◆◆◆◆◆◆◆◆
カポーンとシシオドシのフウリュウな音が響き渡るいつもの料亭で、藤木戸と葉月はアサギではなく、さくらと、雰囲気に慣れていないのか非常に固くなっている詩嶋・麦と相対していた。
葉月も初の人界ということもあって同じくらいカチコンコチンになっているが、年下のはずのさくらは流石井河の人間と言うべきか、高級な場所にも慣れているようで落ち着き払い、普段のあっけらかんとした空気が嘘のようにマナーを守っていた。
「で、なんだサクラ=サン。アサギ=サンからの呼び出しだと思ってきたのだが」
「それがね、お姉ちゃん急用入っちゃって、私にお声がかかったの」
藤木戸は、それは珍しいこともあるものだと思った。別にアサギが急用で来られなくなることは珍しくはない。彼女は現井河の筆頭であり対魔忍のハタガシラ、いつ何時、彼女でなくば解決できない問題や会議に呼び出されるか分からない。
ただ、自分と会う日は完全にオフにして来ることが多いので、緊急で呼び出されるなど何かあったのではないかと思ったのだ。
ふと、懐のイリジウム携帯を意識するが、呼び出しがないということは、本当に穏当な案件なのだろう。
お互い、罠に掛かった際は一挙動で呼び出せるようにしているので、これが静かということは、本当に緊急の会議あたりか、セクションⅢのお偉方に出頭命令を出されてネチネチ嫌がらせを言われているかのどちらかだ。
ナムアミブッダと心の中で呟いて、藤木戸は手酌でサケを注ごうとしたが、その手は三人に阻まれた。
「けんにぃ、ちょっと余所余所しくなーい?」
「センセイ、人がいるのに手酌はスゴイ・シツレイと聞きました」
「ふ、藤木戸先生! お酌します! 私も飲める年齢なので!」
何故か二合徳利が三本もある――多分アサギの手配そのままで出たのだろう――卓上で女性の手が交差する。
一瞬、ニンジャ瞬発力と動体視力で牽制し合った三人であるが、位置的に一番近い葉月が真っ先に徳利の縁を猪口の縁に触れさせた。
何だか悪いアソビをしているような気になった藤木戸は、誤魔化すように「うむ……」と呟いて、弟子からの酌を受ける。
美味いはずのアサギ愛顧の銘柄が、どういう訳か味がしなかった。
さくらも茶化すではなく、二人をジトッと睨んでいるのがなんとも居心地が悪いが、行き場のなかった徳利が戻されると、彼女は麦に飲む? と聞いて、首を横に振って否定された。
どうやら、まだ若い彼女にサケの味は分からないらしい。
「で、けんにぃを呼び出した理由なんだけどさ」
「あ、ああ」
珍しく言い淀む藤木戸を余所にさくらは持ってきていたカバンから、真っ赤なファイルを取りだした。例によって部外秘、赦しを得た者以外が開けば燃え上がる特殊なジツが掛かった書類入れだ。
そして、その中から取り出された写真を見て、彼は思わずサケを吹き出しかけた。
アサギと己が映っている。
それはよい。抜け忍になる前、恭介や他の同期と一緒に記念写真を何枚も撮っているので、探してくれば何処からでも見つかるだろう。
しかし、それは撮影日が新しい最新の写真であった。
しかも、どういう訳か際どい格好をしたアサギと、見窄らしい格好をした自分が既視感があるが、違う場所で腕を組んで歩いているのだ。
「これは……アミダハラか」
「お、正解。流石けんにぃ、ヨミハラの地形と店は全部頭に入っちゃってるか」
風景はヨミハラと似ているが、雰囲気が僅かに異なる。故に藤木戸は、写真が撮影された場所が東京キングダムの大深度地下空間でないことに気付いたが、問題は撮られた覚えのない写真に自分とアサギが写っていることだ。
言うまでもなく、二人はこのような格好で出歩いたことはないし、腕を組んで歩いたことなど当然ない。第一アサギは未亡人であるのみならず――最近は、この表現もスゴイ・シツレイにあたるのだったか――その亡夫は他ならぬ親友だ。
まかり間違ってもこのようなことをするほど、恥知らずな生物になったつもりは藤木戸にはない。
もう喪も明けて随分になるし、彼女が心の支えとして新しい伴侶を選んでも、それは別に咎めるつもりはなかった。恭介だって、何時までもオブツダンの前で泣かれるより、年に何回か思い出して献杯してくれることの方を喜ぶような好漢だ。
しかし、その隣に自分が収まることは絶対にあってはならないと、不思議なことに藤木戸は己に任じていた。
理由は言語化し辛いため定かではないが、ユウジョウという言葉が脳裏を過り、理由としては十分かと己を納得させる。
しかし、これは一体……。
「あのクローン騒ぎ、一体捕捉できてないなら他もあると思って捜査網を広げさせたんだよね、おねぇちゃんが。そうしたら、アミダハラで任務に当たってた対魔忍が見つけて、こう、パシャッと」
「絵面が最悪だ」
