と身体の匂い。

 妙なくらい癖になるコントラスト。

 怪しいクスリみたいに脳や心臓とか、大事な部分に訴えかけてきてボクを蝕んでいく。

 

「うぅ……」

 

 本当ならあのベッドでもう一度寝たい。

 また同じように、ジャックの部屋に近い廊下でうたた寝してればいいだけ。

 ボクの王子様は優しいから何度でも助けてくれる。

 でも、繰り返したら怪しまれる。

 もう一度あれを味わってしまったら、きっともう戻れない。

 そのまま茨に囚われる。

 

 発散できない煮え滾った欲望を少しでも慰めたい。

 また顔を埋める。

 また吸う。

 また悶える。

 脳がとろける。

 たったタオル一枚でこんな有様なのに。

 もしもジャックのベッドで。 

 もしもジャックに抱きしめられながら。

 眠ったら。

 

「っん……!!」

 

 長い痙攣。

 身を割くような甘い感覚。

 想像するだけで絶頂してしまいそうになる。

 こんなどうしょうもない姿を見られたら、きっとジャックは失望する。

 

 ボクは一人で眠るしかない。

 

 

 

 ある日の朝食。

 

「えっ、シャツ無くなったの?」

「まぁ、無くなったというか、戻ってきてないんだよね」

 

 ピクリと、大げさでぎこちない手の動き。

 皆、ジャックの話に夢中で、多分誰にも見られていない。 

 安堵しながら、空中で静止していた、ちぎったパンを口に向かわせる。

 

「あぁー、なら他の人の洗濯物と混ざったのかもね。たまにあるんだよ、どれも同じような縞模様だから。後で申請出しときな」

 

 ジャックが着ているシャツは黎明の職員と同じもの。

 サイズくらいしか差はない。その差も、ジャックと似たような体格の人が多ければ多いほど無意味。

 だから上手くいった。

 誰もボクのことを疑ったりしてない。

 まさか、それをこっそり抜き取ったなんて。

 

 親指大まで縮まったパンを放り込んで、ボクは席を立つ。

 

「ネムってば、最近食べるの早いわよね。……私たちがお喋りに夢中になりすぎなだけかしら?」

「ん……」

「最近、部屋に籠りきりなような気もしますし、もしかしたら何か……」

「……! なんでも、ない……。ちょっと、眠い……だけ……」

 

 心配してくれているのに。 

 ボクはそれを無下にしてしまう。

 

 本当に最低だ。

 

 

 

「ぅ……あ…………!」

 

 ジャックのシャツを抱きしめながら、恥ずかしい声をあげる。

 全身で受け止めてもあまりあるほど“濃い”。

 長時間の探索から帰ってきた直後のだから。

 

「ジャック……! ジャック、すき……!」

 

 行き場のない想い。

 行き場を求めてはいけない。

 大好きな人の衣服を布団の中で自分ごと密封して、充満したフェロモンを吸い込む。

 精神が壊れそうになる。

 

 本当はこの想いを伝えたい。

 心の底から繋がりたい。

 毎晩ジャックのベッドで眠りたい。

 でも、こんな恥ずかしい子と一緒にいてもジャックは幸せになれない。

 他にも女の子がいるのに、ボクを選んでくれるとも思えない。

 

「ふー……っ…………」

 

 決して消えない欲望が膨らんでいく。

 こんなことをしても。

 いくら脳内のジャックを想ったところで。

 報われるわれるはずはない。

 ひたすらに溜め込んでしまうだけ。

 

 でも、やめられない。

 まるで呪われたみたいに。

 

「──眠り姫」

「んん……?」

 

 目を開けると、ジャックの顔があった。

 さっきまで自分の部屋にいたはずなのに。

 

「ふぃ……?!」

 

 ボクの部屋じゃない。

 殺風景なジャックの部屋。

 下には少し硬いマットレス。

 横にいる彼は添い寝してくれていたらしい。

 

「よく眠れた?」

 

 朗らかに微笑む。

 ボクは驚きを覚えることしかできない。

 どういうこと。

 欲望を抑えきれずに、ジャックの部屋に突撃してしまったのかな。

 少なくとも彼は穏やかな表情をしているけど。

 心臓だけが忙しく動くボクはどうしていいか分からない。

 

「ん……!」

 

 頷くことすら多大な労力が必要だった。 

 眠っていたのだろうか。

 睡眠欲は不思議と感じない。

 目の前が信じられなくて目を瞑る。

 体覚が鋭くなる。

 彼の体温は感じられない。

 少し離れているからだろうか。

 匂いは相変わらず濃い。

 小さな花畑みたい。

 

「僕のシャツを取ったのが君だったなんて」

「……え?」

 

 目を見開く。

 怒られた? でも、その眉は眠たそうに垂れたまま。

 

「なんで、知って……」

「そんな子だとは思わなかった」

 

 ボクを非難する。

 でも、顔も声も優しいまま変わらない。

 どうして。

 

「ご、ごめん、なさい……」

 

 つっかえながら出た謝罪の言葉。

 彼は首を横に降った。

 涙で視界が歪む。

 愛しい人はベッドから降りて離れていく。

 舞台から退場していって、そのまま闇へ消える。

 

「待って……!」

 

 手を伸ばしても届かない。

 彼は振り返らなかった。

 周囲が黒く歪んでいく。

 ひとりぼっち。

 

「ジャック……」

 

 自分の部屋にいた。

 急いで周りを見渡す。

 ジャックはいない。

 手には彼のシャツが握られたまま。

 鍵は閉められていて、誰か来た形跡はない。

 

 ──夢だった。

 

 涙が溢れる。

 ジャックのシャツにポツポツとシミが増えていく。

 安心からじゃない。

 絶望したから。

 

 ボクはもうジャックを想う資格なんてない。

 ジャックに想われることは一生ない。

 

「う……ぁぅ……」

 

 暗い感情と劣情が一気に襲いかかってくる。

 不安になって、少しでも救いが欲しくて。

 それをまた胸いっぱいに吸う。

 脳が麻痺してちょっとだけ楽になる。

 でも、またすぐに悲しみが来る。

 だからまた思い出すために、吸う。

 このままでは、ますます依存する。

 でも、やめたら押しつぶされそうになる。

 だから、続けるしかない。

 

「ジャック…………」

 

 きっと、ボクの夜は永遠に明けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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