「何かけんにぃが仕事で撮ってる写真っぽいもんね」
「本当にやめてくれ……」
「それはともかく、お姉ちゃんは追討部隊を出すか、自分が行こうとしてるんだけど、今アミダハラにはあんまり触るなって感じだから、上と揉めてるみたいで」
なるほど、と藤木戸は唸った。逃走先でクローン達が自分の居場所を同じくクローニングされた、哀れな同期に向けた。そういうことだろう。どうやって脳を弄くるような制御から抜けたかは分からないが――撃破された個体を解剖した所、延髄と前頭葉にチップが埋まっていた――必死に生きようとしていることだけは確かだ。
「捨て置くように言っておいてくれ」
「えっ、でも……」
「俺が重ねて、もう良いと、量産されておらず、悪用もされていないようならそっとしておいた方が世の安寧のためになると進言した。そう伝えてくれ」
一種のカンショウであろうか。それとも、望まずして生み出されてしまったクローンアサギの一個体と、クローン藤木戸の一個体への憐憫か。藤木戸としては、もうこのままそっとしておいてやって欲しかった。
確かに彼等は邪悪な目的で生み出されこそしたが、存在そのものを邪悪と定義するのは違うのではないかと思うのだ。
クローンヤクザとて、考えれば哀れな存在だ。劣化コピーされた上、僅か一年の寿命しか持たず――クローン・アサギとクローン・藤木戸はそうではないが――命令には絶対服従。その枷から放たれ、特に何をしているでもない命を追い立てて殺す。
そこまでする必要が何処にあろう?
「報告書を読む限り、暗黒組織に属して悪さしているようでもないし、どうせ不完全な個体だ。追っても〝殺したという自己満足〟以外何も得ることはなく無駄だろう」
「でも、別の拠点があったりしたら……」
「ポッドの数イコール生産数ではあるまい。空になったら次を作る、そういう仕組みで、我々が知っている以上に量産されていただけのことではないのか?」
再び葉月から酌をうけながら、サケをクイッと煽る。今度はきちんと、吟醸酒の抜けるような辛口が舌を伝った。
恐らく、龍門残党はクローンアサギやクローン藤木戸を人界に紛れさせて、活動しても問題ないか実験も行ったのだろう。かつて見た、都内でスシを補給していた自分も、たまたま襲った娼館に流されていた個体もその一つなのやもしれない。
そして、クローニングの本拠が叩き潰された今、そういった実験個体が制御されず放浪していたとしても、おかしなことはない。むしろ、そう考える方が自然だろう。
なにせ、龍門にはもう、あれだけの施設を二つも三つも作るだけの力はないのだから。実験データも破壊した施設内で完結していたこともあり、余所に出回っていないであろうから、ピリピリするだけ時間の無駄だ。
仮に他に拠点が見つかったなら、それはその時に殺せば良い。残党を叩き潰すのに本気を出して、他が疎かになり、大きな陰謀を取りこぼす方が人界にとって致命傷になろうというもの。
「ダース単位で見つかったならまだしも、たった一組見つけただけで俺やアサギ=サンを動かせば、それだけコトが大きくなる上、人員も消耗する。ただの取りこぼしなら放っておいた方が平穏無事に進もう」
「……取るに足らないこと、と思わせたいってこと?」
「そうだ。対魔忍組織内で既に俺達のクローンが作られたことは公表したのだろう? ならば、大事にすればそれだけ大したことのない生き残りにリソースを割くこととなる」
それは、人手不足に喘いでいる対魔忍の人員を無駄に削ることになる。
ハヤブサ・ジツを十全に扱えないアサギ・クローン・アビ・インフェルノ・ジゴク・ジツを制御できず、ただのカトン・ジツとして用いる藤木戸・クローン。
まぁ、言ってはなんだが、デキの悪いスワンプマンに過ぎない。今の混沌とした世界で、自衛のため使って細々と生きるには、むしろ丁度良い性能と言えよう。
「悪事に手を染めたというのならば、見つけ出して殺す。それくらいの方が良い。終わった事件の余燼に力を割き続けるよりずっとな」
「一応、おねぇちゃんにはそう言っておくけど……」
「俺が強く進言した、それだけは何度でも伝えてくれ」
ツキダシに箸を付けながら、話は終わりか? と問えば、さくらは逡巡しながらも頷いた。
「では、トラディショナル・インストラクションだ。リョウテイでの振る舞いを折角だから二人に教えてやろう」
流麗な箸使いで白和えをサケのアテにしながら、少しでもピリついた空気をマシにするべく、藤木戸は強引に話題を切り替えた。
自由を手にしたクローン達の道行きを、アテにならないブッダに祈りながら…………。
他の筆が止まる息抜きに書くので妙に進む進む。
次話は無料で、ウキヨエ箱にて読めるようになっているので、気になったら決断的にフォローしてほしい!!